第79話 浴衣

 八月十五日、夏祭り当日。夏の暑さにやられないように薄手で動きやすい服を選ぶ。もちろん、可愛いことは前提に。虫よけと制汗剤もしっかりして準備万端。


「いってらっしゃい」

「いってきます」


 バッグを肩にかけ、お母さんに見送られて家を出る。時刻は午後四時、まだまだ明るいこの夏の夕方。千夏と待ち合わせをしているバス停に向かった。バス停までの道のりを子連れの親子や、仲のよさそうな男子小学生の集まり、どこかこそばゆい雰囲気の男女の学生、いろんな人が歩いている。祭りの終わりには何発もの花火が打ちあがる、ここら一帯では一番大規模な夏祭り。たくさんの人が集まるのも当然だ。バスも人が多いだろうなと思いながら歩いていき、バス停に到着した。集合時間五分前、千夏は着ているだろうかとあたりを見渡した時だった。


 簪を挿した茶髪の浴衣美少女。彼女が私の長年の親友だと気付くのに数秒かかった。長いブラウンの髪をまとめ上げたアップヘアは、普段は見られない彼女の首筋を惜しげもなく晒している。紅色の花で飾られた黒い簪は、彼女の美しいブラウンの髪にふさわしい奥ゆかしさを感じさせる。薄浅葱色を基調とし、青藍の百合の花が彩る大人っぽい浴衣は芯のある強い彼女によく似合っていた。そして何よりも、私がお土産として彼女にあげた青い貝殻デザインのイヤリング。気合を入れて浴衣でおしゃれをした彼女が自分を構成する部品の一つとして私のプレゼントを組み込んでいる。その事実が、ただでさえ誰もが振り向いてしまうほど美しい彼女の美しさを私にだけより深く突き刺さるように作り変えていた。


 ファッション誌に載っていてもおかしくないほど美しい親友に思わず見とれてしまい、少しの間立ち止まっていたら、千夏が私に気が付いて振り向いた。彼女が振り向くと、花が咲いたような幻覚が見えてしまいそうなほど綺麗な少女の微笑が私に向けられた。


「綾音、そんなところで止まってたら迷惑だよ」

「あ、そうだよね。ごめんごめん」


 ふと周りを見ると、後ろの人たちが立ち止まった私を避けてバス待ちの列に向かっていた。そしてそこで気が付いたのが、千夏がバス待ちの列からずれたところで待っていることだ。とりあえず千夏の近くに寄っていくと、彼女は付いて来てと手招きをして歩き始めた。


「バスで行かないの?」

「さすがに人が多すぎるから、お父さんに車出すよう頼んだ」

「そうなんだ。ありがとね」


 こういうところで気が利くのが、流石の千夏といったところだ。車が待っている場所に二人で並んで向かっている道中、ちらちらと千夏が落ち着きがなくこっちを見てくる。私に何かついているのかと思ったけど、すぐにそれが理由ではないと思い至った。


「浴衣、すっごく似合ってるね」

「そう」


 言葉だけだと反応は芳しくないように見えるけど、声色からは心の喜色がにじみ出ている。やっぱり、こんなに気合入れておしゃれしてきたのだから褒めてほしいと思うのが自然だ。


「その髪は自分でやったの?」

「母さんにやってもらった。ヘアアレンジとかあんまりしないから」

「流石お母さんだね。千夏の良さをよくわかってるって感じがする。可愛い」


 おしゃれをして私に会いたいからと母親にヘアアレンジを頼む千夏を想像すると、微笑ましくてこれでもかと褒めてあげたくなる。


「そのイヤリングもつけてきてくれたんだ。気に入った?」

「うん。綾音がくれたものだから」

「んぅ、そ、それなら良かった」


 あまりにも真っすぐ答えるものだから、褒める側の私が照れてしまった。大事そうに私があげたイヤリングを撫でる仕草にドキリとして、この前と同じような危険な色気を感じ取る。やっぱり最近の千夏はいつもと違う。千夏が私の親友というのは変わりないけど、最近の彼女が何を考えているのか掴めずにいた。


「あれだよ」


 そんなことを考えていたら目的地についた。大通りから外れた道で邪魔にならないところに止められた黒い高級車を千夏が指さす。すると車の窓が開いてダンディな千夏のお父さんが顔を出した。


「久しぶりだな相神のお嬢ちゃん。元気してたか」

「はい、おかげさまで」


 ちらりと千夏を見やってから軽くお辞儀をする。すると彼はよろしいと言って頷き、ドアのロックを開けた。そして千夏と一緒に後ろの席に乗り、夏祭りの会場に向かって車が発進した。


 〇〇〇


 河川敷周辺に出店が並ぶ祭り会場。焼きそばやかき氷などの定番の出店から、タピオカやロングポテトといった変わり種まで様々な出店が並び、それらが作り出す道を眩暈がするほどたくさんの人々が闊歩している。人の密度とジメジメとした暑さは冷たいものを欲させて、どう考えても割高な屋台のジュースも購買意欲をそそられる。


「せっかく買うならジュースよりあっちじゃない?」


 喉が渇いているのがバレたのか、千夏は少し先にあるラムネを売っている屋台を指さした。たしかにお祭りならジュースよりもラムネの方が雰囲気が出る。千夏の提案に乗ってラムネを買うことにした。


 大量の氷水が溜まったプラスチックのボックスに沈むガラス瓶のラムネ。この光景だけで夏を感じられるのだから不思議なものだ。一本200円、容量250ミリリットル。屋台のおじさんが氷水の中から取り出したそれはキーンと冷えていて、じめりとした夏の暑さも吹き飛ばしてしまえそうだ。


「ラムネって久々に飲むなぁ」

「一応スーパーにも売ってたりするけど、こういう時以外はなかなか手が伸びないね」


 さわやかな甘さがあるラムネの味とシュワリと弾ける炭酸を堪能しながら祭囃子の中を歩く。隣を歩く浴衣姿の千夏との会話は沈黙が過ぎることも騒がしすぎることもなく、からからと瓶の中で転がるビー玉の音のよう心地よい。ここで何を食べようか、何をしようか。千夏が突然甘えてきたり、おしゃれしてきたりで驚いたけど、彼女と一緒にいる時間の心地よさがそんな不安を霧散させた。


「次はなにしよっか」


 夏休み中盤の夏休み。仕事でできなかった親友との思い出作りのなかで、私の足取りは軽かった。

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