第59話 先駆者の言葉

「はいこれ」


 卯月さんがそう言って渡して来たのは黒い日傘。確かにこの場所は日光を遮る場所がなく、南国の日差しが直撃する。肌を守るために日傘は必須だろう。


「ありがとうございます。でも、卯月さんはどうするんですか。見たところ日傘あと一本しかないですよ」


 急に連れ出されたから私は財布とスマホなどの最低限の荷物がウエストポーチに入ってるくらいだ。だから卯月さんから日傘を借りてるわけだけど、残りの日傘は海香さんが持っている一本だけだ。これでは卯月さんが余ってしまう。


「心配ないよ。海香、私が持つから開いて」

「オッケー」


 卯月さんは優しく微笑むと海香さんの方を向いてそう言った。そして海香さんから日傘を受け取り、その下に二人で一緒に入った。流れるような動作はあまりに自然で、これが二人にとって当たり前の行動であるのだろう。日が当たらないように肩を寄せ合って笑い合う二人の間にピンクのハートを幻視してしまう。


「綾音ちゃん、早くしないと置いて行っちゃうよー」

「あ、はい。すぐ行きます」


 お互いがすぐそばにいるのが当たり前。そんな関係の二人に思わず見惚れて足が止まってしまった。愛に飢えて寂しさで壊れそうだった私だから、二人の愛し合う関係が羨ましい。


 ワクワクした笑顔で進む海香さんに歩幅を合わせて進む卯月さんに追いつこうと駆け出しながら、いつか私もそういう相手が現れるのかなとふと思った。


 山頂を目指して歩いていく。南国の爽やかな風とポカポカ陽気の中を歩くのは爽快で、道もなだらかで歩きやすくて丁度いい。自然を楽しむという意味でこの場所はベストと言っていいだろう。


「二人はいつからの付き合いなんですか?」

「おっ、やっぱり興味出ちゃう? 高校生だもんね、まさに青春真っ盛り!」


 二人の隣に並んで世間話を振ると、海香さんが思ったより食いついた。これは経験則なのだけど、大人は私くらいの年齢の子と青春時代の話をするのが好きだ。海香さんもその例に漏れないらしい。


「私と卯月は幼馴染で……何歳からだっけ」

「わかんない。物心ついた頃には海香がそばに居たから」

「だよねー。まぁ、それくらいずっと一緒な幼馴染ってわけ」


 幼馴染から一生のパートナーになったのか。私にも千夏という幼馴染がいる。程よい距離感でずっと私を支えてくれている優しくて頼りになる大切な友達。だとしたら、私と千夏にもあの二人みたいになる道があるのだろうか。


 想像はできる。海香さんと卯月さんほどではないけど、私と千夏はいつも近くにいて仲良くしてる。今の私と千夏の関係の延長線上にパートナーという関係は存在すると思う。


 でも、私がそうなりたいかと言えばそうでもない。千夏とそういう関係になったとしても私は後悔しないだろうし、きっと幸せだろうとも思う。だけど、そうなることを強く望む自分は居ない。


