第2話 憧れのあなた

 私の通う学校は、勉強よりも部活や遊びを優先する生徒が多い。だから、この放課後の教室に残っている人間はごく僅かだ。そしてそんなマイノリティーの中に、私はいる。


「今日はなんだかご機嫌だね、みなみ。何かいいことでもあったの?」


 机をくっつけて私と向き合っている彼女は椎名しいなあおい。私の親友で、学級委員長と生徒会長を務めている。優秀でしっかり者、優等生の鑑のような存在で、先生からの信用も厚い。なんで私みたいな目立たない地味な女子と仲良くしてるのか時々疑問に思う。


「葵ちゃんには隠し事できないね」

「で、何があったの?」

「今日、相神さんに話しかけてもらえて、連絡先まで交換できたんだ」


 誇らしげに相神さんから貰った連絡先を見せる。葵ちゃんは私のスマホをじっと見つめたまま動かなくなり、ポロリと手から消しゴムが転げ落ちた。


「いつの間にそんな……」

「お昼に葵ちゃんが生徒会の仕事してた時だよ。急に話しかけられたからビックリしちゃった」

「その、上手く話せたの? 全然タイプ違うでしょ」

「うっ、それは……うん。全然ダメだった」


 あの時の会話はぎこちないなんてものじゃない。喋る話題がなくて言葉に詰まる私を見かねて、なんとか相神さんが言葉を引き出してくれていた。


「何でいきなり相神さんが。何か用事があったとか?」

「そんな感じじゃなかったよ。世間話とか課題のこととか、それ以上のことは何も」

「何それ。なーんか怪しいな」


 葵ちゃんは頬杖をついて私の目をじっと見つめた。どうやら相神さんを疑っているみたいだ。いくら葵ちゃんでも相神さんを悪く言うのは許せない。


「私が相神さんに話しかけられるのって、そんなにあり得ないかな。それに相神さんは悪い人じゃないよ。いつも堂々としててカッコいいし、仕事も忙しいのに、ストイックに運動も勉強もこなしてるすごい人だよ!」

「いや、それとこれとは関係ないでしょ」

「むぅ」


 それもそうである。相神さんがいくら完璧な人でも、裏の悪意を疑っている現状では関係ないのだ。


「まぁ、相神さんの気まぐれだと思うよ。あんな下手くそな会話しちゃったからもう話しかけられないよ、はは……」


 私と適当に話したところで何かに繋がるとは考えられない。気まぐれの遊びで私みたいな地味な子を揶揄った可能性が高い。私に気があるなんてそんな、都合がいい妄想だ。


「うぅ……やらかしちゃったー……」


 あそこで上手くやれてたら、たまに話しかけてくれる知り合い程度の関係にはなれたのだろうけど、そんなチャンスすら不意にしてしまった。


 連絡先の交換も社交辞令だろうし、葵ちゃんと話して冷静に考え始めたらどんどんテンションが下がってきた。相神さんと話せたのが嬉しすぎて目を逸らせていたけど、思い返せば最高のチャンスをふいにしてしまったのだ。


「こんな事ならもっとファッションとかメイクとか勉強しとけばよかった……」

「一気に沈んじゃった。でも、連絡先を手に入れたんなら南からコンタクトできるよ。南が死に物狂いで頑張ればもしかしたら……なんて」

「そんなの無理だよぉ〜」


 私と相神さんでは住んでいる世界が違いすぎる。例えるのならば海と陸。私と相神さんの構成要素を箇条書きすれば全てが対極になる自信がある。


「まぁそこは南の自由だよ。頑張るって言うなら私も応援するし」

「そうかぁ……でも無理だなぁ。舞い上がっちゃったけど、憧れは憧れのままでいいのかも」

「ふーん」


 葵ちゃんはこの話題が終わったと見るや否や、すぐにノートに視線を移した。私が勝手にてんやわんやしてただけだから、大して面白くもないし広げたくない話だったみたいだ。


 少しずつ暗くなっていく教室で、私と葵ちゃんは下校時間になるまで勉強を続けた。


 ○○○


 私の名前は百瀬ももせみなみ。クラスで目立たない地味な女子だ。親友の葵ちゃんは可愛いってよく言ってくれるけど、告白なんてされたことがないから優しい葵ちゃんのお世辞だろう。


 部活は葵ちゃんと一緒に写真部に所属している。活動は週に二日程度で、休んだとしても何も言われないゆるい部活だ。月一くらいの頻度で休日に絶景スポットへ遠征するが、それも自由参加だ。


 私は昔からどんくさいとか不器用とか言われてて、その通り成績も悪かったのだけど、中学から仲良くなった葵ちゃんのおかげで中の上くらいの成績にまで向上した。


 そんな感じで地味だけどそれなりに楽しい日々を送っている普通な私は、一部の人しか知らない秘密を二つ抱えている。


 一つ目は恋愛対象が女の子ということだ。一旦断っておくけど、葵ちゃんは友達として大好きだけど、恋愛的に好きなわけじゃない。恋愛対象が女の子なだけで全ての女の子が好きなわけではないのだ。当たり前のことだけど、一応ね。


