第54話 相神の変化〜白銀ノノと木村凛の場合〜
街外れにある隠れ家的カフェ。なんてロマンチックな響きなのだろうか。そう思って応募したバイト先のカフェのマスターは、とんでもない変人であった。
「これでよしっと」
出勤してすぐに店内の掃除をする。カウンターを含めれば40人ほどが収容できるこの場所の掃除にはかなり時間がかかる。従業員がバイトの私とマスターしかいないから尚更。
でも、時間が足りなくて困った事はない。むしろ余りすぎて暇になるくらいだ。その理由は単純。このカフェにはほとんど客が来ないからだ。
「お疲れ様。これで今日の仕事は終了と言っても過言ではないね」
「いや、過言にしてください。これじゃあカフェの店員じゃなくて掃除屋ですよ」
「いいじゃないか。マメな君にピッタリだよ」
「はぁ……」
マスターの名前は
掃除道具を厨房の奥にしまっていたら、ホールから来客を告げる鈴の音が聞こえてきた。急いでホールに顔を出すと、お客様は顔見知りだった。
「ノノ、いらっしゃい」
「どうも、木村さん」
ノノはここの数少ない常連客だ。というか、あまりにも暇で話し相手が欲しかったから彼女にここを紹介した。雰囲気はあるからノノは気に入ってくれたみたいで、私がバイトの時に顔を出してくれるようになった。
「今日は何にする?」
「ミルクティーとパンケーキで」
「オッケー」
ノノの注文を受けて厨房に入る。このカフェのメニューは私が来た当時はあまりにも貧相で、これじゃあ客も入らないわけだと納得した。あとついでにマスターは料理の腕が終わっている。コーヒーなんか泥水だ。
そんなわけで私がメニューを充実させ、代わりに厨房に立つことになったわけだ。ほとんど客が来ないのに無駄に広い厨房でテキパキと料理をする。この店が客でいっぱいになるならこの厨房も人を増やして忙しくなるのだろうか。
そうなるとせっかくの静かな雰囲気が崩れるのではないか、ならば私がバイトを辞めるまではこれくらいの客足でいいと思い直した。焼きたてのパンケーキと湯気が立つミルクティーの甘い匂いを漂わせながら厨房から出た。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
カウンター席に座っているノノに注文通りの品を出して、私も彼女の隣に座る。客は来ないのでこうやって雑談しても問題ない。
「おいしい?」
「うん、美味しいよ」
「よかった」
丁寧にパンケーキを切り分けて小さな口に運ぶ彼女は可愛らしく、彼女の美味しそうな笑顔を見ると心の濁りが浄化される。この前の林間学校の時だったり、春美のことでいろいろ迷惑をかけてしまうから、ノノのこういう姿を見ると少しは罪滅ぼしになっているかなと思える。
「そういえばノノ、今日の綾音のことどう見えた?」
「相神さん?」
「うん。今日なんかいつもと違ったよね」
「確かに。いつもはクールって感じだけど、今日はすごくフレンドリーだった」
「だよね」
春美はあんまり気にしていなかったけど、やっぱり綾音の変化は気になる。でも、正直そんなに仲良くないから何があったのかも聞きにくい。春美も言っていたけど地雷の可能性もあるし、どうするべきか迷っていた。
「昨日は元気なさそうだったのに、今日は本当に人が変わったみたいで。逆に心配になっちゃうよ」
「うーん……私も心配だけど、その辺りは天金さんとか百瀬さんに任せた方がいいと思うよ。私たちよりあの二人の方が仲良いんだし」
「ノノもそう思うかぁ……じゃあ私の心配のしすぎか」
綾音の性格が変わったのは少し気になる。でも、そういうのに対応するのは幼馴染の千夏や仲良さそうな百瀬さんだ。微妙な友人関係の春美の取り巻きの一人程度の私が首を突っ込む事じゃない。
それに、綾音の性格がフレンドリーになるのは私としても嬉しい。春美を通しての微妙な関係だったけど、以前の綾音は私たちを、というか周りの人を拒絶しているような、とにかく近寄り難い雰囲気だった。でも、今日の綾音はすごく話しやすかった。これからも微妙な関係のままなんだろうなと思っていたけど、今日みたいな綾音なら仲良くなれそうな気がした。
「……私は相神さんより天金さんが気になったな」
「千夏が?」
千夏に何かあっただろうか。思い返してみてもあまり思い当たらない。いや、そもそも今日は千夏の姿をあまり見ていない。いつもは綾音の近くにいるのに、今日は綾音一人の時が多かった。
「そういえば今日は全然千夏を見かけなかったな。もしかして何か事情知ってるの?」
「ううん。でも、今日の天金さんはちょっと調子悪そうだった」
「そう? ちょっとだけ見かけたけど全然そんな感じしなかったよ。少なくも昨日の綾音みたいな感じじゃなかった」
昨日の綾音の体調が悪いのはあからさまだったけど、今日の千夏はそんな感じはしなかった。でもノノは調子が悪いように見えたみたいだ。綾音に気を取られていた私より、ノノの印象の方がきっと正しい。ここはノノの意見を尊重することにしよう。
「調子悪そうってどんな感じに?」
「なんというか……心ここに在らずみたいな、ずっと上の空なかんじだった」
「上の空……確かに千夏がそうなってるのは気になるね」
千夏は綾音以上に近寄り難い雰囲気がある。綾音は拒絶だけど、千夏は踏み越えちゃいけないラインがあって、それを越えたらまずい事になると本能が告げてくるのだ。それは多分、千夏と話すとずっと観察されているような感覚に陥るからだ。そんな千夏が上の空になっているイメージが湧かない。もし本当なら異常事態だ。
「天金さんが何かで悩んでるなら、力になってあげたいの」
「そっか……ノノは優しいね」
「それは木村さんも同じだよ」
「……いや」
今朝春美に言われたけど、結局私は他人に判断を仰いでいただけだ。千夏のことにも気付かなかったし、自分の意思で行動しようとするノノとは全然違う。
「この前の林間学校の時も気遣ってくれたし、このカフェも紹介してくれたしさ」
「別に、私がノノに優しいのはただの罪滅ぼしだから」
ノノの言葉が眩しすぎて、ついそんな言葉が漏れてしまった。
「あ、ごめん。さっきのは気にしないで。ちょっと変なこと言っちゃった」
「う、うん……」
咄嗟に取り繕うけどまったく上手くできていない。迷惑かけた分、ここではくつろいで貰いたいのに。全然ダメだな、私。そんな自己嫌悪をしても変になったノノとの間の空気は戻らない。
綾音と千夏、少し遠巻きに見ていた形だけ友達の変化。それに対して私なんかができる事はきっと無い。だから二人について考える事は無駄だ。今はとにかくノノとの空気を元に戻さなければ。
「おや? どうしたんだい暗い顔して。華の女子高生が台無しだよ?」
「あ、マスター」
空気を読むということを知らないマスターのおかげで、少しだけ私とノノの間の空気が緩む。そのおかげもあって、マスターを交えての雑談から少しずつ心地よい雰囲気に戻って行った。今回ばかりは変人であるマスターに感謝だ。
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