第48話 卑怯者の身勝手
ニオイも何も残らないように脱衣所を綺麗にした私は、どっと疲れた体をベッドに投げ出した。何もする気力がない。一日くらい課題が遅れても先生は許してくれるだろうと考えて、今日は少し休むことにした。
体は疲れているのに何故か眠気はない。そういえば今日ってヤヨちゃん……もとい百瀬さんの配信があったんだっけ。
百瀬さんの声が聞きたい。そう思って私はスマホの画面をタップして動画サイトを開き、ヤヨちゃんの配信を見始めた。
いつもの百瀬さんの声を少し高くしたくらいの声が聞こえてくる。ボイスチェンジャーか、配信用に声を意識して変えてるのか、それとも機材の音質のせいか、ヤヨちゃんの声と百瀬さんの声は少し違う。それが少し口惜しかった。
ベッドの上に寝転んで無気力に画面を眺める。ヤヨちゃんがやっているのはよく分からないゲームだった。いわゆるバカゲーというやつだろう。頭を使わなくていいからぼーっと眺めるのにはちょうどいい。
ヤヨちゃんは順調にステージをクリアしていき、とうとうラスボスまで到達した。本当に宣言通りにノーコンティニューでクリアしてしまうかもしれない。順調にダメージを与えていき、そろそろ倒せそうかと思った時だった。
『マーッチョメーン!』
ラスボスが両腕をあげて叫んだと同時に、全方向にビームを射出した。ヤヨちゃんはあまりの唐突さと絵面のカオスさに驚いたが、叫びながらもするするとビームの隙間を縫って攻撃を避けきった。さらにもう一度同じ攻撃が来たが、それも避けて最後にはラスボスを倒してしまった。
『く、クリアー! どうだ人の子よ! 宣言通りノーコンティニューでクリアしたぞ!』
ゲームをクリアしたヤヨちゃんが叫ぶ。ぐわんぐわんと動くヤヨちゃんの2Dモデルから彼女の喜びがよく分かる。「さすがヤヨちゃん。スーパープレイだね」なんてコメントを打って祝福するけど、いろんな意味で盛り上がっているコメント欄ですぐに流れて行ってしまった。スパチャすればよかったなとも思ったけど、疲れ切っている今の私はどうでもいいかと次のコメントを打つことはなかった。そのままゲームのエンディングが流れ、そこでヤヨちゃんが感想会を言って配信が終了した。
「終わっちゃたな……」
ヤヨちゃん、もとい百瀬さんの元気な姿を見てほんの少し体が軽くなったような気がした。それと同時に、彼女の声が聞こえなくなってしまったことに酷い喪失感と寂寥感を覚えた。
「いやでも、さすがに迷惑だよね……」
時刻は23時過ぎ。突然電話するには時間が遅すぎる。さっき配信を終えたばかりだから起きてはいるだろうけど、こんな時間に電話を掛けたら百瀬さんを嫌な気分にさせてしまうかもしれない。でも、百瀬さんの声が聞きたい。
「……って、今更なに悩んでるのよ」
百瀬さんと連絡先を交換したその日にまだ起きてるだろうと相手の都合を考えずに電話したじゃないか。ストレス軽減と弾除けだなんて言ってお出かけに巻き込んだり、着せ替えをして遊ぶために家に呼びだしたり、彼女をただのストレス解消のために散々振り回したじゃないか。百瀬さんに迷惑とかそんなことを考えるなんて、私にとって百瀬さんはずいぶん大切な人に分類されるようになったようだ。
「本当に自分勝手」
大切じゃない相手には何の配慮もせず、大切になったら配慮する。しかも、私は自分から百瀬さんを大切にしようと行動したわけじゃない。私の自分勝手な行動にも百瀬さんは寄り添ってくれて、私がそんな彼女の優しさに依存しているだけだ。彼女との出会いも、彼女との交流も、何もかもが自己中心的。そして、そんな彼女に依存しないと自分を保てなくなってきている自分の弱さに嫌気がさし、自分の弱さに優しい彼女を付き合わせてしまっていることに申し訳なくなってくる。
「……ごめんなさい」
卑怯者の私は誰にも聞かれない無意味な謝罪を、自分の身勝手を許す免罪符にして彼女に電話をかけた。ほんの数回なのに異常に長く感じたコール音の後、百瀬さんが電話に出た。
『もしもし』
「も、もしもし」
緊張しながら彼女の声を待っていたら、機嫌が良さそうな明るい声にひとまず安心する。百瀬さんに迷惑だなんて思われたら自分がどうなってしまうか怖かったから。
「今日の配信、すごかったわね」
『ありがとう。相神さんも見てくれてたんだ』
私の行動を意外そうに思う彼女の言葉に少しドキリとする。私からすればヤヨちゃんの配信を見ることは当たり前の事なのだが、百瀬さんからすれば人気モデルの私がVtuberの配信を見ることは意外なことなのだ。
「えっと……この時間は暇だし、百瀬さんが頑張ってるのを見たら元気が出るから」
『そっか。相神さんの力になれてよかった』
ヤヨちゃんを見ているわけでなく、あくまで百瀬さんを見ていたと誤魔化して事なきを得る。百瀬さんがヤヨちゃんの正体だと知っている私がヤヨちゃんの配信を見るというのは不自然ではない。百瀬さんも納得したみたいで、嬉しそうに彼女らしい人を思いやった言葉を返してくれた。
「うん、本当に百瀬さんには助けられてるよ」
私なんかとは違う清廉な魂を持つ彼女にほんの少しでも何か返したくて、百瀬さんが私を支えてくれていると伝えた。そんなことに大した価値はないのだろうけど、私にあげられるものはこれくらいしかないから。
「それで、えっと、今度の休み会えないかな」
彼女の声が聞きたいだけだったはずの私は、彼女の優しい言葉に絆されてさらに欲張ってしまった。弱い自分ではどうしようもない迷いを抱えた私は、彼女への迷惑も考えず助けを求めた。
『いいよ。他に誰か来るの?』
お出かけの誘いと思ったのか、彼女はそんなことを聞き返した。
「ううん。百瀬さんだけ。……話したいことがあるから」
『わかった。予定空けとくね』
「うん、場所と時間は後で連絡するから。……わざわざごめんね」
『謝らないで。困った時は遠慮なく頼ってって言ったのは私なんだから』
百瀬さんは私のわがままをすんなりと受け入れてくれた。私が自分から言い出すまで待ってくれて、私が悩みを吐き出しやすいように理由を与えてくれる。寄り添ってくれるような優しさに、また私は頼り切ってしまう。
家族との事なんて自分で解決するべきなのに、弱い私は自力で解決する方法が分からなくて、彼女の優しさに付け込んで知り合って数か月の友達にするには重すぎる悩みを相談する。本当に私みたいな最低の人間にはもったいない人だ。
「……相変わらず百瀬さんは優しいね。ありがとう。じゃあね」
『またね、おやすみなさい』
「……おやすみなさい」
電話が切れると、私は彼女の言葉に誘われるようにベッドに倒れこんだ。彼女の声を聞いているうちに、私の中で渦巻いていたモヤモヤが消えて心に安寧が訪れていたのだ。百瀬さんに相談できる。人の優しさを利用する卑怯者は散々身勝手を働いたことで安心できてしまったようだ。そして瞼がだんだんと重くなり、リモコンで電気を消して暗闇に包まれた瞬間に私は意識を手放した。
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