第43話 特別な時間の終わり
林間学校三日目。そうは言ってもお昼過ぎにバスに乗って帰るので、大したイベントはない。朝食の後に広場に集合してこれからの予定の説明を受ける。昼食の時間まで自分たちが使った部屋を中心に宿泊した旅館を掃除し、昼食を食べた後に施設の方々に代表者である葵ちゃんが挨拶をして、バスに乗ってこの施設を出るとのことだ。
解散してすぐに全員が自室に戻り掃除を開始する。そして滞りなく予定通りに進んで行き、いつの間にかバスに乗っていた。二日目に色んなことがありすぎたせいか、何事もない三日目はあっという間に終わってしまったように感じた。
「はぁ、林間学校も終わりかー」
「あっという間だったね」
隣に座る葵ちゃんが窓の外を見ながらため息をついた。私たちが過ごした施設はバスが発進するとすぐに見えなくなってしまい、緑一色の山の景色になってしまった。
「いつもの日常が嫌いってわけじゃないけどさ、やっぱり特別な時間が終わっちゃうと寂しくなるよね」
「そうだね」
林間学校でのひと時は私にとって本当に特別な時間だった。ほんの三日間とはいえ相神さんと一つ屋根の下。最初は緊張したけど、それ以上に本当に嬉しくてワクワクしてた。でも、そんな気持ちが吹き飛んでしまうくらいに二日目に見た相神さんの姿は衝撃的だった。
「……でも私は早く帰りたいって気持ちが強いな」
「え、なんで?」
「特別ばっかりだと疲れちゃうから」
窓から視線を外して背もたれに深く沈む。私の中での相神さんの認識は間違いなく変わった。私にはないものを何でも持ってる完璧で誰よりも強い、私の好きな人。そんな人はどこにもいなかった。私と同じ弱さを持っていて、消えてしまいそうな危うさを持っている寂しがり屋。それが本当の相神さん。そして、私の大切な友達だ。
自分を押し殺してきた彼女は本当の気持ちを何も教えてくれなかった。だから、私は何一つ負い目なく彼女のことを知りたくて、自分の秘密を打ち明けた。あの雨の中で交わした言葉と捧げた歌が彼女にどう思われたかは分からない。でも、それがきっかけで彼女は私に本当の気持ちを伝えてくれた。
この特別なひと時の中で、私は相神さんの特別になれた。でも、その変化があまりにも衝撃的で、急すぎて、自分自身の気持ちが分からなくなってしまった。今の私は相神さんをどう思っているのか、私は相神さんとどんな関係になりたいのか、相神さんにどうなってほしいのか、気持ちの整理がまだできていない。だからいつも通りの日常の中で少し休みたかった。
「そっか。確かに私も疲れちゃったかも」
葵ちゃんは私の考えに同意して、私と同じように背もたれに深く沈んだ。私たちの間に言葉がなくなると、バスは沈黙に包まれた。みんな疲れて眠ってしまったのだろう。行きのバスとはえらい違いだ。私の体もそんなみんなと同じように疲れているけど、微弱なバスの揺れが背もたれから伝わって目を瞑っても眠ることができない。
「南」
そんな時、葵ちゃんが優しい声で私の名前を呼んだ。ゆっくりと目を開けて彼女の方を向くと、我が子をいつくしむ母のような目をした葵ちゃんが微笑んでいた。
「たとえ何があっても私は南の味方だよ」
彼女のその言葉を聞いた瞬間、糸が切れたように眠気が押し寄せた。バスの揺れのせいで落ち着いてくれなかった体がぐったりと力を無くすと、彼女は私に身を寄せて優しく手を握った。
「だから、困ったら遠慮せず私を頼って」
私は葵ちゃんにまだ何も言っていない。相神さんに自分の正体を明かしたことも、相神さんとの間にあったやり取りも、なにもかも。唯一相神さんとのことを共有できる天金さんも、昨日のことがあったせいで少し怖くなってしまった。だから一人になってしまったと思ってたんだ。相神さんとのことも、自分自身の気持ちに整理をつけることも、自分一人でしなきゃいけないって。
「ありがとう、葵ちゃん」
そんなの全部勘違いだった。この特別な日々の中で、なんでもない日常の中で寄り添ってくれる葵ちゃんを忘れてしまっていた。そんな馬鹿な私に気が付いて、葵ちゃんは惑う私の肩を叩いてくれた。私がいるよって。
「少しだけ、甘えてもいい?」
「いいよ」
短い言葉を交わして許可を取り、彼女の肩に頭を乗せる。疲れた体の体重を遠慮なくかけて彼女に寄りかかる。葵ちゃんの温かい体温を感じる。葵ちゃんの香りが安心感を覚えさせる。信頼する親友の傍は、不安定になりそうだった私を落ち着かせてくれた。もう目を閉じれば眠ってしまいそうな微睡みの中で、葵ちゃんの手が私の頭に触れる。ポンポンと私の頭をタッチして、眠る子猫を愛でるようにそっと撫でた。彼女に手はなんとも心地よくて、眠気がさらに加速する。
いつも通りの日常に戻って少し休みたかった私だったけど、どんな時でも変わらず寄り添ってくれる葵ちゃんのおかげでこんな特別な日々の中でも安心して休むことができた。ありがとう。もう一度、心の中で彼女に感謝する。弱い私を変えてくれた唯一無二の親友に。
「おやすみ」
そして葵ちゃんのその言葉を聞いた次の瞬間、私は魔法にかかってしまったかのように眠りに落ちた。
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