八ノ八、蔓と花の少女

 油断した。私が村を長期間空けていなければ、救えたかもしれない。初めて会ったとき、何か言葉をかけてやればよかったのかもしれない。

 あの時から引っかかるものはあったのだ。私は目の前にあった重大な可能性を見逃していたのだと、突き付けられた。

「あぁ……」

 ――自己嫌悪に陥りかけた自分を笑う。

 私は数少ない物の怪を観測することが出来る者。観察と実験実証を繰り替えして対策を探すのが本分。そこに感情論はいらない、いらないのだ。たらればに捕らわれるな、目の前の事態をすべて受け入れて臨め。悲観をしても切り分けろ。


「――感情はおいていけ」


「こっちだ」

 三吾の案内に従って歩くと、西の森はすぐに見えてきた。

「こ、れは……」

 その言葉はどちらが言ったものだっただろう。それが分からなくなるくらい、西の森は衝撃的な姿だった。

 見渡す限り、視界のすべてが蔓、蔓、蔓。既存の植生を飲み込み、駆逐している物の怪がそこにはいた。

 森の形は普通のものだ。しかし、ガワが蔓に侵食されている。苔が生えに生えて石面が見えない岩石の様。その実は中までも侵食され朽ち果てた死に体なのだろう。森からは物の怪以外の生は一切感じられなかった。

 心臓がバクバクと音を立てている。風に乗った物の怪の生気が頬を撫でた。それだけで吐き気を催す。隣の三吾を見れば、膝を震わせながらへたり込んでいた。

「三吾、立て。気をしっかり持つんだ」

 三吾は震える膝に手を当てる。

「こ、怖い……」

 三吾はそう口にする。私も膝こそ震えていないが、同じ気持ちだった。

 これは非常にまずい事態だといえよう。

 物の怪の大量発生。生態系の崩壊だ。

 大量発生の詳細はわかっていない。この事象が観測されたことがあまりないからだ。――正確には、観測結果を持ち帰ることがほとんどできなかったということ。物の怪を見れない者たちがほとんどの世の中で、大量発生が起こってしまえば、あるのは壊滅。訳の分からないまま多くの人が死に絶える。

 ある種の自然災害だ、歴史にも残らないほどの。

「三吾、火を持ってこい」

 物の怪は蔓だ。治療では根が問題だが、殲滅には使えるだろう。

 私は慌てて走り出した三吾を見送った。一抹の不安を抱えながら。


「火、持ってきたぞ!」

 三吾が戻ってくるのに時間はかからなかった。二本の松明を持ってきている。

「よし、あの森に投げ入れろ。決して近づくなよ」

 ――雪のようになる、そう呟くと三吾は唾を飲み込んだ。何回か息を吸っては吐いてを繰り返す。

「っ!」

 三吾が投げた松明は綺麗な線を描いて蔓に向かっていった。

 松明が蔓に直撃、燃え移る光景を確信した。

「え?」

 三吾が呆けた声を出す。

 それも無理はなかった。松明がぶつかる直前、近くの蔓が動いて松明をはじき返したのだ。あり得ない光景に三吾は呆然とする。私だってそうだ。驚きを隠せない。

「三吾、その松明を渡せ」

 私は二本目の松明を奪い取る。

「私が松明を持って中に入る」

 三吾が驚いた顔をしてこちらを見た。

「安心しろ、私は普通の人よりも耐性がある。持ちこたえるのも不可能じゃない」

「待てよ! 死んじまうかもしれないんだぞ」

 死。その言葉が耳を打つ。けれども恐怖は感じなかった。 

 物の怪と共に生きると決めてから、私は人間ではなくなった。いや、物の怪と人間の違いなんて最初からないのだ。動物も、虫も、魚だって同じ。すべては生きとし生けるものであり、同質。

「これが最善策、お前もそうは思わないか?」

 感情は置いてきたはずだ。これは論理、論理のはずだ。

 乾いた唇を舐める。

「……お気をつけて」

 三吾は目を閉じる。そして、深く頭を下げた。

 頭を上げさせようと三吾に近づく。その瞬間、私は視界の端に信じられないものを捉えた。

「え?」

 今度は私の番だった。呆けた声を出してしまう。それに気づいたのか、三吾が顔を上げた。

「な、なんで……なんでっ!」

 視線の先、千代が歩いていた。松明を持って。

 確かな足取りで歩く千代の目は、光っている。

 あれは目覚めている、私は確信した。

「千代、千代!」

 三吾が涙を流しながら叫んだ。

 千代はこちらへ振り替える。三吾を見て何かを呟いた。遠くて聞こえない声。でも、私には確かに聞こえた。「ありがとう、さよなら」と。

 千代が走り出だした。今までが嘘のように確かな足取りで。

 私は悟った。悟ってしまったのだ。これは彼女が彼女でいられる最後の抵抗なのだと。ここが彼女の晴れ舞台なのだと。

 ぶわっと視界が広がる感覚を覚え、私は地に膝をついた。

 走る千代。千代に向かって広がっていく蔓。松明か、千代か、脅威を感じ取った物の怪が飲み込まんとする勢いで迫りくる。

 千代は軽やかな足取りで迫りくる蔓を避ける。避け続けた。

 横顔は爽やかで、生に満ちていて、大地を踏みしめるたびに早く、力強くなる。

 向かうのは明らかな死。

 それを止めるのが私のなすべきことなのかもしれない。それを理解しているはずなのに、動くことができなかった。

 千代が蔓の森に飛び込む。ほどなくして炎がすさまじい勢いで燃え広がった。

「千代ぉーーーーーーーーーーーーーー!」

 三吾の叫び声がこだまする。

 それからすぐのことだ。私の視界は火で埋め尽くされた。

 そして、私は後から気づくのだ。二度目の使命に気づくことさえできていなかったことを。

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