五、対の羽根

「さあ、早く手当をしてしまいましょう。沁みるかもしれません。もし何かあったら遠慮なくおっしゃってくださいね」

 精霊は血の滲んだ布を私から受け取って綺麗にたたむと、続けて手のひらサイズの焼き物を取り出した。

 木の蓋を開ければ中には深緑色をした粘性の液体が確認できる。薬草などを加えた軟膏だろうか。

 少女は人差し指と中指の腹に軟膏を乗せると、一歩私に近づいた。

「沁みませんか、大丈夫ですか?」

「問題ない」

 ねっとりとした感触が傷口のしかかる。薬の独特な匂いが鼻腔をくすぐるが、痛みはない。

「これでよし。後は安静にするだけですね」

 少女は軟膏の容器の蓋を閉めると、軽く包帯を巻いてくれた。こちらも先ほどの布に引けを取らないくらいに清潔だ。

「……そういえば」

 少女は箱に軟膏を戻すとこちらに向き直った。考えるような素振りで見つめてくる。

「私の顔に何かついているか?」

 森で藪や木々をかき分けていたのだ。頭以外にも傷があるのかもしれない。確かめるように顔全体を触る。

「ふふふ、何も付いていませんよっ」

「じゃあ先ほどの間はなぜなんだ」

 少女の漏らし笑いに困惑。思わず単純に聞き返した。

「いや、こんな森の奥に人が来るのが珍しいと思ったんです。例え来たとしてもこの家による人なんていないですから」

「……それは同意する。私だって怪我をしてなければ素通りしていた。深くて暗い森の中、ポツンとある家など正直に言って怪異話だ。怪しいったら仕方がない」

「物の怪に詳しい人がそれを言います?」

 冗談交じりの私の言葉に少女は笑みをこぼしつつ、お茶のお代わりを入れてくれた。温かいお茶で喉を潤して一呼吸間が空く。

「――ところで、旅人さんはなんでこんな森にお一人でいらっしゃったんですか?」

「……」

「ごめんなさい、不躾でしたね。この話は忘れてください」

「気にしないでほしい。別にしゃべって問題ないしな」

 どう説明したものかと少し迷ってしまっただけである。

「私はコハリ師なんだ」

「……コハリ、師?」

 少女の頭の上にはてなマークが浮かんだ気がした。

「コハリ師は簡単に言うと、物の怪の観測をしていたり、物の怪が引き起こした事件などを調査・対処している人のことだ」

 長らく物の怪たちが人の前に姿を現すのは珍しいことだった。村の村長だけでなく、隠居した長老なども存在すら知らないのが当たり前。時たま関りがあっても、希少な事態のため人らがその存在を認めることはなかった。

 しかし、見晴国では近年、物の怪たちが人の前に姿を現すようになってきた。その変化は良い影響を、そしてもちろん悪影響も及ぼす。

 物の怪たちと人らの営みが交わるようになり、太い幹ができるとともに絡まりもし始める。双方が築き上げた生態系に直接のえにしが出来上がったのだ。

「今回この森に来た目的は、コハリ師としての仕事を果たす為ということだ」

 私のざっくばらんな説明を聞いて、少女は沈黙した。沈黙の長さを不審に思い少女に目を向ければ、険しい表情をしていた。

 何かがありそうだ。

「どうした?」

「旅人さん。いえ、コハリ師の先生」

 少女は思いつめたように顔を上げる。

「今まで通り旅人さんでいい。先生と呼ばれるのは嫌いなんだ」

「分かりました。実は、旅人さんに相談したいことがあります」

「……話してみろ」

 十中八九、物の怪に関することだろう。精霊だってれっきとした物の怪だ。人よりも他の物の怪と関わる機会は多いはず。

 からの依頼もあるが、私は子飼いのコハリ師ではない。

「先ほども話に出ましたが、この家にはもう一人精霊が居ます。彼女をみてほしいんです」

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