第61話 ハワイのランチタイム
ギラギラと輝く太陽の強さに対して、それを防ぐものが路上に極端に少ない。だから日傘をさすのが良いのだけど、百瀬さんは持っていないと言うのだ。日焼け止めは塗ったし、帽子もあるからと言うのだけど、彼女の真っ白で柔らかい肌を考えると不十分だ。
そんなわけで百瀬さんを私の持っている日傘に入れる事にした。身長差がある私たちの歩幅は違くて、私は少し気を遣って遅くしなければ百瀬さんがギラギラ輝く日差しの犠牲になってしまう。
「ごめんね、気を遣わせちゃって」
「別にいいよ。友達のためならこれくらい当たり前だから」
私と百瀬さんが並んで歩くと、二回りくらい小さい百瀬さんが私を見上げて話す事になる。申し訳なさそうにしてる彼女には悪いけど、こうやって上目遣いな百瀬さんを間近で見られるから寧ろ役得というものだ。
親との関係を修復するまでは百瀬さんにヤヨちゃんを見て、可愛がりたいと思っていたけど、今は純粋に百瀬さん自身を可愛がりたいと思うようになった。色々あって私の好みとか自分でもよく分からなくなってたけど、どうやら私は百瀬さんみたいな小さくて可愛い子が好みのようだ。
「えっと、確かこの辺りに……あった!」
スマホの地図を参考にしながら道を進んでいくと目的地の看板が見えた。大通り沿いから見える堂々とした文字の看板、時代を逆行するような木造の店はどちらも目立っており名店の雰囲気がある。
「ハワイで一番美味しいロコモコがあるって、海香さんにこの前紹介してもらったの」
「へぇ、確かに人気ありそうだね」
ちょうどお昼時だからか、お店の中はかなり賑わっている。入り口から中に入ると店員さんが対応してくれて、テラス席に通された。パラソルの下にある暗くて丸い木の椅子に座り、メニューを受け取る。開くと英語以外の言語も書いてあって、日本語もあった。
「ハワイって意外と日本語が通じるお店多いよね。英語使わないといけないと思ってた」
「日本人に人気な観光地だからね。ここみたいに日本語が対応してるところはそれなりにあるよ」
「あっでも、さっき店員さんと英語で話してたよね。英語もできるなんて流石相神さん」
「ハワイに行くって決まってから、道を聞いたり、お店で注文したりとかできるように最低限の英語は話せるようにしたの」
撮影で集団行動するときは通訳やガイドの人がいるからいいけど、今みたいに個人で行動するときに困らないようにお母さんに英会話を教えてもらった。
お母さんは撮影で海外に行くことも珍しくないから、外国語も堪能なのだ。旅先での経験談も交えながら教えてもらったから、楽しく学べたし、スッと頭に入って来た。
「そうなの? あんまりにも様になってたから昔から話せるのかと思った」
「ふふっ、百瀬さんにカッコいいところ見せられて嬉しいわ。さて、私はもう決めてるけど、百瀬さんは何を注文するの?」
私が頼む予定なのはロコモコとトロピカルジュース。海香さんがこの店でオススメしてくれたセットだ。その他にも様々なメニューを取り揃えていて、百瀬さんは結構迷っているようだった。
「何を迷ってるの?」
「うーん……デザートも頼みたいんだけど、食べ切れるか不安で」
林間学校での彼女を思い出すと、そんなに食べる方ではなかった。初めて来るお店だし、海外だしでどんな量か分からないから不安なのだろう。
「じゃあ私とシェアしようよ。足りなかったら追加で頼めばいいし、二品分味わえてお得じゃん」
「そっか。じゃあお言葉に甘えて」
百瀬さんは私の提案を受け入れると、テーブルに置いてあった呼び鈴を押した。すると直ぐに店員さんが来て英語で注文を聞いた。私は口頭で伝えたけど、百瀬さんはメニュー表を指さして注文した。
「ハワイのパンケーキって有名だけど、あれってなんでなのかな」
ロコモコとレモネード、デザートにパンケーキを頼んだ百瀬さんはふと疑問を口にした。
「ハワイにある有名店のパンケーキがすごく美味しいってところから始まったらしいよ」
「えっ、じゃあ私が頼んだのってハワイのパンケーキではあるけど、話題になってるパンケーキじゃないってこと?」
「そこまで気にしなくて良いんじゃない? 近くに名店があるなら、それを真似してるかも知れないし」
「そっか」
