第40話 心の内の違和感

 あれからしばらくして雨が上がって、何事もなくみんなと合流した。みんなと合流してからは相神さんはいつも通りに戻って、普通に登山をして、山頂で景色を楽しみながら軽食を食べて、普通に下山して、余った時間で少し空いていた動物のふれあいコーナーに行って、あっという間に二日目の自由散策が終わった。


 ウサギと戯れていた相神さんが可愛かったというのはいったん置いといて、旅館が用意した豪華な夕食を終えた私たちは、再び入浴時間を迎えた。


「おーい、みなみー? 大丈夫?」

「えぁ、どうしたの葵ちゃん」

「あんまりにもボーっとしてるからどうしたのかなって」

「あー……ちょっと山登りで疲れちゃって」


 本当は今日のことでいろいろ考えていたせいなのだけど、まだ葵ちゃんに話していいか分からないからとりあえず誤魔化す。山登りで疲れたっていうのも本当だけど、それは何キロも歩いたからじゃなく、雨宿りの時の相神さんとの会話のせいだ。


「そっか。それなら疲れを癒すためにも、今日は大浴場でしっかりお湯に浸かった方が良いんじゃない」


 確かにそれがいいかもしれない。この施設の温泉に薬効があるかは分からないけど、気分はさっぱりするはずだ。


「じゃあそうしようかな」

「え?」

「ん? 私何か変なこと言った?」


 普通に葵ちゃんの提案を受け入れただけなのに、何故か葵ちゃんは驚いた顔をした。


「いや、相神さんがいるのに今日は緊張してないんだね」

「……あー」


 葵ちゃんに指摘されてようやく気が付いた。大浴場に行けば必然的に相神さんと一緒に入浴することなる。昨日はそれで緊張して、結局部屋に備え付けられていたシャワーを使ったんだっけ。


 でも、今の私は全く緊張していない。疲れで相神さんと一緒だというのを忘れていたのもあるけど、葵ちゃんに指摘された後でも昨日みたいにはならない。今日一日、相神さんと一緒に居て慣れたのかな。


「今日ずっと一緒に居たからかな、なんか大丈夫みたい」

「へぇ、百瀬らしくない強心臓ぶりだね。昨日みたいに騒がれるよりはいいけど」


 自分でもそう思う。昨日はまともに神経衰弱もできないくらい冷静さを失っていたのに、今日は不自然なくらい平静を保てている。


「二人とも、今日は南も行くって」

「おっけー」


 葵ちゃんがバスタオルと着替えを持って大浴場に行く支度をしていた相神さんと天金さんに声をかけると、天金さんがゆるい返事をした。


「百瀬さん、ちょっといいかしら」


 私も置いていかれないようにカバンから着替えを急いで出していたら、後ろから相神さんに声をかけられた。


「どうしたの」

「……少し時間をずらして行かない?」

「え、なんで」

「昨日の様子を見た感じだと、少ししたら露天風呂が結構空くの。運が良かったら貸切みたいにできるかも」

「そっか、なら葵ちゃんたちにも」

「まっ、まって」


 相神さんからの提案を二人にも共有しようとしたら、相神さんに腕を掴まれて止められた。その甘えるような仕草が可愛いけど、表情はいつもの相神さんではなく、雨宿りの時に見た寂しそうな相神さんのものだった。


「千夏と会長には言わないで。えっと、百瀬さんと話したいことがあるの」


 今日の相神さんはいつもと違う。カリスマモデルとしての覇気がない。自分に自信がなくて何かに怯えているような、まるで昔の私を見ているみたいだった。


「わかった。じゃあ少しここで暇潰そうか」

「うん。ありがとね」


 だからこそ放っておくわけにはいかなかった。昔の私が孤独を恐れる感覚と同じなら、相神さんにそんな思いをさせるわけにはいかない。特に弱っている今は。


「ごめん葵ちゃん、ちょっと用事ができたから今は無理かも」

「そっか。じゃあもう別々で入るってことでいい?」

「うん。ごめんね」

「いいわよ。南と一緒にお風呂なんて何回もやってるんだから」


 私の誤魔化しを葵ちゃんは何も気にすることなく浴場に向かった。相神さんの方はどうなのかと見てみると、天金さんが心配そうにしていて、浴場に行くのをためらっているようだった。


