第38話 騎士の誓い

 ファンキーな馭者が暫く走らせた馬車は、人気の無い場所に入るとその足を緩めた。

 馭者は停車した馬車から軽快に降り、首根っこを掴まれた猫のように大人しくしていた俺を見て一言だけ呟く。


「グッドラック」


 それから彼は空いた腕で馬車の扉を開けると、俺の体を軽々と車内へと放り投げ、外から鍵を掛けてしまった。


 高級感のある座席がやけに柔らかいおかげで、尻に痛みは感じない。

 しかし、幸運を祈られたということは、これから先に何かが待っているのだ。


「歓迎しよう、転移者」


 凛とした声の方に顔を上げると、鋭い視線が俺の瞳に突き刺さる。

 そこには、冷たい灰色の目をした金髪の女が腕と足を組んで俺を待っていた。


 前髪を数か所だけ垂らし、長い髪を後ろに流した彼女はまるで獅子のように気高く、この密室を檻の中だと錯覚してしまいそうだ。

 ただし、俺を睨む瞳の奥を探るとそこに殺意はなく、彼女が腰に下げた細い剣は深く眠っている。


「…随分冷静じゃないか。私は脅かしているつもりなんだがな。大して抵抗しないのも疑問だ」


 女は威圧感のある低い声でそう言いながら、品定めするように目を細めている。


「騎士団の人間に危害を加えられるようなことは無いだろ?」


「…何故私が騎士団員だと?」


「目標だった俺が連れ去られたのに、魔法が使えるはずの団員たちが何の行動も起こさなかった。そもそも、あんな中途半端な場所で馬車を降ろされた意味も分からないしな」


 俺が知らない相手に拉致されている中、クリードを除いた騎士団員たちは表情すら動かさなかった。

 基地に向かうなら直接馬車で向かえばいい。


 違和感は、そこら中に転がっていた。


「…奴らには演技の練習もさせるべきだったな」


「クリードだけは迫真の演技だっただろ?何か賞でも与えてやってくれよ」


 クリードの死を悟ったような顔を思い出しながら俺がそう答えると、女は鼻で笑った。


「それは違うな。奴が与えられるのは罰だ。口から漏れた自白を私の地獄耳が捉えた可能性に震えていただけだ、あの馬鹿は」


「なるほど」


「奴は定期的に甚振いたぶらないとすぐに腑抜けてしまう。タイヤに空気を入れなければ萎んでしまうのと同じようにな」


 彼女は嫌なたとえをしながらまたニヤリと笑う。


 確かにあの時クリードがカジノがどうのと言っていたのを覚えている。

 

 きっと彼の想定よりも早く馬車が来てしまったのだろう、少し可哀そうではあるが、余りにも自業自得だ。


「…さて、自己紹介がまだだったな。ブライス・ハワード、帝国騎士団団長だ」


 着ているコートのボタンを外して脱ぎ捨てた彼女は、その奥に着ていたクリードと同じ軍服と、彼らにはない階級章を露わにした。


 俺は正直な所、これまでに出会った騎士団員の事をただの軍人として見ていた。

 しかし、今俺の目の前に居るのは誉れ高き、勇敢な騎士だ。

 初めて会っただけの俺にそう思わせる程、黒い軍服を身に纏ったブライスの背後に広がる信念の光は眩く、憧憬を抱かせる特別な魅力があった。


「俺は龍宮寺優太」


「龍宮寺…そうか、やはり諜報員の報告通りか…」


「諜報員?」


 礼儀として俺も名乗ると、ブライスが少し俯いて呟いた。

 しかし、俺が聞き返した事で、少し落ちていた彼女の顎が元の場所に帰ってくる。


「ああ。ルーライト王城での戦闘は派遣しておいた諜報員が監視していた。賢者との繋がりの可能性も彼らから聞いている」


「…あの地獄を高みの見物していたのは賢者だけじゃなかったってわけだ」


俺は敢えて言葉に敵意を交えたがブライスは全く動揺の色を見せず、鋭い眼光を俺に突きつけ返した。


「勘違いするな。私たちにとっての最優先事項はこの国の民を守ることだ。結果的に救われる者がいるというのは喜ばしいことだとは思うがな」

 

