第77話 正しくあれ

 最近学校の近くにオープンしたというカフェ。現代的できれいな内装は作業をするにはちょうど良く、フローリングと白い壁、ところどころに置かれた観葉植物が作り出す落ち着いた雰囲気はオシャレなカフェとして理想的だ。下校途中に寄る場所としては理想的な立地であり、学校が始まればここは学生たちであふれかえるのだろう。


 あまり主張が激しくない音楽に耳を傾けながら、先に店内で待っているという生徒会長を探すと、二人掛けの席でコーヒーを飲んでいるのを見つけた。向こうも私の姿を認めると、なんとも社交的な笑顔を浮かべて控えめに手を振ってきた。あの気味の悪い笑顔はわざとだ。作り笑いだとしても普段はもっと自然に見せる。きっと、この状況を楽しんでいるのだろう。


「その気持ち悪い笑い方やめて」

「あら、ひどい言い草。友達と会えてうれしいって気持ちを伝えたのに」

「友達じゃない。それに、一方通行な嬉しいって気持ちは鬱陶しいだけ」


 会長の対面に座りながら愚痴をこぼす。いくら拒絶してもこいつは笑顔を崩さない。それどころかその反応に満足そうに頷いている。なんで夏休みの時間をこいつに割かなきゃいけないのかと愚痴を言いながら席に着いた。


「それで、私を呼んだ理由は?」

「課題も終わって暇になったから、友達と遊びたくなったのよ」

「友達じゃない。……で、このカフェで何すんだよ。お前と楽しくおしゃべりできるような話題は持ち合わせてないぞ」

「あら、とぼけたって無駄よ。とっておきのがあるじゃない」


 コイツと一緒に居ると息苦しくなる。私がみんなに隠している部分をチクチクとつつかれるような違和感と、ホラーゲームでロッカーの中に隠れている時のような緊張感が体の内側でくすぶっていて、少なくとも友達と楽しく話す雰囲気ではない。さっさと逃げてしまおうと思ったが、意地の悪い生徒会長は未成年喫煙の不良生徒を逃がしてはくれなかった。


「今度の夏祭り、相神さんは誘ったの?」

「……誘ってないし、そもそも行くつもりもない」

「どうして? せっかくの夏休みなんだから楽しまないと。あなたが宿題をやってないなんて馬鹿なことするわけないし、何があなたを夏祭りから遠ざけるの?」

「全部知ってるだろ。わざとらしい言い方すんな」

「本人から直接聞かないと確証が得られないわ。いいから答えて。それとも、あのことを学校に報告されたい?」


 私に何でも言うことを聞かせられるカードを持つ性悪生徒会長に抗うことはできない。下手な嘘を言っても賢いコイツには通用しない。深い深いため息をついて、嫌々ながらコイツに私が口に出したくもないマイナスの感情を言語化して伝えなければならなくなった。


「綾音は百瀬に惚れてる。そんな中で綾音と夏祭りに行くなんて虚しいだけだ。それに、綾音は悪気なく百瀬も誘おうとか言うに決まってる。好きな相手が自分以外の誰かに恋してるとこなんか見たくない」

「……やっぱり、直接聞いてよかった」

「なんだよ」


 会長は私の言葉を聞いてしみじみと頷き、コーヒーを一口飲んで私と目を合わせなおした。表情は変わらない。ずっと面白いものを見る子供のような目をしている。


「私は大切な親友の恋路を邪魔したくないって理由を想像してたんだけど、さすがの天金さんもそこまで自分をないがしろにできる人じゃないのね。安心したわ」

「何様だお前」

「生徒会長様よ、不良さん」


 気に食わない返しだが、その通りだから強くは出れない。おそらく学園の中で一番弱みを渡してはいけない相手に弱点を知られてしまった私の運の尽きというやつだ。安心した、私の解答を聞いて会長はそう言った。何のつもりか分からないし、どこから目線なんだと言いたくなるような会長の態度はただただ不気味だ。


