第46話 眠る男

 賢者暗殺作戦が決定した翌日。

 私とクリード、そしてブライスは、開発の殆どを終え実戦投入されることが決まった魔具の試作品の使用者に選ばれ、研究室に呼び出された。

 

 試作品は三種類。

 そのうちの一本は、正に悪魔の発明だった。


 人間の生命力を喰い、それを筋肉の出力にする変換器。

 限界を超えた力を発揮することができるが、起動してから数分で宿主を死に至らしめる諸刃の剣だ。


 転移者の心臓を飲み込みエネルギーとした愛されし者たちから着想を得た、そのろくでもない代物を最初に手に取ったのは、団の長であるブライスだった。


「賢者を殺すために生まれた魔剣か…私に相応しい剣だ」


 ブライスは帝国の勝利のためならば、自らの命など投げ出してもいいと考えている。

 全ての騎士が似たような覚悟を持っていることを理解してはいるが、彼女は戦の後も生きて、騎士の象徴となるべき人間だ。


 そして勿論、宿敵であるクリードにこの剣を握る名誉を譲るわけにもいかない。


「いや、あなたの細い腕には、少しだけ重過ぎる」


 私はブライスから魔具を強引に奪い取り、腰に下げる。

 元々帯刀していた細剣はどれもあまり馴染まなかったが、私が持つ運命であったこの一振りだけは、やけにしっくりと来ていた。




 ◇




「何よ、あれ…」


 私は、突然奇行に走ったジェイコブを見て困惑していた。

 自分の腹に剣を突き刺すなど、正気の行動ではない。


 ところが痛みに呻くジェイコブを見ても、クリードはただ拳を握り締めるだけで、驚いている様子はなかった。


「血迷ったか、騎士の男」


 ヘルキスはそう言うと巨大な斧を構え、振り下ろす。

 空気を破る音が鳴る程に強振された斧が、ジェイコブの体を真っ二つに切り裂いてしまうことを覚悟したが、その直前で鉄の刃はピタリと止まった。


 なんと、タイミング良く叩き付けられたジェイコブの両の手のひらによって、斧の側面が挟まれていたのだ。


「ノー。私は至って正気だ」


 腹に剣を貫通させたままのジェイコブは、鋭くヘルキスを見返した。


 力が伝達して震える手から繋がる彼の黒く逞しい腕、そして体全体は肥大化しており、目前の化物の体躯に少しばかり迫っている。

 それでもまだヘルキスの方が明らかに大きくは見えたが、そんな彼が鼻息を吹き出しながら腕に力を入れても、斧はびくとも動かない。


 それどころか、ジェイコブが更に上腕を膨らませた事で、斧の方が圧力に耐え切れなくなると、最後には折れ曲がり割れてしまった。


「何だ、この力は…!」


「自らの命を懸ける者と他人の命を懸ける者の違い、最後に私がレッスンしてやろう」


 ジェイコブは腰を下げ反動をつけると、腕を思い切り突き上げる。

 拳はヘルキスの腹に直撃し、その痛みに顔を歪めながら腰を曲げたヘルキスの胸にも似た様な一撃が見舞われた。


「がはッ」


 後ずさって膝を地に突いたヘルキスの体が数秒硬直し、そして意識を取り戻した。

 私は一瞬何が起こったのか分からなかったが、彼はきっと、ジェイコブによるたった二回の拳で死に至ったのだ。

 それ程までにジェイコブの肉体は強化され、爆発的な瞬発力を手に入れていた。


 ジェイコブとヘルキスの戦いが結果の全てを握っていることを理解した人々は、もう小競り合いを繰り返すだけで、誰もが防衛線上の激しい戦いに見入っている。

