第72話 流れ星のような恋
「綺麗だったね」
時刻は深夜十二時。まだまだ流星群は流れるらしいけど、さすがに徹夜するわけにはいかない。ピークらしいこの一時間が終わったらホテルに戻るという予定になっていた。
「そうね。二人で抜け出してきた甲斐があったわ」
ノノちゃんに教えてもらった秘密の場所から帰る道中、相神さんと並んで今日見た夜空の感想を言い合う。今でも流星が見られる可能性はあるから、たまに二人で空を見上げる。
「戻ったら怒られるかな」
「大丈夫よ。こっちにきてる人たちみんな緩いから」
私が言い出したことでもしも怒られたら相神さんには申し訳なかったから、相神さんが全く心配していないのを見て少し安心する。でも、もし怒られたら私が庇おう。
「……いきなりあんなこと聞いてごめんなさい」
ザッザッと土を踏んで進む中で、相神さんはそう呟いた。私にとって相神さんはどんな存在か。まさか相神さんからそんなことを聞かれるとは思っていなかった。かけがえのない人で、離れたくない、ずっと一緒に居たい。相神さんが私に対してそこまで思ってくれているとも思っていなかった。
「別にいいよ。こうやって本音で話せるって、すっごく素敵なことだから」
何もかもが不意打ちで、最初は少し戸惑った。でも、私にとって相神さんはどんな存在かというのは、相神さんが立ち直ってからドキドキしなくなった私がずっと考えていたことだ。そして、あの怪しい占い師が「星空の下で本音で語り合うべし! さすれば本当の想いが分かるであろう!」とか言ってたことも思い出す。
オカルトを心の底から信頼しているわけじゃないけど、星空の下というあの占い師が言っていた通りのシチュエーションとなっている今、何か運命のようなものを感じた。
「そうね。本音を言い合えて、何も取り繕わずにいられる。そんな関係が理想だもの」
本音で語り合う。それは相神さんが母親との関係を修復した時もそうだった。大切だからこそ誤魔化してはいけない。相神さんの苦しみを知って、私もそう学んだ。
相神さんは大切な友達。これに変わりはない。でも、本当に相神さんに恋しているのかだけが不安定になっていた。だから、相神さんに誠意をもって答えるために、それ以外の私の中の相神さんへの感情を伝えることにした。
かけがえのない大切な人。まず思い浮かんだのは、相神さんが私に対して言った言葉と同じものだった。私にとっての相神さんは友達の一人という認識だと相神さんは思っていたみたいだけど、それは違う。私にとっての相神さんは私の中の理想を体現した憧れの人だった。
何一つ誇れるものがない弱い私が、すべてが完璧な強い人に憧れるのは自然な流れだった。中等部のころから相神さんのことは知っていて、相神さんが出てるファッション誌やテレビ番組はいつもチェックしていた。私もあぁなりたい、変わりたい。ずっとそう思っていた私は高等部に進むという一つの区切りをきっかけに、葵ちゃんに言われた声を武器にVtuber活動を始めた。
「私が相神さんにどれだけ憧れてたか、分かってもらえた?」
弱気で自信がなかった私がVtuber活動を頑張れたのは、ひとえに相神さんへの憧れのおかげだ。私の心をつかんで離さない、あの絶対的な存在感を放つ相神さんへの強い憧れが、私を前に進ませた。そうやって前に進んでいるうちに、いつの間にか私は自分の誇りを手に入れていた。
私の配信を見てくれている人が明日を頑張れるように、ひどく疲れた心と体を癒せるように。みんなを笑顔にするVtuber愛神ヤヨとしての私を手に入れていた。相神さんに憧れて、相神さんにあやかった名前の存在が、今の私という存在を支える大きな柱になっている。
だから、私にとっての相神さんはかけがえのない大切な人なんだ。
「そうね。でも、昔の私と今の私って全然違うからちょっと複雑な気分ね」
相神さんの言葉に胸がちくりと痛む。あの対話の中で私が気が付いてしまった事実が、相神さんへの罪悪感を植え付けた。
相神さんは変わった。周囲のすべてを圧倒する絶対的な存在感を持つカリスマモデルから、周囲を慈しみ理解しようとする気さくで優しい同級生に。あまりにも劇的な変化だ。でも、今の相神さんが本当の相神さん。天金さんが言っていた、明るくて、真っすぐ人を見られる子だ。
これでいいんだ。私も相神さんが笑顔で居られて本当に良かったと思ってる。でも、最低だけど、思わずにはいられなかった。私の憧れの人がいなくなってしまったって。今私の隣に居るのは私が憧れた相神綾音ではなく、優しい友達の相神綾音だ。
こんなこと思いたくなかった。私がこんなことを考えてしまっているなんて信じたくなかった。でも、どれだけ相神さんが近くに居ても、どんな言葉をかけられても、以前の私と同じように高鳴らなくなった胸が雄弁に語っていた。