どこかに素晴らしいものがあれば、周りがそれを真似して全体のレベルが上がる。あらゆる業界でよくあることだ。ここのパンケーキも観光客から期待されるハワイのパンケーキを模倣したものかもしれない。
「そういえば家族はどこにいるの?」
「父さんと母さんはホテルでゆっくりしてる。そんなに体力ないから、長旅で疲れ切っちゃったみたい。朔は本場のバスケしたい!って言ってコート探しに行っちゃった」
「妹ちゃんは相変わらず元気ね」
海外に来て躊躇いなく誰かと関わりに行くアクティブさは流石というべきか。自分に絶対の自信がある妹ちゃんの強さには少し学ぶところがあるかも知れない。
「ハワイに来たら流石の朔も海だーとか観光だーとか騒ぐと思ったんだけどね。本当にバスケしか頭にないみたい」
「そんな真っ直ぐなところが素敵なんでしょ」
「ふふっ、そうだね」
頭が悪すぎていろいろトラブルを起こす百瀬さんの妹ちゃんだけど、どこまでも純粋で真っ直ぐだから百瀬さんからも会長からも愛されている。自由な妹の話で優しく微笑む彼女がそれを証明している。それからとりとめのない会話をしていたら、注文した品が運ばれてきた。
大きなお皿に乗せられたロコモコ。一番上の目玉焼きもすごいし、添え野菜の彩りも奇麗だったけど、何よりも目を引いたのは香ばしい肉の香りを漂わせるハンバーグだった。世界を股にかける海香さんが一番と評するだけはある。空腹ということもあってか、食べる前から唾液が溢れてきた。
「おいしそう……!」
濃厚な肉の香りを漂わせるロコモコを前に、百瀬さんは目をキラキラさせてにやけていた。いつもの少し控えめなところも可愛いけど、たまに見せるワクワクして自分の感情が溢れる姿も可愛い。ヤヨちゃんの配信でもそうだ。友達になって日が浅いけど、配信を通して私は素の百瀬さんの魅力をたくさん知っているのだ。
「それじゃあ、いただきます!」
「いただきます」
まずは一口、魅力的なハンバーグを切り分ける。スプーンを差し込むと、そこから一気に肉汁が溢れて視覚的にも空腹を刺激する。空腹という最高のスパイスをさらに強く振りかけ、最初の一口を食べた。
「んん……! さいっこうにニクニクしい!」
百瀬さんは両頬を抑えながら本場の味に感激している。そんな彼女の美味しそうな顔を見ていたら、いっぱい食べる君が好きなんてCMのフレーズを思い出した。
「相神さんはどう思う?」
「そうね、まず印象的なのは野性的でガツンと来る肉の味ね。でも、決して粗野じゃなくて、肉の味を最大限引き出す繊細さも持ち合わせてる。肉のプロフェッショナルが引き出す一流の肉の味といったところね」
「おぉ……さすがの食レポだね。私の感想が恥ずかしくなってきた」
「いや、別にテレビじゃないんだから気にすることないでしょ。それに、百瀬さんみたいな直感的な食レポも大切よ。心からの反応だって分かりやすいから、そっちのほうが美味しいそうに見える人も多いし」
「そういう見方もあるんだ。流石相神さん、プロフェッショナルだね」
一通り感想を共有してから、ロコモコを食べ進めていく。濃厚なハンバーグにさわやかなトロピカルジュースがよく合う。食べ続けると絡まる油をさっと洗い流してすっきりさせてくれて、フルーツの透き通るような後味が通り過ぎる。その次の一口はまるで最初の一口のような肉の濃厚さを改めて感じることができた。流石世界の海香さんセレクションだ。
「改めて考えると、ハンバーグと目玉焼きをご飯に乗せるって、かなりわんぱくな発想だよね」
「一説によると、ある高校生の要望に応えて個人経営のレストランが出した料理が発祥だと言われてるわ」
「へぇ……さっきからハワイに妙に詳しいね。どこから仕入れたのその知識」
「英会話の練習の時、お母さんが教えてくれたの」
「……そっか、よかったね」
私がハワイの知識の出どころを伝えると、百瀬さんはさっきまでのキラキラした笑顔とは打って変わって、慈しむような柔らかい笑顔を浮かべた。両親との問題で壊れそうになった私を知っている彼女は、両親と良好な関係を築けている話を聞いて安心したのだろう。
「これも百瀬さんのおかげだね」
私のその言葉に、百瀬さんは何か言うでも頷くでもなく口で柔らかい曲線を描いた。そこからロコモコを食べ進めて完食すると、食後と指定していたパンケーキが運ばれてきた。
「おぉ……!」
