第40話 人間

 クリードに説明を受けた私とジェシカの二人は、基地の宿舎に向かっていた。


 ユータと帝都で合流するまでの一か月は宿泊する施設だ。

 贅沢は言わないが、食事だけは美味しくあって欲しい。

 いや、大陸最大勢力の軍人に与えられる食事なのだから、間違いなく美味しいはずだ。


 妄想に浸りながら歩いているとジェシカがすらりと伸びた足を止めたため、ハッとした私も立ち止まって口元に垂れた涎を拭いた。


「ここであってるんだよな?リリィ」


「そのはずよ。…けど凄いわね」


 私とジェシカが見上げた宿舎は、大きさも綺麗さも高級な宿と変わらないガラス張りの建物だった。

 基地の横に建っていなければこれが騎士団の宿舎だとは誰も分からないだろう。


 ジェシカが同じくガラス製の扉を押すとどうやら見た目よりも軽かったようで、それは抵抗を感じさせずに開いていく。


 中の様子を見たジェシカが少しだけ足を止めたため、私は彼女が内装の豪華さに驚いているのかと思ったが、実際はそうではなかった。


「エリーゼ!」


「お姉ちゃん!」


 ジェシカの視線の先には、彼女とよく似た髪と瞳の色を持った魔法使いが居た。

 駆け寄ってきた彼女はジェシカと抱き合い、再会を喜び合っている。


 私は当然エリーゼと呼ばれた彼女のことを知らなかったが、ジェシカとどういった間柄なのかは一目瞭然だった。


「無事に帝国まで逃げれたんだな」


「みんなのおかげでね。お姉ちゃんこそ腕は痛くない?」


「ああ、もう何ともない。…ちゃんと約束を守ってくれたみたいだな、ジャック」


 ジェシカはエリーゼの肩越しに、ゆっくりと歩み寄ってきた三人の冒険者の内の一人に声を掛けた。

 先頭でポリポリと首を掻いた短髪の男は、視線を合わせずに返事をする。


「…借りが返せたとは思ってねえ。これからも何かあれば言ってくれ」


「ジェシカ、この人たちは?」


「ジャック、ダン、エイラだ。ルーライトの戦いで縁があってな。エリーゼを帝国まで護衛して貰ったんだ」


 私がジェシカに彼らとの関係を尋ねると、紹介したジェシカに名前を呼ばれると同時にダンが深く被ったシルクハットを抑え、エイラが手を振ってくれた。

 そのおかげで、少しぶっきらぼうな身長の高い青年がジャックだとすぐに判別できる。


「それにしても、お前等がなんでこんなところに居るんだよ?」


「私たち、国境の防衛に参加する事になったの。契約している間はここに泊まらせてもらっているわ」


「仕事を貰えて助かりましたよ。…ルーライトはめちゃくちゃになってしまいましたから」

 

 ダンとエイラは微笑んだままジェシカの問いに答えていたが、よく見れば表情の節々に疲れが見える。

 生活していた場所で突然あんなことが起こったのだ、それも当然のことだろう。

 

