第43話 臆病な力
ジェシカとヘルキスの戦闘が始まった。
互いの派手な得物が衝突し、その音が周囲に響けば火花が宙に舞う。
大木のようなヘルキスの腕が生み出す力は振り下ろした斧で大地を割る程のものだったが、ジェシカの型破りな動きから生み出される斬撃もそれに引けを取らない。
幅の広い道路を舞台に選んだ美女と野獣は、凶悪な笑みを絶やさないまま、踊るように命を奪い合っていた。
「同数での戦闘に付き合うなよ、死んだ奴は団長に殺されるぞ!」
クリードの声をきっかけに、騎士団員たちも転移者と魔獣の掃討に向かった。
ジェシカの個の力が放つ閃光を目にした騎士団の士気は明らかに高く、実践への緊張や怯えは消えている。
「私たちは残った魔獣を狙いましょう。予定通りエリーゼさんは援護を」
「「了解」」
ダンの指示に息の合った返事をしたのは、エイラとエリーゼだ。
無言で大剣を構えたジャックを前衛に置いた計四人でパーティーを組んだ彼らは、騎士団員の中に混ざって戦闘に参加していた。
頭が切れるダンを中心として、積極的にコミュニケーションを取っていた四人は、基地の訓練でも見事な連携を見せていた。
その上専門分野の魔獣狩りであれば、彼らの右に出る者は居ないだろう。
そして、余った獲物は私とクリードの担当となる。
標的となった翼竜を視界に捉えると、その背に乗ったシスター服の女、アイディーがこちらを睨んで唾を吐いた。
「おい、あのユータとかいうガキ、お前等が匿ってんだろ?…彼の身柄を渡していただきたいのです。お願いを聞いていただければ、民間人に危害は加えません」
「…それが何者かに攫われてしまってね。こちらも行方を追っている所だ」
「下らない演技は止めてくれよ、オッサン。…民の命は大切でしょう?」
表情を激しく変化させるアイディーは、最後には淑やかに両手を広げてそう言った。
交渉を持ち掛けられたクリードは顎の下を掻き少し何かを考える間を取る。
まさか敵にユータを売り飛ばしてしまうのではないかと私は一瞬疑ったが、その心配は杞憂だった。
「そんなこと言われたっていないものはいないからなあ。それに、そもそもテロリストの要求なんて呑んだら俺が団長に殺されちゃうよ」
「そうですか、残念です。…おい、魔法使い!俺のペットを山ほど殺した責任、取ってもらうぜ?」
人格を切り替えたアイディーはそう言うと、ピアスの開いた舌を投げ出して、私に殺意を向けた。
どうやらアイディーはルーライトやアシュガルドで魔獣を殺した私に対し、恨みを持っているようだ。
しかし、危害を加えた側が身勝手に抱いた感情になど興味がなかった私は、彼女との会話に付き合わず、クリードにだけ聞こえるよう問いかける。
「翼竜を相手する経験は?」
「あるわけないでしょ。君だけが頼りだ」
クリードは相変わらずの調子で冗談交じりに答えた。
それでも言葉とは裏腹に彼の瞳には自信の光がぎらついており、わざわざ文句を言う必要は無いとすぐに分かる。
「無視ですか…いいでしょう。…全部燃やしてやるよ。お前等も、帝国の屑共も!」
アイディーは二つの人格を左右しながら、苛立ちを攻撃的な言葉に乗せた。
飼い主の意図を汲み取った翼竜は、顎を大きく開いた空間に炎の玉を作り出す。
まるで隕石のように膨れ上がったそれは、見た目通りの挙動で私たちのいる地面に向かって落下してきた。
その予備動作を見慣れていた私は、すぐさま横っ飛びで回避する。
しかし反応が遅れたのか、クリードはその場に取り残されてしまっていた。
思えば、クリードは翼竜との戦闘経験がないとはっきり宣言していたのにも拘わらず、私は彼に対して注意の一つすらしていなかった。
「……!」
クリードはその攻撃を睨み付けたまま、爆風と砂煙に飲み込まれる。
その光景は余りにも呆気なかった。
「クリード!」
クリードを買い被った事を後悔した私は、焦りをはらんだ声で彼の名前を叫んだ。
悲痛な叫びに愉悦を覚えたのか、アイディーは竜の背で胡坐をかいてにやにやとこちらを見下ろしている。
ところが、解けた煙の中に見える影は、思いの外人間の形を保っていた。
「なるほど、これは喰らったら死ぬね。確実に」
煙が晴れ、同じ体勢のままで現れたクリードの体には掠り傷一つ無い。
私は何事も無かったかのような様子に驚きはしたが、何故彼が無傷なのか、理由は一目で分かった。
腰で鞘に収まっていた細剣が緑色の眩い光を放ち、その光を源にした球形の盾が彼の体を覆っていたのだ。
罅割れた盾は粉々になって消えてしまったが、ルーライトで何人もの魔法使いを殺したあの攻撃を受けきっただけでも、かなりの防御力だと言える。
「…そんな機能がある魔具など、報告には無かったのですが」
「まあ、試作品だからね。…リリィ君、魔法を!」
アイディーに余裕を見せながら言葉を返したクリードは、すぐに私に援護を要求した。
言われた通り私は杖を構えると、できる限り迅速に氷柱を形成し、空に向かって放つ。
しかし、高度を保っていた翼竜は私の魔法を旋回して回避した。
小型の翼竜は前回アイディーが連れていた個体よりも身軽に飛び回っており、そう簡単に捉えられる相手ではなさそうだ。
「私の魔法だけじゃ当たらない!魔具の砲撃で援護して!」
「…すまないが、魔具には一種類の魔法しか搭載できないんだ。その上俺はろくに魔法の訓練もしていない」