「でも、行かないのは私も賛成よ。あなたも辛くないし、何より相神さんを苦しめられるもの」

「は?」


 会長がいきなり意味が分からない発言をした。私が辛くないのはそうだが、私が行かなかったら何故綾音が苦しむのか。


「相神さんもバカじゃないわ。最近のあなたを見て不思議に思ってるはずよ」

「なんだよ。夏祭りに行かなかっただけで大げさな……」

「あぁ、そういえば知らないのね。相神さんは知ってるのよ。あなたがハワイに行ける機会を得ながら行かなかったことを」

「なっ……!」


 なんで会長が私がハワイに誘われたことを知っているのか。そしてその事がなぜ綾音に伝わっているのか。情報が洩れていることに焦って感情が表に出る。素っ気ない反応だった私が冷静さを失ったのを見て、それが望んだとおりの反応だったようで会長の語り口調がさらに楽しそうになる。


「実は南もハワイに行っててね。それで相神さんと合流して、偶然出会った白銀さんと木村さんと遊んだって教えてもらったの。私が教えてもらったのはそれだけ。南がいろいろ告げ口したわけじゃないから。そこからあなたが白銀さんの誘いを断ったことと、あなたが断った理由について白銀さんは相神さんに聞いたであろうこと、それで相神さんはあなたの行動を不思議に思っているであろうことを推理したの」

「……ハッ、何を言うかと思えば全部お前の妄想じゃないか」


 私が白銀の誘いを断ったのは合っているが、それも偶然だ。確認したわけでもない、可能性の話でしかない妄想には変わりない。私が気にする必要はない。


「あら、でも否定できないでしょ? 少なくとも、あなたが白銀さんの誘いを断ったのは確かみたいだし」

「それはそうだが、残りはそうじゃない可能性もあるだろ。白銀が綾音に何も話さなかったらそれで終わりだ」

「でも、話してたら私が言った通りになるわよ」

「……だとしても、それがなんで綾音が苦しむことにつながるんだ」


 綾音が私がハワイ行きを断ったことを知ってるかどうかは水掛け論にしかならない。それより次の話に移る方が有意義だ。


「あなたはいつも心配する側だから言わなくてもわかると思ったんだけど」

「もったいぶらずはやく言え」


 会長は本気で意外だと思っていますよとアピールするように両手の掌を広げて見せる。小馬鹿にするような態度にムカついて眉間にしわが寄る。それを見て分かりましたよと小声で呟き、続きを話し始めた。


「苦しむとは言ったけど、あなたが誘いを断ってすぐってわけじゃないわ。でも、あなたがそうやって相神さんと距離を取り続けるなら、きっと相神さんは心配する。それで探りを入れていくうちにその原因が自分にあったと知ったら……相神さんはどう思うかしら」

「……そんなの、隠し通せばいい。この気持ちは何年も隠してきたんだ」


 余計なお世話だ。この恋心は綾音を支えるために何年も封印してきたもの。あとほんの数年隠すなんて今更なんてことはない。


「強がりはよくないわ」

「事実だ」

「違うわね。だってあなた、今までと同じように相神さんと話せていないじゃない」


 会長の指摘がグサリと胸を突き刺す。どれだけ取り繕おうとしても、彼女には見透かされてしまう。自分が自覚していた弱みも、無自覚だった痛みも。


 今までも綾音への気持ちを隠すことで苦しむこともあったが、いつか綾音が救われれば伝えられると思って自分を保っていた。だが、今はもう綾音の気持ちは百瀬に向かってしまっている。私の恋心を伝えることは、今の綾音に迷惑をかけるだけになってしまう。そんなことは誰よりも私自身が許せなかった。


 でも、この恋心に嘘はなくて、自分の気持ちに蓋をして痛みを感じないほど鈍感じゃない。その痛みは酷くなるばかりで、綾音の近くにいるだけで蹲りたくなるほど痛み出すのだ。その症状は深刻で、もうまともに目を合わせられなくなった。


 そんな状態でこの気持ちを隠し通すなんて、綾音のことを見くびりすぎだ。幼い頃に私の傷を敏感に察知して癒してくれたのは他でもない綾音なのに。


「でも、私はそれでいいと思うわ」

「よくない。綾音に迷惑はかけられない」

「なんで?」

「なんでって……私は綾音の親友だ。綾音の幸せを思うなんて当たり前だろ」


 会長は柔らかく頬杖をつきながら真っ直ぐな目で不思議なことを聞いてきた。親友を大切に思う気持ちは会長にだってわかるはず。親友に迷惑をかけたくない気持ちの理由をわざわざ聞く必要はない。それなのに、ただの意地悪をするときの面白がるような目ではなく、本当に疑問に思っている時のような澄んだ目をしている。