 諜報員が全ての被害者を見殺しにして情報収集に徹し、自国に情報を持ち帰ったことをブライスはきっと誇り、その行為を批判されれば堂々と庇う。

 そんな先導者らしい様を見せ付けられたせいで、俺の中には否応なく彼女への信用が積み重なっていき、それ以上何も言うことができなかった。


 その反面、世界を救おうなどと都合のいい言葉を吐いていたクリードの適当さ加減が際立ち、反比例するように彼の株が落ちていく。


「勿論、雇われの君がどんな思いで戦いに参加するのかは自由だ。団員各々の想いにも違いはあるだろう。しかし、皇帝が愛する国民を命を懸けて守ると誓った者たちであることに違いはない。我々は、一枚岩だ」


 ブライスは胸を張ってそう言い切った。

 自らに向けられる尊敬の眼差しを自覚しているのか、それとも部下を信用しているのか、彼女の口から発された宣言には少しの迷いも感じられない。


「…悪かったよ」


 仕方なく謝罪した俺に、ブライスは口元だけの小さな笑みを作って応えた。


 俺は彼女との会話によって帝国騎士団がどういった集団なのか、そしてブライス・ハワードがどんな人間なのかを、なんとなく理解することができた。


 しかし、もっと単純な疑問が残っている。


「で、なんで俺だけ連れて来られたんだよ?」


「貴様は行方不明者になってもらわねばならん…公にはな。こちらが戦力として抱えていることを愛されし者に悟られないよう、存在を隠蔽する」


 ブライスの言う通り、俺のいる場所が明確になれば愛されし者が何を仕掛けてくるか分からない。

 作戦が始まる前に、罪のない人々を戦いに巻き込むような形になってしまえば最悪だ。


「狙われる可能性がある俺だけは引き籠っていなきゃいけないわけか。だが、小細工程度で賢者から居場所を隠し通せるとは思えないな」


「安心しろ。貴様が身を置く場所はこの大陸で一番安全な場所だ」


「…王都か」


 俺はブライスの自信満々な表情で行き先をすぐに理解した。

 大陸最大の権力を持つ皇帝が住まう場所、王都であれば確かに情報の遮断も何とかなるかもしれない。


「その通りだ。それに陛下は賢者の血縁者である貴様と話したがっていてな。これから貴様には私と一緒に帝都に向かってもらう。…ジェイク!」


 説明を終えたブライスは、突然誰かの名前を叫んだ。

 その瞬間、止まっていた馬車が急に動き出し、俺の体は激しく揺らされる。


「イエッサー!」


 呼ばれたのはきっと、あの黒人の馭者の名前なのだろう。

 いつの間にか馬の上に戻っていた彼は、わざわざ手綱から両手を離して器用に敬礼している。


 頼むから、安全運転に努めて欲しい。



 ◇



「ごめんって何度も言ってるだろ?こうでもしないと君たちごねるじゃないか」


 机に座って溜め息のような言葉を吐いたクリードは疲れを隠さない。

 胸ぐらを掴んだジェシカに何度も同じような文句を言われているせいなのだが、鉄の義手に脅されてもいつも通りの態度で言い訳を述べられるのだから大したものだ。


「リリィもなんか言ってやれよ!何の説明も無しにユータを連れて行きやがったんだぞ!」


 指で髪先を弄って暇を潰していた私にジェシカの怒りが飛び火した。


 ユータが謎の男に連れ去られた後、騎士団の基地の一室に移動した私たちは、クリードからあの男の正体とユータの今後の扱い、これからの作戦予定について説明を受けた。


 私たちの緊急時の動きを見る意味もあったなどと様々な理由を聞かされたが、それでもジェシカは納得がいかないようで、一度湧いて収まらなくなった怒りは見ての通り、クリードにやや暴力的にぶつけられていた。


