第39話 謁見
「凄いな、もう着いたのか」
二日間馬車を走らせた俺たちは、帝都に聳え立つ王城の前まで辿り着いていた。
地図で見ると検問所から帝都まではかなりの距離があるように思えたが、王都までの道程は街灯の続く大通りとなっており、あっという間に移動は済んでしまった。
エルデ帝国の王城はルーライトのものよりも更に一回り大きく、その上其処彼処に並べられた砲台が全方位を睨み付けている。
「ジェイク、私はユータを陛下の元へ連れていく。貴様は客間で待っていろ」
「イエッサー」
ジェイクと呼ばれた男はブライスに向かってキレのある敬礼を返した。
昨日は夜間も馬車を走らせたため彼は昨晩から一睡もしていないが、伸びた背筋からは疲労が一切感じられない。
強靭な肉体と鋼の精神を併せ持った、まさに理想の軍人といった印象だ。
「ついてこい」
軍服の裾を靡かせたブライスは早歩きで巨大な門を潜り、衛兵が開けた正面の扉を進んだ。
等間隔に立ち並ぶ立派な石の柱の間をひたすらに前進していくと、一際目立つ黄金の扉に突き当たる。
訪れたことのない俺でも、ここが謁見の間だと一目で理解することができた。
「その気があればこの大陸を統べることのできるお方だ。当然、失礼は許されん」
「分かってるよ」
首の後ろに手を組んだ俺がそう答えると、ブライスは兵に目配せをし、金の扉を開かせた。
扉の奥を見ると、中央に敷かれた赤い絨毯の先にある玉座の上で、煌びやかな王冠を被った二十歳くらいに見える青年が頬杖を突いている。
ルーライトの国王と同じような老人がそこに居るのだろうと決めつけていた俺は、その姿を見て多少面喰らってしまっていた。
もし、この風貌を長く保ち続けているのであれば、不老不死の噂が立つのも確かにおかしな話ではない。
驚いて立ち止まる俺を置いて数歩歩いたブライスは、階段の下で膝を突き頭を垂れる。
「陛下、例の転移者を連れて参りました」
「ご苦労だったな」
「身に余るお言葉です」
玉座からはかなりの距離が離れていたが、階段の上から発された若い声は広いだけで何も置かれていない部屋の壁に反響し、ハッキリと俺の耳まで届いている。
唖然としたまま扉の奥で立ち尽くしていた俺に、皇帝の視線が移った。
「我が国へようこそ、賢者の孫よ。さあ、そんなところに立っていないで、もっと近くに寄らんか」
「あ、ああ…」
生返事をした俺が階段の下まで歩いて立ち止まると、右からブライスの舌打ちが聞こえてきたため、俺は慌てて彼女を真似て膝を突いた。
しかし、ブライスの眉間の皴は更に深くなる。
「おい、左右が逆だ。子供か貴様は」
「すいません」
どうやら作法があるらしく、すぐにブライスに姿勢を修正された。
強い口調に押された俺は反射的に謝ったが、そんなものがあるなら先に教えておいて欲しい。
「よい、楽にさせてやれ」
「はっ」
ブライスは皇帝に制されるとすぐに返事をし目を閉じて従った。
未知のマナーを守ることを諦めた俺は、立ち上がって皇帝の赤い瞳と視線を合わせる。
「わざわざ呼び付けてすまない。賢者の孫が作戦に加わると聞いて、どうしても話してみたくてな」
「…お会いできて光栄です、陛下」
「無駄な気を遣うな。お主にとってはこの機会も面倒なだけだろう、龍宮寺優太。…我が名はゼナン。まあ、誰も我を名前でなど呼ばぬがな」
皇帝は俺に向かってわざわざ名乗った。
巨大な椅子に偉そうに腰を掛けた彼はその見た目とは裏腹に、相手の身分を気にするような男ではないらしい。
繕う必要がないことを理解した俺は本題を切り出した。
「で、何を話せば?」
「賢者がどんな男なのか、我に教えてはくれないだろうか」
「…殺す相手のことなど、何故知る必要があるのでしょうか?」
素直に答える気になれなかった俺は意地悪く皇帝に聞き返したが、彼は特に気にする様子も無い。
