第39話 明かされる秘密
今、私の手を握って歌っている女の子は誰なのか。分かりきっているはずなのに、分からなくなった。
「〜〜〜♪」
優しく包み込んでくれるように柔らかいのに、その芯は決して折れない強さを持っている。そんな歌声が、隣にいる私に寄り添ってくれている。
間違いない。この声は愛神ヤヨのものだ。
似ているだけだと思ってた。私にとってヤヨちゃんは画面の向こうにいる遠い存在で、その子が私のすぐ近くにいるなんて都合の良い妄想はできなかったから。
でも、百瀬さんが愛神ヤヨだという衝撃的な事実を、私はすんなり受け入れていた。そもそも声が似ていたとか、普段の態度とか歌声から片鱗は見え隠れしていたとか、私が妙に納得してしまっているのはそんな事実があったからではない。
ヤヨちゃんと同じように、百瀬さんは私を救ってくれたから。
この癒しを与えてくれる声が、誰かに寄り添うような歌声が、何もかもに嫌気がさしていた私の心を癒してくれた。だから愛神ヤヨだけは好きになれた。それはたまたま好みに合っただけ、それだけだと思ってた。でも、違った。本当は彼女の優しさがヤヨちゃんを通して私の心に触れてくれたからだ。
「愛神ヤヨ。これがもう一人の、Vtuberとしての私の名前。相神さんは知らないと思うけど、まぁまぁ有名なんだよ」
知っている。というか、私の生きがいだ。それはさすがに彼女も想定していないだろうけど。
「愛神……って」
「うん。みんなが憧れる、私が持っていないものを全部持ってる相神さんみたいになりたかったの。そうすれば、私を見てくれる人の希望になれると思ったから」
偶然だと思っていた名字の読み方が同じなのも、ヤヨちゃんの正体が百瀬さんだと分かれば話が違ってくる。そして案の定、私にあやかっていた。でもその動機は、あまりにも優しすぎるものだった。
誰かの希望になる。なぜこんなにも、彼女は他人を思いやれるんだろう。他人は自分を思いやらない。何もしてくれない他人を思いやることに意味なんてない。そんなことに自分の労力を割くなんて損でしかないのに。
「誰かの希望に……なんでそう考えて活動してるの」
「えっと、最初からそうだったわけじゃないの。はじめは誇れる自分が欲しくて、自分の取り柄は何なのか葵ちゃんに聞いたら声が可愛いって言ってくれて。それでVtuberを始めたの」
最初は自分のため。それもそうか、さすがの百瀬さんでも破滅的な自己犠牲精神は持ち合わせていない。というより、自信がなきゃVtuberなんて始めない。……会長の助言とはいえ、声が可愛いの一言で始めるものじゃないと思うけど。
「Vtuberを始めたきっかけもそうだけど、何の取り柄もない私が今こうやって生きていられるのは、葵ちゃんと朔、お父さんにお母さん、周りのみんなが支えてくれたおかげ。だから、私も誰かの支えになれたらいいなって思ったの」
彼女の話を聞いていると、今の自分が恥ずかしくなってくる。カリスマモデルだなんて言われてるけど、私はこんなにも他人を慈しむことなんてできない。百瀬さんは私なんかよりよっぽど立派な人だ。
そしてようやく理解した。売店での会話で百瀬さんは周りに恵まれたって言ってたけど、正確には違う。百瀬さんが周りを変えたんだ。百瀬さんは何もできない自分に絶望せず、自分を変える努力をした。そんなひた向きで真っ直ぐな彼女だからこそ、周囲の人が手を差し伸べようと思ったんだ。
妹ちゃんや会長から愛されてる彼女が少しうらやましくて聞いた質問で、恵まれていただけと彼女が答えた時、私は安心してしまった。今の苦しみに自分の責任はないんだって。最低だ。周囲に勝手に絶望して、諦めて、我慢して、変わることから逃げた。そんなやつが不幸を嘆いても、誰も手を差し伸べてくれない。
いや、そんな私にも寄り添ってくれた人はいたんだ。千夏はずっと私の味方でいてくれた。でも、臆病な私が変わることを恐れてしまったせいで、優しい千夏に踏み込むことを躊躇わせてしまった。こんな私でも大切に思ってくれる千夏に、私が傷つく姿を傍観させてしまった。
百瀬さんの真っ直ぐな言葉が、私が見て見ぬふりをしてきた醜い部分を露呈させる。完璧で強い人間を自称していた愚か者の弱さを見つめることで、私はようやく理解できた。
私が強い人間であることに執着していたのは、他でもない私自身が弱い人間だからだ。
「……そうだったのね。誰かの支えになれるように、すごく百瀬さんらしいわね」
「そう言ってもらえると嬉しいな」
百瀬さんの手をすがるように握り返す。彼女に寄りかかっていないと、自分が崩れ去ってしまいそうだった。必死に目を背けていた自分の弱さを直視して、今までの私が私じゃないように思えてしまった。
「……ごめんなさい。雨が好きだなんてウソ。本当は怖くてたまらない。子供の時に初めて感じた孤独を思い出してしまうの」
「そっか、一人は嫌だもんね」
今は一人じゃない。そう伝えるように百瀬さんは私のほうに身体を向けて、優しく微笑みかけてくれた。それだけで揺れる心の痛みが少し和らいだ。
「いまは、これだけにして。まだ心の整理がつかないの」
「うん。少しずつでいいから。私もいきなりごめんね」
百瀬さんのもう片方の手も私の手を包む。彼女の両手に包まれた私の左手は、不安定な私の内側を安定させるように温めてくれた。
「最後に一つだけ聞いていい?」
「いいよ」
「あの歌の名前を教えて」
本当はすべて知っている。でも、百瀬さんの口から聞きたかった。
「あなたへ」
この単純で、一人一人に寄り添うタイトルを。
「いい名前ね」
空を見上げれば、灰色の雲間から光が差し込んでいた。
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