第17話 クッキング

 一緒にご飯を食べるという提案のちょっとした誤算は、調理器具が一人分しかなかったことだ。一通り洗った野菜の皮を剥く百瀬さんをじっと見つめながら、ヤヨちゃんの声を出さない彼女は退屈だなとか考えていた。


「……一人だけに仕事させてるって、ちょっと罪悪感あるなー」

「炒めて煮込むのは相神さんにやってもらうから、罪悪感なんて感じなくていいよ」

「まぁ、そうだね」


 一人分の器具しかないのにキッチンに二人で立っているのは逆に危ないから、具材のカットは百瀬さんが、具材を炒めて煮込むのは私がやるという役割分担をしたのだ。


 百瀬さんは特別手際がいいというわけじゃなく、料理の腕は普通というかんじだ。しばらく彼女がトントンと野菜を切る音だけになり、暇を誤魔化すために私はテレビをつけた。


 バラエティ番組が始まる時間だと言うのに、あわせていたチャンネルはまだニュースを放送していた。事故や事件のニュースが終わったタイミングらしく、次は芸能界やスポーツ界のニュースがはじまった。


『本日、大葉監督の新作「花散る時は」の試写会が開催されました。主演を務める大川茂吉さんと……』


 普通の人にとってはなんて事のないニュース。でも、その画面に映っている人物が、それを私にとって特別なニュースにしていた。


「あの人、相神さんのお母さんだよね?」

「え、あぁ、そうだけど……」


 いつの間にか背後にいた百瀬さんが私が注目していた部分を指摘した。


「やっぱり。相神さんと似てたからもしかしたらって思ったんだ」

「そうなの」


 私と母が似てる、か。親子の関わりは薄いくせして、似てるってだけで親扱いされるんだ。なんか嫌だな、そういうの。


 というか、なんで彼女がこっちに来てるのかと思ったら、キッチンに切り分けられた野菜が皿の上にまとめて盛られているのが見えた。どうやら彼女の仕事は終わっているようだ。


「試写会だったんだ。帰って来るのは遅いかもね」

「え、教えてもらってないの?」

「もう高校生よ。家で一人残してても心配ないし、わざわざどんな仕事かなんて言わないわ」


 高校生って世代は、人によっては自分の夢のために親元を離れていることも多い。それくらい自立しているのが当たり前なのだ。私は親が帰ってこないとか、家で一人だとかで寂しがる弱い人間じゃない。


「お父さんは?」

「アメリカで絶賛ツアー中。時差のせいでなかなか連絡も取れないわ」


 まぁ、日本ツアーの時も全然連絡くれなかったけど。あいつとは母以上に交流がない。いつもせわしなく世界中を駆け回っている印象しかない。


「……相神さんは寂しくないの?」

「べつに。この年齢としになって親がいなくて寂しいとか言うわけないでしょ」

「でも、子供をずっと一人にするっておかしいよ」

「あの人たちはプロ意識をもって仕事してる。私自身もモデル活動してるし、そのあたりは理解しているつもりよ」

「でも」

「百瀬さん」


 まだなにか余計なことを言おうとした彼女を声で威圧する。すると彼女はすぐに黙ってくれた。バカな彼女にも理解できるように、露骨な溜息をついて立ち上がる。


「私は百瀬さんのことを大切な友達だって思ってる。でも、踏み込んでほしくないことはあるの。……わかってくれる?」


 私が一人でいることに同情しているとしたら、はっきり言って不愉快だ。ヤヨちゃんと声が似ていること以外に価値がないあなたと違って、私は強い人間なのだ。別に私は寂しくなんてない。そう言ってるのに、勝手に自分の価値観を押し付けて、その物差しで私を勝手に測らないで。


 正直そこまでハッキリ言ってやりたいけど、突き放してしまったら二度と彼女の声が聞けなくなってしまうかもしれない。だから、できるだけ簡潔に、そしてオブラートに包んで彼女に私の考えを伝えた。


「ご、ごめん」


 バカな彼女でもさすがに理解できたようで、申し訳なさそうに頭を下げた。どっちでもいいからと思って彼女の提案を受け入れたけど、少し失敗だったかもしれない。そう思いながら自分の仕事にとりかかろうとしたら、百瀬さんに腕を掴まれて引き留められた。


「今度はなに」

「その、やっぱり全部私がやる」

「なんでよ。さっきのお詫びのつもりなら気にしないでいいわよ」

「それもあるけど、一緒に食べようって言ったのも私だし、冷凍食品じゃなくて何か作りたいって言ったのも私だから、私が全部やるのが筋かなって」


 彼女の言い分は正しいと思う。まぁ、彼女は私の態度を見て予定を変更し、後から辻褄を合わせたのだろうけど。好きな人から冷たい態度取られたくないもんね。弱い人間は寄る辺が少ないから、嫌われたくないって考えて行動するものだ。


 彼女もその例に漏れない、弱い人間なのだ。


「そう。なら私は大人しく待ってるわね」

「うん、頑張って美味しく作るね!」


 百瀬さんは私の了解を得ると、急ぎ足でキッチンに戻っていった。急ぎ過ぎてやけどとかしないといいけど。そそっかしいから見てて不安になる。


「……ねぇ、百瀬さん」

「なに?」


 野菜を炒めている百瀬さんにリビングのソファに座りながら話しかける。彼女は鍋に視線を向けたまま対応する。


「百瀬さんの親はどんな感じなの?」


 私の親の話だけをするのは不公平だと思い、テレビを見てても退屈だから百瀬さんの親について聞くことにした。


「うーん、別に普通だよ。お母さんはメイクの仕事してて、お父さんはプログラミングとかの機械系の仕事してる」

「どんな人なの?」

「お母さんはふわふわした雰囲気の人だよ。ちょっと抜けてるとこがあるんだけど、料理がすっごく上手なんだ。今日の私のメイクはお母さんがやってくれたの。それでお母さんもお父さんも可愛い可愛いって褒めてきてね、もう高校生なのに困っちゃうよ」


 十分炒めたらしく、分量通りの水を鍋に入れる。ここからしばらく待ちの時間だから、百瀬さんは私と目を合わせて両親を再開した。


「お父さんはちょっとだらしないところがあるけど、機械のことはなんでも知ってて頼りになるんだ。休みの日はいろんなところに連れて行ってくれるんだけど、最初に体力がなくなるのはお父さんなの。自分から提案して連れてきたのにね。おかしいでしょ」


 彼女が家族を語るときの顔は、私には理解できないくらい楽しそうだ。百瀬さんの両親は、百瀬さんを自然と笑顔にできるくらい好かれてるんだな。


 それと同時に、彼女がどれだけ愛されて育ったかよく分かった。彼女にとって両親は一緒に家にいるのが当たり前で、一緒にいて楽しい存在で、何もしなくても愛してくれる人なんだ。


 その甘やかしが彼女を弱い人間にしたのかも知れないけど。


 そんな彼女からしたら、私はひどく哀れに見えただろうな。私はあなたみたいに弱い人間じゃないから、親の愛なんていらないだけなのに。


「溺愛されてるんだね」

「もう高校生なんだから少し控えて欲しいけどね」

「そっか」


 それからカレーを煮込む待ち時間は、百瀬さんの家族の話をしたり、テレビでバラエティ番組を見たりして過ごした。

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