第6話 駅と満員電車
駅の3番ホーム。そこでは休みの日にお出かけをする若者でごった返していて、そこかしこから話し声が聞こえてくる。騒がしすぎるせいで隣の人の言葉くらいしか聞き取れないのは、今の私にとって都合が良かった。
「ねぇ、百瀬さん」
「なにかな」
彼女の声は周りの声にかき消されて、前にいる千夏たちには届いていない。でも私にだけはハッキリ聞こえる。ここはまさに騒音という壁に囲まれた取り調べ室と言える。
「遅れちゃったけど、さっきは助けてくれてありがとう」
「あっ、いえ、全然そんな……私なんか全然何もできなくて、結局は天金さんに助けてもらったから」
彼女と会話をするのはこれで三回目だけど、やっぱりこの子は私が嫌いなタイプの人間にしか見えない。強さに怯える弱い人間。ナンパ男にだって簡単に反撃されてたし、人と話す時も縮こまってしまっている。
いつも何かに怯えている小動物、捕食者の恰好の餌食、私の目には百瀬さんはそんな存在としか映らない。でも、彼女がそんな存在だとしたら不可解なことがあった。
「あの時、なんで助けに来てくれたの?」
弱い人間なら一人で助けに来る度胸なんてないはずだ。それなのに彼女は私を助けにきた。結果はさんざんだったけど、取り巻き四人が二の足を踏む中、彼女だけが動けた。
百瀬さんはあの時、弱い人間と強い人間のどちらの側面を見せた。この矛盾を解消できたら、千夏の言っていたことがわかるかも知れない。
「えっと……なんていうか、とっさに体が動いたの。冷静に考えたら私が男の人をどうにかできるわけ無いんだけど、やっぱり何かしないとって思って」
「それで無策で突っ込んで来たんだ」
「うっ、力及ばずすみません……」
「ああいや、責めてるわけじゃないよ。百瀬さんって大人しい印象だったから、どうしてあんな無茶したのかなって気になったの」
今話していても、この子にあんな行動を起こせる勇気がある人間だとは思えない。
「それは……その……」
百瀬さんは前で談笑している四人と、線路側を黙って見ている千夏を確認した後、私の袖を引いた。どうやら万一にも前のみんなには聞かれたくないらしい。彼女の要求通り少し屈んで耳を近づけた。
「相神さん、本当は家でゆっくりしたいんじゃないの?」
不意打ちだった。突然心臓を直接掴まれたような感覚がして、体が跳ねそうになる。しかし、ここで取り乱すわけにはいかない。あくまで冷静に彼女の言葉に耳を傾ける。
「ちょっと前までずっと仕事だったから、正直そう思ってるところもあるかな。でも、友達と遊ぶのもいいリフレッシュになるよ」
一旦彼女の言葉を肯定し、角が立たないようフォローを入れる。これで彼女から私の本心が流出するのを防ぐ。
「そっか。やっぱり疲れてたんだ」
けれど、彼女は私の心臓を手放してはくれなかった。今まで千夏にしか分からなかった私の心の裏を覗かれるような感覚。気味が悪くて、改めて彼女と目を合わせたら、とてもさっきまでオドオドしていた弱い人間と同一人物とは思えなかった。
「いつもの相神さんならあんな人達どうって事ないと思う。でも、今日ナンパされてた相神さんは、いつもみたいに堂々としてなくて、どこか弱々しく見えたの」
弱い。私を形容する言葉として決して出てはならないそれを、彼女は口にした。けれどそれに怒りは感じなかった。感じることができなかった。
だって、その言葉に納得してしまったから。
「私は相神さんのことすごいって思ってる。モデルとして活躍してて、いつも堂々としてて、勉強も運動もできて、スターとしてオーラがある。完璧だって、そう思ってる」
その言葉に嘘は無かった。真っ直ぐすぎる彼女の言葉は、照れるっていう誤魔化しすら許してくれなかった。
「でも、相神さんと話して、相神さんのことをちゃんと見てようやく分かったの。相神さんだって疲れる事もあるって、嫌な事もあるって。だから、この前の電話の時も言ったけど、困った事があったら頼って欲しいな。なったばっかりだけど、相神さんは大切な友達だから」
濁りのないまっすぐな瞳は、ちゃんと私を見ていてくれていた。温かな微笑みは、私の心のヒビ割れをそっと撫でて癒してくれた。
正しさで導いて、傷付かないよう心を守ってくれる千夏とは違う。彼女の言葉は、私の心の傷に触れて治してくれる。そんな感覚は初めてで、なんて言葉を返せばいいか分からなかった。
「そっか。うん、ありがとう」
だから、この言葉はありのままの私から出た言葉。本気で人に感謝したのは千夏以外で初めてかも知れない。
「あ、来たね」
時間になって電車が駅に到着する。席はもうほとんど埋まっていて、狭い隙間を埋めるように電車に乗り込んだ。ほんの3駅程度の移動だけど、狭い中で立ち続けるのは結構疲れるしストレスだ。隣の百瀬さんは小柄なせいで人に容赦なく押しつぶされていて息苦しそうだった。
「……百瀬さん、こっち」
彼女の腕を引いて壁際に寄せる。そして人混みからかばうように、壁を背にした彼女の前に立った。
「あ、あわわ、ちちち、ちかいです……」
人気モデルの私の顔が目と鼻の先にあるからか、赤面して照れている。百瀬さんは素直なリアクションをしてくれるようだ。これを誘導してら、ヤヨちゃんと満員電車でいちゃつく妄想が再現できるかもしれない。
「ふふっ、そんなに照れちゃって可愛いね」
「ちょ、ちょっと、揶揄わないでよ。私なんて相神さんと比べたら全然可愛くないし……」
「ヤ……百瀬さんは私とはタイプが違うだけでちゃんと可愛いよ」
百瀬さんとヤヨちゃんを重ねていたせいで名前を言い間違えかけたけど、ギリギリ誤魔化すことができた。
「はうぅ……」
頬を染めていた朱色が耳まで広がって、彼女を乙女の顔にする。詰め寄られたらただ唸ることしかできないというのが解釈一致すぎて、思わず頬が緩んだ。今の表情は人にお見せできないくらい崩れていただろうけど、百瀬さんが私の顔を見ないように目をそらしていたから助かった。
「冗談は置いといて、これでおあいこだよ」
「お、おあいこ?」
「助けてくれたお礼ってこと。人に恩作ったままなのは嫌だから」
「そっか、ありがとう。疲れたら無理しなくていいからね」
「これくらい大丈夫よ」
人に押しつぶされて苦しそうだった彼女は、人に守られる場所に来れたからか安心したように微笑んだ。そんな彼女を少し可愛いかもって思ったのは、彼女の優しさに絆されてしまったからかも知れない。
そうやって彼女を守ったまま、私は満員電車での時間を過ごした。
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