今の相神さんに私は恋をしていない。
「今の相神さんも素敵だよ。気さくで優しい友達って感じで」
遠くから見ていた完璧な昔の相神さんへの憧れは、いつの間にか恋心になっていた。ふとした瞬間に相神さんを探して、遠くから眺めていられるだけで幸せで、話しかけられれば舞い上がり、服が似合ってると言われれば購入を即決する。そんな憧れから生まれた恋心は、憧れた強い相神さんが消えると同時になくなってしまった。
相神さんの家に遊びに行ったときに知った、相神さんの心の傷。そして、林間学校の時に知った相神さんの弱った姿。大切な友達を救いたいという気持ちに隠れて気が付くのが遅れたけど、私が憧れた強い相神さんが偽物だと知るごとに、私の恋心は薄れていっていたんだ。
「友達……それもいいけど、いつかまた百瀬さんを夢中にしてみせるわ。海香さんみたいなビックネームになって、目を合わせるだけであたふたさせてあげる」
私より頭一つ分高いところから、夜空を背景にして相神さんが笑いかけてくる。昔の相神さんからは想像できないようなキラキラした笑顔はとても素敵で、以前とはまた違った魅力を発揮している。でも、その魅力は私の恋心を射止められない。
相神さんと出会った頃の私は、相神さんに何かされるたびにあたふたしていた。いま海香さんの話題を出してこんなことを言ったのは、相神さんが昔の私と今の私を比べたからだろう。今の私は相神さんと一緒に居る時でも、そうそう慌てたりしない。葵ちゃんやノノちゃん、友達と居る時と同じ空気感でいられる。
海香さんを前にしてあんなに慌てたのは昔からのファンだったから。以前の相神さんを前にした時と似たリアクションだったけど、そこにある気持ちは全然違う。今思えば、私の相神さんへの憧れが恋心になったのは、相神さんが同じ学校に通っていて、海香さんとは違って身近な存在だったからだろう。
憧れからくる錯覚。そういえば、私の初恋も近所のかっこいいお姉さんだった。カッコイイ、ああなりたい。そうやって憧れて、好きになっていた。
私の恋は思い返すと憧れから始まってばかりだった。だとしたら、そもそも私は恋をしていたのだろうか。憧れで昂る気持ちを恋心と錯覚していただけなのではないか。そんな可能性すら考えてしまう。
でも、こうやって勘違いに気が付けてよかった。流星群を見るときに伝えてくれた相神さんが持つ不安。相神さんは立ち直ってはいるけど、心の傷が完全に癒えたわけじゃない。親との関係も修復したばかりで、まだまだ不安定だ。だから、私が相神さんへの態度を曖昧にするわけにはいかない。
「そのためには、今の撮影を頑張らないと」
「えぇ、完璧に演じて見せるわ」
私は相神さんの友達だ。好きな人に対しての心持ちではなく、大切な友達に対しての心持ちで、芸能界で自分の道を進む相神さんを応援する。少し時間はかかったけど、曖昧な気持ちなまま相神さんの傍に居て困らせてしまう前に気が付けてよかった。
考えれば考えるほど自分の錯覚だったと思ってしまうような身勝手な恋心で、相神さんに迷惑をかけずに済んだ。今はただその事実に安堵する。
「私は明日もう帰るけど、応援してるね」
「うん。この二日間、百瀬さんのおかげでいろんなことに気付けたし、なにより楽しく羽を伸ばせたわ。ありがとう。絶対にいい映画にするから、楽しみにしててね」
相神さんがこんなにも幸せそうに笑って、私は相神さんの友達として支えてあげられる。あぁ、やっぱりこれでよかったんだ。こんなにも理想的な友人関係はそうそうない。
「完成したら絶対見るね!」
「うん。その時は一緒に見ましょう」
「いいね、見終わったら出演者の裏話とか聞けるのかな? すっごく役得って感じ」
「百瀬さんならその資格はあるわよ。百瀬さんに出会う前だったら、きっとこんなにも全力で取り組めなかっただろうから」
感謝の気持ちが滲んだ、ふわりとした控えめな微笑。月夜を背景にしたそんな相神さんはとても絵になる。そう思っていたら、夜空に一筋の光が輝いて、一瞬で消えてしまった。
その流れ星に心は酷く魅せられる。どんなにきれいに輝いていても、消えるときは一瞬。そのあとに残るものは暗闇だけ。まるで恋心のようだ。憧れから始まって、実は錯覚だったかもしれない私の身勝手な恋心のよう。
「……きれい」
こんな言葉を使うのは酷いかもしれない。でも、言わずにはいられなかった。儚く消える星にこんなにも心を動かされてしまったから。
流れ星のような恋をした。
自分が泊まっているホテルに戻った後、寝る前の私は普段日記も書かないくせに、そんな文章をメモに書き残した。キラキラと輝く流れ星のイラストと、相神さんにもらったハワイの海の世界の写真を添えて。
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