第55話 相神の変化〜天金千夏と椎名葵の場合〜
桃源学園にある巨大な体育館。中高一貫であり部活も盛んなので、体育館の中では多くの生徒たちが思い思いのスポーツに励んでいた。そんな元気の良い声が壁越しに濁って聞こえてくる中、体育館裏で天金は一人で座り込んでいた。
特に何をするでも無い。体育館の中に繋がる扉から見えないような、掃除用具がまとめて突き刺さっている円柱型のカゴがある場所の段差に座っているだけだ。
「そんなとこ座ってたら汚れるよ」
「……うるさい」
そんな天金を見つけて声をかけたのは、百瀬の親友であり、この学園の生徒会長である椎名葵だった。覇気のない声で忠告を拒絶された椎名は、呆れるように肩をすくめてから、無遠慮に天金の隣に座った。
「……なに」
「別に。お友達とお話ししたいなって」
「そんな関係じゃない」
「ならクラスメイトとしてお話ししよう」
「鬱陶しい」
「うん。私はそういう役割だから」
「……大変なんだな。会長さんも」
最後の言葉の言い方だけはトゲが抜けていた。それをこちらの要求を呑んだと受け取った椎名は、友達と雑談する時のような楽しそうな笑顔になって話し始めた。
「私、実は天金さんのこと結構気に入ってたんだよ」
「あの時はクズ呼ばわりだったじゃねぇか」
「南の事となると私も頭に血が上っちゃってね。そう言う天金さんもらしくない事言ってたじゃん」
「……綾音のためだ」
「うん。お互いの親友のため。ふふっ、私たちって結構似たもの同士だね」
「全く嬉しくない」
以前、相神が百瀬の声を利用するためだけに近付いたことを知った時の話を振り返る。あの時は怒る椎名を天金が説得したが、今日の場合は天金の方が椎名の言葉にまともに取り合ってくれない。
「それで私があなたを気に入ってた理由なんだけど……知りたい?」
「勝手にしろ」
「じゃあ話すね。あなたはいつも周囲をよく見ていて、さりげない所で気を遣える。特にあなたの大切な友達の時はね。それに、あなたは常に正しいことをしてくれる。高校生離れした物事を俯瞰して見れる能力と、どんな事にでも怯まない強い心。そんなあなたに助けられたって話は私の耳にも入ってるよ」
椎名は頼れる生徒会長として後輩や同級生、さらには先輩にも相談されることがある。だから生徒の中の事情に詳しく、様々な話が椎名の耳に入ってくる。天金のこともその一つだ。
「だから何なの。成績表にでも書いてくれるの?」
「できるものならそうしたいね。でも、私は先生じゃなくて生徒会長だから」
椎名は漫画に出てくる生徒会みたいにいろんな権限を持っているわけではない。椎名の優秀さとこの学園の巨大さ故に、普通の学校の生徒会よりは多くの事を任されてはいるが。
「私は委員長だったり生徒会長だったり、そんな役割ばっかりやってきたからさ、同い年のくせに子供みたいなことばっかり言う奴がどれだけ多いかも知ってるの。だから、天金さんみたいに大人な人はとっても素敵だなって思うの」
椎名はその優秀さと人柄を理由に、これまでの人生で何度もリーダー的な役割を任されてきた。椎名はそれが自分の役割なのだと受け入れて生きてきたのだ。
「だから、そんな素敵な人が悩んでたら助けてあげたいなって思うの」
「……別に、悩みなんてない」
椎名が差し伸べた手を、天金は弱い力で押し返した。その姿こそが彼女が悩みを抱えている何よりの証拠であると椎名には見えていた。
「私は天金さんが学校から居なくなっちゃうのは嫌だよ」
「なんで私が居なくなるんだよ。ちゃんと学校に来てるだろ」
「……天金さんがやってる事、私が知らないとでも思ってるの?」
椎名のその言葉に天金の指がピクリと動く。そして先ほどまで椎名を見ていなかった天金だったが、ゆっくりと椎名に顔を向けた。
「何のこと」
「さっきまであなたがここでやってた事。わるーいことした匂いがプンプンしてる」
「……誰にも迷惑はかけてない。それに、もしバレてもそんな大事には」
「この学校、意外とそういうところ厳しいんだよ。それに、親御さんに迷惑かけて、友達にも心配かけるのを大事じゃないって、あなたは言えるの?」
