第71話 かけがえのない大切な人
時刻は夜十時半ごろ。流星群を見るためにホテルの近くのビーチに行くと、人であふれかえっていた。シートを敷いて準備万端な家族連れ、高そうなカメラを準備しているおじさん、人混みから少し離れた場所で夜空を見上げている二人組、流星群を見ることは同じでも目的は様々なようだ。
「やはー、盛り上がってるねー」
「海香、勝手に動いたらはぐれちゃうよ」
「じゃあてぇつなご!」
「やっぱりそうきたか」
私たちの集団から離れてた場所に居た海香さんを卯月さんが連れ戻す。恋人つなぎで戻ってきた二人のラブラブぶりを見せつけられ、相変わらず自由な海香さんにここに来た演者さんたちの頬が緩んだ。撮影で疲れている演者さんや機材の移動で体力を使い尽くした道具係の皆さんはホテルで見ていたり、もう就寝してたりで、ここに来ているのは十人程度。全体の一部でしかないけれど、ここに来ている集団の中では大所帯だ。見る場所を見つけるのに苦労しそうだ。
「相神さん、こっち来て」
「不用意に動くと皆とはぐれちゃうわよ?」
「……あ、相神さんと二人きりが良いの」
「へ」
百瀬さんの突然の提案に表情が固まる。恥ずかしそうに頬をほんのり赤らめ、甘えるような声色で他の人に聞こえないようにささやきかけてくる彼女を見て、心臓がうるさく鼓動し始める。かわいい。賑やかなこの場所で私だけを求めてくれた彼女に対して、今までとは違う性質の感情が沸き上がる。
「……こっそりね」
「うん。こっちについてきて」
皆に迷惑かけるかもしれないと頭の中では分かっていても、百瀬さんの誘いを断ることができなかった。ショッピングへも、海水浴へも私から誘ったから気が付けなかった。今の私は彼女のお願いを断ることができない。彼女に甘えられたらなんでも受け入れてしまうだろう。甘い蜜の香りに誘われる蜂のような心地で、あたりを警戒しながら進んでいく百瀬さんについて行った。
○○○
進んでいくにつれて人がいなくなっていく。危険な道を進んでいるわけではない。ほんの少しだけ周りから見えにくいような、草木に隠れた獣道より少し通りやすい幅の道。木々の合間を縫って進んでいくと岩場に囲まれた小さな砂浜を発見した。岩場に囲まれたこの場所は周りから見えにくく、しかし砂浜は綺麗な白い砂。そして目の前には大海原と無限に広がる綺麗な夜空。まるでここに座ってゆっくりしてくださいと言っているような都合のいい場所。人魚姫の隠れ家とでもいおうか、そんなファンシーなことを思ってしまうくらい、この場所は不思議な雰囲気をまとっていた。
「よくこんなところ知ってたね」
「ノノちゃんに教えてもらったの」
「あぁ、あの時に」
帰り際に白銀さんとこっそり話していたのはここの事だったのか。白銀さんは家で見るからこの場所を譲ってくれたのだろうか。二人でこっそりこんなサプライズを用意してくれるなんて感激だ。
「ここなら二人でゆっくり見られるね」
「うん。賑やかな場所より、こういう場所のほうが好きだから」
「へぇ……それなら一人のほうが静かじゃないの?」
彼女に甘えられて言われるがまま付いて来た私は、少しだけいつもと違う雰囲気の中の緊張をほぐすためにほんの少し意地悪な質問を投げかける。慌てるか、困ったような顔をするか、そんな反応を期待していた。
「言ったでしょ、相神さんと二人が良いって」
淀みなく彼女はそう言って見せた。それは林間学校の雨宿りの時に見せた強い彼女の顔で、不意のカウンターをもらった私はさらに緊張する。百瀬さんはいざというときに心の強さを見せるところがあるということを思い出し、そんな彼女の言葉は私の心に強く響く。私を見つめる彼女の目は、弱っていて自分のことでいっぱいだったあの時よりも鮮明に映り、より深く魅了される。