「やはりお主にとって唯の独裁者というわけではないようだ。よく作戦に協力する気になったな?」
「自分の目的のついでに、作戦に参加するだけです。そもそも、あなた方に脅されてなきゃ、協力なんてしてないですよ」
「…どういうことだ、ブライス」
俺が若干の怒りを露わにしたのを見て、皇帝は俺に向けていた視線をブライスの頭にずらした。
「敵軍の戦力にされかねない以上、少なくとも彼の存在を隠す必要があると判断し、協力要請とそれを拒否した際の身柄の拘束を部下に指示しました」
「…そうであったか。お主のことだ、きっとそれが正しい判断なのだろう。であれば、彼の憤りは確かに我に向けられるべきだな」
そのままの姿勢ではっきりと答えたブライスの言葉を聞くと、皇帝は納得したように両の瞳を一度閉じ、もう一度俺の方を見た。
「この国と、大陸の平和のためだ」
「勿論事情は理解しています。ただ、血の繋がった人間が死ぬことを、何とも思わないってわけにはいかないだけです」
「あの賢者が罪を認め抵抗せずに…なんてことは有り得んだろうからな。間違いなく殺すことになる。恨むのならば、我を好きなだけ恨むとよい」
皇帝は出会ったばかりの俺の中に渦巻く複雑な感情を慮り、顔の所々に小さな皴を作る。
ブライスの信念からやってくる強さとは違い、そこにあるのは誰しもの思いを汲む圧倒的な優しさだ。
そして、その優しさが甘えと化して彼の判断の足を引っ張る事は無い。
きっと真っ白な歯を震わせてはいても、国民を率いる者としての芯の部分が揺らぐ事は無かった。
彼の深い優しさに難しい感情が飲み込まれたのか、俺は自然と彼の最初の問いに答えてしまっていた。
「元居た世界でじいちゃんは誰もが尊敬する偉大な経営者でした。でも、親父の難病を治すという目的のために、莫大な資産を全て置き去りにしてこの世界に来た。きっと根から腐った人間ではないと、俺は思います」
「そうか、お主が言うのであればそうなのだろう」
「…嗤わないんですね。きっと戯言だと言われても仕方がない話なのに」
「人間は弱い生き物だ。愛や誠意などという一見尊い感情であっても、拗らせれば一線を踏み越える理由と化してしまう。その上、この世界に訪れる転移者は誰もが深い闇を抱えたものばかりだ。きっかけさえ与えれば、いとも簡単に理性を失い悪魔と化す」
皇帝は意外にも俺の言い分をすんなりと受け入れた。
身勝手に暴虐の限りを尽くす賢者として語られるじいちゃんのことですら、彼は同じ人間の枠の中で扱ってくれているようだった。
「確かに俺が出会った転移者はみんな心に暗い感情や弱さを持っていました。それに強い差別を受けることだって心を傷付ける原因になりかねない」
俺は皇帝の発言に便乗し更にじいちゃんを庇おうと言葉を紡いだが、そんなずるさを見透かしているかのように彼の瞳は鋭さを見せる。
「だがな、その弱さに付け込んで邪悪な軍勢を生み出している今の奴の行いを肯定することなどできん。差別への抵抗を言い訳にしようと、突如罪のない命を脅かすテロ行為が許されていい訳がない」
「…ええ、その通りです」
俺は反論を諦め、奥歯を強く噛んだ。
言い返せない悔しさがありながらも、やっと自分の考えの整理がついたことによる安堵も間違いなくそこにある。
かつての自分が生み出した幻想を追って人道的な道を歩もうとしてきた俺が、じいちゃんの行いを正当化するべきではないという当然の思考が、皇帝との対話を経てやっと俺の頭に定着したのだ。
「我は賢者が息子を愛する親であり、人であったことを心に刻もう。我々は奴を討つことで、その魂を闇から救済する」
拳を握り胸の前に掲げ宣言する皇帝の神々しい姿を見た俺の瞳は釘付けになり、膝は自ずと再度絨毯に突き立てられた。
