第42話 防衛戦

「よ、リリィ」


「おはよう」


 ジェシカは長い赤毛の横で片目だけ開き、生身の右手を上げて声を掛けてきた。

 基地の廊下の壁に寄り掛かって彼女を待っていた私は、極力簡単に挨拶を返す。

 何故私たちが集まっているかと言うと、久々にクリードに呼び出されていたからだ。


 私とジェシカは別の訓練に参加し別の部屋で寝ているため、普段は廊下ですれ違う時に目配せをする程度だった。

 だから、こうやって並んで歩くのは久し振りの事になる。


 彼女は失った時間を取り戻そうとしているのか、いつ見ても妹のエリーゼと一緒に居た。

 特に用があるわけでもなし、二人の空間に水を差すようなことはしたくない。


 そのため余った時間は趣味の読書や外で販売されているお洒落な菓子を食べたりなど、殆ど一人で過ごしていたが、依存心から解放され自由になった今、そんな日々も悪くはなかった。


 そうして時間を一か月ほど溶かし、遂に今日、帝都へ出発する予定日を迎えた。

 突然呼び出されたのも、きっとそれに関しての説明か何かだろうと踏んでいる。


 作戦室の前に立った私は、ここでジェシカがクリードを殴り飛ばした事を思い出しながら、扉を数回ノックした。


「入ってどうぞ」


 中で声がしたため扉を開けると、相変わらず立派な机の奥でクリードがふらふらと手を振っていた。

 クリードの背後にある団章を刻んだ織物の奥には、きっと彼が壁に叩き付けられた際の損傷が隠れているに違いない。


「久し振りだね。ここでの生活はどうだった?」


「お前の顔を見ずに済んでたからな、上々だったぜ」


「いい加減許してよ」


 ジェシカはクリードの顔を見て目を座らせている。

 彼女は未だにこの男の掴みどころのない雰囲気が気に喰わないらしく、口を開くや否や冷たい言葉を飛ばした。


 下らない言い合いをしに来たわけではないため、私は本題を切り出す。


「で、何の用?」


「今日は帝都に向かう前に、例の作戦の説明をしておこうかと思ってね」


「やっとかよ。いつまで経っても話がえから、騙されてるのか勘繰り始めてたところだ」


 ジェシカが代表して文句を返したが、実際私も似た様な事を考えていた。

 全てが騎士団による大がかりな詐欺では無かったことに安堵しながら、クリードから配られた紙に目をやる。


 瞬間、ジェシカが私の横で息を飲んだのが分かった。

 その変哲もない一枚の紙には目を疑う様な内容が書かれていたのだ。


「これ…本当なの?」


「紛れもない事実だよ。騎士団は数か月前から敵の本拠地であるシンの中央に工作員を送り込んでいる。俺たちを含めた数名は愛されし者の新入りを装い、工作員の誘導を受け賢者を暗殺する」


 集団戦を仕掛ける事を想像していた私たちは、書面の内容を素直に飲み込むことができなかった。

 化け物揃いの敵地に少数で忍び込み、もしそこで誤算があれば取り返しがつくとは思えないからだ。

 正気を失った転移者の強さは、愛されし者の幹部との殺し合いを経験した私たちが一番よく分かっていた。


「危険ね。なんでこんなリスクを?」


「愛されし者は殆どが烏合の衆だ。長い文化を積み重ねて強く繋がった国とは違う。だから、賢者というシンボルさえ破壊してしまえば戦争で勝つ以前に、戦争自体を止められる。無駄に兵の命を奪われずに済むならその方が良い」


