変わりゆく関係編
第21話 やるべきこと
昨日のことが頭から離れない。それは相神さんと二人きりで遊んだからではなく、相神さんが想像以上に重傷だったからだ。相神さんが疲れているのは、初めての通話と一緒に出掛けた時で理解できていた。そんな相神さんを支えたいとも思っていた。天金さんからもそのことを頼まれた。
でも、あんなの普通じゃない。
相神さんは自分の傷を自覚できていない。私の目の前で泣き出した時も、その涙の理由を理解できていないようだった。全部があんなにも明確なのに。
相神さんは両親からの愛情が欠乏している。多分、本音を言い合える友達との関係も。相神さんは問題ないと言っていたけど、あんな相神さんを見たら間違いだとしか思えなくなる。
相神さんは私に嘘は言っていない。親とまともに会えなくても大丈夫って、相神さんは本気で思ってるから。そうやって強くて完璧な相神さんが自分を傷つけてるって分かってない。
私には何ができる。何をすれば救える。ずっと頭の中で繰り返し考えてるけど、いい案は何も思い浮かばない。
「南? おーい、聞いてる?」
「え、あ、ごめん。ぼーっとしてた」
隣を歩いていた葵ちゃんに声をかけられて、脳内をぐるぐるしていた意識が学校の廊下に戻ってくる。私は葵ちゃんと一緒に週に二日の写真部の活動をしていた。曜日は決まってないけど、こうやって週に二回だけ校舎や街中を回って何かしら写真を撮るのだ。
基本的には校舎の外に出るのだけど、私と葵ちゃんはいつも校舎でいい被写体を探している。これは、学校で部活をしているみんなと関わって写真部のことを知ってもらったり、知られていない学校の新しい魅力を発見することで我が校をさらに活気あるものにしたりという目的があるみたい。
これは葵ちゃんから提案してくれたことで、今年の生徒会長になれたのもこの活動で作り上げた縁のおかげだって言ってた。
「まったく、今日はなんか心ここにあらずね。そんなに相神さん達と一緒に出掛けたのが楽しかったの?」
「楽しかったけど、理由はそれじゃないっていうか……」
あの夜の衝撃に比べれば、土曜日のことは私の心をかき乱す要素になりえない。土曜日も楽しかったし、日曜日に家で遊んだのもすごく楽しかったけど、それらすべてを埋め尽くすくらい相神さんの心が心配なのだ。
「へぇ、南に相神さん以上に心奪われるものがあるとは思えないけどねー」
「あははー……」
相神さんのことは秘密という約束だ。いくら葵ちゃん相手とはいえバラすわけにはいかない。でも、私ひとりじゃ解決する方法を思いつけるとは思えない。頭が悪い私は、こういう時いつも葵ちゃんに相談していた。それができない今、私は相神さんのために何ができるのだろうか。
「じゃあ、今の南は何について悩んでるの?」
「えっと……」
「私にも話せないことなの?」
困った時はいつも相談してるから、こうやって一人で抱え込もうとしてる私は逆に怪しく見えたみたい。葵ちゃんはじりじりと距離を詰めて、目をそらす私の顔を覗き込んできた。これは話さないと帰してくれないやつだ。そう思った瞬間、私は妙案を思いついた。
「昨日の夜に映画を見たの。レンタルしてきたやつ。それを見てふと思ったんだ。本人が気付いてない心の傷は、どうやったら治せるんだろうって」
少し遠回しに、そして相神さんの名前を出さずに私が悩んでることを相談すればいいのだ。流石の葵ちゃんもこの話題と相神さんを結び付けたりはできない。私が相神さんのことで悩んでるなんて露とも思わないだろう。
「へぇ、南にしては難しそうな映画見たんだね」
「たまには違ったものが見たくなるでしょ」
何とかウソがばれないように誤魔化す。うぅ、いくら相神さんのためとはいえ葵ちゃんに嘘をつくのは心が痛い。
「それで、葵ちゃんはどう思う?」
この後ろめたさから早く解放されるために、葵ちゃんに考えを話すことを促す。葵ちゃんは歩みを止めずに顎に手を添えて考えるしぐさを見せる。
放課後の夕暮れに染まる廊下で何かを考える葵ちゃんはとても絵になる。こんな所が葵ちゃんがみんなに慕われる所以なんだろうな。
人を惹きつけるカリスマは行動一つ一つに風格がある。少し前までの私も、相神さんがそう見えていたっけ。相神さんが抱える家族との問題と心の傷を知った今となっては、脆くて危うい存在に見えてしまうけど。