大陸最大勢力の頂点に立つ男の大きさを理解させられた俺は、彼の不老不死の噂について話を聞くという重要な要件を忘れ、ただそのままの姿勢で背中を見送ることしかできなかった。
◇
謁見の間を出た俺とブライスは客間に向かって廊下を歩いていた。
彼女の歩く速度は先程謁見の間に向かっていたときよりも少しだけ遅い。
「陛下がどれだけ素晴らしいお方か分かっただろう」
「偉そうな奴だったけどな」
「事実この大陸で一番偉いお方だからな。当たり前だ」
皇帝の格式高さに圧倒されたことを少しだけ恥ずかしく感じていた俺は、自慢げなブライスの言葉を素直に肯定できない。
その上、正論で黙らせられ更に恥ずかしい思いをさせられてしまった。
そっぽを向いていた俺は扉の前でブライスが立ち止まったことに気付くのが遅れたが、何とか合わせて足を止める。
彼女は客間の扉を数回ノックし、ドアノブを引いた。
「失礼する」
自分の部下を待たせている割に丁寧な言葉遣いをして入室したブライスについていくと、予想外の声が弾けるように飛んできた。
「ユータさん!?生きていたんですね!」
「ユータさん!!お久しぶりです!」
座り心地のよさそうなソファから立ち上がったのはルーライトで世話になった姉妹、ミロとキロだ。
あの時と同じ派手なローブととんがり帽子を身に着けているが、端々に傷が入っている。
きっとルーライトの戦いで付けられたものだろう。
「お前らこそよく生き残ったな。リリィが知ったらきっと喜ぶよ」
「そうですか、リリィさんも…!」
「良かった、良かった…!」
ミロとキロはリリィの生存報告を受け、めそめそと泣きだしてしまった。
ブライスが彼女たちにハンカチを差し出したのを横目に、俺は部屋の中を見渡す。
コの字に配置されたソファには高そうなマントを羽織った老人と、金髪縦ロールの女性が座っており、壁にはドレッドヘアのブライスの部下がぴんと立っていた。
よくもまあ見た目が賑やかな人間ばかりが集まったものだ。
「君も座りたまえ」
「え、は、はい」
面識のない老人に突然話し掛けられ戸惑いながら返事をした俺は、ミロとキロの横に腰を下ろした。
すると、老人は空いていた手を顎の下で組み、少し遠くを見ながら話し始めた。
「私たちはルーライトであのリリィという娘に命を助けられた。最高勲章を与えたいところだが、城には帰ることすらできん。情けない限りだ」
「勲章を与える?ということはあなたは…」
「アダム・アレクサンドラ・ロー。私こそがルーライト国王だ」
「えぇ…」
皇帝陛下に謁見を終えた直後、他国の国王と会話をすることになるなどと露程も思っていなかった俺は、溜まった疲労を表情と言葉に出してしまった。
しかし、俺の不敬は大事になる前に、高い鼻で笑い飛ばされる。
「フッ…やはり城を落とされた国の王などとは話したくないか?王冠と国民を置き去りにした王などとは」
「いえ、そんなことは…ッ」
「まあそう慌てるな。半分程度は冗談だ。だがな、ルーライトは私の命が燃えている限り、本当の意味で陥落する事は無い。必ずまた魔法を崇める民を集い、蘇らせてみせる」
そう言った国王の瞳の奥には薄明るい炎が静かに燃えている。
皇帝のものとは違う少しだけ枯れた低い声からは、民の象徴として生きてきた歴史やその自負が匂い、背負っているものの重さをひしひしと感じさせられた俺の体は緊張し強張った。
それでも、俺は喉に力を入れたまった唾を無理やり飲みこんだ。
この男はルーライトの壁の中で生まれたジェシカを家族から引き剥がした張本人と言える。
彼女の悲しみの冷たさを知っていた俺は、今度こそ聞くべきことを忘れていなかった。
「…質問をしてもいいでしょうか」
「構わん」
「何故、あなたは壁の中から才能のない者を追い出したのですか?一部の民の命が危険に晒されても、胸は痛まなかったのですか?」