私がクリードに支援を仰ぐと、彼は気まずそうに視線を逸らし、渋々口を開く。
見る限り彼は細剣を一本しか持っていない。
騎士団全員が同様であったため、高価なそれを管理するための規則でもあるのだろう。
つまり、この男は遠距離攻撃の手段を一切持っていないのだ。
「クックック…。ハーッハッハッハ!コイツ、日和った魔法しか使えねえインポ野郎ってわけか!」
状況を悟ったアイディーは翼竜の上で腹を抱え、下種な笑い声を振り撒いた。
彼女の言葉は汚く耳障りだったが、私は上手く反論することができない。
そして、クリードに至ってはそのつもりすらないようで、自虐的に口元を歪めて同調していた。
「その通り…俺はヘタレさ。だからこそこの魔具は俺にぴったりなんだ」
「あァ?殺しから逃げてるチキンが開き直ってんじゃねえよ!」
「確かに、直接命を奪ったことはない。それでも、彼らは俺の指示で敵を殺しているんだ。俺だって人殺しなんだよ」
クリードが覚悟を語り、再び魔石が光を放ったその瞬間、巨大な球形の光が再度空間に現れた。
しかし、光が包み込んだのはクリードではなく、宙に浮いた小型の翼竜だった。
「んなッ…!」
「一か月でここまで仕上げるのは大変だったよ。盾の大きさを調整して、狙い通りの座標に作るのは中々難しい」
翼竜は鳥籠に放り込まれた野鳥のように激しく暴れたが、光の盾から逃れることはできない。
そして勿論、無防備に目を閉じて膝を突いた私の詠唱を止めることも叶わなかった。
「大地よ、星よ、全ての命よ。…聖なる光で
雷を纏う光の矢は、轟音を響かせながら大空に向かって放たれた。
一瞬で見えなくなった導線の間に存在していた光の球は貫かれ、中で身を捩った翼竜の翼が捥げる。
背に乗っていたアイディーも激しい電流に体を焼かれ、全身の皮膚が真っ黒に焦げていた。
「「ギャアアア!」」
翼竜とアイディーのけたたましい叫びが混じり合い、そして私の鼓膜を揺らした。
翼を失った竜と無残な聖女の残骸が、重力を受け入れて降ってくる。
翼竜は唸り声を上げるとその場で動かなくなったが、アイディーの方はべちゃりと悲しい音を立てて道路に落ちると、すぐさま人の形を取り戻そうと脈動を始めていた。
「…俺から言わせてもらえば、死から逃げ続けている君たちの方が臆病者だ」
「俺たちは賢者様の悲願のための道具だ。死んでる暇なんてねえんだよ…!」
細剣の刃を向けられたアイディーは、回復した唇にまだ皮膚の無い指を食み、笛を鳴らした。
すると、少しの間をおいて大地が震動し始める。
身の危険を感じた私が近寄ってくる音の方向を見ると、ヘルキスが乗っていた巨大なサイが、こちらに駆け寄ってきていた。
「グオオオ!」
側に辿り着いた魔獣は低い声で吠えながら前足を高々と上げた。
遠くで視認したときには分からなかったが、どうやら翼竜よりも一回り大きなサイズがある。
筋肉だけが詰まった奴の足に踏み潰されれば、私たちの体がどうなってしまうのか、想像するのは難くなかった。
「うおおおお!」
私とクリードは恐怖を叫びで誤魔化しながら、一目散に後方へ飛んだ。
数瞬前に体が存在していた場所が質量の暴力に襲われたことを背中で感じる。
急いで身を起こして振り返ると、私たちを乗せていた
自らの存在をちっぽけに感じる様な光景に足が竦むが、どんな敵が相手であろうと私は戦い、生存する必要がある。
私は冷静さを取り戻すために、すぐにクリードと作戦会議を始めた。
「…アレの攻撃、あんたの盾で何とかなるの?」
「馬鹿言わないでくれ。盾ごとぺしゃんこに決まってる」
「古代魔法は隙が無いと使えない。けど、普通の魔法じゃ傷が付くかすら怪しいわ」
「大丈夫、戦況は悪くないんだ。あと一時間もすれば避難が終わって援軍も来る。時間さえ稼げればいい」
確かにクリードの言う通り、騎士団員たちと転移者の競り合いは一方的に押しており、ヘルキスもジェシカが抑えてくれている。
つまり、このサイを避難が終わるまであしらい続ければ、防衛線を下げることが可能になり、援軍との距離を縮めることができるのだ。
図体は大きいが、幸い機敏に動けるような魔獣ではない。
そのためこのサイが他の標的を狙おうとすれば、私の古代魔法で簡単に背中を打ち抜くことができるだろう。
上手く立ち回り自らの命を失わないよう専念しているだけで、状況は更に好転していく。
落ち着いて考えてみれば、この戦いは実質的な終わりを迎えているのだ。
もう一度突進してきたサイの角は、二手に分かれた私とクリードの間を通過した。
やはり、目で追えないような攻撃手段は無さそうだ。
「…逃げ回るのは癪だけど、仕方ないわね」
プライドに折り合いを付けた私は、チェックメイトに向かって歩き出した気でいた。
それも当然だろう。
盤面の上に全ての駒が揃っていないことを、その時の私たちが知る方法など無かったのだから。
「………?」
ふと視界の片隅に、人を乗せた黒い馬がジェシカとヘルキスのいる方向に走っていくのが見えた。
馬が彼女たちの側で減速すると、騎手は派手な赤いコートを揺らめかせながら優雅に地に降りる。
今まで誰も関与しようとしなかった化け物の檻の中に足を踏み入れる、命知らずな存在が現れたことに、私の心は少しだけざわついていた。
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