「……南はどう思うの?」
「え」
葵ちゃんに聞き返されても私は答えることができない。だって、答えを持っていないから葵ちゃんに相談したんだから。
「わかんない。だって、本人も分かってないところに下手に触れたら余計に傷つけちゃうかも知れないから」
私の懸念を吐露する。相神さんの家族のことを知った時、家族のことに触れようしたら強く拒絶されてしまった。相神さんにとって家族の話は地雷なんだ。でも、そこに触れないと相神さんの傷をどうにもできない。でも、下手に触れれば相神さんを傷つけてしまうのは目に見えてる。
この二律背反を前にして、私は足を踏み出せずにいるんだ。
「でも、そうやって何もしなかったらその子は傷ついたままよ」
「それは……そうだけど……」
「だったら、前に進むしかないでしょ」
あまりにも強気な言葉。それは葵ちゃんが強いから言えるだけで、きっと相神さんを傷つけるだけで終わってしまう。
「その人が繊細で脆い人だったらどうするの」
「変わらないよ。その人が強くても弱くても関係ない。傷に触れなきゃ、傷は治せない」
「他にも方法があるんじゃないかな。例えば、いろんな楽しいことをして傷の痛みを忘れさせるとかさ」
「それは治療じゃなくて延命措置よ。健康体にはなれない」
リスクを避ける案を言っても、葵ちゃんに正論で返される。声が震える。もし相神さんが傷ついてしまったらとか、もう笑えなくなってしまったらとかが怖いんじゃない。私の手で好きな人を傷つけてしまうのが怖いんだ。
憧れの人と急接近したと思ったら、私には重すぎる責任を急に負わされてしまった。天から地の底に叩き落されたような感覚が私の良心を蝕む。相神さんじゃなくて、自分のことを考え始めた自分が嫌になった。
「そもそも、本人が気付いてないことに触れるのが必ずしも悪いこととは限らないわ。それは私たちが一番よくわかってるんじゃないの?」
「え?」
葵ちゃんの自信に満ち溢れた言葉の意味を理解することができなかった。
夕暮れの中、葵ちゃんは私より三歩前を歩いている。
「私には理解者がいることを、南には誰よりも優れた長所があることを、二人で教え合ったでしょ?」
「え、あっ……そうだったね」
私がVtuberを始めようと思ったのは、葵ちゃんの言葉のおかげなのだ。自分に自信が持てなくて変わりたいって思ってた時、葵ちゃんがふとした拍子に言ってくれたんだ。私の声は可愛いって。世間から見て本当にそうなのかは分からなかった。自分の声は何度も聞いてるから、葵ちゃんに言われた後でもそれが私の長所だという確証はなかった。
でも、葵ちゃんの言葉なら信じていいって思えたんだ。葵ちゃんが私の知らない私を教えてくれたから、今の私があるんだ。
「私がみんなを引っ張る生徒会長をやってるのも、南がたくさんの人を笑顔にするVtuberをやってるのも、お互いに知らない自分を教え合ったから。私たちがこうやって親友でいられるのもね。だから私は、どんなことであっても気付きを与えるのが大切だと思うの」
「……そっか」
ありがとう。なんて言ってしまったら映画の話じゃないってばれてしまうから、心の中で葵ちゃんに感謝を伝える。
私のやるべきことがようやく分かった。
相神さんが私の言葉を信じていいて思えるくらい仲良くなろう。そしていつか、相神さんが心の底から笑えるように、彼女の心の傷を癒すんだ。
なんだ、だったら最初とやることは何一つ変わらないじゃないか。最初から私は相神さんが大好きなんだから。
「なんかシリアスな話になっちゃったね」
「ううん。葵ちゃんとは親友なんだなって再確認できて嬉しかったな」
「ふふっ、ならよかった。……あ! ごめん! 日誌提出するの忘れてた!」
「あ、そうなの? 職員室になら一緒に行くよ」
「日誌は教室に忘れたの。すぐに追いつくから先行ってて」
「うん。ちょっとゆっくり歩いてるね」
葵ちゃんはそれだけ言うと、私に手を振りながら来た道を駆け足で戻っていった。本当に葵ちゃんは頼りになるな。だんだん遠くなっていく彼女の背中に、今一度尊敬のまなざしを送り、いつも通りのルートを進み始めた。
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