第78話 知らない親友の姿
8月11日、数少ない登場シーンの撮影が終わり、高校生ということを配慮してもらって他の人たちより早く帰国させてもらった翌日の事。千夏から話があるという連絡をもらった。久々に会いたいし、二つ返事で了承して出かける準備をする。今日は千夏の家に誘われて、久々の訪問に胸を高鳴らせる。千夏の父親と私のお父さんが音楽関係で知り合いだから昔から家族ぐるみで付き合いがあるけど、私が荒れ始めてからお互いの家に行くということはほとんど無くなっていた。
ハワイに行く前に私の家で話して以降はタイミングが合わなかったせいかあまり話せなかったから、久々に二人で話せるのが嬉しくて突然の誘いでも帰国後の疲れより嬉しさが勝る。外行き用の服に着替えてハワイで買ったお土産を持って家を出た。
「私が言うのもなんだけど、千夏の家も立派だよね」
広い庭に駆けまわれそうなほど広いバルコニー。開放感のある二階建ての一軒家は夏の日差しに照らされてさわやかな雰囲気だ。インターフォンを鳴らすと、千夏のクールな声がスピーカーから聞こえてきて、それに来たよと返す。すると扉の向こうからぱたぱたと小さな足音が聞こえてきて、ゆっくりとドアが開かれた。
「いらっしゃい」
「久しぶりだね」
「……うん、久しぶり」
千夏と最後に顔を合わせたのは夏休み前の終業式の時、まともに会話したのはその一週間前の私の家に呼んだ時。こうやって二人で話すのはだいたい三週間ぶりくらいになる。演技の練習とハワイでのロケがあったとはいえ、以前までの事を考えると千夏と会わない期間がこんなに長くなるなんて思いもしなかった。
そんな短いやり取りをしてから、久しぶりに千夏の家に上がる。来なかった期間の長さを考えれば当然だけど、最初はなんだか知らない家に来たみたいに感じた。でも、ところどころに小さいころの記憶と一致する場所があって、隣にいる千夏を見ていたら段々と千夏の家ってこんな感じだったなと懐かしさを感じるようになってきた。
千夏の部屋に通されて、飲み物持ってくるから涼んでてと千夏は一階に降りていった。待っている間に千夏の部屋を見渡す。シワひとつないベッド、ケシカスひとつない勉強机、参考書と趣味の本がしっかり分類された本棚。これでもかと整理整頓された部屋は、なんだか千夏らしさ全開で、ここが千夏の部屋なんだと安心感を覚えた。ふわふわのぬいぐるみがあるとか、そういった可愛らしさがあってもいいと思うけど。
「面白いものなんてないよ」
「あ、ごめん。久々に来たからつい」
いつの間にか部屋に戻ってきていた千夏に注意されて視線を彼女に移す。千夏はペットボトルのお茶をがガラスのコップに注いで私の前に置いた。
「可愛げのない部屋でしょ」
「女子高生の部屋って感じではないかな。でも、千夏らしくていいと思うよ」
「褒めてる? それ」
「褒めてるよ」
大人びていて、頼りになって、安心できる、そんな千夏を感じられる部屋。これが誉め言葉じゃなくて何だというのか。
「はぁ、お茶が美味しい」
「今日の最高気温は33度らしいよ」
「どうりで暑いわけね。しかもこの湿気……ハワイが恋しくなってきたわ」
まだ外の熱が体に残る体に、千夏が注いだ冷たいお茶を流し込む。すぐに空になったコップを見て、千夏は追加のお茶を注いでくれた。
「ロケは上手くいった?」
「最初はどう演技すればいいか分からなかったけど、ロケの途中で偶然会った百瀬さんのアドバイスのおかげでなんとかなったの。また百瀬さんに助けられちゃったわ」
親との関係を修復した後であっても、自分の中にある弱さが完全に消えるわけでもないし、逆に大事なことを忘れてしまったりもする。変化の中で自分という存在が不安定になっている自覚はある。そして、あの星空の下で自覚した百瀬さんへの恋心も私を揺り動かしていた。でも、少しずつでいいんだ。少しずつ百瀬さんや千夏みたいに自分の中に一本の芯を通せるようになれば。焦らず、ありのままの自分でいよう。そうすれば自然と答えは見えてくるだろうから。
「ふぅん」
どこか不満そうな相槌。あまり感情を表に出さない千夏にしては露骨な態度に違和感を覚える。
「ハワイでも百瀬さんと仲良くしてたんだ」
どこか嫌味っぽく、私を責めるような口ぶり。それなら千夏も来ればよかったのにと口に出そうになったのをすんでのところで止める。白銀さんから誘われたのに断ったこと。私の知る限りではあの時期の千夏に用事はなかったけど、もしかしたらのっぴきならない事態があったのかもしれない。下手に突いてはいけない気がした。
「千夏も連れて行けたらよかったのに。海香さんはパートナー連れてきてたし、私もあの人くらい凄かったらできたのかな」
「あの人はパートナーがいないとやる気が出ないって有名だから。それとも……」
千夏が私の指先に触れる。ぴとっと指先同士がくっついて、私よりも肉付きが良い千夏の指の温度を感じる。私の指が細くて手が小さいというのもあるけど、ドラムスティックを握り続けて鍛えられた千夏の手はガッチリしている。急な行動に呆気にとられた私の隙をついて、千夏はするりと自然な動きで指同士を絡ませた。
「綾音は私がそばにいないとダメになるの?」
繋がった手を見ながら微笑む千夏は、私が知らない千夏だった。大人な雰囲気は以前からあったけど、今の千夏の大人びた微笑は甘くて危険な香りがした。本能はすぐに離すべきだと告げているけど、この手を離すためにはそれなりの力が必要だ。そんな千夏を拒絶するような真似はできなかった。
