第51話 母と娘

「どうしたの?」


 キッチンで後片付けをしていたお母さんは私の言葉に反応してこちらを見た。


「話したいことがあるの」

「……わかったわ」


 真剣な目の私を見て、それが大事な話だと察したお母さんはすぐに片付けをやめて私の対面に座った。


「話したいことって何かしら」

「えっと……」


 一度深呼吸をする。本心を親に伝える。たったそれだけなのに、私はそんな事すら一度もやってこなかった。だから、私は今にも緊張でどうにかなってしまいそうだった。でも、こうしなきゃ私は変われない。


「わたし、今はモデルとして色々やってるよね」

「そうね。スカウトが来て、もう結構長いことやってるわね」


 私がモデルを始めたのは小学三年生の頃から。今思えば、スカウトされた理由は私個人の才能というより、お母さんとお父さんの子供だからというのが大きいと思う。でも、今掴んでいるカリスマモデルとしての姿は間違いなく私の才能だ。


「だから、私もそういう場所で仕事するのがどれくらい忙しいか分かってるつもり」


 高校生ということで事務所にある程度配慮してもらってるけど、それでも忙しくて、課題も千夏に手伝ってもらってなかったらできてない。お母さんは女優としてあちらこちらに引っ張りだこだし、熱意を持って仕事をやっている。


 お母さんは私を一人にしたいだなんて思ってない。できる事なら早く帰ってきたいはずだ。それは、私のために帰ってきてくれたことからよく理解できる。


「だから、わがままだってことは分かってる」


 この願いはただお母さんの負担を増やすだけだ。それでも、私はもう自分の想いを殺せない。想いを殺そうとすれば、自分を殺してしまう。


 百瀬さんがそれを教えてくれた。それなら、千夏もお母さんもお父さんも私を愛してくれているというのなら、私はもうみんなを理由に自分を傷つけたくない。


「でも、私は……」


 寂しい。一人は嫌だ。愛して欲しい。誰かを求める弱い私を否定したかった。強い人間のふりをしようとした。一人で生きていけるようになろうとした。でも、この感情が私を揺るがせば揺るがすほど、本物であると気付いた。


 だからもう、本当の自分から逃げるのはやめよう。本当の意味で自分を変えるために、私は今の私と向き合わないとダメなんだ。


「もっとお母さんとお父さんと一緒に居たい」


 やっと、私の本心を言えた。やっと、本当の自分と向き合うための一歩を踏み出せた。


 そうやって自分に必死になってたせいで、目の前にいるお母さんをよく見ることができなくなっていた。それに気付いた私が顔にあげると、お母さんは目を大きく見開いて驚いていた。


 あぁ、やっぱりそう思うよね。高校生にもなって親離れできてないどころか、子供みたいに甘えたいだなんて。


「……そう、だったのね」


 お母さんはグッと右肘を握って俯く。そして次に顔を上げ時にお母さんの顔に驚きはなく、いろんな感情を笑顔で噛み殺したような顔をしていた。その顔に今度は私が驚く番だった。


「ずっと、我慢させてたのね」


 ただ私の言葉を聞いただけで、お母さんは私の気持ちを理解してくれた。我儘だと一蹴しないで向き合おうとしてくれている。そんな、自分に都合が良すぎるお母さんの姿に動揺してしまう。


「綾音は昔からしっかりしてて、私が何も言わなくても一人で生きていけるような強い子だって思ってた。モデルにスカウトされた時も、知り合いから上手くやれてるって聞いたから安心してた。子供の成長は速いなって安心したような、でも少し寂しいような、子離れできない親みたいなこと思ってたの」


 初めて聞くお母さんの私への想い。本当にお母さんが言うように強ければ良かった。一人で生きていければ何も迷惑かけなかったのに。


「でも、違ったのね。綾音とちゃんと会話もしてないのに、勝手に一人で納得して、この現状が私にとって都合が良かったから疑問を抱こうとすらしなかった」


 違う。会話をしようとしなかったのは私だ。強い人間のふりをして周りも自分も誤魔化そうとしたのも私だ。お母さんは騙されただけだ。何も悪くない。


「ごめんね」


 後悔で揺れる声で私に謝るお母さんの姿はあまりにも痛々しかった。自分の間違った選択が大好きなお母さんに罪悪感を植え付けてしまった。


「子どもが我慢して苦しんでるのに気付かないなんて、親失格ね」

「違う!」


 耐えきれなくて思わず叫んだ。親失格、そんな言葉を大好きなお母さんから聞きたくなかったから。


「……え?」

「ちがう、ちがうの。悪いのは全部私なの。お母さんはこんなに優しいのに、私を想ってくれてるのに、私はお母さんに嫌われるのが怖くて、お母さんを信じられなくて、伝えるべきことを何も言わなかった。だからお母さんは何も悪くない。悪いのは、今までずっと間違え続けた私なの」


 たった一言、自分の想いを伝えられたら、こんな我儘も受け入れてくれるってお母さんを信じていれば、こんな事にはならなかった。


「だから、親失格なんて言わないでよ。私はお母さんが大好きで、大好きだから嫌われたくなくて、だからもっと一緒に居たいのに、自分から離れようとしないでよ! お母さんが親失格なら私は誰と一緒に居ればいいの!? 何があってもお母さんは私の大好きなお母さんだよ! だから親失格なんて言わないで、お母さんとして私と一緒に居てよ!」


 一度吐き出してしまえばあとは簡単で、身を乗り出しながら私の本心を包み隠さずお母さんに伝えた。


「……綾音がそう思っていても、私は親として気付いてあげるべきだった」

「でも」

「だから、やり直させて」


 全部私が悪いのに、その罪を被ろうとするお母さんを止めようとすると、今度はお母さんから提案された。


「ちゃんと母親として、綾音を愛させて。もう二度と綾音が苦しんでるのを見逃さないから」


 私の手を取りながら、優しい声色でそう言ってくれたお母さんの目には確固たる意志があった。まるで私を受け入れてくれた百瀬さんみたいだった。だから、私は本当の意味でお母さんを信じていいと思えた。この目に込められた覚悟の強さを知っているから。


「うん……!」


 泣いたらちゃんと伝えられないから我慢してた。でも、もう全部伝えられたから全部が決壊して涙が溢れ出した。わんわんと子供のように泣く私を、お母さんは優しく抱きしめて撫でてくれた。久しぶりに感じるお母さんの温度は心地よくて、やっと一歩進めた実感を得られた。


 間違い続けて崩れそうになっていた、大切な家族との関係を修復できた。たった一言、本心を伝えれば良かった。時間にすればほんの五分もない。私の悩みは、その苦しみに反してあまりにもすんなりと解決した。


 勇気を持って一歩進めば、本気で自分と向き合えば、自分は変われる。そう教えてくれた百瀬さん、そしてこんな私でも見捨てずに支えてくれた千夏。二人のおかげで私は前に進むことができた。


 ありがとう。また会った時、二人にそう伝えないと。大好きなお母さんの温度の中で私は大切な二人の友達を想った。

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