第69話 同士

 甲板に出て船のへりに寄りかかって海を眺める。この中に飛び込んでみたいという欲求はあるけれど、相神さんや木村さんみたいに一人で好きなところを泳ぐのは怖いと思ってしまう。相神さんなら頼めば一緒に泳いでくれるのかな。美しい海の世界を相神さんに手を引かれて探検するなんて素敵な想像を巡らす。


「……勿体無いことしたかな」


 口に出したその言葉に込められた後悔は、この前買った商品がキャンペーンで割引されてた時くらいのものだった。


「南ちゃん、これどうぞ」


 操縦席の方に戻っていたノノちゃんがそう言って使い捨てのプラスチックコップを差し出してきた。コップにはこの海と同じような青色の液体が注がれており、フルーティーな香りがした。


「ありがとう」

「ううん。準備不足でダイビングさせてあげられなかったお詫びだよ」

「そっか。じゃあそのついでに相談させて欲しいな」

「いいよ。なんでも聞いて」


 私の願いを快く受け入れたノノちゃんは座れそうな段差に腰掛けて、隣にどうぞと手で指して促した。隣に座ってからジュースを一口飲み、喉を潤してから彼女と目を合わせた。


「ノノちゃんって天金さんのこと好きじゃないかもって思ったことある?」

「へ?」


 突然の意味がわからない質問にノノちゃんは疑問符を浮かべる。林間学校で同盟を結んでから恋バナを頻繁をするようになった私からこんな質問が飛んでくるとは思わなかっただろう。今更だけど彼女にこんな質問をして申し訳なく思えてきた。


「私は天金さんのことずっと好きだけど……もしかして相神さんと何かあったの?」


 ノノちゃんは不安な質問に戸惑いながら、気にかけるような視線を向ける。私と相神さんの間に何かトラブルがあったと思ったのだろう。ある意味でトラブルではあるけど、これはあくまで私個人の問題だ。


「えっと、林間学校で色々あった後からなんだけど、相神さんと一緒にいてもドキドキしなくなったの」

「ドキドキしなくなった……それって慣れただけじゃない? 私はまだ緊張しちゃうけど、そういう事もあると思うよ」

「慣れ……」


 相神さんと友達になってから日が長いわけじゃないけど、かなり濃密な時間を過ごした自信はある。ならばノノちゃんの言う通り慣れたという可能性も考えられる。


 私のお母さんとお父さんはこっちが恥ずかしくなるくらい未だにラブラブだけど、相神さんと友達になった直後の私みたいに、まともに喋れなくなるような事はない。


「ドキドキすることだけが好きな証じゃないと思うよ。相手の何気ない姿が愛おしくなったり、ふとした瞬間に幸せだって感じたり、これからもずっと一緒にいたいって思ったり、そんなふわっとした想いも好きな証だから」

「ふわっと……」


 ノノちゃんの言葉を聞いて、相神さんが弱っていたころを思い出す。あの頃は自分の恋心なんか後回しにして相神さんを助けるために行動してした。相神さんに笑ってて欲しい、幸せでいて欲しい、悲しみから守ってあげたい。


 ただひたすら相手のことを想って行動する。ノノちゃんの言葉の通りなら、あの時の私の行動はすべて好きの証だ。


「前までの私は相神さんが好きだった。これは断言できる。だから、今の私の気持ちが前と同じじゃないって何となく気付いてる。でも、この気持ちの正体以前に、気持ちが変わった原因がなんなのか全然分からないの」


 思いのままに相神さんと一緒に過ごせば、自ずと気持ちの正体が掴めると思った。だからビーチで深いことは考えずにありのままの気持ちで相神さんと過ごした。でも、気持ちの正体は分からずに謎は深まるばかりだった。


「……いつもかっこよくてクールで、自信に満ち溢れた完璧なところ」

「え?」

「林間学校で教えてくれた、相神の好きなところだよ」


 それが何のことか、私はすぐに分からなかった。以前の私が話した相神さんの好きなところは、今の相神さんは果たして持っているのだろうか。


「私から見ても相神さんは結構変わったと思うよ。なんというか、前まで感じてた壁がなくなったみたいな。カリスマモデルって言われてるけど、ちゃんと私たちと同じ女子高生なんだって思えるようになった」


 相神さんは変わった。自分を押し殺して、強い人間を演じることをやめて、ありのままの自分として生きている。


「今の相神さん……」


 相神さんを救いたい一心で考えないようにしてたんだ。私が好きだと言っていたのは、相神さんが無理矢理作っていた虚像だってことを。


 どんな相神さんでも私は受け入れる。私は確かにそう言った。その受け入れるっていうのは、いったい何のことを言っているのか。ただ彼女を救たくて伝えた言葉は、私の抱く恋心を考えていない。


「いや……でも、そんなこと……」


 相神さんは変わった。だから好きじゃなくなった。そんなのあまりにも身勝手だ。そもそも、そんなことで変わってしまうなら、私は相神さんが好きだと言えるのだろうか。私の恋はそんなものだったのか。胸の内側が淀んでいく。自分のことが嫌いになってしまいそうだった。


「良いんだよ。身勝手でも」

「え……」

「好きになるのも、好きじゃなくなるのも、自分勝手に決めて良いんだよ。それが自分の本心ならさ」


 自分勝手に。そんなこと考えもしなかった。


「南ちゃんは優しいから相手のことばっかり考えちゃうんだと思う。それが南ちゃんの良いところだけどさ、恋するときくらいは自分を中心に考えてもいいと思うよ」

「自分を中心に……」


 今までの私は相神さんと過ごす中で自分の気持ちの正体を確かめようとしていた。でも、相神さんとの今の関係を崩したくないという前提で動いていた。


 私の相神さんへの恋心は、私と相神さんの関係の根底をなしていると言っても過言ではない。だから、心のどこかで相神さんのことを考えて、自分の心の動きを制限していた。私が相神さんへの恋心を失っていたら、私と相神さんの関係が崩れてしまうような気がして。


「そっか……」


 本心で相神さんと向き合えば自分の気持ちも見えてくる。ビーチに集まる前の占いでそう思っていたはずなのに、私は相神さんとの関係が崩れるのが怖くて、相神さんへの恋心がなくなるはずがないと心のどこかで自分に制限をかけていたんだ。


「……恋って難しいね」


 私と相神さんは濃密な時間を過ごした。だからこそ相神さんにここまで近付けたけど、その代償として単純だった恋心を複雑なものにしてしまった。


 好きだから告白する。そんな単純なものだったらどんなに良かったか。


「ありがとう。ちょっとだけスッキリしたよ」

「役に立てたなら良かった」


 ノノちゃんはニパッと弾けるような笑顔を向けて、ストローに口をつけてジュースを一口飲み込んだ。


「じゃあお返しに、次は私の話を聞いてくれる?」

「うん、いいよ」

「ありがとう。といっても、相談とかじゃなくて愚痴なんだけど」

「へぇ、なにがあったの?」


 あの温厚なノノちゃんが愚痴とは珍しい。可愛い膨れっ面を見る限り、誰かの悪口とかではなさそうだ。


「実は天金さんもハワイに誘ってたの」

「えっ、断られたの?」

「うん。用事があるって言われたの」

「それなら仕方ないんじゃ……」

「私もそう思ってたよ。でも、船に乗る前に相神さんに聞いたら、天金さんに用事なんてないらしいの」

「えぇ?」


 用事があるなんて嘘をついてまでハワイに来ないなんて、いったいどんな理由があればそんな行動に出るのか。


「おかしいね。天金さんは相神さんがハワイで仕事があることを知ってるはずなのに断るなんて」

「うん。私より相神さんや南ちゃんとの予定を優先させたならまだ分かるけど、二人ともハワイに来てるんだもん。天金さんが嘘ついてまで誘いに乗らなかった理由がわからないよ」


 ノノちゃんも勇気を出して誘っただろうに、嘘をついてまで断られたら怒るのも当たり前だ。しかもその理由が皆目検討つかないわけで、心優しいノノちゃんでも愚痴の一つ吐き出したくなる。


「うーん……もしかしたら相神さんやノノちゃんにも言えない秘密があるのかも」

「秘密?」

「うん。だってあの賢い天金さんがこんな分かりやすい嘘をつくとは思えないよ。断るために嘘をつくならもっと上手い嘘をつくはず」

「だから用事っていうのは本当で、それが誰にもいえない秘密ってことかぁ。相神さんにも言えないようなこととなると……あっ」


 何かに気がついたのか、ノノちゃんの顔がどんどん青ざめていく。飲んでいるジュースとお揃いなんて呑気なことを考えている場合ではない。彼女は悪い方向に想像を働かせてしまっている。


「もしかして恋人がいるんじゃ……」

「恋人?! いやいや、そんな人がいるなら絶対に相神さんが気付いてるって!」

「でも賢い天金さんなら恋人の存在を悟られないようにすることもできるよ……」

「いや、だとしたら天金さんの恋人って誰になるの。天金さんは基本的に相神さんの近くにいるから、恋人になるくらい親密な人なんて居ないでしょ」

「で、でも……」

「大丈夫。きっと思い過ごしだから落ち着いて」


 天金さんに恋人がいるなんてまさかの推理をしたノノちゃんをなんとか落ち着かせる。ノノちゃんはジュースを一口飲んで深呼吸をし、なんとか冷静さを取り戻した。


「どうしても気になるならハワイから帰った後に聞けば良いよ。怖いなら私もついていくからさ」

「そう、だね。ありがとう南ちゃん」


 天金さんがハワイ行きを断った理由は分からなかったけど、なんとかこの話題を切り抜けることができた。


「さてと、そろそろ木村さんと相神さんがダイビングから戻ってくる時間だね」

「そっか。なら私はあっちに引っ込んでるね」


 甲板に居たままだと帰ってくるダイバー二人の邪魔になってしまうことを考慮し、運転席の方に逃れる。少しの空き時間で周囲の景色をカメラに納め、涼しい影の下でゆったりと余ったジュースを飲み干す。


 迷う私と違って真っ直ぐな恋心を持ち続けるノノちゃんの悩みが無事に解決することを祈りながら、船の上の景色を眺めて自分はどうするべきかを考える。陽の光を反射してキラキラ輝く海の眩しさの中に答えはない。私が今求めているのはもっと違う場所にあるような気がした

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