 確かにクリードの語った理由は理解できる。

 しかし、リスクは転移者の強さだけではない。

 彼の言った工作員について、私たちは何一つ知らないのだ。


「二重スパイの心配はないのかよ?」


「正直な所、その可能性は低くない。というのも、工作員は愛されし者の元主要メンバーだからね」


「はあ!?そんな奴信用できるかよ!見す見す死にに行くようなもんじゃねえか!」


 当然だとでも言うように両手を広げたクリードにジェシカは大きく口を開けて食って掛かった。

 ジェシカは勢いのまま高級そうな机を豪快に叩いたが、クリードはそれに全く動じていない。


「死にに行く?馬鹿な事を言っちゃいけない。俺たちは殺しに行くんだ。もし彼らの存在が罠なら、罠ごと賢者を殺すさ。そうだろ?」


 クリードは獣のように鋭く光るジェシカの瞳を静かに、冷静に見据えていた。


 常の弱気で怠惰な振舞いを放棄する程に、これは彼にとって重要な任務であり、そして書面の全てが決定事項なのだと理解させられる。

 暫く睨み合うとジェシカも牙を引っ込め、そして巨大な溜息を吐いた。


「…まあ、もしもの時は暴れて解決か。考えてみりゃそっちの方が得意分野だ」


「頼もしいな。俺は野蛮な事が苦手だからね。是非とも守ってくれ」


「コイツ…」


 緊張感を解いたクリードの微笑みに対して抱いた苛立ちを、ジェシカは鉄の拳を軋ませて何とか堪えている。

 彼ららしいやり取りは一連の話が纏まったことを示し、それを見た私の腹も勝手に括られた。


 まずは過去の魔法使いたち、そしてヤヌンから私に受け継がれた使命を果たす。

 それは間違いなく命懸けの戦いになるが、私は絶対に生き残らなくてはならない。


 何故なら、きっと元の世界に帰ってしまうユータの背中を、この目に刻まなければならないからだ。


 私が心の中で様々な覚悟を決めた瞬間、それをきっかけにしたかのように背後の扉が激しく開かれた。


「緊急!愛されし者の一派と思われる魔獣に乗った数十名の集団が国境を侵犯!そのまま、南西へ、街の方向へ直進しています!」


 声の主は若い女性の騎士団員だった。

 極限まで焦っているのだろう、大粒の汗を流しながら肩で息をしている。


「おい、奇襲するのは俺らじゃなかったのかよ、クリード」


 ジェシカは悲痛な報告に戦いの匂いを嗅ぎ取ったのか、汗を額に浮かべながらも本能的に笑みを湛えていた。


 彼女はきっと、どれ程の地獄であってもその赤い髪を揺らし、同じように笑うのだ。

 最早死ぬ時でさえ、そうであるかもしれない。


 強さを露わにして空気を揺らすジェシカとは違い、クリードはいつも通り落ち着き払っていた。


「人数が人数だ、今から本気の殴り合いがしたいってわけでも無いだろう。ユータ君の存在に気付いたか、それとも作戦の先手を打たれたか…。どちらにせよ、地獄耳は団長だけじゃないらしいね、これは」


