第37話 帝国
「頭
昨晩ジェシカとリリィとの三人で再会を祝して飲んだ酒が、腹と頭の中で存在を主張する。
無謀にもジェシカのペースに合わせて注文を繰り返した俺には途中からの記憶がないが、横で酒を浴びていたはずの彼女は、二日酔いを隠せないでいる俺とは違い平然としていた。
「情けねえなあ、大した量飲んでないだろ?」
「なんであんたはあれだけ飲んでケロッとしてるのよ」
俺を煽るジェシカの様子を見て呆れ返ったリリィが棒のように立ち尽くす。
見ると、リリィの足の周りに少しだけ残っていた雪がみるみる溶けて靴を濡らしていた。
歯切れの悪い俺の体調とは違いリープ村を見下ろす空は快晴、旅立ちには絶好の日だ。
「魔力はもう大丈夫なのか?」
「その言葉、そっくりそのままお返しするわ」
リリィは俺の心配を腰に手を当てて跳ね除けた。
昨日の夜、彼女はオーランドさんを畜舎に向かわせるために、アイディーが操る魔獣の群れの相手を一人で引き受けていたらしい。
結果的にオーランドさんの家は翼竜の炎に焼かれてしまったが、彼女自身の身を守り抜いてくれたことだけでも御の字だ。
「包帯のおっさんに挨拶していかなくていいのか?」
「ああ、次に会う時はロビンと一緒だ」
ジェシカの問いに俺が答えると、二人は納得してくれたのかそれ以上異を唱えることはなかった。
蹄が薄い雪ごと地面を踏む音が迫ってきていることに気付いた俺は顔を上げる。
そこには、数台の大きな馬車が到着していた。
昨日の宣言通り、クリードが迎えに来たのだ。
「良かった、どうやら俺はフラれなかったらしい」
俺たちを見つけて微笑むクリードの奥では、騎士団の同胞であろう、彼と同じ格好をした者たちが幾つかの馬車に別れて乗車していた。
クリードが当然のように着崩しているため気にならなかったが、やはり国家権力の証である黒い制服には威圧感がある。
未だかつて、こんなに息苦しそうな馬車を俺は見た事がない。
「ユータ君、世界を守るために、俺たちに力を貸してくれ」
俺の前で足を止めたクリードは、大袈裟な言葉をわざと選び、手を伸ばして承諾を求めた。
しかし、俺の中には既に別の目的が生まれていた。
それが彼らのもの程立派な動機でなかったとしても、俺にとっては力の湧く泉であり、譲れないものだ。
「ロビンを連れ帰って、全員でこの村の美味い飯を食う!…そのために、俺の全力賭けてやる!」
「俺たちの、でしょ?」
リリィがそう言って笑うと、同調したジェシカも白い歯を見せた。
きっと、全てが上手くいった後にみんなで食べるステーキは格別な味がするだろう。
本音ではじいちゃんもそこに居れば嬉しいと、今でもそう思ってしまう。
俺は心の奥にある温い気持ちを黙って飲み込みながら、クリードと笑顔のままで握手を交わす。
賢者の犯した罪は、明るい場所に戻れるような軽いものではないと理解はしていた。
話を終えた俺たちがクリードと同じ馬車に乗り込むと、俺の一抹の寂しさを吹き飛ばす程の大声が、窓の外から聞こえてきた。
「おい、ゴリラ女!」
特徴的な呼称でジェシカを呼んだのは、冬眠前の様に溜め込んだ贅肉を揺らして走るドクランだった。
息を上げたドクランに、馬車の扉を開けたジェシカが冗談を飛ばす。
「おっさん!何だよ?暫く一緒だった美女が居なくなるのが寂しくなっちまったか?」
「馬鹿言え、清々するわ」
ドクランの彼らしい口振りを最後に聞けたことに満足したジェシカが、ケラケラと笑う。
その会話を決別の言葉だと勘違いした馭者が手綱を引くと、馬が出発を理解して嘶いた。
しかし、どうやらドクランは、ただ別れを言いに来たわけではなかった。
「…高過ぎてド田舎じゃ捌けねえ。返してやる」
ドクランは突然、何か光る物を放り投げてきた。
難なくジェシカがそれをキャッチし拳を開くと、そこにあったのはいつか俺がプレゼントした、魔獣の角のペンダントだった。
「そんなこと言われたって、金はどうすんだよ!?」
焦ったジェシカが走り出した馬車の外に身を乗り出し、長髪を靡かせながら叫んだ。