「でも、相神さんはあなたに迷惑かけてばかりじゃない」


 なんてことのないように会長がポロリとこぼしたその一言は、私が考えないように目を背けていたことだった。


「幼稚園からあなたと同じ学校に通ってる子に色々聞かせてもらったわ。長いこと相神さんの面倒を見てたのね。貴重な子供時代の時間をたっぷり使って、辛くて苦しい時間を過ごしたでしょうね。見捨てたって良かったのに、あなたの恋心を押し付けたって良かったのに、相神さんの本当の幸せを考えて何年も支え続けた。あぁ、なんて美しい友情! なんていじらしい恋心!」


 芝居がかった口調で紡ぐ言葉は、まるで用意してあったかのようにスラスラと語られる。皮肉なのか本心なのかは分からないが、彼女が心の底から楽しんでいるということだけはわかる。


「それなのに、相神さんばかり幸せになって、あなたは苦しむばかり。こんなの納得できないわ。あなたの献身は報われるべきよ」

「……余計なお世話だ」

「そんなことないわ。だって、そんなに悩んで苦しんでるってことは、心のどこかで納得できてないからじゃないの」


 私は報われるべき。そう思う自分がいることは確かだ。でも、そんなの親友の姿として正しくない。親友が幸せになろうとしているのなら、それを祝福するのが私の役割だけど、どうしてもそれができないから綾音に害が及ばぬように逃げているんだ。


「迷惑かけたって、苦しめたっていいじゃない。あなたにはその資格があるわ」

「苦しめてもいいって、そんなの人として正しくないだろ」

「たまには自分の気持ちに正直になってみたら? 正しいとか正しくないとか言って自分を縛り付けて、そんな息苦しい生き方ばっかりじゃなくて、自分勝手にやってみても良いんじゃないの」


 会長の言葉は、私が言われたことのない事ばかりだ。自分の正しさを持ちなさいという父の言葉。私の正しさを疎む周囲の言葉。私の正しさに感謝してくれる助けた人たちの言葉。そんな私を肯定してくれた綾音の言葉。そのどれとも違う、自分勝手でもいいという誘惑。


「なんなんだよ、お前は私にどうしてほしいんだよ!」


 その言葉が私を弄ぶための物なのか、本心からの物なのか、会長の真意はまるで分らない。会長のことが何もわからなくて、まとまらない思考が不安定な私に癇癪を起させた。


「忘れたの? 夏祭りに行かないことには賛成って言ったでしょ。態度を曖昧にしたまま逃げて、相神さんに心配かけて、それで苦しんでくれればそれで満足よ」

「……ずいぶんと恨まれてるんだな」

「嫌な女だと思った? そうなの。私はなによりも南の幸せが大切で、それを脅かすものは何であろうと許さない。私だって鬼じゃないからあの時は見過ごしてあげたけど、解決したならそのためにこっちが負ったリスクの分を支払ってもらわないと」


 普段の会長からは想像できない過激な言葉は、百瀬のことを想う純粋だがあまりにも独り善がりな友情から。頼まれてもいないのに、綾音が百瀬を利用するために近付いたことも本人は知らないのに、自分が納得するために私を弄んでいる。


「でもそうね、友達としてアドバイスするなら、あなたの気持ちに相神さんが気付かないのは信頼され過ぎてるからだと思うの。自分を支えてくれる優しい親友っていうイメージが刷り込まれてて、それ以外のあなたの姿が想像できない。だからそうやって曖昧な態度で焦らして思わせぶりなことをし続ければ、いつか気付いてくれるかもね」

「……友達じゃない」


 会長は親友の幸せ以外はどうでもいいと思っている。だが、このアドバイスが適当なものでなく彼女の優れた観察力から弾き出されたものというのもわかる。私を恨んでいるのに、誰よりも私の苦悩を理解している彼女は気味が悪いけれど、だからこそ何でも吐き出してしまえる。彼女と会話するこの時間は苦しいけれど、綾音と居る時よりも息がしやすかった。

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