推しのVtuberの声に似てる貴方が本物の推しであることを私はまだ知らない

SEN

本音を隠して出会った二人

第1話 推しの声が聞きたくて

 あの時の私は、端的に言えば疲れていた。だからあんなことをしてしまったのだろう。


 ○○○


「百瀬さん、少しいいかしら」

「え、な、なんですか……?」


 百瀬ももせみなみとの初めての会話は、普通ならつまらないと断ずるほどぎこちないものだった。それもそうだ。私は彼女のことを何も知らないし、興味もなかったから。百瀬さんもグループが違う私から話しかけられるなんて思っていなかったみたいで、何をどう話せばいいかわからない様子だった。


 本来ならこんな大人しい子……乱暴な言葉を使えば陰キャな彼女は嫌いな人間に分類される。しかし、彼女は他の子には持ちえない要素を持っていた。


 私の推し、愛神あいがみヤヨと声が酷似しているのだ。愛神ヤヨはチャンネル登録者8万人の中堅Vtuber。耳をくすぐるような可愛らしい声が特徴で、その声に似合う愛らしいリアクションで人気だ。


 漢字は違うが私と同じ読み方の苗字を持つ彼女の配信を、興味本位で覗いてみたら完全に沼に落ちてしまった。それからは忙しい日々の癒しとして彼女の配信をみてはスパチャを投げるという生活をしていた。


 そんなある日私は百瀬さんの声を聞いたのだ。最初は忙しさのあまり幻聴が聞こえたのだと思ったが、彼女の声は紛れもない現実であった。私はすぐさま彼女に声をかけ、彼女との会話ではなく、彼女の声を楽しんだのだ。


「それじゃあまたね」

「は、はい」

「あ、忘れるところだった。ライン交換しよ」


 彼女に私のラインのバーコードを差し出す。彼女は慌ててスマホを取り出し、バーコードを読み込んだ。


「これでよし。また連絡するね」


 一方的に話しかけて、連絡先を手に入れて満足したので即おさらば。彼女と何を話したかは覚えていないが、彼女の愛神ヤヨに似た可愛い声はしっかり覚えている。


綾音あやね、そろそろ時間だぞ」

「わかってるよ千夏ちなつ。みんなも、行ってくるね」

「いってらしゃーい」

「仕事頑張ってね、相神あいがみさん」


 幼馴染の千夏と普段一緒にいるグループの子たちに見送られて教室を出る。グラウンドに出るとマネージャーの黒い車が停まっていた。私がそれに近づくと鍵が開き、扉を開けて中に入った。


「お疲れ様です、相神さん」

「今日の仕事は?」

「ファッション誌の撮影が二件です。日が落ちる前には帰れると思います」

「そっか。りょーかい」


 車のドリンクホルダーに用意されていたレモンティーを飲んでのどを潤し、いつも通り仕事場へ向かった。


 私、相神綾音はただの女子高生ではない。ファッション誌を読んでいるなら知らない人はいない、今をときめく人気ファッションモデルなのだ。だからこうして仕事があるときは途中で学校を抜けるのだ。


 この仕事が好きかと聞かれれば、少し返答に困ってしまう。私はスカウトされてモデルの仕事を始めたのだ。まぁ、スカウトした人間もここまで人気になるとは思っていなかっただろうけど。


 好きで始めたわけじゃない。目指してここに立っているわけじゃない。でも、お金と人気を手に入れられるのは悪くないって思ってる。好きではないが嫌いでもないのだ。だからこの状況を仕事と割り切って好き勝手にやらせてもらっている。


「はい、オッケーでーす」


 カメラマンの一言で緊張から解放される。今日の仕事はこれで終わり。いつも通り要望されたポーズと表情を提供し、クライアントが宣伝したいファッションの魅力を引き上げる。ファッションは好きだし、こういうのも悪くないなって思う。


「いやー、今日も最高だったよ相神ちゃん!」

「そうですか。ありがとうございます」


 でも、こういう大人の相手をするのは嫌いだ。


「もうこんな時間だしさ、一緒にご飯とかどう? 今日の仕事と今後のことも話したいしさ!」

「すみません。母がもう夕飯を作ってると思うので帰ります」


 いい大人がなに女子高生に鼻の下を伸ばしてるんだ。特に知りもしないし、知るつもりもない大人の言葉がどれだけ不愉快か分からないのか。


「あー、それなら仕方ないか。じゃあ食事はまた次の機会にして、次の仕事もよろしくね」

「はい。今日はありがとうございました」


 気持ち悪い。こんな言葉をハッキリ言えてしまえたらどんなに良かったか。私は人気ファッションモデルだが、業界において大した権力はない。大人達にとって私はただの女子高生に過ぎないのだ。