 私も気を張る彼らに合わせて笑顔を作り続けていた。

 しかし、ふとした拍子に見えたダンの瞳の奥にはやはり戦火が物悲しく揺れており、その炎が私の大脳からあの時の記憶を引きずりだしてしまった。


「そう、みんなあの地獄に…」


 戦いの悲惨がフラッシュバックした私が俯くと、その場に居た全員の表情が同調して陰りを見せる。

 そのまま少しの間沈黙が訪れるかと思ったが、ジェシカは会話を止めなかった。


「皮肉なもんだな。あの暴動がなければ、こうして妹と再会することなんてなかった」


「…確かにそうね。そして、あんたが憎んでいた魔法使いが沢山死んだわ」


 私がそう言うと、ジェシカは遠くを見た。

 その時の彼女の表情は見たことがない程大人びていて、まるで別人が目の前に立っているような、そんな感覚が私を襲った。


「不思議だよな。殺したい程恨んでいたのに、大量に転がっていた死体を見て、漠然と哀れに思った。どれだけ忌み嫌っていようと、俺たちは同じ人間だったんだ」


 それ以降、誰も何も言わなかったが、ジェシカの言葉を全員が心の奥で肯定している事だけは皆理解できていた。


 きっとこれも同じ人間だから伝播した感情だ。

 そしてこれから命を懸けて戦う相手も、やはり人間なのだ。



 ◇



 七色の炎を単色に分裂させ、宙に浮かべる。


 集中力を欠いてはならない。

 何も考えず淡々と段階を踏むことが重要だ。


 空気を食いじりじりと燃えたそれぞれの炎の玉は、地べたに胡坐をかいた俺が目を開いたと同時に、様々な角度で弧を描き、横一列に並べられた七個の空き瓶に衝突する。


 炎を浴びた瓶は四本が残骸を残して砕け、三本は消滅した。


 俺は溜め息を吐いてから側に置いておいた袋の中を弄ったが、空を切る。

 同じ練習を無心で繰り返していたため、いつの間にか清掃員から貰った空き瓶が尽きてしまったらしい。


 空の色も赤く染まり始めている。

 俺が引き上げようと腰を上げると、背後から声を掛けられた。


「流石、素晴らしい威力だ、青年」


 声を掛けてきたのはジェイクと呼ばれていた黒人の男だ。

 相変わらず背筋を伸ばして姿勢良く立っているせいで、やけに背が高く見えた。


 彼は白い歯を見せながら気持ちよく褒めてくれたが、すぐに嫌味を含んだ別の声が邪魔をしてきたため、俺の眉は喜ぶ間もなくピクリと歪んだ。


「ああ、これなら心臓を喰っていない雑魚は全員皆殺しにできるぞ。なあ?優太」


「…うるせえ」


「これで敵を殺さないなどとふざけた事を宣うのだから、笑いが止まらん」


 声の方を見ると、奥で騎士団の練習を見ていたブライスがこちらに近付きながら、憎たらしい笑みを浮かべていた。


 彼女は完全に俺を煽っていたが、それもそのはず、俺が行っていたのは魔法の威力を高める練習ではなく、威力をコントロールする練習なのだ。

 一か月後までに七本の空き瓶全ての形状を残せるようになることが目標だが、始めて三日目の今、数回に一回瓶が一本残る程度にしか上達していない。


 ブライスに提案され始めた練習だったが、今日も百五十本程の瓶を割った。

 割り終える度にブライスが馬鹿にしに来るため、毎日気分が悪いことこの上ない。


 どうにも彼女には他人を虐めて喜んでいる節がある。

 たまに集中を解く度に、訓練場で彼女に扱かれる騎士たちの悲鳴が聞こえていたたまれなくなるため、楽しむのも程々にして欲しいものだ。


 俺はジェイクにも一緒になって何か嫌味を言われるのだろうと予想していたが、彼の伸びた背筋の上には馬鹿にするような色は一切無かった。