「あっ、そろそろ11時だね。ここに座って見よう」
スマホで時間を確認した百瀬さんは砂浜に腰を落ち着け、隣に来るよう私に促す。いくら綺麗だとは言え躊躇いなく砂に尻をつける彼女の地味な豪胆さに押されて、私も何も敷かずに砂浜に座った。
「サラサラしててクッションみたい」
「意外と座り心地良いね。このまま寝転べそう」
「それやったら髪に砂がついちゃうよ」
「あー、砂取るの大変そうだからやめよっか」
ビーズクッションよりは固いけど、それに似た感触がした。これから結構長い間空を見上げることになるから、座り心地が良いのは助かる。時刻はすでに深夜の十一時。他愛のない話をしながら星が流れるのを待つ。そしてしばらくした後、光の尾を引く星がキラリと輝いた。
『流れた!』
隣の彼女と声が重なる。星が闇に消えた後、彼女と目を合わせて笑い合う。
「見えたね」
「うん、見えた」
ほんの数秒の輝き。けれど、その輝きが生まれるために遠い宇宙の彼方では私たちが想像もできない規模の現象が起こっている。小さいけれど雄大に感じるその光は神秘的で、百瀬さんと二人でその輝きを見ることができた思い出が深く胸に刻まれる。
「また一つ、思い出ができたね」
百瀬さんは柔らかい微笑みでそう言うと視線を夜空に戻した。まだまだ流星群は流れる。しかもそれは一瞬で、少しでも目を逸らしたら見逃してしまう。そう頭ではわかっていても、彼女の横顔を見つめてしまう。星空よりも君の方が綺麗だよなんて、そんな歯が浮くようなセリフの通りのことを思ってしまっている。
百瀬さんは可愛い。ここまでは問題ない。普通の友達に対してでもこれくらいは考えるものだろうから。でも、今の私はその「可愛い」と思う感情が友達に対してのラインを越えそうになっている。こんなにも綺麗な夜空よりも、彼女に魅かれてしまっている。その事実が私の中にあった百瀬さんへの感情の輪郭を見せた。
「……ねぇ、百瀬さん」
「なに?」
「私ね、百瀬さんと出会えて良かったって本気で思ってるの」
「それは私も同じだよ。相神さんと出会ってから楽しい思い出がいっぱいできたから」
星空の魔力が私の本音を引き出す。それを百瀬さんは真正面から受け止めてくれる。でも、私が思ってるのはそういうことじゃない。
「ちがうの。百瀬さんは私の人生の中で代わりがいない恩人で、百瀬さんの中で私は友達の中の一人でしかない。だから、私の中の百瀬さんとの関係の価値と、百瀬さんの中での私との関係の価値が、どこかですれ違ってるような、そんな気がしてならないの」
輪郭が浮き出た私の気持ちを自覚したら、今度は不安が湧き出してきた。私は百瀬さんと出会えなかったら壊れてしまったかもしれない。でも、百瀬さんは私と出会わなくてもたくさんの人に愛されて生きていけたはずだ。そんな私と百瀬さんの境遇の差が、いつか致命的な感情のずれを生むんじゃないか。それが原因で百瀬さんと一緒に居られなくなるのではないか。そんな可能性を考えてしまう。
「私にとって百瀬さんはかけがえのない人で、離れたくない、ずっと一緒に居たいって思ってる。だから教えて。百瀬さんにとって私はどんな存在なの」
不安に苛まれて私はとんでもないことを口走る。でも、これでいいんだ。昔の私はここで本心を押し殺して失敗した。大切な人に本心を隠すことがどんなことを引き起こすか身をもって知っているから、私はもう自分を隠さないって決めたんだ。
