第16話 買い出し

 百瀬さんの提案には、さすがの私も度肝抜かれた。いくら仲良くなったとはいえ、家で一緒にご飯を食べようだなんて。カラオケの時も思ったけど、百瀬さんは意外と度胸がある。


「冷蔵庫の中身見てもいい?」

「いいよ」


 一緒にご飯を食べると言うことで、食べるものを見繕うために百瀬さんは冷蔵庫を開けた。すると、予想通り彼女はギョッとした顔をして振り返った。


「な、何にもないんだけど」


 そう、うちの冷蔵庫の中身は調味料以外はほとんど何もない。家族で暮らしているのに、大きいだけでガラガラな冷蔵庫を見れば、こんな反応もしたくなるだろう。


「……真ん中の段」

「あっ、ここに色々入ってるんだね。あーびっくりした」


 そう言って冷蔵庫の真ん中の引き出しを開けると、彼女はまた固まった。なにもおかしなものは無いはずなんだけど、どうかしたのかな。


「冷凍食品ばっかり……」

「そうだけど」

「いつもこれ食べてるの?」

「いつも一人なのに料理するのもダルいし」


 何をそんなに困惑しているのだろうか。もしかしてモデルだからもっと食生活を気にした方がいいって思ってるのかな?


「栄養バランスはちゃんと気にしてるよ」

「そうじゃないよ!」


 百瀬さんは何やら珍しく怒っている。でも全然怖く無いし、ヤヨちゃんの声だからむしろ萌える。そういえばヤヨちゃんって配信でキレたことなかったっけ。


「……親と一緒にご飯食べたことないの? それにしたって作り置きとかしてもらったりさ」

「私が幼い時はあったよ。でも、私がモデルになった頃からは無くなったかな」

「相神さんがモデル始めたのって、小学三年生の頃だよね」

「よく知ってるじゃん」


 幼い頃の私は、よく母の仕事について行っていた。そこにはもちろんいろんな人がいて、私の恵まれた容姿と女優の娘というネームバリューはもちろん目をつけられた。


 そこからスカウトされて、あれよあれよと小学三年生の時にモデルデビュー。そして予想以上に売れて、カリスマモデルとして現在に至る。


「その頃から、ずっと……?」

「いつも冷凍食品ってわけじゃないよ。仕事の時にもらったお弁当とか、帰りにコンビニで買ったホットスナックとか」

「手料理は食べてないの?」

「ないよ。あの二人にはそんな時間あるわけない」


 無駄に広いキッチンは長い間使われていない。幼い頃に見たはずの、そこに立っている母親の姿も想像できないくらいに。


「……相神さん、この近くにスーパーってある?」

「ここから自転車で五分くらいのところに」

「分かった。ちょっと行ってくるね」


 百瀬さんは冷蔵庫を閉めると、そう言って玄関の方に駆け足で向かおうとした。


「ちょちょ、わざわざいいって。ここの冷凍食品で済ませよ?」

「ダメ!」


 百瀬さんの肩を掴んで止めようとした、すごい剣幕で怒られた。そんなに夕食に対してこだわりがあるなんて。それともこの冷凍食品の中に食べたいものが無かったのかな。


「……せっかく友達と一緒なんだから、手作りの方がいいでしょ」

「ふぅん、そんなものか」


 彼女は一瞬ハッとして、すぐに穏やかな表情になって怒った理由を説明した。まぁ友達との食事が冷凍食品っていうのは味気ないか。


「買い出し行くなら私もついて行く。まだ完全に暗くなっては無いけど、女の子が一人で歩くのは危ないでしょ」

「あぅ、うん……そうして貰えると助かる」


 そのまま一人で行こうとする百瀬さんの手を取る。ずっと家にいたし、夕方の静かな雰囲気も好きだから散歩ついでにエスコートしてあげよう。


 ヤヨちゃんと二人きりでのイチャイチャを疑似体験させてもらったお礼ってことで。楽しすぎてつい私の昔の話をしてしまったのは少し失敗だったけど。


 百瀬さんを友達にした理由は流石に嘘をついて誤魔化したけど。まぁ、百瀬さんは他の子と比べても可愛い方だとは思うから、全部嘘ってわけじゃない。ヤヨちゃんと重ねてる補正もあるだろうけどね。


「それじゃ、行こうか」


 普段は一人で使っているダイニングテーブルの上に置かれたエコバッグを持って、彼女と一緒に玄関に向かった。


 ○○○


 迷うことなくスーパーまで到着する。ここに来るまでにすっかり暗くなってしまい、建物から眩い光が漏れて目立っている。ここに来ることはほとんどないが、このでかい建物までの道のりくらいは覚えていられる。