「なるほど、それは大変な志だ。しかし、若者の志など高ければ高いほどいい」


「………!」


「ジェイコブ・ジャクソンだ。気軽にジェイクと呼んでくれ」


「龍宮寺優太です!」


 俺が目を輝かせたのを見て両手を差し出してくれたジェイクと、熱い握手を交わす。

 サディストの横にまともな大人が居るせいで対比が凄まじく、彼が俺を拉致した過去などどうでも良くなってしまった。


「ジェイク、そのガキを付け上がらせるな。不殺など戦場においては唯の甘えだ」


「ですが、彼を戦場に引きずり込んだのは我々です。子供の甘え程度、多めに見ませんか」


「む、むう」


 ジェイクに窘められたブライスは、少し仰け反って不服そうな表情をしている。

 そして一呼吸すると今度は俺に聞こえるように舌打ちをした。


「チッ、つまらん。クリードを呼んで来い。奴をしばいて鬱憤を晴らす」


「彼は団長の命令通り、国境付近の基地で待機しております」


「使えない奴だ…肝心な時に居ない」


 動じないジェイクに義務的に報告されたブライスは、理不尽な文句を呟いている。

 俺は今が肝心な時だとは到底思えなかったが、これ以上何を言っても面倒なことになる気がしたので何も口に出さなかった。


 しかし、もう既に厄介事のスイッチは押されてしまっていたらしい。

 その場から抜き足差し足で離れようとした俺の背中は、絹のような見た目の硬い指で掴まれた。


「実戦訓練をしないと鈍って仕方がないだろう、優太。夕飯まで時間はまだある。ジェイクと一戦交えていけ」


「いや、見てただろ?まだ魔法のコントロールができないんだって。実践なんて無理だ」


「大丈夫だ。回復魔法使いが医務室に居る。最悪、こいつなら殺したっていい」


「いいわけないだろ」


 呆れた俺はジェイクに助けを求めるつもりで視線を向けたが、彼は既に上着を脱ぎ棄てて準備万端な姿になって鼻息を荒げていた。

 剥き出しになった黒い肌の上半身は美しく鍛え上げられており、その上十五センチはある体格差への絶望感で背筋が曲がってしまう。


「青年、胸を貸してやる。この分厚い胸を」


「…ええい、どうにでもなれ!」


 嫌々マントを外した俺は、肩を一度ぐるりと回してからガードを上げた。

 俺が構えたのを確認したジェイクはまるで踊っているかのようなステップを踏みながら、真っ白な歯を煌めかせている。


 どれだけリーチに差があろうと、一度間合いに入ってさえしまえば後は粘着し続けて有利に戦うことができるはずだ。

 しかし、その問題を解決するためには一定のリスクを負わなければならない。


 相手のローキックや足払いを引き出すため、俺は敢えて大きく前足を踏み出した。

 ロビンとの組手でも決まった動きだったため、その記憶が成功体験として俺の背中を押し、怪しく揺れるジェイクの長い足の届く範囲の深くまで強引に突入する。


 元の世界で学んだ格闘技の戦術だったが、本能的に動きがちなこの世界の人間には効果覿面だ。

 ジェイクのアグレッシブな見た目の印象からも、上手く決まる確信があった。


 ところがジェイクが選んだ行動は、距離の短いバックステップだった。

 図体に似合わず警戒心の強い選択肢を取られたことで、俺の気が少しだけ大きくなる。

 その影響もありもう一度雑に踏みだされた俺の前足は地に着く寸前、独特なリズムで大きく振るわれたジェイクの長い右足に、完璧なタイミングで刈り取られた。

 

