第53話 相神の変化〜佐藤春美の場合〜

「おはよう、佐藤さん」

「……へ」


 登校してきてすぐに声をかけられた時、私は彼女が誰なのか一瞬わからなかった。相神綾音、彼女とつるむようになって初めて、私は彼女に挨拶をされた。


「おはよう」


 友達ならば当たり前なこんなやり取りですら私と綾音はやったことがなかった。芽衣も凛も既に席に座っていて、微妙な表情で私を見ていた。


 特に話すことは無いからやり取りはそれで終わって、綾音と離れて自分の席に座る。すると芽衣と凛が私の席を囲んでコソコソと話し始めた。


「今日の綾音、なんか変じゃない?」

「そうね。まるで人が変わったみたい」

「そうねって……昨日は元気なさそうで今日はあんな感じなんだよ? 反応軽すぎない?」

「綾音のお守りは千夏の担当よ。私たちがどうこうするのは寧ろ悪手」

「そ、そうかも知れないけど……」


 凛がやたら綾音を心配している。私にこうやって相談しているけど、この子は私が話しかけようと言えば話しかけるし、何もしないと言ったら何もしない。結局、自分では何も決めずに私に判断を委ねているだけ。相変わらず主体性がないと少し呆れる。


「そんなに心配ならさっさと声かけたら? 別に凛がどうしようと私は止めないよ」

「あっ、いや、春美の言う通り……だと思う」

「その割には歯切れが悪いね」

「いや、そんな事は……」

「こらこら、あんまり凛をいじめない」


 少しだけ凛を問い詰めていたら芽衣に止められた。別にいじめていたわけではないのだけど、芽衣にはそう見えたのだろう。芽衣に庇われて一歩下がった位置にいる凛は、いかにも被害者ですと言うように目を伏せていた。そんな態度にさらにイラつく。


「春美も今日はいつもと違うね。イライラしてる。女の子の日かな?」

「殴るわよ」

「ハハッ、冗談だよ。でも、それで友達に当たるのは良くないよ」

「はいはい」


 確かに今の私はイラついている。その理由は凛じゃなくて、綾音にある事は私が一番理解していた。


 ○○○


 今日一日を過ごしてみて、綾音の変化が一時的なものでないことは確信できた。会話する時の声色と視線、そこに込められた感情を察知する事は得意だから。


「今日は一人なんだ」

「悪い?」

「いや、ちょっと珍しいなって」


 放課後の教室でスマホをいじっていたら、綾音に声をかけられた。こっちからしても学校にいるのに千夏を連れていないのが珍しく感じるのだけど、聞いてもめんどくさい話が伸びるだけだから何も言わないことにした。


「芽衣も凛も今日はバイト。私も部活があるんだけど、今日はサボり」

「一人なら行けばいいのに」

「気分が乗らない」

「そっか。……じゃあ一緒に帰る?」

「は?」


 予想外の返しに反射的に声が漏れる。綾音はそれを意に介さず「どう?」と私の顔を覗き込んで返答を待っている。


「どういうつもりよ。一緒に帰るなんて、今までそんな事したことないでしょ」


 私も綾音の予定が合わないというのもあるが、そもそも嫌い合っていたから一緒に帰ろうなんて発想は出てこなかった。それなのに今の綾音は二人で帰ろうなんて平気で口にする。


 彼女の中から私への嫌悪と拒絶が消えている。今日一日の観察で辿り着いた結論への確信がさらに深まる。いや、私だけでなくここで過ごしている人間全てに対してか。


「今の佐藤さんが寂しそうだから」

「……チッ」


 本当にイライラする。今まで私のことを見ようともしなかったくせに、急にこんな事を言ってくるなんて。


「いい加減な物言いはやめて。私は寂しくなんてない。だからアンタと一緒には帰らない。分かったらさっさと出て行って」

「そっか。いきなり変なこと言ってごめん。それじゃあまた明日ね」

「はいはい」


 私に不愉快な思いだけを残して綾音は帰って行った。昨日の今日で何があったのか。実は双子の妹なんじゃないか。そう思うくらい、今日の綾音と私の知っている綾音は別人だった。


 私の知っている綾音は、自分は特別な存在だと自覚しているような人間だった。綾音の両親がどんな人物か知っている。綾音がどんな姿で雑誌に載っているかも知っている。だから、彼女が特別だということも分かっている。


 だからこそ嫌いだった。特別な人間になるべくして生まれたようなアイツが。特別だからと周囲の有象無象を見ようとしないその傲慢さも。


 でも、そんなアイツだったから近付いた。私がいくら特別になりたいと願っても、どこまでも平凡だと自覚することしかできなかった。だから、特別なアイツが最低な人間だと確認する度に少し安心できた。


 天は二物を与えず。そう思うことで増長するばかりの自尊心を守ることができた。それなのに、今日のアイツはいい人間だった。ちゃんと私を見ていた。寄り添おうとしていた。


 いい人間である相神綾音。あり得ない。アイツは最低な人間だからあんな才能を与えられた筈だ。それなのに、人間性も才能も与えられるなんていくらなんでも不公平だ。


 自分のためだったら他人がどうなろうと知ったことではない。どうすれば自分以外の人を愛せるのかも分からない。私は優しい人間じゃない。


 なりたいものになれた事なんて一度もない。目指して努力しても報われた事なんてない。私は才能がある人間じゃない。


 私は天から何も与えられなかったのに、なんでアイツばっかり与えられるんだ。


「……本当にイラつく」


 自分の能力に不釣り合いな自尊心。私をいじめるために天が与えたとしか考えられないものにイライラが止まらない。でも、本当にイライラするのはそんな現状を変えることができない平凡すぎる私に対してだった。

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