暫く扉が開いているせいで吹き込む外気が車内を冷やしていたが、俺もリリィも、クリードでさえ文句を言わずただ黙っていた。
「勘違いするな!負けてやるわけじゃねえ!…百回払いだ、必ず百回払いに来い!」
ドクランの大きな声で一方的に結ばれた、何の保証もない口約束は、少し遠くなった馬車の中にまで響き渡る。
リープ村はこの大陸のどこよりも寒い場所だったが、暖かい場所でもあった。
◇
「噂には聞いていたけど、仰々しいわね」
「拒絶の門か…」
そうリリィとジェシカが言うように、やっと見えてきた目的地には明らかに排他的な雰囲気が漂っている。
拒絶の門。
帝国エルデと他国との国境に一つづつ建設された、無駄に巨大な検問所の名だ。
門の上に乗っている竜の彫刻には迫力があり、あれに見下ろされれば萎縮してしまう人もいるだろう。
しかし、この門で手続きをせず不法入国した人間は厳罰に処されてしまうため、余所者が帝国に足を踏み入れる際には必ず通らなければならない場所だ。
「流石に腰が痛え。体が鈍っちまう」
ジェシカは背中の筋肉を伸ばしながら、少しの文句を溢した。
それもそのはず、俺たちはリープ村を離れてから十数日をかけてやっとエルデ帝国に辿り着いたのだ。
幸運にも大雪に降られることがなかったため、アシュガルドからエルデへの移動はスムーズに終えることができた。
とはいえ、ルーライトの時のように魔獣の群れがいるわけでもなく、ひたすら馬車の上で過ごす約二週間は余りにも苦痛だ。
「警戒ご苦労様。程々にサボりなよ?」
「ハッ!」
クリードが先頭の馬車から緩い笑顔で声をかけると、検問所で構えていた兵士たちが慌てて敬礼した。
「言ったそばからこれだ」
困ったように呟いたクリードは仕方なく生ぬるい敬礼を返す。
どうやらクリードには一定の尊敬の念が集まる程の地位、または実力があるようだ。
女を口説くことに特化したような外見からは想像し辛いことだが、俺を説得する際彼の深い所に確かに存在した力強さが、大した根拠のない俺の分析に説得力を持たせてしまっている。
「意気揚々とサボり出す部下より良いんじゃない?」
「真面目なのは良いことだけど、そうでない俺が浮いちゃうからね。味方が欲しいんだよ俺は」
「…よく言う。往復一ヶ月の退屈に耐えて仕事してる奴のどこが不真面目なんだ?」
俺はリリィとクリードの会話に割って入った。
道化を演じるとまでは言わないが、彼は自身が薄っぺらい人間であるという間違った印象を周囲に刷り込もうとしている節がある。
何故そんな事をする必要があるのか気になった俺は、更に具体的な部分までクリードに探りを入れたのだ。
共闘することになる相手がどんな人間なのか、俺には知る権利があると思った。
突然本音を絞り出そうとした俺に目を丸くしたクリードは、考える時間を作るために煙草を取り出し火を付けると、吸った煙を窓の方に吐いた。
「本当はこんな仕事したく無いんだ。けれど、惚れた相手が真面目な人でね。仕方ないから黙って働いてるよ」
「…お前は真面目で、狡い奴だ」
「そうかもね」
クリードのつまらない返事を聞いた俺は顔を背けて黙った。
彼の言葉はきっと、嘘でも本当でも無い。
まるで煙草の煙で隠されたような、ライターの火で一部が焼け焦げたような、中途半端な回答だ。
ただ、クリードの少し細めた目や、煙草を指で挟む仕草に大人を感じてしまい、それ以上追求するのが野暮なような気にさせられた。
大人の恋の話など、俺についていけるわけがない。
◇
エルデ帝国は大陸最大の国土面積を持つ、所謂大国だ。
どんな景観が待っているのか、勿論期待はしていたのだが、実際そこに在ったのは想像を超えて違和感すら感じるものだった。
車道と歩道がはっきりと分かれた道はアスファルトのような素材が使われて完璧に整備されている上、一定の間隔で街灯も立ち並び、ゴミも落ちていない。
人々の服装も麻を主な素材にしたものが無く、機能性が増して楽に着ることができている。
