第9話 天使の歌声

 七人というのは意外と大所帯だ。通されたカラオケルームがかなり狭く感じる。ショッピングを楽しんで服とかを買った後というのもあって、荷物を置くスペースがかなり取られる。L字のソファの長い方の面には取り巻きのグループが、短い方には私と千夏と百瀬さんが座った。


「それじゃ、私からいきまーす!」


 カラオケで先陣を切ったのは取り巻きのリーダー格。彼女が選んだ曲は最近流行っているドラマの主題歌。可愛い曲調とは裏腹に、時折死をほのめかせるようなダークな曲だ。


「いえーい!」


 まぁ彼女がどんな曲か詳しくわかってるわけはないのだけど。流行に乗るというのは悪いことではないし、楽しむのが一番だから何を言うでもないけど。


「綾音、何飲みたい?」


 スマホで歌う曲の歌詞を確認していたら、コップを持った千夏が声をかけてきた。


「ウーロン茶。糖分は制限しないとだめだから」

「わかった」

「あ、私も行く」


 千夏が立ち上がると、それに百瀬さんがついて行った。はぁ、これで残ってるのは取り巻き集団だけか。ほんの少しの時間だけど、正直言ってストレスだ。次は私が歌って誤魔化そうかな。


「ノノ、私は春美のを持つから、芽衣のを頼める?」

「うん」

「あー、ありがとねー。じゃあ私はコーラで、たぶん春美はオレンジジュースかな。カラオケの時は炭酸飲みたがらないから」


 取り巻き組もドリンクを持ってくる係と残る係に分かれるようだ。リーダー格は採点付きで歌っていて集中しているから気を遣ったようだ。派手な青髪と大人しい子がいなくなったから、今部屋にいるのは三人。最初と比べるとかなり部屋が広く感じるが、息苦しさは増したような気がする。多分、私が一番嫌いなのがリーダー格の子だからだ。


「ねぇ、それ取ってくれない」

「お、次は綾音か。どうぞー」


 着せ替え好きな子からタッチパネルを受け取って曲名を入力する。歌はそこまで得意ではないけど、ストレス発散にはちょうどいい。取り巻きどもがいない部屋でってのが最良だけど、それは仕方ないか。


「89点、それなりだなぁ」


 採点を見て、リーダー格が微妙な反応をする。高い点数ではあるけど、自慢するほどでもない。彼女はマイクを置いて、ソファに体を投げうった。


 次は私の出番。私が入れた曲名が表示され、イントロが流れ始めた。


「んー? これなんの曲?」

「私が好きなバンドの曲」


 着せ替え好きな子からの質問に適当に返答する。この答えは嘘で、本当はヤヨちゃんが歌枠でこの曲をよく歌っているから。


 勢いのある曲調で激しく盛り上がるこの曲は、一見優しくて可愛い声のヤヨちゃんに合わないように思える。しかし、背中を押して応援してくれる歌詞が合わさることによってヤヨちゃんの性格とマッチして、普段とは一味違う新しいヤヨちゃんを見ることができるのだ。


 この曲を歌っているバンドについてはあまり知らないけど、この曲を歌ってる時のヤヨちゃんが好きだから、私はこの曲が好きなのだ。単純に歌ってて気持ちいいのもあるけど。


「おー、カッコいい曲だね」


 着せ替え好きの子から適当なコメントが挟まる。一方、リーダー格はスマホをいじりながら、タッチパネルに入力をしていた。


 曲の1番が終わったところで、カチャリと扉が開いた。入ってきたのは派手な髪の子と大人しい子。飲み物をテーブルに置くと、着せ替え好きな子はお礼を言っていたけど、リーダー格は何も言っていなかった。


 コイツのこういう所が嫌いだ。周りが自分に尽くすのが当たり前だと思っている。千夏がいたら注意しただろうけど、コイツと話すことがストレスだから私は何も言わない。


 結構長めな間奏が終わって2番が始まる。まだ千夏と百瀬さんは帰って来ない。飲み物を選ぶだけなのに、何をそんなに時間がかかっているのか。もしかして百瀬さんが途中でトイレに行ったのかな。


「春美、まだ決まらないの?」

「んー……なんかピンと来ないんだよね。もういいか。先に凛が選んで」

「えー、綾音の次とかハードル高いよ」


 リーダー格が派手な髪の子にタッチパネルを渡すが、どうも乗り気にならない様子。私は別に歌が得意なわけではないのだけど、なんのハードルがあると言うのか。


 そんなこんなでラスサビを歌い切る。そして採点で出た点数は87点。さっきより点数は低かった。まぁ、歌に誇りを持ってるわけではないから悔しくはないけど。


「うーん、次誰にする?」


 着せ替え好きな子がそう問いかけても返事は返ってこない。ドリンクを持ってきたばかりだし、このメンバーで孤立している私の次というのも気が乗らないのだろう。


「あれ、誰も歌ってないじゃん」


 そんな微妙な空気のところに、タイミングよく千夏と百瀬さんが帰ってきてくれた。


「何歌うか決まらないんだよね」

「最初からカラオケの予定だったのに。それくらい決めときなよ」


 千夏が私にウーロン茶を差し出しながら、曲が決まっていない取り巻き連中の準備不足に呆れた口調で苦言を呈した。


「それなら私が歌っていいかな」


 その会話の中で、意外なことに百瀬さんから手を挙げた。こういう場では控えめな態度な子だと思っていたけど、朝のナンパの時といい、百瀬さんは意外と肝が座っているのかもしれない。


「いいよー。どうぞ」


 着せ替え好きな子が百瀬さんにタッチパネルを渡す。隣から覗いてみると、彼女が入力していたのはヤヨちゃんがよく歌っている曲だった。


 この曲は人が歌ったものではなく、キャラクター性を持つ機械音声のプロデュースのために作られ、その機械音声が歌い上げた曲だ。最近はこれと同じようなカテゴリの曲が人気を上げている。