「私にも幼馴染が居ますけど、あんまりそういうのは想像できないですね」

「仲悪いの?」

「仲は良いですよ。いつも私を支えてくれる大切な友達です。それに、自分の中の正しさを持ってて、その正しさを絶対に曲げない強い心を持ってるところは尊敬してます」

「へぇ、すっごく大切に思ってるんだね」

「はい」


 私は千夏を大切に思ってる。でも、恋心とは少し違う気がする。いや、そもそも恋ってなんだろう。恋なんてしたことないからよくわからない。


「やっぱり長く一緒にいる人と恋人関係になりやすいんですかね」

「うーん、個人的には恋人になるために必要なのは、時間の長さより深さだと思うよ」

「深さ?」

「うん。その人と濃密な経験をすれば出会って日が浅くても恋に落ちると思うよ。友達の二人が高校からの友達関係から恋人になったし」


 時間の長さではなく深さ。その意味を説明された瞬間、私の脳裏に百瀬さんの姿が思い浮かんだ。


「私だって幼馴染だから卯月を好きになったんじゃないよ。たった一言、私が欲しい言葉をくれたから好きになったんだ」

「欲しい言葉を……」


 また百瀬さんの姿が思い浮かぶ。私にとって百瀬さんは恩人だ。私の本当の想いに気付かせてくれて、前に進む勇気をくれた。


 友達になって日は浅いけど、私の人生の中でもう百瀬さんは重要な位置にいる。時間の長さではなく深さ。百瀬さんとの時間は、今までの人生の中で一番深い時間だった。


「好きって難しいんですね」

「ふっふっふ、思う存分悩みたまえ若人よ」


 鼻の下を人差し指で撫でながら、年寄りみたいなことを言う海香さんは楽しげだ。若き天才として長い間この業界にいるらしいから、先輩と振る舞えて嬉しいのだろう。


「一つだけアドバイス。いろいろ考えて悩んでも、恋に落ちるのは一瞬だよ」

「……その時になれば分かるってことですか」

「そーゆーこと。綾音ちゃんは頭が良くて話しがいがあるね」


 なんでもない雑談に見えて、海香さんの含蓄がある言葉には異様なまでに説得力があった。どうやら海香さんは日常の中ですら名優のようだ。伝える力が群を抜いている。


 百瀬さんと恋人に、そんな想像をしようとするけどやっぱり無理だった。私は友達の好きと恋の好きの区別がまだよく分からない。だから、千夏とも百瀬さんともその先を想像することはできなかった。


「私もいつか好きな人ができるんですかね」

「……きっとできるよ。今の綾音ちゃんはそういう顔してる」

「え、どんな顔ですか」

「恋の原石ってかんじ」

「いや、なんですかそれ」

「ふっふっふ、それを考えるのも成長のためには必要だぞー」


 恋の原石。きっと海香さんから見れば私は芽生えかけてる恋心に気付いていないように見えるのだろう。でも、なんで百瀬さんも千夏も知らない海香さんがそんな事言えるのだろうか。


 百瀬さんと千夏だって、もしなるとしたらその領域にいる数少ない2人を挙げただけだ。もしかして適当言ってるんじゃないか。そう考えても、妙なオーラがある海香さんの言葉からは意味を感じてしまう。


「意地悪ですね」


 答えに近づいたような、謎が増えただけのような、判断がつかない気持ちにさせてきた海香さんに少し悪態をついた。そんな私の姿すら海香さんはニヤニヤと意味深な笑みで見つめていた。


 ○○○


 途中にあった展望台に寄った後、なだらかな階段をマイペースに進み、途中のトンネルを抜けて数十分後、とうとう山頂に到着した。そして今まで来た道を振り返ると、巨大な緑のクレーターが広がっていた。


「ここは大昔の噴火でできたらしいよ。そして長い歴史の中で軍事要塞にされたりして、今は立派な観光地になってるの」


 卯月さんが解説を挟む。展望台に行った時は植物や鳥のことを教えてくれたし、卯月さんは博識でこういう場所で話すと楽しい。


「わぁー! うづき! 綾音ちゃん! めっちゃ良い景色だよ!」


 海香さんの声がした方を向くと、山頂から広がるハワイの景色が広がっていた。どこまでも続く青い空、人々の活気あふれる街、ここより高い雄大な山々、見応えのあるそれらは初めての海外というのもあって私の胸を高鳴らせた。


 遮るものが何もないこの場所に風が吹き下ろしてくる。爽やかで新鮮な空気が絶えず送り届けられるこの場所は心地よく、あらゆるしがらみから解放されたような気になった。


「いい場所ですね」

「そうだね。ここまで来るまでの道のりも険しくないし、美しい自然が見れるし、何よりハワイに来たーって感じがするでしょ」


 確かに空港や道路の景色は海外だということは分かっても、その実感は薄かった。でもここで一帯を見渡せば新しい場所に来たという実感が湧いてくる。


「せっかくだし写真撮ろ! 自撮り棒ある?」

「あるよ。行こうか綾音ちゃん」

「わかりました」


 二人に誘われるまま一緒に写真を撮る。その写真に写っていた私の顔は柔らかくて、普段のモデル活動の時は違った雰囲気を纏っていた。ちょっと前の私だったら硬い表情をしていただろうな。


 優しい二人のおかげで今日は楽しかった。それなら、後輩の私ができることは先輩の足を引っ張らないこと。明日からの撮影はNGを出さないよう、自分の全力をぶつけよう。


 そうやって決意を新たにした私は、一通り景色を楽しんだ後に二人と一緒に下山した。

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