 その流れに巻き込まれてしまった私は、二人の様子を直視しないことで興味がないことを示す。


「今生の分かれってわけじゃないんだし別にいいじゃない。一か月後には私たちもユータと合流できるんでしょ?」


「君は物分かりが良くて助かるよ!これが正妻の余裕って奴かな?」


 私の意見を聞いて味方だと勘違いし、調子に乗ったクリードが発した冗談は、一瞬で部屋を凍り付かせた。


 正妻。

 ああ、何と響きの良い言葉だろうか。

 ジェシカが苛立っている目の前で他人にそう評価された状況が、更に私の気分を良くさせる。


 勿論、悦に入って緩んだ私の心境とは正反対に、ジェシカのあらゆる血管は浮かび上がり、発達した筋肉を更に際立たせていた。


「なんだ、手前はそんなに死にたかったのか…。それならそうと最初から言ってくれよ」


「あれ…?ジョークだよ?場を和ませようとする善意だよ?」


「その無駄に回る口、俺が破壊してやらァ!」


 汗をかき出したクリードの訴えも虚しく、彼の頬はジェシカの剛腕に轢かれてしまった。

 そのまま騎士団の団章を刻んだ大きな織物の中心に吹き飛ばされると、ぐったりと床にもたれ掛かる。


「痛い…酷い…」


「チッ、食えねえ野郎だ」


 情けなくさめざめと泣いているクリードを見下ろしていたジェシカは、舌を鳴らしながら彼から背を向けた。

 きっとジェシカも私も同様に、少しばかり気味の悪さを感じていたのだ。


 今のジェシカの拳は常人が受ければ間違いなく意識を失い、一日は目覚めないような一撃だ。

 しかしクリードは襲い掛かる拳が肉に触れ頬骨に衝突する寸前、首を捻りながら上体を引き、ダメージの大半を殺していた。


 それでも男性の体を宙に舞わせてしまうジェシカの力は凄まじいのだが、クリードは瞬間的に見せた技術によって手に入れた結果を隠し、ただただ無力な被害者を演じている。

 ジェシカの言うように、食えない男だ。


 それ以上追撃しようとせず、首の骨を鳴らして気を取り直したジェシカは、私を見て目を座らせた。


「しかし意外だな。俺はリリィと二人でコイツをボコる予定だったんだぜ?それなのに、お前だけ落ち着き払いやがってよ」


「………!」


 ジェシカの口から何気なく漏れた不満は、私にとっては青天の霹靂だった。


 確かに彼女の言う通り、以前の私であればユータと離された時点で気が気ではいられなかっただろう。

 祖母が死んで以降、私の精神を何とか人の形に保っていたのは、間違いなくユータの存在だった。


 しかし今、私の心は特別不安定になるようなことも無く、普段通りの思考で過ごすことができている。


 何故か、何が起きようとユータと私が会えなくなる事はもう無いのだという、根拠のない自信が心の臓の奥で私を支えていた。


 どうやら私の中にあった孤独感や不安感、ユータに対する異常な依存心は、ルーライトで彼が迎えに来てくれたあの瞬間に、ある程度の解決に至ったらしい。


「あんたが居ない内に、少しだけ大人になったのかもね」


「…おい、どういう意味だよそれ!?おい!」


 微笑んだ私がわざと意味深に返すと、焦ったジェシカが唾を飛ばしながら喰い付いてきた。

 人間としての大きな成長を自覚した今だけは、憎き恋敵でさえ可愛く見えてしまう。


 ああ、自由とは幸せなものだ。

 ユータにただついていくだけの抜け殻ではなく、意思を持った一人の人間として彼の隣を歩くことができるのだから。


 気づけば、髪の長さも少しだけ伸びていた。

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