第41話 たわいも無い約束

 夕食の時間に遅れたため、王城の広い食堂は騎士団員と職員が疎らに座っているだけの寂しい様相だった。


 端の席に着いた俺は料理を取りにも行かず、テーブルに頭を垂らす。

 今日の訓練で突如ジェイクと実戦形式で戦うことになり結果気絶させられた俺は、医務室で回復魔法をかけてもらったのにも拘らず、疲労感と敗北感でぐったりとしていた。


 最後の一撃までの流れは、悪くなかったはずだ。

 しかし、ジェイクの柔軟性と瞬発力という、明らかになっていた要素への警戒を疎かにしたせいで、全てをひっくり返されてしまった。


 いや、それ以前にブライスに発破をかけられるまで俺の体は勝負を諦めていた。

 あの時点で既に俺自身は敗北していたのだ。


 情けなさが大きな溜め息となって俺の口から漏れ出し、空気を汚した。

 すると、頭の側に何かが置かれた音が、魂の抜けた俺の意識を引き戻す。


「青年、溜め息など吐いている暇はないぞ。君はもっと大きくならなければいけない」


「…もう身長は止まってるよ」


「そういう話ではない。栄養が必要なのだ。戦士の体にはな」


 顔を上げるとテーブルの上には少し多めに盛られた食事が置かれていた。

 どうやらジェイクは気が沈んでいた俺に気を遣って、俺の分の料理を持ってきてくれたらしい。


 手合わせで意識を失い倒れた俺を医務室に運んでくれたのもジェイクだった。

 話した時から思ってはいたことだが、インパクトのあるビジュアルからは想像し難い程に、彼の中身はかなりの人格者だ。


 リリィとジェシカから引き離された今、帝都での生活の中で一番信用を置ける人物は俺を拉致したこの男になっていた。


「感謝を」


 ジェイクは俺が食事に手を付ける前に両手を組んで祈りを捧げた。


 大体の騎士団員は皇帝を崇拝しており、神の存在を信じている者はここに来て初めて見る。

 中でも、ジェイクの様な集団の中心に近い人間が宗教家なのは驚きだ。


 ジェイクが信仰心の篤い人間だったことを不思議に思っていたのが表情に出ていたらしく、彼は俺の顔を見て微笑んだ。


「意外かね?」


「あ、いや、ここではあまり見ない光景だなと」


「私は帝国の生まれではないのだよ。シンの東部にある小さな部落が私の故郷だ」


 神の国、シン。

 俺が最初に転移してきた教会のあった国だ。

 神の国というくらいだ、どこの地域であっても信仰する宗教があるのだろう。


 しかし、騎士などと名乗っている集団が余所者を所属させているのは少し違和感があった。


「やっぱり珍しいのか?他所の国が生まれの団員は」


「ああ、団では私だけだ。騎士はルーツを大切にしていたからな。その名残もあって今も良家の生まれが多い」


「それなのに騎士団に入れるなんて、やっぱり優秀なんだな」


「大陸の果てで生まれた私がこんな人生を送ることになるなどとは思いもしなかったがな。…陛下が私の人生の全てを変えたのだ」


「その話、聞かせてくれよ」


 確かにジェイクの言う通り、シンの東から帝国まではかなりの距離がある。

 彼がここに居ること自体が少し不思議な話だ。


 ジェイクは美しい所作でコーヒーを口に運びながら、興味を示した俺に自分の過去を話し始めた。


「私の故郷、ガンドはシンの中でも一番小さな部落だった。皆同じように肌が黒く、同じように歌と踊りを愛し、そして同じ神を信じていた。誰もが貧しかったが、互いが互いを助けながら生活していた」


「良い所だったんだな」


「そうだな…心地良い場所だった。そして、無力だった」


 そう言ったジェイクの少し深い茶色の瞳は、テーブルに置いたコーヒーを見つめて暗がりに沈む。

 俺はいつの間にか食べる手を止め、彼の話に聞き入っていた。


「宗教戦争が起きたのだ。同じ神を信じる過激派に、非暴力主義の我々は為す術も無く敗北した。民の殆どは死に、生き残った者は奴隷となった。ひ弱だった私は買い手が付かないまま奴隷商の間で転がされ続け、君と同じような年の頃、ここに辿り着いた」


 自らの壮絶な人生を振り返るジェイクは勿論楽しそうではなかったが、それでもきっとそこにある悲しみを俺に感じさせなかった。

 むしろ話を聞いていた俺の方が表情を曇らせてしまい、それを見たジェイクは気を遣って笑う。


「そんな顔をするな、青年。私は神に見捨てられてはいなかった。だから今、こうして君の前に居る」


「そうだな…。でも、奴隷なんて尚更騎士になるのは難しいんじゃないか?」


「その通りだが、闇市に突如現れた陛下によって私の運命は変化した。陛下が闇市の奴隷を一人残らず買い取ったのだ。奴隷たちは王城やその他の施設の労働力として働けるよう、教育と訓練を施された」