炎の宿った強い瞳から目を逸らさずに、俺は言い切った。
罪深い政策を打った張本人と話せる機会など今しかないかもしれない。
それならば、回りくどい言い方を考えている時間も勿体ない。
それに、今目の前で俺を見据えている老人が、そういった遠慮や気遣いの類を求めているとは、到底思えなかった。
しかし、俺の言葉に憤ったのは本人ではなく、向かいに座っていた金髪の女性だった。
「貴方、黙って聞いていれば何様のつもりかしら!?陛下がどれだけ…」
「よいのだアリッサ。この程度の無礼、どうということはない」
「クッ…!」
国王に言葉を遮られたアリッサと呼ばれた女性は、納得がいかないようで俺を鋭い目付きで睨み付けている。
赤いローブにはひらひらと邪魔そうな飾りがついており、いかにもお嬢様といった見た目の女だ。
俺が恐る恐る視線を元の位置に戻すと、国王は国王で何かから目を背けるように瞼を閉じた。
「そうだな…判断を下した時、何も思わなかったと言えば嘘になるだろう。しかし後悔はしていない」
「今でも家族と引き剥がされた者はその記憶や劣等感に苦しんでいます」
「だが、壁の外になら同じ苦しみを共有できる仲間がいるはずだ」
そう言った国王が再度瞼を開くと、緑色の瞳から憂いのような物は消えていた。
自分勝手な言い分に更に腹を立てた俺の声は、少しだけ震えながら部屋に響く。
「そんな綺麗事…!」
「あの決まり事を作ったのは、我が国の異常な自殺率が理由だ」
強引に切り出された国王の言葉に驚き、俺は用意していた言葉ごと息を飲み込んだ。
俺が固まったのを案じてか、僅かに呼吸を整えるための間を取った国王は、もう一度ゆっくりと話し始める。
「壁の無い当時も今と同じように魔法という力を神格化していた国民は、才の乏しい者を激しく差別する。その結果、全ての年代で自殺が当然の社会と化していた。その対策として十代の頃私が打ち出したのが、強制的な民衆の二分化だ」
「民衆の二分化…何故そんな極端な手段を」
「自殺の一番大きな理由は、孤独を解決できないことだ。強者が大半の集団の中で弱者が傷を舐め合おうとしても、それを見付けた強者が更に過激に差別を行ってしまう。その根本にある魔法至上主義という思想は国の根幹であり、ルーライトがルーライトである限り絶やすことはできない」
理屈は理解できてしまう。
なにより孤独による苦しみや辛さがどれだけのものかは、自分が一番理解していた。
しかし、彼の取ったやり方は根本の問題から逃げているようにも思える。
「そんな…それでいいのでしょうか」
「偏った思想ではある。決別すべき文化かもしれない。しかし、変化を目指している間にも、我が国に灯った尊い命は消えていくのだ。私には、歴史と戦い思想を覆すような時間は無かった」
「………」
「壁の外に放り出された者達は以降、魔法の光から遠ざかることができる。そこには私という共通の敵を持つ仲間がいる。勿論炭鉱夫も魔獣狩りも危険な仕事だが、自ら死を選ぶことより悲しい終わりなどきっとない」
俺はこの日、二人の最高権力者と立て続けに問答を交わした。
一人は、民を愛し人の痛みを誰よりも理解できる、懐の深い者だった。
もう一人は、自らの心を犠牲にして民の命も体裁も守ろうとする、強欲な者だった。
自分の心を傷付けながら、何かを切り捨てる判断ができる者達だ。
それと比べて甘ったれた俺は、どうしようもないことでさえ納得する事ができない。
たかが友人一人を思って握った拳が、説明を聞き終えた今でも解けない。
俺は子供なのだろう。
けれど、友に降りかかった理不尽ですら仕方ないと受け入れるのが大人であるならば、俺は子供のままでいいと思った。
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