 歌詞もメロディもキラキラとしたアイドル曲で、ヤヨちゃんの十八番でもある。歌枠では毎回これを一度は歌い、ファンの間ではテンプレコメントも完成されている。


「よし。頑張って盛り上げます!」


 百瀬さんはマイクをギュッと持って曲名が表示されるモニタに目を向ける。


 彼女はヤヨちゃんと声が似ているけど、歌声は果たして似ているのだろうか。地声と歌声では色々メカニズムが違うと思うのだけど。


「〜〜〜♪」


 そんな疑問の答えは、彼女の歌い出しを聞いてすぐに理解できた。


「……似て、いや、やば」


 ほんの少し低い印象はある。しかし歌う時の雰囲気が同じすぎて、僅かな違和感は消え去っていた。ふわふわとした柔らかい声質、まっすぐと伸びる高音。そして視聴者に元気を与えてくれる気持ちがこもった歌声。


 そのどれもがヤヨちゃんと瓜二つで、語彙力を失った私は、綺麗な声で可愛く歌う彼女にヤヨちゃんを重ねて感動していた。


「上手いね。本物のアイドルみたい」


 千夏がタッチパネルで次の曲を入力しながら、そんなコメントをした。私も同感だ。全く無理なくヤヨちゃんを重ねられるくらい、彼女は私の推しであるヤヨちゃんと共通しているということだ。


 そんな彼女にはアイドルみたいという評価がふさわしい。


 これは嬉しい誤算だ。声だけだと思っていたけど、歌声まで似ているなんて。次に遊びに誘うときはカラオケも視野に入れよう。今度は取り巻きを誘わずに、もっと気持ちよく聞ける環境で。


「ふぅ。どうかな」


 ラスサビまで勢いを落とさず歌いきり、百瀬さんが私たちの方に顔を向けた。点数は95点。かなりの高得点だ。


「すっごく可愛かったよ! 歌もしっかり上手だったし、すごいね百瀬さん!」

「ありがとう白銀さん。頑張って歌った甲斐があったよ」


 マイクを置いた百瀬さんが大人しい子と手を取り合って笑い合う。裏でギスギスしているこのグループの中では、この二人みたいな微笑ましい光景はなかなか拝めないからか、千夏は二人を優しい目で見守っていた。


「さすが綾音が連れてきただけはあるわね」

「歌が上手くて可愛いって、もしかして百瀬さんって目立たないけど結構すごい?」


 取り巻きのリーダー格がなんか偉そうに評価をして、隣の着せ替え好きの子がより具体的な評価を伝える。すると百瀬さんは立て続けの賞賛が恥ずかしくなったのか、ずるずるとゆっくりソファに座って取り巻き側から視線を逸らした。


「そ、それほどでも……です」


 百瀬さんがそうやって錆びた歯車みたいにゆっくりと取り巻き達から目を逸らしていく。なんな変な敬語になってるけど、そのまま動かして辿り着く場所をちゃんとわかっているのだろうか。


「あ……あ、相神さん」

「お疲れ。いい歌だったよ」


 私が隣に座っていることを忘れていたのか、私と目があってあからさまに慌てた。こういう天然っぷりもヤヨちゃんとよく似ている。


「あんなに可愛い歌声なら、ずっと聴いていられそう」

「それは、それほどでも……」


 着せ替え人形になっていた時といい、彼女のリアクションは私の解釈の中での愛神ヤヨと同じものだ。だから、こうやってヤヨちゃんと一緒に遊んでいるという疑似体験を楽しめる。


 もう少し遊んでみよう。


「でも、もっと落ち着いて聴きたいな。集中できるよう、二人きりでとか」

「えあ、そ、そんな……相神さんと二人きりでなんて畏れ多いよ……」


 顔を近づけて思わせぶりに色っぽく囁きかける。自分で言うのもなんだけど私は顔が整っている。そんな子に詰め寄られたら、ヤヨちゃんはきっとたじたじになる。


 百瀬さんのリアクションはまさにそれ。頬を赤く染めて、私と目を合わせようとしない。本当にヤヨちゃんが隣にいるみたいだ。


「そう? 友達と二人でカラオケって珍しくないと思うけど。それとも、私が嫌いなの?」

「き、嫌いじゃないよ。むしろ好きっていうか、全然嫌とかじゃなくて。でもやっぱり二人きりっていうのは……その……」


 彼女が言葉に詰まる。耳まで広がった朱色は私にとっての危険信号。これ以上いじったら千夏から怒られそうだから、ここで一旦やめることにした。


「なーんて。冗談だよ」


 百瀬さんの頬をつついて、わざとらしくおちゃらけた笑顔を見せる。彼女は呆気に取られて大きく目を見開くと、揶揄われた怒りが噴出して頬を膨らませた。


「もう、思わせぶりなこと言わないでよ。びっくりしちゃうじゃん」

「ごめんごめん。百瀬さんが素直だからつい」


 これは本当。ヤヨちゃんの声と似ているという以外にも、彼女は取り巻き達みたいな腹黒さはない。それは間違いなく美点だ。一緒にいてストレスがない。


「まだ始まったばっかりだから、楽しんでいこうよ。さっきのことは水に流して、ね?」

「……もう、わかったよ」


 なんとか許してもらえたところで、いま歌っている千夏の声に耳を傾ける。


 このグループのギスギスした関係の外にいる百瀬さんが盛り上げてくれたおかげで、私たちは普段よりも楽しく歌えた。


 そして、日が暮れるまでみんなでカラオケを楽しんで、その日はそれぞれの家に帰っていった。

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