「流石皇帝様。ぶっ飛んだ話だ」


 ジェイクの話通りなら、きっととんでもない金が掛かったはずだ。

 しかし、あの皇帝の性格やスケールを考えると、やりそうなことだと思ってしまう。


 謁見した際、国民のためならどれだけの犠牲でも払ってしまいそうな、底無しに深い愛情を感じた。

 奴隷という弱い存在であっても、彼にとっては同じ帝国の民ということなのかもしれない。


「体が大きく育った私は奴隷の中で運動能力が一番高かった。そのため庭の手入れなどの肉体労働に配属される予定だったが、訓練を視察に来ていた団長から騎士団への勧誘を受けたのだ」


「ブライスが?…あいつ、見る目だけはあるな」


「他の騎士は肌の色の違う私を見下していたが、彼女だけは違った。あの時ブライスは私に、『立っているだけで強そうに見えるお前は騎士に向いている』と言ったんだ。既に次期団長候補筆頭だった彼女は、周囲の反対を無視して私を強引に騎士団に引きずり込んでしまった。…どうだ、嵐のような女だろう?」


「間違いない」


 白い歯を剥き出しにしたジェイクは珍しくブライスのことを名前で呼んだ。

 懐古しながら冗談を言う彼が余りに幸せそうで、俺も釣られて口元が歪んでしまう。


 二人で少し笑った後、ジェイクは残りが少なくなったマグカップを煽り眼光を鋭く光らせた。


「この国は第二の故郷となった。そして、あの時と違い私には同胞を守る力がある。…今度こそ、失うわけにはいかんのだ」


 ジェイクは二度目の大きな戦いに全てを懸ける覚悟だ。

 やはりジェイクも神を信じようとしない騎士団員たちと同じように、帝国に忠誠を誓う騎士だった。


 彼は自分に言い聞かせるように言うと、ポケットから取り出した花柄のハンカチで口を拭き、立ち上がった。


「次に会うときは君の話を聞かせてくれ。暫く先になってしまうがな」


「城から出るのか?」


「一度南側の基地で会議をしてから、君の友を迎えに行く。私がいない間も、ちゃんと沢山食べるように」


「わかってるよ」


 俺の返事に頷いたジェイクは、食堂から出て行った。

 わざわざ見ず知らずの俺の世話を焼く優しさも、彼の故郷では当たり前のことだったのかもしれない。


 ジェイクにはどこから俺の話をしよう。

 彼になら最低な過去でさえ、話してしまってもいいのではないかと思える。

 俺は次に会った時のために話の内容をぼんやりと考えながら、多めによそわれたスープを豪快に飲み干した。



 ◇



 七つの空き瓶を並べ、そこから少し距離を取って地べたに座る。

 およそ一か月程度同じ光景を見続けてきたため、これが何度目かなどとうに分からなくなっている。


 ジェイクが出張で居なくなり真人間の知り合いが消えた中、瓶を補充する度にブライスに小馬鹿にされ発狂する寸前だったが、瞑想を繰り返し何とか耐えてきた。


 そろそろリリィとジェシカも合流する予定だ。

 その前にこの練習に一区切り付けておきたい。


「………よし」


 炎を七色に分割し形状を保つためだけに微量の魔力を分け与える。

 連日の訓練の成果か、もう一つ一つの炎の揺らぎの間隔さえ俺の脳内のイメージ通り。

 これで失敗するようなら別の工夫をする必要があるだろう。


 ジェイクとの手合わせで腑に落ちたことがある。

 頭脳と根性、これは二者択一ではなく、両立可能な長所であり、それは戦闘時のみに限った話ではない。


 どちらも並行して意識すれば、技術的に高度な領域に最短距離で達することができる。

 簡単に言えば、練習の質と量、どちらも高めるべきだということだ。


 炎は色ごとに意思を持っているかのように、別々の瓶に向かって突撃する。

 そして少しの間燃焼すると、エネルギーを食い尽くし消滅した。


 結果は見ずとも分かる。

 何故なら、奥で偉そうに足を組み訓練の様子を眺めていたブライスが、詰まらなそうに目を細めていたからだ。


「言ったろ?俺はもう誰も殺さねえ」


「…フン、やっと殺戮兵器卒業か」


 俺が自慢気ににやついているのが気に入らないのか、ブライスの不機嫌は加速する。

 獅子のような金のオールバックが爆発するかと思ったがそれより先に、訓練場に駆け込んできた若い騎士団員の焦りをはらんだ声が、温い空間を引き裂いた。


「報告します!国境付近で愛されし者による襲撃!」


「なんだと!?被害は!」


 瞬間的に声色を切り替えたブライスがすぐに問うと、団員は気まずそうに俯いた。


「死者は一名のみ、ですが…」


 言いどもる団員がそれを口にするまでの時間が無限に感じられる。

 きっと俺が可能性から目を逸らしているせいだろう。

 

 しかし、もう取り返しの付かない結果に怯える心を守るためには、仕方のないことだった。

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