第45話 命令違反
齢三十を前にして、悔しさが残るとすればあの男に敗北し続けたことぐらいだ。
思えば、奴はいつだって私の先を行っていた。
「クリード・ミラー。せっかくの同期だ。仲良くしてくれ」
ブライスに拾われ騎士団に入った私に初めてできた友人は、整った顔立ちを弛ませた、不思議と雰囲気のある男だった。
「ジェイコブ・ジャクソンだ」
「じゃあ、ジェイクだな」
クリードが握手を求めたため私がその手を取ろうとすると、彼は初対面にも拘らず、手を掴むふりをしてそのまま肩を組んできた。
悪い気はしなかった。
当たり前だ。
奴隷として生きることになってから、私は常に奇異の目で見られ、騎士団に入ってもそれは同じ。
ところがこのだらしなくシャツを着た男は、私の肌の色も長身も気に留めず、同年代の友として快く受け入れたのだ。
「クリード、貴様の怠惰をジェイコブに移すなよ」
「分かってますよ団長。…ところでジェイク、火はあるか?」
「貴様…二十になるまでは吸うなと言っとるだろうが!」
ポケットから取り出した煙草を咥えて見せたクリードを、ブライスが追いかけて消えていく。
やはり、嵐のような女が紹介する人間は、癖のある奴だった。
その夜は、馬鹿だが気の良い友ができたことを喜び、ベッドで泣いた。
しかし、この日抱いたクリードの第一印象の半分は、最初の演習で覆されることとなる。
演習は五対五の少人数戦だ。
組む相手のいなかった私はクリードに誘われ、前衛を担当した。
当時の私の能力など高が知れていたが、演習の結果には関係がなかった。
「また、クリードの班がトップかよ。魔法はからっきしなのに、運の良い奴」
「あいつ、筆記も毎回一位だよな。いつ寝てんだ?…そういや訓練サボって寝てるか」
簡易的に表彰される私たち、いや、横であくびをしているクリードを見ながら団員たちが談笑している。
そう、クリードは天才だった。
彼の作戦通りに行動するだけで、英才教育を受けてきた名家の騎士でさえも敵ではなかった。
クリードの指示は非常に的確であり、感情や精神面というどう転ぶか分かり辛い部分までをも計算に入れている。
また仲間へのアプローチも上手く、気弱な騎士ですら言葉巧みに奮い立たせて、優秀な戦力に仕立て上げることもできた。
その上、彼は自らの弱点が笑われることを毛ほども嫌がらないため、プライドの高いライバルたちの鼻に付かず、寧ろ愛されてすらいたのだ。
そんな天才が唯一隠していたのは、必死に研鑽を積む姿だった。
「げ、なんでこんな時間に外に居るんだ、ジェイク」
普段より早く目覚めた私が祈りを捧げるために裏庭に出ると、汗だくのクリードがこちらに気付き、心底嫌そうに眉を顰めていた。
その手には新人には帯刀が許可されないはずの魔具が握られており、グリップは彼のものと思われる血で汚れている。
「それはこちらのセリフだ。それにその剣、魔具じゃないか。勝手に持ち出したのがバレてみろ。ブライスに何をされるか…」
「お前、絶対に言うなよ。まだ死ぬわけにはいかない」
私たちは角の生えたブライスの姿を想像し共に身震いしたが、クリードは首を横に振って恐怖を振り払うと、すぐに素振りに戻る。
滲んで乾いた血の上から握られた細剣は朝影を浴びて輝き、私の目を眩ませた。
何故才能に恵まれた彼がそこまでするのか分からなかった私は、クリードに問う。
「わざわざ規則に違反してまで剣に慣れる必要などあるのか?」
「ブライスを一番近い場所で守るためには、団で一番価値のある騎士にならなきゃいけない。…お前に置いて行かれるわけにはいかないんだよ」
「私が置いて行くだと?お前は何を言って…」
「帝国人にはない骨格と運動神経があり、その上勤勉で意識も高い。お前はすぐに、この国最強の騎士になるだろう。だから、俺は歩みを止めるわけにはいかない。できる事ならなんだってやるさ」
クリードは私に心の内を語った。
きっとブライスにも言うことのない、世界で私だけが知る彼の内側の炎だ。
どこか浮ついて見えた才能は、海の底では激しく燃え上がっていたのだ。
私はその熱に触れた瞬間から、日々の努力を怠る事は無かった。
ブライスの側に居たいのは、私とて同じだ。
少しでも気を抜けばクリードを追い抜くことなどできないと、焦燥感に駆られる毎日だったが、同時に彼と二人で駆け抜けた青春は、宝物のような日々だった。
数年後、クリードの予想した通り、私は最強の騎士になった。
一人の兵として、私の右に出るものはもう居ない。
その頃には差別されることは殆ど無くなり、寧ろ敬意を抱かれることの方が多くなった。
私を見出してくれたブライスの側にいる人間として、恥ずかしくないところにまで自らを鍛え上げた。
そして今から数か月前、賢者暗殺作戦が正式に決定した。
「少々危なっかしいところはあるが、奴は特別な人間だ。私や貴様とは違ってな」
その夜、ブライスは私を呼び付けてそう言った。
彼女のプライドの高さを考えれば衝撃的な言葉ではあったが、それが事実だと、彼を近くで見てきた私が一番に理解していた。
クリードは帝国騎士団の中で、ブライスを支えるもう一つの軸にまで成り上がっていたのだ。
彼はその明晰な頭脳と人柄によって、騎士全員に信用される最高の司令塔だった。
「…クリードを頼むぞ、ジェイク」
クリードを案ずるブライスの美しい灰の瞳は、緩やかに潤んでいた。
