第60話 役への理解
「カアット!」
監督の声が演技を中断する。視線が監督に集まると、次は監督が声を上げた原因に目を向ける。
「また、私のところ……」
これで5回目。止められるたびに役者同士で話し合っているけど、一時間ほどこのシーンから進んでいない。周りの役者さんの顔をうかがうと、皆さんも何故止められるのか分かっていないみたいだ。
「監督、さっきから止めすぎですよ。綾音ちゃんの演技も悪くない……というか良いくらいです。何がそんなに納得できないんですか」
全く進まない撮影を見かねたのかディレクターさんが監督に声をかけた。腕を組んで撮影を見守っていた黒沢監督は首を横に振ってディレクターの進言を退けた。
「演技力の問題じゃない。彼女に表現してほしいものが表現できてないのだ」
「それは演技力の話じゃ……」
「ちがう。彼女の技術力ではなく、演技の方向性が問題なのだ。方向性さえ合っていれば技術が拙くても問題ない。だからこそモデルが本業の彼女にオファーした」
監督のこだわりにこれ以上口出しできないと判断したのか、ディレクターさんは引き下がった。さて、監督は私の演技の方向性が問題だと言っているけど、何がいけないのか全く見当がついていない。もう一度といわれても改善できない。どうすればと途方に暮れていた時だった。
「黒沢さーん、私もそろそろ演技したいんですけどー」
海香さんが監督に声をかけた。砂浜での撮影で、パラソルの下で卯月さんと待機していたけど、待ち時間に耐えかねたのかハワイの強い日光の下に出てきた。
「まだ待っていてくれ大空女史。相神君さえ良くなればこのシーンは終わるのだ」
「終わりませんよ」
「……根拠は?」
「勘でーす」
「わかった。言う通りにしよう」
海香さんの鶴の一声で監督は一度このシーンを後回しにすることに決めた。根拠は勘という意味不明さなのに、日本を代表する監督を納得させるなんて。海香さんは私の想像以上にすごい人で、現場の人から信頼されているようだ。
「……困るなら教えてくれればいいのに」
「それじゃ意味ないからだよ」
「うわぁ!」
疲れたからスポドリを飲んで休んでいたら、横から海香さんが声をかけてきた。日差しで温まった体に冷たいドリンクはとても爽快感があったけど、危うくむせるところだった。
「ごめん。大丈夫? 変なとこ入ってない?」
「だ、大丈夫です。それで、意味ないってどういうことですか」
正直、私の演技の問題点を言ってくれればすぐ終わるのにと思う。言われればすぐに訂正する自信はある。演技力に問題がないというならなおさらだ。でも、海香さんは意味がないというのだ。それは一体どういうことなのだろうか。
「何事にも通じることだけど、答えをそのまま教えてもらっても本当の意味で学ぶことはできないよ」
「本当の意味での学び……」
「そう。教えてもらえば一時しのぎにはなるかもしれないけど、身についたとは言えない。絶対にまた同じことを繰り返す」
海香さんは真面目な表情でそう言った。答えを教えるだけというのは教育者の怠慢、そんな話をいつしか千夏が話していたような気がする。
「でも、自分でたどり着いた答えなら絶対に忘れない。その本物の学びからこそ、黒沢監督が求める本物の演技が生まれるの」
「……なるほど」
一見ふざけているような態度の海香さんだけど、こんなプロ意識を持っているのは流石一流といったところだ。監督があれほど信頼するのも理解できる。天才と言われる海香さんだけど、それほどの評価を受ける理由は、こういった根底の部分がしっかりしているからだろう。
「でも、いくら考えても何がいけないのかよく分からないんです」
「そっか。綾音ちゃんは演技するの初めてだもんね。しょうがない。この天才女優の私が特別にヒントを教えてあげよう」
「本当ですか! 助かります」
監督が私の演技に満足していないのは分かるけど、何が間違っているのか全く分からない。何度リトライしても取っ掛かりすら掴めなかったから、ヒントをもらえるのはまさに天啓だ。彼女が何を教えてくれるのか耳を傾けた。
「もう一度、あなたが演じている子について考えてみて」
「私の役ですか」
「そう。それじゃあ頑張ってね」
優しくアドバイスをくれた海香さんはウインクをして、他のシーンの準備ができたらしい監督とスタッフさんの集まりに合流した。
「私が演じている子……」
役の理解は役者の基本だ。私だって台本を渡された時からやっている。でも、監督も海香さんも違和感があるということは、私の中の理解が何か違うという事だろう。
「うーん、でもなぁ……」
撮影場所から一度離れて一人になる。ここは浜辺にある休憩所みたいな場所で、飲み物やお菓子が売っていたり、休むためのソファが置いてあったりする。冷房がきいた室内のソファに座り、もう一度台本を開く。私が演じる子の名前は
直接の描写はないけど、彼女は親との関係に問題がある。その点は私と似ているけど、私と違うのは彼女のその問題に対する態度だ。彼女は親との問題を自覚しながら、それを受け入れて自分一人で生きていく決意をしている。
それは親との問題が示唆されながらも、主人公が周囲の人との関係に悩んでいる時、孤独を恐れる主人公に「一人でも案外なんとかなる」とアドバイスをしていた事から分かる。
主人公の想定している最悪は、思っているより悪くない。友人達が主人公にかけるアドバイスの中の一つではあるけど、その言葉が主人公が行動する際の一つの理由になったはずだ。