 さて早く買い物を済ませて帰ろうと思い、自動ドアまで向かおうとしたが、百瀬さんが立ち止まったまま動こうとしなかった。


「どうしたの?」

「えっと……」


 何かあったのかと聞いても、百瀬さんは視線を合わせたり外したりとハッキリしない。そしてようやく決心したのか、顔を上げて震えた声でこう言った。


「手、このままだと恥ずかしい……」

「え?」


 百瀬さんに指摘されて、彼女をここに連れてくるまで繋いでいた手を離していないことに気がついた。手を離して彼女の様子を確認すると、顔が赤く火照っていた。


「ごめんね、なんか百瀬さんって妹みたいに思えちゃって」

「あ、相神さんは一人っ子じゃん」

「妹がいたらってこと。恥ずかしがり屋で頼りない。だけど可愛いってかんじ」

「か、可愛い……」


 百瀬さんは私の言葉を噛み締めるように反芻する。彼女と一緒に遊んで確信したのだけど、多分百瀬さんは私のことが好きだ。


 芸能界で生き残ってきた私は人の考えてることを察するのが得意だ。それにしたって百瀬さんはわかりやすいけど。


 いくら私の顔がいいって言ったって、私の言葉や行動一つ一つに過剰に反応しすぎである。それに私が可愛いと言えば、露出が多い服を着せても許して貰えるどころか嬉しそうにする。


 こんなの、相当特別に思っている相手でもないとあり得ない。私の大ファンって可能性もあるけど、そういう手合いはもう少しカラッとした雰囲気がある。


 そんなかんじで、百瀬さんは私のことを恋愛的な意味で好いていると推理したのだ。


「それじゃ、早く買い物済ませよ」

「そうだね。お腹すいたし」


 百瀬さんは買い物かごを取り、私を先行してゆく。私との食事がそんなに楽しみなのか。好きな人相手だしそれもそうか。


 私もヤヨちゃんとの食事を疑似体験できるし、ウィンウィンの関係だ。


 それにしても百瀬さんが私のことが好きだとは。男子から告白されたことは数知れないけど、女の子は初めてだな。いや、まだ告白されてないけど。


 私に好きな人がいたことはない。偉そうな事を言うけど、私と釣り合うような人と出会った事がないのだ。百瀬さんも私とは釣り合わない。だって、ヤヨちゃんと声が似ている以外に特別なところなんて無いから。


 まぁ、好きでいてくれるなら好都合だ。なんの負い目も感じる事なく無茶を言えるから。


 百瀬さんの恋に応えるつもりはないけど、好きな人のために身を粉にするなら本望でしょ?


「何作るつもりなの」

「うーん……カレーでいい?」

「別にいいよ。最初は冷凍食品で済ませるつもりだったし」


 変に難しい料理をして失敗するよりはマシだろう。というか、栄養バランスさえ良ければ食事にこだわりは無い。


 百瀬さんはニンジン、ジャガイモ、玉ねぎ、牛肉をカゴに入れていった。そして様々な種類のルーが並べられている棚にやって来た。


「どれがいいかな?」

「なんでもいい。どう違うのか分かんない。百瀬さんが好きなのでいいよ」

「そっか。あっ、甘口と中辛と辛口ならどれがいい?」

「どれでも大丈夫。百瀬さんの好みでいいわ」


 我ながら素っ気ない返答だと思う。でも、仕方ないじゃない。本当に知らないんだから。最後に母にカレーを作ってもらったのも何年も前だし、何を使っていたのかも分からない。


「じゃあこれにしよっか。私の家でいつも使ってるやつなんだ」


 そう言って百瀬さんが見せてきたのは、りんごの写真が箱に印刷されている甘口のカレー。テレビでCMがよくやってるやつだっけ。


「私も親も辛口がいいんだけど、妹が辛いの苦手だからいつもこれなの。それでこればっかりは食べてたら、辛口より好きになっちゃって」

「へぇ。妹さんは何歳なの?」

「中等部の三年生だよ。結構有名人らしいんだけど、百瀬さくって知ってる?」

「あぁ、プリンスね」


 私たちが通う学校、桃源とうげん学園は中高一貫の伝統ある名門校だ。中等部と高等部の校舎が隣り合っていて、行事や部活などで交流もかなり多い。だから噂話が校舎を越えてくるのも珍しくない。


「相神さんも知ってるんだ」

「男子よりモテるって有名だよ。ファンクラブもあって、うちのクラスにも何人か会員がいるみたい」

「へぇ、朔はすごいなぁ」


 百瀬さんは妹に感心しながら、選んだ箱をカゴに入れた。声がヤヨちゃんに似てると気付くまで興味がなかったくらい地味な彼女は、派手な妹に嫉妬したりしないのだろうか。


 そんな事をふと思ったが、彼女の様子を見る限り嫉妬はしてなさそうだ。


「さて、材料は揃ったかな」

「レジに行こっか」


 適当な会話をしながら買い物を終えた私たちは、今にもくぅと鳴きそうなお腹を満たすために足早に帰路についた。

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