 この事は家族と葵ちゃんしか知らない。家族と親友に受け入れられているし、関わる人も多くないから肩身が狭い思いはしてない。


 そんな私が好きな人は相神綾音さん。いつも堂々としていて、何でも完璧にこなす彼女は私が持っていないものを全て持っていて、すっかり虜になってしまった。恋というより憧れに近いのかもしれないけど、学校の人気者や人気アイドルに恋する人はだいたいこんな感情なのだと思う。


 この事は隠していたつもりだけど、葵ちゃんにはすぐにバレてしまった。相神さんへのアプローチはできていないけど、あまり焦ってはいない。ただ完璧な彼女に憧れるだけの今が私にはちょうどいいから。


 そしてもう一つの秘密は、私の部屋に隠されている。一般的な女子高生の勉強机にしては大きすぎる黒いテーブルの上には、ハイスペックPCとマイクが置かれている。そして深呼吸をして、ヘッドフォンを装着してもう慣れたひと言を発した。


「人の子たちよ、こんはーと。愛神ヤヨです。今日も配信を見に来てくれてありがとー」


 私は愛神ヤヨというVtuberとして日々活動している。高校生になってから始めて、先月活動一周年の記念配信を終えた。チャンネル登録者数は8万人で、二周年までに10万人達成するのが目標だ。


「今日は今話題のホラーゲーム、ノースシーロードをプレイしたいと思います」


 自分に誇れるものがなくて変わりたいと思っていた高校入学前に、葵ちゃんに私の長所は何かと聞いたら声が可愛いと言われた。高校生になって活動を始める口実はできたし、葵ちゃんが見つけてくれた私の唯一の長所を活かせると思って、Vtuberを始めたのだ。


「スパチャありがとうございます」


 技術的な問題は、父親が詳しかったので問題はなかった。初めての配信は緊張して少しぎこちなかったけど、それが初々しくてかわいいとそれなりの反響があった。


「次はここの扉を、きゃあ! もう、ホラーゲームのびっくりするやつ嫌い……」


 少し前に私を紹介してくれている記事を読んだら、耳をくすぐる可愛い声とそれに似合った可愛らしいリアクションが魅力と書かれていた。葵ちゃんが私の長所と言ってくれたところが愛神ヤヨの魅力になっていたのが、まるで私が認められたみたいで嬉しかった。


「か、可愛いって連投するのやめてください! からかわないで人の子たち!」


 愛神ヤヨは愛の伝道師として現世に遣わされた愛の神という設定がある。さっきから視聴者を人の子たちと呼んでいるのはそれが理由だ。流石に設定なしというわけにはいかなかったので、私が無理なくできそうなキャラ付けをした。


「はい、今日はここまでです人の子たちよ。おつやよー」


 締めのあいさつをして配信を終了する。ヘッドフォンを外してテーブルに置き、もう一度配信が切れてるか確認した。安全確認が終わり、緊張がほどけてふぅとため息をついた。するとスマホから着信音がして、手に取ると相手は葵ちゃんだった。


「お疲れ様、南。今日の配信も可愛かったよ」

「もう、今日もそれだけのために電話してきたの?」


 葵ちゃんは配信が終わったら、決まって電話をしてくる。その目的は配信を頑張った私をほめるというだけで、通話は三分程度で終わってしまう。


「前も言ったけど、メッセージだけでよくない?」

「よくない。文字より声で伝えた方がいろんなことが伝わるんだよ」

「それはわかるけど」

「じゃあやめた方がいい?」

「それは……よくないけど」

「ほら、嬉しいんじゃん。南はわかりやすくて可愛いね」

「も、もう! 用事が終わったんなら切るよ!」

「はいはい、おやすみ」

「おやすみなさい!」


 通話を切ってスマホをベッドの上に投げる。葵ちゃんはこんな風にいつも私を可愛いと言って揶揄ってくる。電話越しでも葵ちゃんの意地悪な笑顔がよく見える。でも、なんだかんだ私を誰よりも肯定してくれる葵ちゃんの存在は、大変なVtuberの活動の中で私を支えてくれていると思う。


「さてと、明日の準備して寝よ」


 時刻は10時、休めるときにちゃんと休むのが過酷なVtuber活動で大切なことだ。カバンを広げて教科書を整理しようとした時、ベッドのほうから着信音が聞こえてきた。また葵ちゃんかと思ってスマホを手に取ると、その画面には相神という名前が書かれていた。