誰にも頼らず一人で生きていける強さと誰かのために言葉をかけられる優しさを持っている。そんな、以前の私が求めていたような強い人間。だからこそ私は完璧に演じられると思った。
本心は違っていたけれど、前までの私はどう行動すれば強い人間として見られるか何度も考えてその通りに演じていたから。
「でも、それは違うってことなんだよね」
もう一度自分の役を考え直すということは、私の理解が間違っていたということだ。でも、何度台本を見返して志島の人柄を考えても、私の最初の考察は変わらなかった。
「あーもームリ! 全然わかんない!」
何度台本を見返しても結果は同じ。頭がパンクしそうになって台本を投げ出す。天井を見上げて一呼吸した後、気分転換のために散歩にでも行こうと出入り口に向かって歩き出した時だった。
「相神さん?」
鈴の音が鳴るような、聞き慣れた綺麗な声。聞き間違えるはずがない私の大好きな声。そしてここにあるはずのない声に驚いて、反射的に振り向いた。
「も、百瀬さん!?」
「やっぱり相神さんだ! 久しぶり!」
そこには本来いないはずの百瀬さんが立っていた。南国に相応しいハワイアンな柄のピンクと白の服は太陽みたいな彼女の笑顔によく似合っていて可愛らしい。まだ真っ白な肌を見る限りここに来たばかりのようだ。
「どうしてここに?」
黒沢監督の撮影については公表されており、今も撮影場所は記者達に取り囲まれている。もしかして私に会いに来てくれたのかと思ったが、さっきのいかにも偶然という態度からそれは違うだろう。そもそも、私に会いたいならロケが終わってからでも十分に時間がある。わざわざハワイまで追いかけてくる理由はない。
「実はお母さんが応募してた二泊三日のハワイ旅行の懸賞が当たったの。それで夏休みの家族旅行に来たんだ。今日はその初日」
「そっか。こんなところで偶然出会えるなんて運命みたいね」
「う、運命かぁ……」
純粋に嬉しくてつい運命なんて口走ったけど、それに対して百瀬さんの反応は芳しくない。その顔は私が変なことを言ったというより、百瀬さんの方に後ろめたい何かがあるように見えた。
「どうしたの? そんな微妙な顔して」
「え、えっと、実は……ここで撮影してるって聞いて……でも人が多くて近付く勇気が出なかったから、この辺を歩いてたら偶然会えないかなーって思いながらフラフラしてたの。だから運命というより、私が会いたかっただけ、っていうか……」
目をキョロキョロとさせながら照れるように頬をかく姿がいじらしくてキュンとする。改めて友達として接していて分かったけど、百瀬さんはすごく可愛い。見た目は言わずもがな、素直な態度と可愛らしい反応に庇護欲を刺激される。あの生徒会長が気に入るわけだ。
「なーんだそんな事か。それならむしろ、運命よりずっと素敵だよ。百瀬さんが私に会いたいって思ってくれたの、すっごく嬉しいから」
「そっか……うん、そう思ってくれると嬉しいな。それより相神さん、仕事はどうしたの? あっちはまだ撮影してるみたいだけど」
「あー……ちょっと演技のことが詰まってて。私のシーンは後回しにしてもらってるの」
「そっか、相神さんでも難しいなんて、初めての演技の仕事なのに大変なんだね」
全くもってそうである。世界的に有名な監督の作品だなんて、脇役とはいえ初めての演技の仕事にしては難易度が高い。
「でも、すごく楽しいよ。凄い人たちに囲まれて、自分はまだまだ未熟だって思い知った。ここを乗り越えれば新しい自分になれる気がするの」
今までの私は周囲を拒絶してきた。だから、狭い世界しか見えていなかった。でもこうやって広い世界に出てみると、自分にできないことも見つかって、心から尊敬できる人とも出会えた。
百瀬さんと千夏のおかげで見つけられた本当の私。それは弱々しくて自分が求めたものとはまるで違っていた。だからこそ、そんな自分を成長させたいと思った。今度は逃げて取り繕わず、本当の意味で変わるために。そのためにもこの仕事はうってつけだった。
「そっか、相神さんが楽しそうなら良かった。そうだ、映画のこととか演技のことはよく分からないけど、困ってるなら相談に乗るよ」
「本当? あーでも、映画の内容は話せないからなぁ……」
「あ、そうだよね。配慮が足りなかった」
志島という役についての百瀬さんの解釈を聞きたかったけど、無関係な百瀬さんに台本を見せることはできない。ヤヨちゃんは配信でゲームのストーリーの鋭い解釈を見せていたから、何かヒントを得られるかもと思ったのだけど。
「……そうだ、それなら気分転換に付き合ってくれない?」
「いいけど、仕事は大丈夫なの?」
「うん。役を見つめ直すために今日は自由にして良いって言われてるから」
このまま悩んでいても答えに辿り着ける気がしないから、せっかく百瀬さんと出会えたんだし遊んでみることにした。
海香さんと卯月さんに連れられて観光した時みたいに、何か刺激を受ければ何か思い付くかもしれない。まぁ、純粋に百瀬さんと遊びたいという気持ちもあるのだけど。
「そっか、それならどこに行こうか」
百瀬さんが私の提案を受諾した時だった。ぐぅ、そんな素直な腹の音が聞こえた。
「ふふっ、まずはお昼にしよっか」
「お、お願いします」
可愛らしい音に笑みを浮かべると、頬を紅潮させた百瀬さんは目を逸らしながらそう答えた。同い年だけど妹ができたみたい。そんな愛おしさを彼女は持っている。素直で可愛い友達の手をとって、私は美味しそうなお店を探すことにした。
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