 冗談を口にしながらクリードが重そうに腰を上げた。

 彼は短髪をかき上げて視界を確保しながら、騒がしい廊下に向かって歩き出す。


「ご苦労。もしサボりたかったら裏庭がおすすめだよ。あそこあんまり人来ないから」


 そう言ったクリードは、恐怖に固まっている団員の頭をすれ違い様に優しく叩いた。

 すると、その細い手に触れられた瞬間、団員の表情に血の気と騎士の誇りが蘇る。


「い、いえ!私もすぐに向かいます!」


 我に返った団員は部屋から駆け出し、他の騎士団員と合流した。


 気のせいか、先程より少し大きく見えるクリードの背中について、私とジェシカも戦場へと向かった。



 ◇



 街中に警報の音が鳴り響き、恐怖を煽る。

 前触れも無く危機を迎えた人々のどよめきはどこまでも広がろうとするが、非難を誘導する騎士団員たちの壁がそれを押し止めていた。


 馬車に乗った私たちは守るべき命の群れを追い越し、クリードが急遽定めた防衛線に向かう。


 クリードの指示は迅速に人間を動かし、組織的に彼らの仕事は遂行されたが、完全に避難が完了するまでにはまだ時間がかかりそうだ。

 何としてでも防衛線に配置された私たち数十名で民間人の命を守り、そしてあわよくば、敵の主力を捕虜にする。


 しかし、勿論自らの命が優先、殺される前に殺さなければならない。

 これは戦争の一部なのだ。


「サーカス団のお出ましだ」


 大通りで足を止めた馬車の窓から敵軍の姿を捉えたクリードが言った。

 私も外に出て確認すると、得物や旗を振り回す野蛮な集団が、翼竜と魔獣に乗ってこちらに向かってきているのが見えた。


 翼竜にはアイディーが乗っており、地を走る部隊の最後尾にはヘルキスの姿がある。


 背には巨大な銀色の斧がぶら下がっており、それは明らかに人間が振り回せるようなものではなかったが、彼が重さに苦しむ様子は全くない。


 サイのような魔獣に乗ったヘルキスにはまるで神話の中の存在の様な理不尽さがあり、その迫力に飲まれてしまいそうになったため、私は一度そこから目を逸らした。


「来たな、筋肉ゴリラ」


 しかし、ヘルキスの姿を見てぼそりと呟いたジェシカは、餌を前にして涎を垂らす猛獣のように、大剣のグリップに手を掛け、それが自分の元へやってくるのを明らかに心待ちにしていた。


 ジェシカの望み通り、敵の一行はこちらに向かって突っ込んでくる。

 交錯するまで数十秒の距離まで来たところで、クリードの指示が飛んだ。


「魔獣を狙って撃て!」


 瞬間、防衛線で一列に並んだ騎士団員たちの胸の前に構えられた細い剣が発光し、そこから分離して出来上がった光の弾が勢いよく発射される。


 光の弾は砲弾のように若干の曲線を描いて敵部隊の側に着弾し、地上を走っていた魔獣の殆どが吹き飛ばされた。


「凄い…」


 私は驚嘆の声を漏らしたが、その威力に驚いたわけではない。

 どの属性にも分類されない謎の魔法が騎士団の人間の中で一般化し、その上戦術の一部として組み込まれていることに対してだ。


 その上、個人差が顕著に表れるはずの魔法使いが、同じ格好で同等の魔法を使っているのも気持ちが悪い。


 私が抱いたその違和感には、すぐにクリードが答えてくれた。


「この剣は魔具と言ってね、体内の魔力をエネルギーにして発射することができる。自由度は無いけど、魔力さえあれば誰でも使用可能な優れものだ。俺の給料じゃ買えないぐらい高価だけどね」


 クリードの腰にも同じ剣がぶら下がっていた。

 それは何の変哲もない細剣だが、よく見ると曲線状の鍔をもつ柄は輝きを放っており、魔石で作られていることが分かる。


 ここまで精巧な武器を作れる人間が居るのかと感心すると同時に、他の国との文化レベルの差を再確認させられ、愕然としてしまった。


「いいなあれ、俺にもくれよ」


「君の場合は鈍らを大量に買ってぶん投げてる方がコスパ良いでしょ」


 素直に強請ったジェシカにクリードが元も子もないことを言う。

 ジェシカとしては魔法へのちょっとした憧れもあったのだろうが、クリードがそんなことを知る由も無く、その上彼の意見は悲しい程に正論だ。


 言われたジェシカは一瞬ムッとしたが、すぐに気を取り直し、身の丈に近い長さの大剣を握る。

 やはり彼女には、魔法の光より鈍い鉄の輝きの方が似合っていた。


「ま、んなもんなくても俺は最強だ」


 ジェシカはそう言って強い笑顔を見せると、砂煙を上げながら全力で駆け出した。

 アスファルトと平行に靡く赤髪は足を止めた敵軍に衝突し、数人を一度に纏めて切り裂く。

 すぐに魔法による迎撃がジェシカの身を襲ったが、肌に触れるギリギリのところでそれを回避しながら、彼女は前進を止めない。


 噴き出された殺気と眼前の結果に気圧された愛されし者の面々は、次第にジェシカから距離を取るようになっていく。

 そして彼女の前に立つ者は唯一人となり、勿論その男はヘルキス・レオンハートだった。


「いい格好になったな、女」


「ああ。自慢の腕だ」


 ヘルキスの皮肉に、ジェシカが口元を歪めて答える。

 暫くしても睨み合う二人に関与しようとする者は居らず、最早彼らは別世界の住人として分断されていた。

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