第63話 隠せない本心

 時間帯のせいもあってかバスの中はかなり混んでいた。ぎちぎちに詰められて立ったままバスに乗り、やっとの思いで私が泊まっているホテルの前のバス停に到着した。外に出ると昼のころが嘘のように涼しくて、満員のバスの室温との差もあって少し体が震えた。


「それで、本当にここでよかったの?」

「うん。朔がこの辺りに居るから拾って欲しいって。財布忘れたまま出て行っちゃったらしくて、バスに乗れないみたいなの」

「お姉ちゃんは大変ね」

「でも、そのおかげで落ち着いて相神さんを見送れそうだよ」

「それもそうね」


 あの満員バスの中じゃ落ち着いて話もできない。ここで百瀬さんが下りなかったらさよならのあいさつも有耶無耶になっていただろう。空を見上げればすっかり星空で、街の明かりから少し離れたこの場所では綺麗に星が見えた。


「今日は百瀬さんのおかげでいい息抜きになったわ。ありがとう」

「こっちこそ、ハワイの事いろいろ教えてくれたり、英語で困った時はフォローしてくれたり、いろいろ助けてくれてありがとね。おかげで思いっきり楽しめたよ」


 今日のハワイ観光では百瀬さんを助けられた。これで少しは百瀬さんに恩を返せたかな。もっとも、私が百瀬さんに受けた恩は一生かかって返せるかどうかだと思うけど。


「あっちの海辺で待ってるらしいから。それじゃあ、また明日。予定が決まったら連絡してね」

「うん。またね」


 短い言葉を交わし、小さく手を振って別れる。百瀬さんは妹ちゃんが待っているであろう場所を目指して私に背を向けるけど、少しずつ彼女が離れている光景からなぜか私は目が離せないでいた。それどころか、何か話したいことがあるわけでもないのに彼女を追いかけようとしてしまいそうになる。その時私が抱いていた感情に名前を付けようとした瞬間、それが私のカバンの中にある台本にびびっと繋がったような気がした。


「百瀬さん、最後に質問良いかな」

「え? 別に良いけど……」


 私の突然の要求に困惑しながらも、百瀬さんは私の方を向いて答える意思を見せてくれた。あたりが静かなおかげで、この距離でも普通の声で問題なく会話ができる。不思議そうに私を見つめる彼女に、私は思い浮かんだ質問を投げかけた。


「もし、大切な人と二度と会えなくなったら百瀬さんはどう思う?」


 私の質問に百瀬さんの顔が強張る。家族のことであんな弱った姿を見せた私がこんなことを聞いたら裏を勘ぐってしまうのも理解できる。


「深い意味なんてないよ。心理テストみたいなものだと思って、思ったとおりに応えて欲しいな」


 この質問は私にとっての答え合わせ。だから百瀬さんが心配することは何もない。そう伝えるように軽い口調で彼女に回答を促す。すると百瀬さんは少し考えるようなしぐさをしてから、意を決して口を開いた。


「……寂しい、もう一度会いたいって思うな。それがもう無理だって分かってても、次への歩みを始めていたとしても、心のどこかでそう思わずにはいられない。大切な人っていうのは自分にとってなくてはならないもので、その人を忘れたら心のどこかがバランスを崩しちゃう。だから、意識的にしても無意識にしても、その人と会いたいって気持ちを消すことはできないと思うの」


 百瀬さんは一切言い淀むことなく真っすぐ私の目を見て答えた。その目を見て、その答えが私に気を遣ったものでなく心の底から思っていることだと理解できた。おかげで自分がやるべきことを迷わず決められた。


「ありがとう百瀬さん。おかげで明日はいいシーンが撮れそうだよ」

「もしかして、さっきのって相神さんが迷ってた演技について?」

「うん。さっそく明日監督に話して撮ることにするよ。代わりに明日は早くても午後からになっちゃうけど、いいかな」

「全然いいよ! というか、私がお邪魔しちゃってるから相神さんは気にしなくていいんだよ」

「なら明日は撮影が終わり次第連絡するわ。水着の準備、忘れないでね」

「うん、じゃあ今度こそまた明日。映画楽しみにしてるから」


 百瀬さんの答えを聞いた私は改めて百瀬さんと別れる。相変わらず話したいこともないのに追いかけたくなる気持ちは残っていたけど、演技についての悩みが解消されたおかげか、私が泊まっているホテルに向ける脚が軽くなっていた。


 ○○○


 午前10時、昨日と同じように砂浜での撮影。失敗続きだった私を周囲の人が不安そうに見つめているのがわかる。演技の仕事で実績のないモデルに、安心して見られるほどの信頼はない。


『私っておせっかいなのかな』


 主演の彼女が台詞を言う。さすが黒沢監督の作品の主演に選ばれた女優だ。私とそんなに年齢が変わらないのに、隣で演技をする彼女を見ているとまるで作品の世界に入り込んだような感覚になる。