「そ、そうは言わないけど……千夏がそばにいてくれたら心強いって思うよ」
「そっか」
不意打ちで動揺したけど、ちゃんと本音を伝える。すると千夏は満足そうに笑った。妙だ。こんなに表情豊かな千夏も、危険な色気を纏う千夏も私は知らない。
「えっとー……この手は……」
「いや?」
「嫌じゃないけど、なんというか、千夏がこういうことするのって珍しいから」
いつまでも繋がれたままの手を指摘すると、千夏は離すかどうかを私にゆだねた。無理に引きはがせるわけないってわかってるだろうに、今日の千夏は意地悪だ。その意図を確かめるために、今度は私が問いかける側に回った。
「……私だって寂しくなるんだよ」
「え?」
千夏らしくない弱々しい声。繋いだ手を導線にゆっくりと私に近付いて、上目遣いで私を見つめる彼女の表情から目が離せなくなる。何年も私を支えてくれた頼れる親友の弱った姿。ずっと千夏に助けられてきた私が見過ごせるはずがなかった。
「綾音が仕事で忙しそうで、夏休みの前もタイミングが合わなくて、全然綾音と話せなかった。それなのに百瀬とはハワイで一緒で、楽しそうで……寂しかった」
肩が触れ合う距離にいる親友が吐露した寂しさ。それは紛れもない本音で、今までの千夏と違う姿に困惑はあれど、その弱みを受け入れない選択肢はなかった。
「寂しい思いさせてごめん。千夏は強い人だからって頼りすぎてた」
千夏は大切で大好きな親友って思っておきながら、千夏は強い人だから大丈夫だと勝手に決めつけていた。千夏だって一人の人間なのだから、寂しさを感じるなんて当たり前なのに。
「でもね、千夏を忘れてたわけじゃないんだよ」
持ってきた手荷物から細長い箱を取り出して渡す。可愛く包装された小さな箱を見て、千夏はこれは何かと問いかけるような視線を向けた。
「これって……」
「千夏のために選んだハワイのお土産。千夏に似合いそうなの探したんだ」
ハワイにいる間、千夏を忘れていたわけじゃない。自分の中の気持ちを整理するときに、百瀬さんや千夏に抱いている気持ちは恋心なのか考えたりしたし、このお土産は千夏のことだけを考えて選んだ特別なものだ。
「開けていい?」
「もちろん」
千夏は丁寧に包装を解いて箱を取り出して蓋を開けた。私が千夏のために選んだお土産はハワイにある有名ブランドのイヤリング。藍色に染まった貝殻のデザインは、上品な清涼感があり、控えめに輝くそれは華美に着飾らない千夏に似合うと思った。
「つけてみて」
「い、いま?」
「いまいま。どれくらい綺麗か見てみたいな」
「綺麗なのは前提なんだ」
「当たり前でしょ」
寂しさを感じている今の千夏にはこれくらい過剰な褒め言葉がちょうどいいはず。普段は大人な千夏に流されてしまうような言葉でも、今の千夏になら躊躇いなくかけられる。
私の言葉に対して普段しないような照れ顔を見せる千夏は純粋にかわいいと思う。普段は見られない貴重な姿を堪能する。慣れない手つきでイヤリングの金具を動かして、ちゃんと固定されたから不安そうな手つきでイヤリングをつつく。
いつも安定している千夏の余裕がない姿が微笑ましい。長い付き合いの中で初めて知った親友の新しい側面。千夏には悪いけど、寂しくてしおらしくなっている彼女は可愛くて、少し意地悪がしたくなってしまう。
「どうかな……」
「かわいい! すっごく似合ってる!」
「そ、そんなに?」
「うん。私の思った通り、いや、それ以上だよ!」
明るい茶髪の隙間から藍色の貝殻が覗く。たったそれだけの差だけど、もともと整ってる彼女の顔にはそれで十分で、何より私が選んだものを親友が付けてくれているのが嬉しくてそれだけで満足してしまう。
「ほんと、綾音はズルい」
頬を赤く染めて口を尖らせる彼女は、珍しく年相応の子供らしさを見せる。頼れる親友の同い年の女子高生らしさを見れて、謎の安心感と胸の温かみを感じる。ずっと頼りきりだったから、これからは今みたいに彼女の寄りかかってもらえて嬉しいのだ。
「……綾音。もう一つだけわがまま言っていい?」
「いいよ。千夏には何度も助けられたから、なんでも言って」
私を救ってくれた百瀬さんへの恩もそうだけど、千夏には長い間迷惑をかけてしまった。それを少しでも返せるならなんでも言って欲しい。
「今度の夏祭り、二人で行こ」
千夏の頭がこてんと私の肩に乗る。ふわりとした優しい感触と確かな重みにドキリとする。甘えるような声色は、寂しさを吐露した瞬間と同じような危険な色気を纏っていた。
「二人きりってこと……? 百瀬さんとか白銀さんは誘わなくていいの?」
「やだ。綾音と二人がいい」
私の案に抗議するようにグリグリと頭を擦り付ける。ここまで甘え方、普通の高校生でもしない。とろとろに甘い親友の態度に、思わずドキリとしてしまう。
私よりもずっと大人だと思っていた親友の甘えたがりな姿は、私が感じさせた寂しさのせい? それとも、私が気を張っていた時と同じように千夏も我慢していたの? 今までの千夏と一致しない姿の理由は分からない。
「百瀬とはハワイで一緒だったんでしょ。ズルいよ」
「……そっか。うん、そうだよね。二人きりで行こ」
肩に寄りかかる親友の頭を撫でる。彼女の頭の感触ってこうなんだ。柔らかくてふわふわした手触りは、長い付き合いの中で初めて知ったものだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます