第10話 親友

 案内された部屋から少し歩いたところにあるドリンクバー。コーヒーなどのホットな飲み物もあるけど、この時期には冷たい飲み物を選ぶのが普通だと思う。でも私は冷たい飲み物のドリンクバーの前にいる天金さんを避けて、温かいミルクティーをコップに注いでいる。


 つい一緒に出てきてしまったけど、天金さんと一緒というのはかなり気まずい。コップから伝わる熱を我慢しながら、話題を探そうとするけど何も思いつかない。彼女が怖い人じゃないっていうのは、ナンパの時や白銀さんとの会話で理解してる。


 でも、誰も寄せ付けないような、いわゆる一匹狼のような雰囲気にはまだ慣れない。


「……百瀬」

「ひえぁ、は、はい」


 このまま何も話さず戻るのかと思っていたら、急に天金さんが話しかけてきた。天金さんを怖がっているのが丸わかりな返事をしてしまい、彼女を怒らせていないか恐る恐る顔をあげると、いつもと同じ真顔であった。


「少し話を聞いてほしい」

「え、別にいいですけど……」

「そう、ならこっち来て」


 彼女の考えが読めない。ろくに話したこともない私に何の用事があるのだろうか。もしやカツアゲ……いや、アウトローなのは見た目と雰囲気だけだ。そんなことするわけない……って信じていいんだよね。


 そんな不安を抱えながら、ミルクティーが入ったコップを片手に彼女について行った。


 天金さんに連れてこられたのは、人気のない廊下の角。私達が案内された部屋からもドリンクバーからも直接見えない場所だ。空のコップを持った天金さんは壁に背を預けてから口を開いた。


「いきなりごめんな」

「あ、いえ」

「苦手な奴からの話だろうけど、すぐに終わるから」

「あ、や、天金さんが苦手とか全然そんな」

「大丈夫。怒ってないから」


 真顔でそんなこと言われても。やっぱり天金さんは怖い、そんな最初に抱いていた印象が沸き上がる。そんなことを彼女は意に介さず話し始めた。


「単刀直入に言わせてもらうよ」

「ど、どうぞ」

「……綾音を助けてあげて」

「…………え?」


 その言葉を理解するのに数秒かかった。相神さんの疲労は私も知っている。幼馴染である天金さんが知っていても何ら不思議ではない。でも、知っているならばなぜ天金さん自身で解決せずに私に頼むのか。そもそも、助けるとはどういうことなのか。まさか命を狙われてるわけでもないだろうし、だとしたら私に頼むはずがない。


 けれど、そんな疑問は天金さんの有無を言わせない圧力を前にしてのみこんでしまった。


「今の綾音は体以上に心が疲弊してる。自分のことで精一杯で、他人を思いやれないくらいに」


 他人を思いやる。完璧な相神さんがそれをできてないとは思えない。今日だって満員電車で私をかばってくれた。


「学校ではキャラ作ってるけど、昔はもっと明るくて、真っすぐを見られる子だった。本来の綾音なら佐藤たちとだって上手くやれてるはずなのに、全部見て見ぬふりして人のことを理解しようとしてない」


 彼女の声に震えが混じり始める。顔をあげて、怖くて見られなかった彼女の顔を見ると、無表情に見える顔の裏にある何かが見えた気がした。


「親友なのに、幼馴染なのに、私は壊れていく綾音を助けられない。悔しいけど、私じゃ綾音ををかけられない。でも、百瀬ならそれができる。全部を拒絶してた綾音が唯一受け入れようとした百瀬なら」


 その言葉の意味をすべて理解できたわけじゃない。なぜ幼馴染の彼女が助けられないのか、相神さんがすべてを拒絶してるとはどういうことなのか、わからないことは多い。でも、彼女の言葉が本当のことなんだと、根拠がないはずなのに信じられた。


「だから、お願い」


 要求するその声はあまりにも堂々としてて、傍から見れば押しつけているように聞こえるかもしれない。でも、彼女と対面している私にはその裏にある縋るような必死な気持ちが伝わって来た。


「私はまだ片手で数えられる程度しか相神さんと話してないし、昔の相神さんのことも知らない。でも、私はちゃんと相神さんの友達のつもりだよ」


 天金さんの誠意は十分に伝わった。それなら私も真っすぐ自分の気持ちを伝えるべきだ。


「だから、お願いなんかされなくても私は相神さんを助ける。天金さんと同じで、私も相神さんには笑顔でいてほしいから」


 天金さんは怖い人だって思い込んでた。でも、実際に話してみたらそれは間違いだってすぐに分かった。彼女はただ大切な友達に笑顔でいてほしいだけなんだ。


 折れてしまわないか心配になるほど真っすぐな心。仏頂面でも隠し切れない、言葉の節々から伝わってくる優しさ。親友の変化を機敏に察する観察力。


 そんな強くて聡い天金さんだからこそ、葵ちゃんが一番賢そうと評したのだろう。


「ありがとう」


 言葉はそれだけだった。でも、彼女の深い感謝の気持ちはちゃんと伝わった。


「天金さん」


 そのまま踵を返してドリンクバーに戻ろうとする天金さんを呼び止める。ゆっくりと振り返った彼女の顔は、もう怖いだなんて感じなかった。


「なに。早く戻らないとみんなに心配かけるよ」

「その、あんまり思いつめないで。そういうところが天金さんの素敵なところなんだろうけど、自分を救うために天金さんが傷つくことを相神さんは望んでないと思うから」


 ほんの少しだけど、私は天金さんと話しているときの相神さんの笑顔を見た。最初は相神さんが可愛いなんて呑気なことを考えていたけど、相神さんがあんな笑顔を見せられるのは、天金さんを大切に思っているからだ。


 きっと相神さんにとっての天金さんは、私にとっての葵ちゃんみたいな存在だ。それならきっとこう思ってる。


「……お気遣いどうも。頭には入れとく」


 無表情なのは変わらない。その言葉からは相神さんについて話していた時ほどの揺らぎは感じられなかった。それはきっと、自分なんかより相神さんのことを気にかけてほしいってことだろう。


 強い人だな。


 持ちやすい温度になったコップを握って、そんな彼女の背を追いかけた。

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