『余計なこと言って迷惑かけちゃうくらいなら、私が何もしなければ……』


 主役の子は良心からトラブルによく首を突っ込んで解決の手伝いをしてきたのだが、ある事件を解決する際に彼女の良心からの行動が逆に被害者を傷付けてしまったのだ。


 それ以来、彼女は自分のやり方が正しいのか不安になり、何もできなくなっていたのだ。


『そう思うならそうすれば』


 このシーンは悩んだ主人公が友人に意見を一人ずつ順番に聞いていくシーンだ。私が演じる麗美はその友達の一人で、砂浜に一人でいたところに声をかけられた。


『どうするべきかなんて言えるほど、私は立派な人間じゃないよ』


 一見冷たいように見える麗美だけど、本当は主人公のことを大切に思っていて、主人公の正義感も、誰かを想って行動する優しさも失って欲しくないと思っている。


 誰かに干渉しようなんて考えない彼女が、柄にもなく主人公の相談をまともに聞いているのがその証拠だ。ここまでは、以前の私も理解できていた。麗美のそういうところは千夏とよく似ていたから。


『ただ、一つだけ言えるとするなら』


 ここから先のセリフで私は何度も止められた。ほんの少し、周囲に緊張が走るのが分かる。でも私は演技のためのリラックス状態を崩さない。やるべき事はもう分かっているのだから。


『一人でも案外なんとかなる』


 この言葉は本心からの言葉じゃない。そこを私は誤解して、麗美は孤独にも耐えられる強い人だからこう言ったのだと思っていた。だから私の中で描いていた理想の強い人間のような演技をしていた。


 でも、本当は麗美も寂しいのだ。強い人間のふりをして寂しさを紛らわしているだけ。以前の私と同じだ。主人公が自分を曲げずに進む事を決意したのは、麗美の言うように孤独の中でも生きていけるからなんて後ろ向きの理由じゃなく、麗美が隠している寂しさに気が付いたからだ。


『……そっか』


 主人公の優しい微笑み。相談をしているのは彼女の方なのに、彼女も苦しんでいるはずなのに、麗美の本心に気付いて寄り添う。この主人公はまるで百瀬さんみたいだ。


 主演の彼女も麗美の考えを理解していたようだ。そうでなきゃこんな演技はできない。やっぱり私はまだまだ未熟だなと思い知らされた。


「カット。うむ、素晴らしい演技だった。少し時間がかかったとはいえ、私の想定以上のクオリティだ。やはり、君を選んで正解だったよ」


 シーンが終わり、監督が拍手をしながら私と主演の人の演技を褒め称えた。無事にシーンが撮れたことに安堵し、胸を撫で下ろした。


「ナイス綾音ちゃん! 良い演技だったよ!」

「海香さん! アドバイスありがとうございました。おかげで答えに辿り着けました」

「ふっふっふ、この天才女優海香様の偉大さが分かったようだね。じゃあ、明日もいい演技期待してるよ」


 海香さんの言うように今日の私の仕事はここまで。撮影機材を車に入れて次の撮影場所に向かう集団を見送り、私はその場に残った。


「少しは恩を返せたと思ったけど、また助けられちゃったな」


 私が麗美の本心に気が付けたのは百瀬さんのおかげだ。私は強い人なら寂しさに打ち勝てると思っていた。でも、百瀬さんはどんなに取り繕おうとしても寂しさは消えないと言っていた。それなら麗美もそうなんじゃないかと思ったのだ。


 そう思って台本を見返すと、一気に麗美のキャラクター像が変化した。彼女の言動は冷たいようで常に友人を思い遣っている。それは彼女の優しさが理由でもあるだろうが、親との問題を誤魔化すために友人関係を失いたくないからだ。


 クールな口調と「一人でも案外なんとかなる」というセリフで誤解していたが、彼女が一人でいるシーンは主人公との相談で砂浜にいた時くらいだ。それも主人公が相談しやすいように気を遣ってのことだろう。きっと、本当は一人でいるのが苦手なのだ。親との問題を思い出して寂しくなってしまうから。


「……前の私みたいだな」


 麗美のキャラクターを理解して、監督が私を抜擢した理由が分かった。この麗美というキャラクターは色んな意味で前の私に似ていたからだ。黒沢監督は雑誌の私を見ただけで、その雰囲気を感じ取ったのだ。


 おそらく前の私なら何度もシーンを切られることは無かっただろう。麗美を理解していなくても、無意識のうちにキャラに合った演技になっていただろうから。でも、家族の関係を修復したことで私の中にあった麗美との共通点が消えて、演技に苦戦することになったのだ。


「難儀なものね」


 変わることも大切だ。でも、以前なら理解できていたことをできなくなったのなら、それは本当に変わったと言えるのだろうか。ただ忘れただけじゃないか。


 そんな事を考えながら、休憩するために一旦ホテルのロビーに戻ることにした。

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