 だから私は心の澱みを飲み込んで、偽物の笑顔を貼り付けて大人達の機嫌をとる。そんな事を強制されるのが、この世界の嫌いなところだ。


「ただいま」


 マネージャーに送ってもらって、家に到着したのは夜の7時だった。事故か何かが原因の渋滞に巻き込まれてしまったせいで、少し遅くなってしまった。


 真っ暗な玄関の電気をつけて、リビングに続く扉を開ける。玄関からの光がリビングに差し込み、私の影をフローリングの床に作り出す。


「……まだ帰ってないんだ」


 私の親は忙しい。母は大物女優として夜遅くまでロケをしている。あの人は自分も他人も関係なく演技をとことんこだわる性格だから、共演者へのダメ出しとか自分の演技に納得できないとかで時間を使って、結果的に家に帰ってこれない日も珍しくない。


 今は新作の映画を撮っているらしいから、あの人の拘りが発動して帰ってこない可能性が高い。監督や共演者には同情する。でも、あの人のこだわりで作品は必ず良い物になるようだ。


「……だったら育児もこだわれよ」


 冷凍庫から取り出した冷凍パスタを前にして、私の心の澱みが漏れ出した。


 前に母の手料理を食べたのはいつだったかな。どんな味だったっけ。そもそも、私はそんなものを食べたことがあったっけ。


 心の澱みが私を錯乱させる。それを誤魔化すように私は冷凍パスタをレンジに入れて勢いよく閉めた。呼吸を荒くしながらキッチンから離れると、父のCDアルバムが目に留まった。


 父のCDアルバムというのは、父が買ったCDアルバムという意味ではなく、父の曲が収録されたCDアルバムということだ。日本語というのは面倒くさい。


 私の父は世界的に有名なミュージシャンだ。今もアメリカ横断ツアーをやっていて、かれこれ三か月ほど顔を見ていないし、連絡すらくれないから声も聞いていない。


 便りがないのはいい便りだというし、何かあったらあいつのマネージャーから連絡があるだろう。心配はしていない。そんな情が私に残っているか疑問ではあるが。


 ダイニングテーブルにフォークを置いて、冷蔵庫から取り出したお茶をコップに注ぐ。冷凍パスタができるまであと4分。


 あいつはファンへの対応が素晴らしいと言われている。その事についてインタビューで聞かれると「ファンは俺たちという存在を作ってくれる大切な仲間なんだ。仲間を蔑ろにする奴なんてクールじゃねぇだろ?」なんて答えてた。


「じゃあ子供を蔑ろにする親はクールなのかよ」


 誰にも聞かれないその言葉に意味なんてない。


 冷凍パスタのパッケージの裏に書かれていた時間が過ぎて、レンジから完成を告げる音がした。


 レンジを開けて皿を取り出してみると、その中にあるパスタの中心はまだ冷えたままだった。


 夕食を食べて、入浴を済ませる。髪の毛や肌のケアも終わらせて、スマホを確認する。母からの今日は帰らないという予想通りの連絡は無視して、幼馴染の千夏の連絡を確認する。今日の課題が何かというメッセージと授業のノートの写真を送ってくれていた。


『時間がなかったら写していいよ』


 そんなメッセージと共に課題の答えが書かれたノートの写真まで送ってくれていた。


『いつもありがとう、千夏』


 千夏に本心の言葉を送る。親はろくに世話してくれた事なんてないし、高校の友達のほとんどは人気モデルの私のネームバリューに釣られて来ただけ。本当の意味で私を気にかけてくれるのは千夏しか居ない。


「課題やらないと」


 仕事で疲れて、お風呂で体が温まっているから今すぐ眠ってしまいたい。でも、成績を落とすわけにもいかないし、そのために千夏が手伝ってくれているんだから、課題をやらないわけにもいかない。


 自室に戻って勉強机に座り、千夏が送ってくれた答えを写すためにノートを広げる。けれど手は動かない。自分が思っているより気が滅入ってしまっているようだ。


「あ、今日の配信終わってる」


 こういう時は推しの声を聞いてテンションを上げるのだけど、今日の配信が終わってしまっていた。疲れのせいで配信が始まる時間が頭から抜けていたみたいだ。アーカイブに残ってる配信でも見ようかと思った瞬間、ある妙案が思い浮かんだ。