文化レベルが今までに訪れた国々と明らかに違うのだ。
何故かこの国の領土内だけ、特別な進歩を遂げていた。
「さて、みんなにはこれを付けてもらおう」
帝国最北東の大きな街、エントに着いた俺たちは、馬車を降りる前に騎士団員らに囲まれ、青い魔石の付いた腕輪を装着させられた。
騎士団員は誰も彼もが精悍な顔つきをしており、クリード以外は頼り甲斐のありそうな者ばかりだ。
「何だよコレ?鬱陶しいからアクセサリーは嫌いなんだよな」
ジェシカは押し付けられたそれを繁々と見ながら言った。
「そう言われても、ルールだからね。騎士団の人間や衛兵以外はこの魔法の使用を封じる魔石の装着を義務付けられる。無断で外せば一発で追放さ」
クリードの説明を聞いた俺が大人しくそれを装着しながら騎士団の面々の手首を見ると、確かに腕輪など付いていない。
帝国は日本人が国民から刀や銃を奪って治安を維持しているのと同じ要領で、平和が守られている国ということだ。
勿論ただの玩具なわけはないが、俺は一応小さな炎が出るようイメージをしてみた。
「…本当だ、何にも出ねえ」
驚いた俺は息みながら繰り返し何度か試してみたが、クリードの言葉通り魔法が発現することはなく、道を吹いた風に馬鹿にされてしまった。
エントの整った街並みに囲まれているのも相まって、まるで元いた世界に戻ったような感覚だ。
「騎士団の基地が近くにある。そこで契約書を書けばその鬱陶しい腕輪を外せるから安心してくれ。ついでに大通りを散歩でもしようじゃないか。この前勤務中にサボって行ったカジノに寄って行ってもいい」
「………」
視界の端に映ったものが気になった俺はクリードの呑気な話を聞き流した。
道路の奥の方に見えている光る程に肌の黒い馭者が、着ているシャツを筋肉によってはち切れそうにさせながら、帽子を深く被って手綱を握っていたのだ。
その馬車が優雅に揺れながら近付いてくると、帽子に隠れていたドレッドヘアーが見え、更に男は存在感を増してしまう。
俺は通りすがり視界から外れていく彼が気になって仕方がなかったが、喧嘩を売っていると勘違いされて絡まれても困る。
目を合わせないよう注意していると、何故かその馬車は俺の真横で止まった。
「ヘイ、青年は貰っていくぞ」
「………へ?」
声を掛けられた俺が恐る恐る左に顔を向けた刹那、俺の体はすんなり馭者に担ぎ上げられ、そのまま馬車が動き出してしまった。
俺は、拉致されたのだ。
「「ユータ!」」
静かに青ざめるクリードを他所に、俺の名前を叫んだジェシカとリリィだけが行動に出た。
ジェシカはすぐに背中を追いかけてきたが、彼女が幾ら俊足でも馬車が相手ではどうしようもなく、少し走った所で足を止める。
「チッ、流石に追いつけねえ」
「タイミングが悪すぎるっての…!」
ジェシカの奥で文句を呟いたリリィは杖を構えてはいたものの、手首に装着した魔石の効果で何もできずにいた。
「逃げてんじゃねえぞオラァ!」
ジェシカは諦めず、声の勢いを乗せて背負っていた大剣を豪快に投げた。
宙を舞いながら回転する鉄の塊はフリスビーの様に馭者に一直線に向かってくる。
しかし、そんな状況でも彼は、肌に映える真っ白な歯を光らせていた。
「ヒャッハー!」
馭者は陽気に笑うと、俺を両手に持ったままリンボーダンスの様に上半身を後ろに倒し、飛んできた大剣を見事に躱した。
俺の体に刃が当たってしまうのでは無いかと冷や冷やしたが、彼の見た目からは想像し難い特異な柔軟性への驚きがすぐに恐怖を上書きした。
「待て!ユータを返しなさい!」
リリィの制止も虚しく、友人二人と数名の騎士団の姿がどんどん小さくなっていく。
俺は馬の上の大男の上に担がれる自分の馬鹿馬鹿しい姿を、出来るだけ考えないようにしながら、されるがままに運ばれた。
「入国直後に何なんだよ…」
不満が口を突いたものの、馭者の逞しい腕に抱かれて見る空は、呆れる程に青かった。
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