三、対の羽根
「せ、精霊……」
気づけばそう口にしていた。
少しの間驚きで固まっていたのかもしれない。乾いた唇に気づき、なめて湿らす。続けてごくりと唾を嚥下した。
私は少女の背に現れた一対の羽根から視線を外せず、意識を吸い込まれてしまったのかと錯覚した。
「やっぱり、知っていましたか」
「あ、あぁ。実際に会ったのは初めてだが」
少女の声で我に返る。吸い寄せられるような感覚が消え失せ、少女に目を合わせることが出来た。
精霊。蝶のような羽根を持った物の怪であり、人と意思疎通を取ることが出来る数少ない種族。羽根を隠すことが出来て、そうされてしまえばこちらからは見分けがつかない。
「……やっぱり?」
驚きは持続しないもの。少し長い混乱から抜け出した私は、少女の言葉に遅れて違和感を覚えた。
「分かりますよ。旅人さんからは同族の感じがしますから、精霊のこともご存じではないかって思ったんです。でも、少し変な感じなんですよね。人間の匂いも嗅ぎ取れます」
「それは……」
声を発しかけた口をすぐに閉じる。なぜかと言うと、どう説明していいか困ってしまったからだ。正直に包帯を取って見せてしまえばいいとは思うのだが、わざわざ一から説明するのもおかしい気がする。説明が長くなって冗長化し、しゃべり終わったころには私も相手もその空気に耐えられない。そのようなことを何回か経験したことがある。
「まぁ、私は人間だよ。少しだけ物の怪に詳しいだけのな」
「ふふ、遠慮しないでください。物の怪はまだ人の世界に進出するようになってから歴史が浅いです。この見晴国の状況ですら、認知がある方だと思います」
少女は見た目にそぐわない、そして歴を感じさせるような様子で肩をすかした。続けてお茶のお代わりを注いでくれる。
「私はそうは思わない」
一度お茶で口を湿らせ、しゃべりだす。
「え?」
「物の怪が人の世界に進出? もともと住む世界は一緒だろう。同じ地で生き、同じ地で死ぬ。生きるために双方向で利用し合うことだってある。同じことを人が言ったとしたら、ひどく傲慢な考え方だ」
少女が驚いた顔でこちらを見ている。見開いた目が合った。
大多数の人は物の怪を見ることが出来ない。つまり、知らない存在だ。それがある時、人はひょんなことで物の怪と触れると、未知に大して恐怖を抱く。自分の世界に入り込んできた異物、と考えて未知を排斥する。
ある有名な学者が言っていたことを思い出す。「病気の原因は呪いや思いなどという不確かなものではない。目の前にいる存在が原因だ。私は病気の原因を細菌と呼称している」と。
物の怪だって一緒だ。私たち人が知らないだけであって、世界には共存している存在がたくさんいるのだろう。
この世はたった一つの箱庭。人の世界など存在しないし、物の怪の世界も存在しないのだ。
「――人に完璧に紛れることが出来る精霊だと違った見え方があるのかもしれないな。言い過ぎた、忘れてほしい」
「……いえ! そう言っていただけてうれしかったです」
少女はふわりと微笑んだ。
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