百瀬さんから感嘆の声が漏れる。声こそ出さなかったけど、私も同じような感情だ。テーブルの中心に鎮座するパンケーキは圧倒的な存在感を放っている。巨大な円形のそれにはこれでもかとクリームがかけられており、イチゴとバナナが綺麗に盛り付けられている。圧倒的なボリュームを見て、シェア前提で注文してよかったとさっきの自分のファインプレーを褒めた。
「相神さん……これはかなりの強敵だよ」
「アメリカンなサイズね」
空腹なせいで気に留めなかったけど、思い返せばさっきのロコモコもかなりの量だった。スイーツというわけで、アメリカンな感覚が本気を出したようだ。日本人の感覚で言えば、店員が一言忠告するほど巨大な品を当たり前のように出してくる。
「それじゃあまず一口……んっ! 甘くておいしいー!」
「バナナの柔らかい甘さと、イチゴの甘酸っぱさのどちらにも合う絶妙な甘さ加減が良いわね」
一口食べてわかるここの料理人の腕の良さ。ロコモコといい、観光客向けの形だけの物でなく、料理の本当の魅力をうまく引き出している。大きすぎると最初は思っていたけど、デザートは別腹とはこういうことか、さっきまで満たされていなかった甘味を欲する心が刺激され、順調に食べ進めていく。それで余裕ができたからか、ふと私に悪戯心が芽生えた。
「百瀬さん」
「ん? どうしたの?」
「はい、あーん」
「ぇあ、きゅ、急に何?!」
フォークに突き刺した一口分のパンケーキを突き出す。すると彼女は頬を薄く桃色に染めて動揺した。いろんなことがあってそれどころじゃなかったけど、百瀬さんは私のことが好きなのだ。恋心を弄ぶとかそんな性悪な理由ではない。私に照れる彼女が可愛いのをふと思い出し、せっかくだからそれを見たいと思ったのだ。
「せっかくシェアしてるんだから、それっぽい事したいなーって」
「それっぽい事って……もう、仕方ないなぁ」
私の考えを聞いた百瀬さんは、意外にもすんなりと了承した。好きな子にあーんされるなんて重大イベントなはずなのに思ったより反応が薄い。予想外のリアクションに拍子抜けする私をよそに、百瀬さんは小さな口を開けて私が食べさせてくれるのを待っている。
「はい、あーん」
「あー……んっ、おいしい」
私が切り分けたパンケーキを百瀬さんは小さな口でほおばった。その姿はハムスターみたいで可愛らしく、反射的に頭を撫でてしまいそうになった。なんだこの可愛い生き物はと感心していたら、今度は彼女がパンケーキを切り分けて私に差し出した。
「はい、お返し」
「えっ……う、うん、それじゃあ貰うね」
彼女の不意打ちにどもってしまう。一度深呼吸をしてから、前かがみになって彼女が差し出したパンケーキに口を近付ける。ただ百瀬さんに一口だけ食べさせてもらうだけ。たったそれだけなのに、なぜか心臓の鼓動が速くなる。この年にもなって食べこぼすのではないかと思うくらい体が安定しない。今まで味わったことがない感覚の中、私は何とかパンケーキを食べることに成功してひとまず胸をなでおろした。その時だった。
「あっ、クリームついてるよ」
百瀬さんはそんなことを言って、何でもないことのように私の口についていたクリームを指で取った。ほんの一瞬彼女の指が触れただけなのに、体中に電流が流れたような衝撃が走った。
「ふふっ、こういうのも楽しいね」
「そ、そうだね……」
今私がしている反応は、本来百瀬さんに期待したものだ。それに対して百瀬さんは何ともなさそうにしている。本当に仲の良い友達とじゃれているような雰囲気だ。以前の私が何かしたら過剰に反応する百瀬さんはどこにもいない。
それならば私は百瀬さんが好きになったのか。百瀬さんは私が好きじゃなくなったのか。明確にそうとは言えない。確かに百瀬さんは私が弱った姿を見ているし、私も百瀬さんに救われた。そうなる可能性は捨てきれない。でも、百瀬さんはいい加減私になれただけかもしれないし、私も恋心がどんなものなのか分かっていない。
百瀬さんの私へのリアクションのと、私の百瀬さんへの見方の変化。それがどんな感情か処理できないまま、私は百瀬さんと一緒にパンケーキを完食した。
口に残った甘味と確かな満腹感。それらで満たされた心で気持ちよく店を後にするだったはずが、それは全て原因不明な緊張に搔き消されてしまった。
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