「ちょ、え、えぇ!?」


 動揺してスマホを手から落としてしまった。下が柔らかいベッドだったからスマホは無事だったが、私自身は全く無事ではなかった。


「どどどどうしよう!」


 助けて葵ちゃんと言いたいところだけど、早く電話に出ないといけないからそんな暇はない。親に頼るのもおかしいから、この状況を一人でどうにかしないといけない。


「う、うぅ、どうにかなれー!」


 意を決せないままやけくそで好きな人からの電話に出る。


『もしもし?』

『百瀬さん、少しいいかな』

『大丈夫だけど、急にどうしたの?』


 なんとか普通の対応ができてるけど、心臓がバクバクして落ち着かない。あの相神さんから電話が来るなんて思っていなかった。あんな下手糞な会話をさらした私に何の用があるのだろうか。


『あー……あなたの声が聞きたくなったの』

『へぁ』


 衝撃的な彼女の言葉に間抜けな声が出た。え? これって夢じゃないよね? 私の声が聞きたいってあの相神さんが言うなんて、そんな都合のいいことがあるのだろうか。動揺して変な汗が出てきた。


『え、そ、そうなんだ……』


 とりあえず相神さんに引かれないように普通なふりをする。多分できてないけど。


『今からメモ送るからさ、それを読んで欲しいの』

『え、なんでそんな事……』

『いいからやって』

『ご、ごめん』


 急に変な要求をした彼女に疑問を投げかけようとしたけど、急に怖い声で威圧されたから引き下がってしまった。なんだか不機嫌なような、こんな声、学校では聞いたことがない。


 とにかく彼女の言ったとおりにしようと送られてきたメモを見たら、電話がかかってきた時以上の衝撃が走った。


 そこに書かれていた言葉はまるでシチュエーション系のASMRのような、人を甘やかすセリフであった。葵ちゃんが言ってくれたみたいに、相神さんも私の声が可愛いと思ってくれているのだろうか。


 だとしたら相神さんがこんな電話をしてきた理由は一つだ。きっと相神さんは仕事で疲れているのだ。今日のお昼も急に好きな人が話しかけてくれた衝撃で気付かなかったけど、声がどこか疲れていたような気がする。今だってそうだ。いつも完璧な彼女に余裕がないように見える。


 そうと分かればやることは一つ。全力で相神さんに癒しを提供するんだ。私が唯一誇れるこの声で。


『えっと……綾音ちゃん、今日も頑張ったね。えらいよ』


 母が昔私に向けてくれたような、すべてを受け入れる慈しみの声で彼女の名前を呼ぶ。


『もうひと頑張りしよう。大丈夫、綾音ちゃんにならできるよ。私も見守ってるから』


 葵ちゃんが私にしてくれたように、自分を肯定できる勇気を与える声を囁く。これが今の私にできる全力。この声が相神さんに力を与えられることをただ祈った。


『……ふぅ、ありがとう百瀬さん。急に電話してごめんね』


 彼女の声にいつも通りの余裕が戻っていた。私の声が彼女の役に立てたみたいで一安心だ。でも、相神さんが知り合ったばかりの私に弱みを見せるなんて異常事態だ。私の想像より彼女の仕事は大変なのかもしれない。


『気にしなくていいよ。課題も終わって暇だったから』

『そっか。それじゃあ切るね』

『ちょ、ちょっと待って!』

『なに?』

『その……このまま切っても大丈夫なのかなって?』

『なんで?』


 咄嗟に彼女が電話を切るのを止めたら、また余裕のない彼女が顔を出した。完璧な彼女にとって、私の手助けなんて不愉快なのかもしれない。だけど、こんなに弱っている人を見て見ぬふりなんてできない。


『その……今日のお昼もそうだったけど、声が疲れてる感じしたから。知り合ったばっかりの私が言うのも変だけど、心配で』

『……百瀬さんの言う通り、ちょっと疲れてるのかもね。でも明日には治ってるよ。心配しないで』


 それは無理をしている人の言葉だ。でも、私はまだこれ以上踏み込んでいい場所にいない。


『そっか。でも、私にできることがあるなら遠慮なく頼って』


 だから、いつでも出せる助け舟を彼女に示す。強い人ほど差し出された手を取るのが苦手だから。


『そうさせてもらうわ』

『うん。それじゃあまた明日。おやすみなさい』

『……うん、おやすみ』


 憧れの相神さんとの初めての電話は、意外な方向に進んで終わった。今日初めて知った相神さんの弱い部分。そして、私を頼ってくれたという事実。


 私の声が聞きたい。確かに相神さんはそう言ってくれた。私の唯一の長所が彼女の役に立てるなら、私は全力を尽くす。きっと相神さんが今日話しかけてくれたのも気まぐれなんかじゃない。仕事で疲れた相神さんの無意識のSOSだ。


「よし、やってやる!」


 好きな人が困ってるなら力になりたいのが人情だ。下手糞な会話をしたときは諦めていたけど、相神さんを支えられるような存在になって見せる。できれば恋人になって、なんて煩悩がないとは言わないけど。


 そんな決意をした私は英気を養うためにすぐにベッドにもぐりこんだものの、しばらく相神さんと電話ができた興奮で眠ることができなかった。


 憧れの人のために動く。この決意が、私の人生を決める選択だったことを私はまだ知らなかった。

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