「……うるさい」
実質現場を抑えられている天金からは正当性のある言い訳は出てこない。しかし、椎名の説得に応じる様子もない。
「そんなに嫌なの? 相神さんを取られるのが」
だから椎名は最終兵器を使うことにした。
「テメェ!」
椎名の目論見通り、図星を突かれた天金は普段は決して見せないような怒りを露わにした。天金は椎名の胸ぐらを掴んで壁に押し付け、怒りに満ちた顔で睨みつけた。しかし、椎名の余裕は崩れない。
「なんなんだよさっきから……何が言いたいんだよ! 何がしたいんだよ!」
「天金さんもそんな顔するんだね。ふふっ、可愛い」
「質問に答えろ!」
今の二人の体勢を考えると、天金はすぐにでも椎名を殴り倒すことができる。しかし、そんな状態にあってもなお椎名が精神的優位に立っていた。
「ねぇ天金さん。実らない恋っていうのはすごく辛いと思うの」
先ほどから天金が冷静さを欠いているのには二つの理由がある。一つは相神への想いに図星を突かれたこと。もう一つは、目の前にいる椎名の考えが全くわからないことだ。これは観察力の優れた天金にとって異常事態であった。
「だから、私にしてみない?」
真面目でみんなから慕われる生徒会長のものとは思えない、蠱惑的で妖艶な笑み。男女問わず並大抵の精神力の人間がこの誘惑に抗う事はできないだろう。
「……本気で言ってんのかよ」
「不良ちゃんと生徒会長の恋愛って王道で素敵じゃない?」
「心にもない事を」
ただ、天金は違った。依然として椎名の考えは読めない。しかし、先ほどの言葉が嘘である事は十分に理解できた。流石の椎名も根も葉もない嘘は見破られてしまうのだ。
「あらら、ちょっと遊びすぎたかな」
「誤魔化すな。さっきからズカズカ人の心を踏み荒らしやがって。何が目的だよ」
椎名の嘘を見破って少し余裕ができた天金は彼女を解放し、立ったまま向かい合った。椎名は少し残念そうにしながら、もう十分だと判断して天金に自分の考えを伝える事にした。
「相神さんのことは解決したみたいだし、南にも何かがあったわけじゃない。結果からすれば天金さんが望んだ通りになった。まぁ、少し想定外なこともあったみたいだけど」
少しだけ挟まれた煽りに天金は手を強く握り込む。しかし何もしない。ようやく語り始めたのを止める事になってしまうから。
「でもさ、私からすれば南が無駄に危険に晒されただけなんだよね。南の優しさが相神さんに届かなかったら、南は相神さんの言葉に傷付けられてた可能性もあったわけだし」
それはそうだ。あの時はそれとなく流したが、椎名に何の得もない。現在の百瀬と相神の関係を考えれば、百瀬の恋を手伝えるというメリットも無いようなものだ。
「相神さんも救われて、南も楽しそうなまま。この結果は良かったと思う。でも、それで終わりっていうのは納得できない。大切な友達を危険に晒したのに、私に何もないっていうのはおかしいでしょ?」
椎名は自分にメリットがないということを主張している。そうなれば、次にどんな話をされるかは簡単に予想できた。
「だから、相神さんのことを黙ってた報酬として、天金さんは私と楽しくお喋りして欲しいの。それさえしてくれれば私は納得する。ね? 簡単でしょ?」
楽しくお喋り。それはきっと今回みたいな事を指している。なぜこんな事を要求するのか。それは彼女が楽しむため。そして、彼女の大切な親友を身勝手な願いで危険に晒した天金への罰のためだ。天金はそう受け取った。
「……わかったよ」
「ふふっ、素直でよろしい。その代わりと言ってはなんだけど、天金さんがやってた事は秘密にしといてあげる。それじゃあ今日はここまで。またねー」
言いたいことだけ言って椎名はその場を立ち去った。その場に残された天金は壁に背を預け、手で目を覆って天を仰いだ。
「あの性悪女」
生徒会長の意外な側面に天金は頭を痛めた。
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