 LINEを確認し、今日追加された新しい連絡先をタッチする。現在時刻は夜の10時。まぁ高校生なら起きている時間だろう。そう考えて電話をした。


『もしもし?』

『百瀬さん、少しいいかな』


 愛神ヤヨが居ないのなら、彼女で代用すればいいのだ。百瀬さんに近付いたのもそれが目的だし。というわけで、しばらく彼女には私の心を癒すためのスピーカーになってもらう事にした。


『大丈夫だけど、急にどうしたの?』

『あー……あなたの声が聞きたくなったの』

『へぁ、え、そ、そうなんだ……』


 疲れてたせいでなんかとんでもない事を言ってしまったような。まぁいいか。はやくヤヨちゃんの……じゃなくてヤヨちゃんに似ている声を聞きたい。


『今からメモ送るからさ、それを読んで欲しいの』

『え、なんでそんな事……』

『いいからやって』

『ご、ごめん』


 別に私は百瀬さんなんかと話したいわけじゃない。ただ、癒されるために推しに似た声を聞きたいのだ。


『えっと……綾音ちゃん、今日も頑張ったね。えらいよ』


 その声で人にお見せできないようなニヤケ面になってしまう。


 私がアーカイブではなく百瀬さんを選んだ理由がこれだ。ヤヨちゃんは私の名前なんて呼んでくれないけど、百瀬さんになら言わせることができる。百瀬さんを利用する事で、擬似的だが推しに応援してもらうという素晴らしい体験ができるのだ。


『もうひと頑張りしよう。大丈夫、綾音ちゃんにならできるよ。私も見守ってるから』


 ヤヨちゃんが私を想って言葉を掛けてくれている。その事実が尊くて、さっきまで全く動かなかった手が軽くなった。


『……ふぅ、ありがとう百瀬さん。急に電話してごめんね』

『気にしなくていいよ。課題も終わって暇だったから』

『そっか。それじゃあ切るね』

『ちょ、ちょっと待って!』


 満足した私が通話を切ろうとした瞬間、百瀬さんが慌てて引き止めてきた。


『なに?』

『その……このまま切っても大丈夫なのかなって?』

『なんで?』


 意味のわからない事を言う。私が切るって言ってるんだから、電話を受けた側の百瀬さんは黙って切ればいいのに。何を疑問に思っているのだろうか。


『その……今日のお昼もそうだったけど、声が疲れてる感じしたから。知り合ったばっかりの私が言うのも変だけど、心配で』


 シャーペンが手から転がり落ちる。そんなに疲れが表に出ていたのか。知り合ったばかりの彼女に気取られてしまうほど。


 というか、いま冷静になって考えるとあんな事を言わせる奴が疲れていないわけがないじゃないか。この方法はヤヨちゃんに好きな事を言わせられる反面、百瀬さんに私の心の澱みを知られてしまう可能性があるようだ。


『……百瀬さんの言う通り、ちょっと疲れてるのかもね。でも明日には治ってるよ。心配しないで』


 私は人に弱みを見せるわけにはいかない。弱肉強食のこの業界では強い人間でいなくちゃ食い物にされてしまう。私は今をときめくファッションモデルで、人を惹きつける学校の人気者なのだ。


『そっか。でも、私にできることがあるなら遠慮なく頼って』


 頼って……か。まるで強い人間の物言いだ。ひ弱で頼りない人間のくせに。今まで私の眼中になかったのがいい証拠だ。クラスでもよくて三軍程度の存在なんだろう。


 でも、頼っていいのなら遠慮なく利用させてもらおう。私を癒すヤヨちゃんの声のスピーカーとして。


『そうさせてもらうわ』

『うん。それじゃあまた明日。おやすみなさい』

『……うん、おやすみ』


 通話が切れる。そして、静寂に包まれた自室に戻ってきてしまった。ヤヨちゃんと擬似的に会話できるという幸せな空間から戻ってきたせいで喪失感が凄まじい。


「おやすみ…‥か」


 きっとこの言葉を交わした回数も、両親より千夏の方が多いだろう。そのランキングに百瀬さんも入ってきたわけだ。多分二ヶ月もすれば彼女は第二位になれる。


 だって、両親の回数はもう増えることはないから。


「どうでもいいか、そんなこと」


 徹夜はお肌の天敵だ。自分のモデルとしての品質を落とさないために、課題を終わらせて早く寝ることにしよう。

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