 私も希望の全てを、あのろくに面識もない騎士に託していた。


「…凄い、これならいける!」


「ああ、確かに凄い力だ。当然、代償無しに手に入れられる代物じゃない…!」


 勝利が近づいてくるのを感じた私は前向きな言葉を吐いたが、何故かクリードはそんな私の声色に苛立ち、唇を震わせている。


 クリードの様子に違和感を感じた私が再度ジェイコブの体を注視すると、貫通した剣は彼の腹にびっしりと根を張り、そこから何かを吸い上げどくどくと脈動している。

 その影響か彼の顔面の左半分には大量の皴と血管が浮き上がり、まるで彼だけが時間の奔流に飲まれてしまったようだ。


 しかし、時が経つに連れ急激に老いていく皮膚とは逆に、ジェイコブの筋肉は更に力を増していき、遂には指による刺突がヘルキスの分厚い胸板を貫通してしまう程になっていた。


「敗北するのか…この俺が…!」


 自動的に閉じていく胸の穴を手のひらで庇うヘルキスは、前髪から滴り落ちる汗を無視してジェイコブを視界に捉え続けている。

 ルーライトで大量の命を握り潰し畏怖の対象となった彼が、この瞬間だけは目の前の騎士一人に怯え、その一挙手一投足から目を逸らせなくなっていた。

 最早、彼らの優劣は完全に逆転したのだ。


 ところが、男の戦いには野暮な横槍が入った。


「ヘルキス、一度退け!その様子じゃ放っておくだけですぐに限界が来るに決まってる!」


 サイの背中で俯瞰していたアイディーの言葉は、視野の狭まったヘルキスの目を覚まさせる。

 瞬間、自らの頭部を狙って放たれた鋭い蹴りを後ずさって回避したヘルキスは、その場を離脱するため一目散に振り向いた。


 無情にも、そこにあったのは光の壁だった。

 半球状の分厚い壁が、ヘルキスとジェイクだけを閉じ込めていた。


「最高の棺桶だ」


 ひたすらに冷静な、穏やかな声がヘルキスの背中を揺らす。

 様々なものを諦めたヘルキスがゆっくりと視線を戻すと、同じく何かを受け入れたジェイコブ・ジャクソンは、やはり幸せそうに笑っていた。

 あのおどろおどろしい肉体を襲っている感覚が激しい痛みなのか、それとも急激な脱力なのかを知る術は無かったが、彼が本当の意味で命を懸けているのだということは、私にも伝わっていた。


 対照的に、光の盾を作り出し友を切り離したクリードは、俯いて周囲から表情を隠す。

 彼はここまで判断を渋っていたが、最後には指揮を執る者として、決断を下したのだ。

 

 深い悲しみがクリードを襲っていたのは間違いないだろう。

 それでも彼が喚くような事は無かった。


 きっとその姿を見られたくないだろうと慮った騎士団の面々も、ただ目の前に居る敵だけを睨むことでクリードを視界から外す。

 数多の敬意が渦巻く光景が、帝国にとって彼らがどれだけ特別な存在であるのかを証明していた。


「高が騎士一人相手に何をやっている!」


 グレイドはヘルキスの体たらくに苛立ちながらも、彼を救出するために炎を光の盾に撃ち込んだが、最大限の魔力を込められた盾はそう簡単に壊れない。


 魔法の威力を決めるのは、知識と感情。

 クリードの想いの重さは魔法の質に影響を及ぼし、今までとは比べ物にならない程堅牢な盾を構築していた。


 そして、そんな温かい光で区切られた空間の中で漆黒の体が躍動する。

 

