第44話 最大の敵
二人の戦士はただひたすらに打ち合っていた。
確かに周囲の存在など彼らからすれば矮小であり、最早注意を巡らせる必要など無い。
大剣と斧が迫り合う様を見ているだけで息を飲んでしまいそうになるのは、互いの刃に明確で純粋な殺意が乗っているからだろう。
それでも高みに到達した戦士にとって、得物を数回振るって標的が生き残っていることは珍しい。
そのため、彼女たちが湛えている笑みは虚勢ではなく、心の底から湧きだした感情だ。
「その程度じゃ俺は殺せねえぞ、筋肉ゴリラ」
「良く回る口だ。すぐに閉じてやる」
ジェシカは軽く煽り、ヘルキスはそれに楽し気に応える。
終わりを求めているようでその反面、永遠を求めていた彼女たちは、どこまでも二人の世界に没入していた。
しかし、完全なものに見えたその空間に、異物が混入する。
「まさか、この程度の仕事も任せられないとはな」
背筋が凍りそうになるほど冷たく言い放たれた言葉には、およそ人間であれば持ち合わせているはずの感情を一切感じない。
そんな無機質さを隠そうともしない男の目は、身に着けたコートよりも深い赤に沈んでいた。
ジェシカやヘルキスの放つものとは違う静かで暗い威圧感は、少し距離の離れた私たちの肌にも届いている。
「あ?なんで手前だけ馬なんだよ」
「フン、魔獣の臭いがついては敵わんだろう」
男は当然だとでも言わんばかりに鼻先で笑う。
コートの至る所に付いた派手な装飾を見るに、高い身分の人間、もしくは富豪だろうか。
周囲を見下したような高慢な態度も、私の予想の根拠となった。
「そのせいで遅れてきたくせに偉そうな口を…!」
ジェシカと男のやり取りを聞いたアイディーは目を逸らしながら、小さな声でそう言った。
彼女が口にした言葉のおかげで、私はあの男が愛されし者の人間であることを、敵であることをはっきりと理解する。
その上、アイディーですら陰口でしか不満を露わにできない相手だ。
どれだけ警戒しても、それが杞憂に終わる事は無い。
「グレイド…今終わらせるところだ」
ジェシカと刃を押し合っていたヘルキスは笑顔をしまい込むと、コートの男の方を見ずに言った。
しかし、グレイドと呼ばれた黒髪の男は、ヘルキスの言葉に聞く耳を持たない。
「貴様の役割は何だ?その女一人と遊ぶことか?…違うな。帝国の愚民どもを見せしめに虐殺することだ。我々に逆らえばどうなるのか、知らしめることだ」
「クッ…、時間切れのようだ、戦士の女よ」
「あァ?もう終わりかよ?いっそ、二人纏めてかかってきてもいいんだぜ?」
「そうしたいところだが、こちらにもやらなければならないことがある」
そう言ったヘルキスは脱力し斧を引き下げようとしたが、ジェシカはそれを許さず、追うように大剣をぶつけた。
「無抵抗の人間殺して回るのが手前のやりたいことか?んなわけねえだろうが!」
怒鳴るジェシカの表情からも笑みが失せ、代わってそこにあるのは怒りと失望だ。
彼女は戦士として自らと同じ次元に立っているヘルキスに対し、特別な感情を抱いているようだった。
今までの殺すためのものとは違った更に重い剣に、ヘルキスは明らかに押され、表情にも感情の揺らぎが見え隠れする。
しかし、何か大事な部分に届きそうだったジェシカの刃は、紫色の炎によって水を差された。
「あのお方の駒に過ぎない我々に望みなど必要ない」
「チィ!」
大剣を斧に押し付けた反動で大きく後方に下がったジェシカはすんでのところでグレイドが放った炎を躱す。
肩を抑えたジェシカに怪我は見受けられなかったものの、その手を退けると鉄製の防具が溶け、隠れていた肌が露わにされていた。
「野暮な野郎だな。そんなに俺との二人っきりがお望みかよ」
「ただ消し炭になるだけの貴様に価値など無い」
ジェシカの冗談に眉をピクリとも動かさないグレイドは、今度は炎で大きな悪魔の腕を形成し、それはすぐに振り下ろされた。
ジェシカは持ち前の反射神経と野生の勘で悪魔の指の間をすり抜けて回避したが、その威力に道路はごっそりと抉れている。
幾ら頑丈な彼女でも、あんな魔法を喰らえばひとたまりも無いだろう。
「あの炎…」
独り言を呟いた私はグレイドの炎と残された爪痕を見て、ある記憶に立ち返る。
私には彼の特異魔法が、暴走したユータが使う青黒い炎によく似て見えたのだ。
もしユータが力の衝動に飲み込まれたら、この男のようになってしまうのかもしれないと、否応なく想像してしまう。
「リリィ君!」
戦場で下らない事を考えている時間はない。
そんな子供でも分かる当たり前を忘れて呆然としていた私は、クリードの頬を叩くような声でやっと我に返った。