意を決して告げた質問に、百瀬さんは眉根を下げて少しだけ困ったような顔をした。いきなりこんな重い質問をされたのだから当然だ。でも、百瀬さんは真っすぐと私を見ていてくれた。真剣にこの質問に答えようとしてくれている。そして、百瀬さんは優しく弧を描いた温かい目を私に向けてこう答えた。
「……同じだよ」
「え?」
「相神さんと同じで、私にとっての相神さんもかけがえのない大切な人だよ」
「で、でも」
私と百瀬さんじゃ互いの立ち位置が違う。かけがえのない存在だなんて、救われた側の私がなれるわけない。でも、月明かりが照らす百瀬さんの柔らかい表情を見たら、そんな反論を口にすることができなくなった。彼女の言葉が本心からのものであると、根拠もないのに信じられた。
「確かに私は相神さんが立ち直るきっかけになれたと思う。でもね、愛神ヤヨになる前の私だったらきっとそんなことできなかった」
愛神ヤヨ、それはVtuberとしての彼女のもう一つの姿。そして、私が百瀬さんに話しかけるきっかけになった存在。百瀬さんにとって愛神ヤヨはもう一つの自分で、彼女の心を構成する部分だと言える。でも、それが私を救えたことと何の関係があるのだろうか。
「愛神ヤヨ、相神さんみたいになりたくてこの名前で活動を始めたけど、やっぱりいい事ばかりじゃなくて、もう辞めたいって思うことも何度もあった。でも、その度に相神さんの事を思い出してたの」
「私のこと……?」
「うん。みんなを惹きつけるカリスマモデルで、誰よりもカッコイイ相神さんの姿をね。相神さんは私よりもたくさんの人に知られてて、私と違って素顔をさらしてる中でもいつも堂々としてた」
「でも、それは……」
「うん、今となってはあの相神さんは無理して演じてた姿だって分かってる。でも、昔の私にとってあのかっこいい相神さんは本物で、あの完璧で強い相神さんみたいになるんだって自分を奮い立たせてたの」
昔の偽物の私も、遠くから見ていた百瀬さんにとっては本物だった。価値がない、くだらない、そうやって周りのことを何もかも諦めていた私に、百瀬さんは憧れてくれた。
「そうやって頑張ったおかげで、私は私を誇りに思えるようになった。みんなに笑顔を届ける愛神ヤヨとしての私が居たから、相神さんを救うために前に進む勇気が持てた」
私は昔の百瀬さんを知らない。でも、私が知ってる百瀬さんは私の影響を大きく受けていた。
「相神さんは、何にも取り柄がなくて自分に自信が持てなかった私を救ってくれたんだよ」
「私が、百瀬さんを……」
百瀬さんには何もかも貰ってばかりだと思っていた。でも、知らないうちに私は百瀬さんの力になれていたんだ。あの苦しくてどうしようもなかった時の私が、無理して演じていた強い人間としての私が、百瀬さんを救っていたんだ。辛いだけだった。千夏を傷付けてばかりだった。何一つ良い事なんてなかった。そう思っていたあの時間にも意味はあったんだ。どうしようもなく胸の奥が熱くなり、目じりから一筋の涙が零れた。
「だから相神さんは私を救ってくれた恩人で、かけがえのない大切な人なんだ」
百瀬さんの指が私の頬を伝う涙を優しく拭う。彼女の本心からの言葉と、目と鼻の先にある彼女の慈愛の微笑みは、私の胸に巣食ってた不安を掻き消してくれた。そして同時に、私の中で曖昧だった感情の形がはっきりした。
キラリ、彼女の背後で星が流れる。いろいろ考えて悩んでも、恋に落ちるのは一瞬。いつしか海香さんから聞いたフレーズを思い出す。落ちるのは一瞬、流星は恋に似ている。そして、この情景が私が抱いた感情を輝かせる。
「ありがとう」
私は百瀬さんに恋しているんだ。
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