三章

一、夜の館

 深い深い森の中。日差しは存分に差し込まず、林冠を成す巨木のみがすべてを持ち去ってしまうような場所。背は低く今にも根元から折れてしまいそうな弱弱しい草々。

 わずかに感じる私以外の動物の気配。そして、物の怪の気配。

 ここ見晴国では好奇の目にさらされるであろう、異国の上下服――チュニックとスラックスも見る人がいないのであれば違和感も生じない。

 相変わらず着心地に違和感はあるが、商人の言葉通り丈夫であったので着用し続けている。

 そしてたった今、私は旅の中で商人に対して募らせてきた恨みを全て撤回しようと思う。むしろ今から感謝を伝えに行きたい。

 お前が売りつけた異国の服がとても役にたったぞ、と。




 ――鬱蒼と茂る森の中を進んできたはずだ。

 しかし、今私の目に映るのは空から零れてしまいそうな星々と月。そして月光に照らされて怪しく光る館。

 ぽっかりと空を見せる空間と、そこに収まる異国風の館だ。

「ようこそいらっしゃいました。夢様、ですね。先ほど主から報告は受けております。……中へお入りください」

 館の入り口、女が一人立っていた。吹けば消えてしまいそうなくらい弱々しく灯されたかがり火の元で、一人。

 正直な話、第一印象は不気味な奴、だ。この国では珍しい金髪を肩まで伸ばし、色素の薄い目を下に向けてこちらに見向きもしない。

 声色からは一切の感情が感じ取れず、何を考えているのかもよくわからない。ただ一つだけ分かるのは、あまり歓迎されていないということだ。

 喋りの間が明らかに私を中に入れたくないと語っていた。

「……様付けはやめてくれ。コハリ師とでも呼んでくれればいい」

 こちらは最低限、女に感じた不快感を押し殺して言う。最悪バレてしまっても問題はない。私は目の前の女や依頼主にどう思われようと知ったことではないのだ。

 もしかすると館の主の中での評価が変わってしまうかもしれないが、それはそれでいいだろう。むしろ落ちてくれていい。

「承知いたしました。ではコハリ師、ついてきてください」

 こいつ……

 思わず出してしまいそうになった舌打ちを抑え込む。驕り高ぶっているつもりはないが、客人に対してそれはないだろう。

 コハリ師でいいと言って文字通りそう呼ぶ馬鹿がどこにいる。客人なのだから、”様”までは要求しないが、せめて"さん"を付けろ。

 この女、明らかに私に対して敵対心を持っているだろう。

「分かった」

 短く言葉を返し、背中を向けた女についていく。

 私が中に入るまで扉を支えておくというような様子すら見せず、一瞥もしないまま歩を進める女。あなたが来たいなら勝手に来い、と言われているような気分だ。

 女を追いかけて館に足を踏み入れる。その間にも女はさらに先に進んでおり、急かされているような気もしてきて精神衛生上よろしくない。

 それに加え、私は今履物を脱ぐべきなのか迷わされてもいる。異国事情には詳しくないのだ。入ってみて気づいたが、この国における土間が見当たらない。

 女は脱ぐそぶりすら見せていない。では女と同じように、と行きたいところだが、先ほどまでのもてなしを鑑みるに信用はしたくなかった。

 先ほどは相手にどう思われようと知ったことではないと考えたが、限度がある。

 私にもある程度人としての常識があり、それを踏まえてうえで不快に思われたのならば気にしないということだ。

 女に聞くべきか……?

 しかし、正直答えてくれるかどうかも……

 バタンッ!!

「!?」

 私の思考を遮る音。意識の外から襲ってきたその音は私の背後――ひとりでに閉まった扉がたてたもののようだった。

 私は数日間、その古びた扉がひどく網膜に焼き付くことになった。

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