「本当に大丈夫? 私も一緒に探すよ」

「いいって。落とし物くらい私ひとりでなんとかできるから」

「いや、でも」

「いいから、私は気にせず先に行ってて」

「そこまで言うなら……でも困ったらすぐに連絡してよ」


 相神さんに背中を押されて、まだ不安そうな顔をしながら天金さんは部屋を出て行った。卓球をするんだと言う朔に野崎さんも連れられて行ったから、この部屋に残っているのは私達だけだ。


「落とし物を探しに行くって言っただけであそこまで心配するものかしら」


 なかなか出て行かなかった天金さんを見送った後、相神さんは呆れたようにため息をついた。相神さん視点だと急に心配症になったみたいに見えるだろうけど、天金さん視点だと急に覇気がなくなった相神さんが一人になろうとしてるんだから心配にもなる。


「空き時間どうしようか」

「そうね……少し散歩しましょうか」


 少し散歩したらすぐに浴場に行くから、着替えを入れた袋を持って部屋を出る。旅館内は高等部がほとんど浴場に行っているから、中等部の子がちらほらいるくらいだ。


「卓球台が置いてるところに行けばもう少し人がいるのかな」

「そうかもね。でも、静かな方が落ち着けるわ」


 何をするでもなく雑談をしながら旅館の中を歩く。ゆったりと時間が流れていく内に、隣を歩く相神さんもリラックスできたみたいで笑顔が増えてきた。


 そして話している内に、私の中の違和感が気のせいでないと確信した。相神さんと二人きりで散歩していて、数分後には一緒にお風呂に入るのに全く緊張していない。普通は好きな人とこんな事してたら緊張でガチガチになってしまうだろうし、昨日は実際そうだったのに。


 私は相神さんの新しい一面を知った。そのせいで相神さんへの恋心が揺らいでいる? だとしたらなんで相神さんの別の側面が恋心を揺らがすの?


「も、百瀬さん、まって」

「え」


 隣を歩いていたはずの相神さんの声が後ろからした。それでようやく私が相神さんを置いて先々歩いてしまっていることに気がついた。


「スリッパが脱げちゃって……」

「ごめん。ちょっとぼーっとしてた」


 旅館内での移動の時はスリッパを履いているのだけど、相神さんはそれが脱げてしまっていた。スリッパを拾って履き直している相神さんを置いていくなんて、相神さんに夢中だった昨日の私ならありえない。


 でも、そんな自分の意識の変化以上に、私を呼び止めた時の相神さんの弱々しい声が気になった。


「私もごめんね、なんだか今日は鈍臭くて……」

「気にしないで。今日はいろんなことがあったし、林間学校二日目で疲れてるんだよ」


 とりあえず自分のことは後だ。今はこの弱々しい相神さんに集中しないと。一歩間違えたら相神さんの心が壊れてしまう。そんな予感がした。


「もう良い時間だし、そろそろ行こうか」

「そうね。お風呂から上がった高等部の子も見かけるようになったし」


 相神さんに手を差し伸べて立ち上がる手助けをする。相神さんが話したいことは何なのか。それに対する私の受け答えで相神さんの心がどうなるか決まる。


 今はとにかく不安定な相神さんを助けないと。本物かどうか揺れる恋心を忘れて、私はただ友達に寄り添う選択をする。


 相神さんへの心配が恋心を上回ったのは、今日で二回目。それに大した意味はないと思っていた。それが心配が大きくなったせいなのか、恋心が小さくなったせいなのか分からないのに。

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