 俺がもう一度距離を詰めに来ると予想した彼は後退した直後に、その時点では何もないはずの空間に向かって蹴りを放っていたのだ。


「イエス!」


「うおっ!?」


 ジェイクの掛け声と共に俺の視界はぐるりと回転し、蹴られた脛に痛みが走る。

 宙に浮いた俺の体は続いてやってきたジェイクの回転蹴りに吹き飛ばされ、土の上を跳ねた。


「がはっ」


 肺の中の空気が押し出された苦しさで体が一瞬固まったが、二回目の地面との衝突時に何とか受け身を取る。

 追撃を恐れてすぐに立ち上がると、ジェイクが腕を組んでこちらを見下ろしていた。


「青年、どうやら君の戦いには若さが足りない」


 ジェイクはただの一度攻撃を当てただけで、隙だらけのまま俺に説教を始めたが、何をやっても通用しないような、そんな予感がしてしまい足が動かない。

 俺の狙いを読み切ったかのような一撃は、お互いの間にある実力差を理解するには十分なものだった。


 文化レベルの低いこの世界では、身体能力で上回られることはあっても、思考や戦術の面で上手を行かれる事は無かった。

 しかし、初めて自分の長所でも先を行かれた俺は完全に混乱してしまっていた。


 そんな凍り付いた俺の脳を、鋭い怒声が叩き割る。


「簡単に思考を止めるな!勝利への執着を手放すな!死にたいのか貴様はァ!」


「……ッ!」


 訓練場に響いたブライスの厳しい声には、その言葉の正しさを納得させる力があり、ごちゃごちゃとしていた俺の頭の中から勝利への逆算以外の思考が消え去った。

 それと同時に、固まっていた体も血が通ったかのようにすんなりと動き出す。


 俺の足はもう一度前進し、また同じようにジェイクの領域に侵入する。

 同じじゃんけんを迫られた彼は単調な行動を嫌い、今度はその一歩目にミドルキックを強振してきた。

 俺は鞭のようにしなる足が胴に直撃する痛みを受け入れ、それを左脇に挟み込む。


「根性…気合ィ…!」


「ワッツ!?」


 ジェイクは一転して全ての考えを捨てた俺の我武者羅な行動に驚きの声を上げる。


 どんな化け物との殺し合いも、最後にその差を埋めたのは根性だったことを俺は思い出していた。

 埋まらない距離は歯を食いしばって無理やり埋める。

 それが格上と戦う際一番確実性のある、俺のもう一つの長所を生かした戦い方だ。


 この一度のチャンスを逃すわけにはいかない。

 ブライスが求めたのは勝利への執着だ。

 俺がこの男からそれを手にするには、魔法の力に頼らざるを得ない。


 俺は右の手のひらに七色の炎を球状に集約させる。

 イメージするのは小さな爆発。

 殺傷力を減らすため、炎はエネルギーとして利用し、衝撃だけを発生させる構造を脳内で瞬間的に生み出した。


「吹っ飛ばす!」


「ヌゥ!」


 俺は球状のエネルギーをジェイクの腹部に目掛けて七色の球を放とうとしたが、彼は掴まれた右足を支点にして俺の首に飛びつき、衝撃を躱した。

 そのまま巻き付いた脚に脈を締め上げられ、俺の意識は薄れていく。


「私の筋肉に溺れるのだ青年。深い筋肉の海に…」


「ぐ、ぎぎぎ…」


 ちょっといい匂いを感じながら、意識を手放した俺は地面に倒れ込んだ。



 ◇



 立ち上がって砂埃を払うジェイクと無様に倒れた優太に近付いた私は、溢れそうになる笑みを抑えながら声を掛けた。


「最後のは中々面白かったな」


「…ええ。やはり賢者と戦って生き残っただけのことはあります。少々頭でっかちで詰めが甘いのが傷ですが」


 返事を聞く限り、ジェイクも優太に一目置いたようだ。

 まあ、子供に甘い人間であるため、実際の評価がどれだけのものかは分からないが。


 それでも、やはり若者が課題に立ち向かう姿というのは見ていて気持ちが良いものだ。

 優太の土で汚れた寝顔を見て、我慢していた笑みが少しだけ零れてしまう。

 どうでもいい苛立ちでもやもやとしていた私の心の中は、青い水によって綺麗に洗い流されていた。


「しかし、どうやら私たちは危うくとんでもない力を奪われるところだったようだ。今回の措置も少々過保護なのではないかと思っていましたが…」


「ああ。この力が悪魔の手に渡ればこの国…いや、この大陸は終わりだろうな」


 そう言った私たちはジェイクの背後に目を向けた。

 彼のすぐ後ろの地面から訓練所を仕切る壁までが抉るように破壊されており、まるで大砲が数発同時に打ち込まれた様な有様だ。


「炎が私の横を通り過ぎる瞬間、死の臭いがしました。…経験の浅い民間人相手に、間抜けなものです」


「こいつなりに加減してこれだ。大量破壊兵器と言っていい」


 私はジェイクの自虐を回りくどく庇ったが、彼は更に表情を曇らせると、その場に膝を突いて両手を合わせた。


「子供がここまで破壊的な力を背負わされるとは…神は何をお考えになっているのか」


 ジェイクは彼の故郷で信仰されている偶像に語り掛けていたが、そんなものが本当に存在するのなら文句の一つでも言ってやりたいものだ。

 もしもこのような力を私に授けていれば、賢者の蛮行などすぐに片付いた話だろう。


 しかし、私の脳に過ったそんな考えは、代償を度外視した意味のないものだとすぐに思い直す。


「…いや、底無しに甘えた子供だからこそ、人として在り続けられているのかもしれないな」


 私が今すべきことはこの青年を魔の手から守り、育て、帝国を救うための計画を進めることだけだ。


 自らにできることを全うしよう。

 神などという居もしない存在に頼らなくても済むように。

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