私が初めて見る、女性としての彼女の姿だった。
私はまた、奴に負けたのだ。
◇
もう何度体を地面に投げ出しただろうか。
お気に入りのローブは背中側が擦り切れ、足も傷だらけになってしまった。
「いい加減諦めるのです、リリィ・ベイリー」
アイディーが胸の前で手のひらを重ねて言った。
こちらの人格のままであれば聖女と言えるが、すぐにその指は解かれ、耳の穴に突っ込まれる。
十分ほど前、皮膚の下に眠る肉を晒しながら喚いていた彼女は、もう完全に余裕を取り戻してしまっていた。
それもこれも、あのグレイドという男が現れたせいだ。
彼はジェシカの相手をしながらも、一瞬の隙を見つけては私たちや他の騎士団員に向かって紫色の炎を放ってくる。
そのため、サイの魔獣の相手をすればよかった先程までとは違い、命の危機を感じながらの時間稼ぎとなっていた。
いや、正しくは見つけた隙ではない。
自らの技術で強引に生み出した隙だ。
ジェシカは何度もグレイドに切りかかったが、全ての攻撃は長身の刀によって受け流され、身に纏った長いコートにすら届かない。
そして、剣を振った後隙には的確に魔法を撃たれ、強制的に距離を離された。
そうなればジェシカにできることは限りなく少なく、すぐに炎が私たちを襲う。
団員たちは死ぬなというクリードの指示だけは守り通していたが、有利に進んでいた転移者と魔獣の掃討は鈍化する事となり、結果、完全に状況は拮抗していた。
「クソが、腑抜けた戦い方しやがって…!」
「………」
歯がゆさに苛立つジェシカはグレイドに言葉で噛み付いたが、鉄仮面に牙は届かない。
魔法の有無が重く伸し掛かる今の戦況は、ジェシカに多大なストレスを積み重ねていることだろう。
それでも、私たちは生きるために逃げ回ることが許されている。
防衛線の直上で巨人との真っ向勝負をしなければならないあの男と比べれば、幾分も増しな状況だ。
帝国の最後の壁としての役割を担うこととなった、あの男と比べれば。
「しつこい男だ、そこを退け」
「…ターンダウン。それでは街の酒屋が君に壊されてしまう。奢って貰う約束があるのでね」
ヘルキスが振り上げた斧は、眼前で踊るように足を動かしているジェイコブを睨み付けている。
ジェイコブは変わらず白い歯を光らせていたが、黒い肌には浅く無い傷が幾つも刻まれており、対するヘルキスは飲み込んだ心臓の力で無傷のままだ。
「無駄死にを選ぶか。…馬鹿な男だ!」
ヘルキスがジェイコブに向かってそう告げると、彼の美しいままの右腕が膨らみ、重力の後押しを受けながら刃が振り下ろされる。
しかしジェイコブの鍛え上げられた筋肉は限界を迎えてはおらず、後方に倒立しながら回転して回避した。
ジェイコブは辛うじて死は免れていたものの、一方的な戦いになってしまっている。
誰がどう見ても、打開策が必要だった。
「クリード!どうにかならないの!?」
「黙ってくれ!今考えてる!」
私は共に防戦一方となったクリードに向かって何度も指示を仰いでいたが、ずっとこの調子だった。
彼はらしくもなく何か迷うように唇を噛み、ただ援軍が間に合うことを祈っている。
しかし、想定した時間よりも先にジェイコブの限界が訪れることは、火を見るより明らかだ。
「…大地よ、星よ、全ての命よ」
「させるかよ!」
私は強引に詠唱を始めたが、それを見たアイディーが指示を出すと、サイの魔獣の尾が私を襲う。
むざむざ殺されるわけにはいかない私は、すぐに詠唱を中断し地面にへばり付いた。
風を豪快に切り裂いた尾は私の頭上を通り抜け、背後の建造物に衝突する。
すると、その衝撃によって巻き起こった爆風に私の体は吹き飛ばされ、固い道路を暫く転がった。
筋肉は休息を要求していたが、いつ紫の炎に襲われるかもわからないため、そのような暇はない。
そう思った私が急いで立ち上がると、ふくらはぎに鋭い痛みが走った。
「クッ…!」
もう残された時間は少ない。
幾度となく繰り返される瞬発的な動きに、体は悲鳴を上げていた。
その時、細剣を抜く際の研ぎ澄まされた音が戦場に鳴り響いた。
音の出どころを追うと、そこではジェイコブが腰で暇そうにしていた魔具を鞘から解き放ち、地に向かって剣先を垂らしていた。
彼の剣も他の団員のものと似た様な見た目をしていたが、鍔が放つ赤い光の異質さは騒がしかった戦場を黙らせている。
弱っているはずのジェイコブの存在感が更に増して見えるのは、剣を握った右腕から覚悟が滾っていたからだろうか。
「ジェイク、やめろ!」
顔色を変えたクリードが聞いたことも無いような叫び声でジェイコブを制止する。
彼が友に向かって必死に手を伸ばす姿があまりにも哀れで、私は今から何が行われるのか少しだけ恐ろしく感じていた。
しかし、当人であるジェイコブの表情は安らかだった。
「初めてだな…私がクリードの命令を無視するのは」
ジェイコブは噛み締めるようにそう言うと、振り上げた細剣を勢いのまま逆向きに握り直し、自らの腹に突き刺した。
根元まで貫通したせいでジェイコブの血液を浴びて濡れた鍔は、何度も赤く明滅している。
それはまるで脈打つ心臓の様で、武器という底抜けに無機質なはずの存在からは、かけ離れた様相だった。
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