第56話 新しいお仕事

 百瀬さんと千夏の協力もあって私は両親との関係を修復できた。相変わらず二人は忙しいけど、お母さんはできるだけ時間を作るようになってくれたし、お父さんは海外ツアーから帰ったら長い休暇を取る事を約束してくれた。


 そして二週間後には夏休みが始まる。自分の中のいろんなことが解決して心が軽くなったから、どんな楽しい夏休みになるかワクワクしていた。そんな時だった。


「相神さん、今日は事務所で大事なお話があります」


 仕事のために途中で学校から抜けて、マネージャーの佐々原ささはらさんが運転する黒い車に乗っていた時だった。前を向いて車を運転しながら、佐々原さんは次の仕事について話し始めた。


「大事な話?」

「はい。今までの仕事とは全く異なる、相神さんの新しい可能性を探る仕事が来たみたいです」

「佐々原さんはどんな仕事か知ってるの?」

「いえ。私もまだそういう仕事が来たとしか知らされてません」

「じゃあ、一緒にサプライズだね」

「サプライズですか……なるほど、そういう見方もできますね」

「わー、すごく真面目」


 荒れてた頃は佐々原さんとほとんど会話してなかったから気にしてなかったけど、彼女はかなり極端な真面目さを持っている。話しかけたらちゃんと会話してくれるから不愛想ではないんだけど、冗談も全部言葉通りに受け取ってしまうから少し独特な会話になってしまう。でも、荒れてた頃に彼女にストレスを感じなかったのはそういった一面のおかげだろう。


 そんな事を考えながら雑談をしている間に事務所に到着した。佐々原さんと一緒に車を降りて社長室に向かう。わざわざこんな所で話すって事は本当に大事な仕事なんだと思い、少し緊張して息を呑んだ。スカウトされて始めた仕事で、心が荒れたこともあって仕事に熱意も愛着もあるとは言えない。だからこそ、責任がのしかかると余計に緊張してしまう。


「大丈夫です。何かあっても私がカバーするので、相神さんはいつも通りに」

「……ありがとうございます」


 私の緊張を察したのか、佐々原さんは後ろから優しく声をかけてくれた。振り返ると相変わらずの真面目顔だけど、変わらない彼女の姿は信頼できた。大人で真面目な彼女が後ろにいてくれることに安心感を覚えて、少しだけ緊張が解ける。意を決してドアをノックすると、向こう側から「入ってくれ」という社長の声が聞こえた。


「失礼します」

「学校にいる時に呼び出して申し訳ない。だが、これほどの仕事となるとすぐにでも伝えたいと思ってね。とりあえずそこに座って楽にしてくれ」

「はい」


 社長が座っているソファの対面に座る。佐々原さんは私の左斜め後ろに立った。


「現状としてはオファーが来ただけだ。この仕事を受けるかどうかを相神くんには決めて欲しい」

「分かりました」


 今までは来た仕事をこなすだけで、オファーを受けるかどうか決めた事はない。一見冷静に見える社長だけど、さっきからずっと髭をいじり続けている。本当に今までにないようなオファーだったのだろう。


「今回のオファーは映画出演だ」

「映画、ですか」


 映画、その言葉を聞くとお母さんが思い浮かぶ。あの名女優の娘という扱いで、話題性のために抜擢されたのだろうか。もしそうなら断ろう。もう二度と自分を見失わないために。


「あぁ。……黒沢くろさわ監督、という名前は聞いた事あるだろう」

「黒沢監督!?」


 黒沢監督とは日本だけでなく海外の映画賞も幾度となく受賞しており、代表作の「七人の陰陽師」は歴史に残る大作として日本国民だけでなく世界中の人々から愛されている。つまりこのオファーは日本一と言っても過言ではない映画監督からのものというわけだ。


「是非出演して欲しいと、黒沢監督本人から直接電話がかかってきた」

「そうですか……どんな役なんですか」

「主役の友人の中の一人とのことだ。セリフは少ないが、主役の人柄や成長を表す上で大事なセリフらしくてな。適役をずっと探していたそうだ」

「それで私に白羽の矢が立ったと」

「あぁ。雑誌の表紙を飾っていた相神くんを偶然見かけたらしく、この子しかいないとビビッと来たそうだ」

「なるほど……」


 雑誌の表紙だけで判断していいのかと思いはするけど、世界的な監督の感覚なのだからきっと正しいのだろう。そして何よりもちゃんと私を私として評価してくれたのが嬉しかった。キャスティングしてもらえた事は光栄だし、新しい挑戦として是非やりたいとも思う。ただ、少し不安な部分があった。


「あの、私は全然演技の経験は無いんですけど大丈夫なんですか?」

「その辺りはこちらでもサポートする。このオファーを受けるならモデルの仕事は一旦休んで、しばらくは演技指導に力を入れる。それに、監督も相神くんに演技の経験がない事を分かった上でオファーしてきている。その事を計算に入れない監督ではないだろう」

「分かりました。そういう事ならこの仕事、受けようと思います」


 私のは不安も問題はなさそうだ。でも選んでもらった以上、期待に応えなければ。しっかり演技指導を受けて技術を磨いて、一人の演者としての責任を持って仕事をできるようになろう。


「それで撮影はいつどこでするんですか?」

「八月の初めからハワイで撮影するそうだ」

「なるほどハワイ……ハワイ!?」

「あぁ。ずっと仕事というわけではないし、少し観光もしてみたらどうかな? 諸々経費で落ちるから金は心配いらんぞ。ハハッ」


 役者として初仕事でまさかの海外ロケ。記憶も曖昧な幼少期くらいにしか家族旅行に行った事はないから、もちろん海外なんか行った事はない。世界的な監督の新作で、撮影は海外、これが初仕事な役者なんてこの世に存在するのだろうか。


 社長はハワイでのロケを楽しい事だと片付けているけど、私としては不安要素なのだ。千夏や百瀬さんあたりの友達と行くなら楽しいのだろうけど、周りは初対面の人ばかり。とても観光が楽しめるとは思えない。


「まぁ楽しみながら頑張ってみます」

「そうしたまえ。詳しいこととか今後の予定は追って伝える。いろいろ大変だと思うが、頑張ってくれたまえ」

「はい。それでは失礼します」


 話を終えて部屋を出る。緊張が解けてホッと一息つく。力が一気に抜けた私を心配にして佐々原さんが顔を覗き込んできた。


「大丈夫ですか?」

「大丈夫。今までで一番の大仕事だけど、とにかく頑張るよ」

「そうですか。私も全力でサポートしますので、一緒に頑張りましょう」

「ありがとう佐々原さん。サポートよろしくね」


 突然舞い込んできた大仕事。受けたからにはどんなに不安でももうやるしかない。とにかく今は演技について勉強しないと。新しい挑戦に向けて気合を入れ直した。

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