いつの間にか目の前まで迫ってきていた紫の炎は展開した光の盾に直撃し、それをいとも簡単に食い破ったが、生まれた一瞬の猶予が溶け切る前に真横に飛ぶことで、私はなんとかそれを避けきった。
「ごめんなさ…」
「おい、誰かあれを止めろ!」
馬鹿な行いを謝罪しようとした私の声をジェシカの叫びが遮る。
声の方を見ると、ジェシカ自身はグレイドが抜いた刀を受け止めて動けなくなっており、その背中でヘルキスが街の方向に走り出していた。
人間には不可能な速度で移動する姿に、ヘルキスに破壊されたルーライトの絶望的な情景が頭を過る。
絶対に彼を止めなければならない。
そう思った私はすぐに魔力を絞り出し、電撃をヘルキスに向けて撃った。
しかし、ヘルキスと私の間は巨大な壁が立ちはだかり、全てを受け止め無力化した。
走って割り込んできたサイの魔獣が、ヘルキスを庇ったのだ。
「形勢逆転だなァ?」
アイディーはこれから起こる悲惨を想像し、下卑た笑みを浮かべている。
あの魔獣の足では魔法の発生に間に合わせることはできない。
つまり、彼女は状況を瞬時に把握し、最適解となる行動を取ったのだ。
アイディーが頭で物事を考えるタイプの人間には見えなかったせいで、私は彼女の事を侮り過ぎてしまっていた。
「残りの魔力を全部吐いて盾を作る!その時間で詠唱を…」
「だめ、もう間に合わない…!」
クリードの提案は当然のものだったが、ヘルキスの背中は既に取り返しが付かない距離まで離れてしまっていた。
当然防衛線は超えられたことになる。
誰も彼も自分の相手をするのに手一杯であり、もう脅威に抗う手札は残されていない。
常に勝利を見据えてきたクリードの表情にすら、焦りと絶望の色がほんの少しだけ浮かんだように見えた。
しかし、盤面の外から乗り込んでくるのは、グレイドが最後の一人というわけではなかった。
「よく耐えた。エクセレントだ、クリード」
クリードの名を呼ぶのは、良く通る低い声。
どこかで聞き覚えのある特徴的な声は、ヘルキスの背中の更に奥の方から聞こえてくる。
声の主が誰なのかと思った私が目を凝らした瞬間、視界の中でヘルキスの体が爆発した。
いや、それは正確な表現ではない。
ヘルキスは突如何かに衝突したせいで減速し、その拍子に生まれた衝撃が空気と大地を揺らしたのだ。
ヘルキスを一瞬だけ隠した砂煙が風に消えると、その巨体を身を張って制止していたのは、ドレッドヘアが目に付く黒人の騎士団員だった。
過剰な負荷を掛けられた両手両足ははち切れんばかりに膨らんでいたが、それでも彼は真っ白な歯を剥き出しにして笑って見せている。
「ああ!手前、あの時ユータをかっぱらったクソ野郎じゃねえか!」
目だけで様子を窺っていたジェシカが、男の正体に気付いて怒りをはらんだ声を上げた。
あの日とは服装が違っていたが、そう見間違えるような容姿でも無いため、同一人物だと断定できる。
「…信用していいのね?」
「ジェイコブ・ジャクソン。俺の最大の敵であり、最高の仲間だ」
私が問うと、落ち着きを取り戻したクリードが答えた。
確かにジェシカの言う通り、文句の一つくらいは言っておきたい相手ではあったものの、今はそんな場合ではない。
そもそも、あのヘルキスの正面に立つことができている時点で、間違いなく大きな戦力なのだ。
ヘルキスの体はまだじりじりと街に向かって前進していたが、全速力で走る馬車のような勢いは見事に殺されている。
きっちりと着られた軍服の下で主張し続ける強靭な肉体が、私たちにとっての最後の希望だった。
「ジェイク、でかした!今晩の酒は俺の奢りだ!」
友との再会を喜んだクリードの声が戦場に響いた瞬間、ジェイコブが動く。
ヘルキスの推進力をしなやかに腰を捻って上手く受け流した彼は、その勢いを利用して巨体を地面に叩き付けた。
巨人を堂々と見下ろしたジェイコブは、両腕を組んでヘルキスを威圧しながらも、クリードに不満を零しておくことを忘れなかった。
「…私が酒を飲まない事を知っている癖に、何を調子の良いことを言っているのだ、お前は」
「はて、そうだったかな」
とぼけるクリードは顎に滴った汗を拭いながら、アイディーに視線を送る。
先程まで勝利を確信したような表情を浮かべていた彼女は、つまらないと言った様子で舌打ちを零した。
戦いは終盤戦を迎えていた。
防衛線を突き破るための弾丸となったヘルキスを、時間いっぱい弾き返さなければならない。
全ては、何故かいつの間にか軍服を脱ぎ上裸でステップを踏んでいる、様子のおかしい男に託されたのだ。
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