 ジェイコブが目にも止まらぬ速度で懐に入り込むと、怯えて仰け反ったヘルキスの胸にミドルキックが突き刺さる。

 しなやかな蹴りの威力によって目を見張るような勢いで真後ろの壁に衝突し、ジェイコブの領域まで跳ね返ってきた彼の体は、すぐさま掌底によって叩き落された。


「忌々しい力を…!」


「そうね。…でも、彼が捧げているのは見ず知らずの命じゃないわ」


 自分達のことを棚に上げてジェイコブを非難したアイディーに対して、私はすぐに反論した。


 確かに業の深い力が上乗せされたものではあったが、その軸にあるのはジェイコブの努力の結晶だ。

 独特な動きが積み重なる彼の動きは、見ているだけでも翻弄されてしまうほど洗練されている。

 しかも、筋肉隆々の大男がそれを行うのだから、これ以上にやりずらい相手はいないだろう。


 日々をどう過ごしてきたかが一目で分かるその体が、豪快に暴れながら朽ちていく様は余りにも儚い。

 ただ、ジェイコブは走馬灯を見ながら今を溶かすことに躊躇が無く、自らの体が今どうなっているのかなど、気にする素振りは一切無かった。


「クッ…これが、帝国最強の騎士か」


 砕けた道路から立ち上がろうとした際についたヘルキスの足の傷が、いよいよ治らない。

 その時は確実に近付いていた。


「…思えば、悪くない人生だった。お前はどうだ、ヘルキス・レオンハート」


 ただ圧倒され、苦痛の表情を浮かべていたヘルキスに、ジェイコブが笑いかけた。

 意外な言葉を掛けられたヘルキスは驚いて少しの間表情を凍り付かせたが、やがて自嘲気味に笑い返す。


 そして、視線を重ねた二人が一つ呼吸をすると、互いが全力で前進し一気に間合いを詰め、拳と拳がぶつかった。

 両者とも、上半身を捻りに捻って繰り出した、全身全霊の大振りだった。


「…神よ、最後に一度だけの祝福を!故郷を守るための力を!」


 一瞬の拮抗の後、叫びを上げたジェイコブの力が上回った。

 押し負けたヘルキスの左肩はその衝撃に耐えきれず、ぶちりと惨い音を立てて千切れ、そのまま光の盾の内壁まで吹き飛ばされる。


 肩から胸にかけての断面からは大量の血液が噴き出し、そしてヘルキスが膝から崩れ落ちた。


 振り切ったジェイコブの腕も限界を迎えたのか、砕けて灰のように散っていく。

 明滅を続けていた細剣の鍔にも罅が入り、魔具から生えた根も含め、全ての挙動が完全に沈黙した。


「ブライスを頼む」


 ヘルキスに止めを刺すことも無くただその場に立ち尽くしたジェイコブは、目を閉じてそう一言だけ呟いた。

 眠っているような彼の表情は、防衛線の直上に立つ人間が浮かべる様なものでは決してなく、戦場でさえ彼を起こさないように静まっていた。


 暫く経ち、ヘルキスが身動きをしない事を確認したグレイドは、ロングコートの裾を翻す。

 それでもまだアイディーは苦虫を噛み潰すような表情で私を見下ろしていたが、やっと区切りをつけると大きな声で命令を下した。


「クソが…撤退する!」


 愛されし者の背中を騎士団が深追いする事は無い。

 最期まで彼らの中に冷静さを失うような者は居らず、その代わりに勝鬨を上げ感情を爆発させた。


「「「うおおおお!」」」


 そうして騒がしくなると、ジェイコブの表情は共に勝利の喜びを分かち合っているようにも見える。

 その足元でまだ辛うじて息をしていたヘルキスは、近付いてきた私に気付くと、重たくなっているであろう口を開いた。


「…やっとだ。やっとあの衝動から解放された」


「辛かったわね」


 私はヘルキスを責めなかった。

 彼がどれだけの命を奪ってきたか、それを知らないわけではなかったが、片腕のまま小さくなっていく彼がどうしても可哀そうに思えたのだ。


「ああ。お前ともっと早く出会いたかった。初めて戦わされたあの時の俺が、もしただ一言、慰められていたら」


「…あなたが戦いの他に好きなものはなかったの?死ぬ時くらい、幸せな夢を見るべきよ」


「………」


 私に問われ、記憶に立ち返ろうとしたヘルキスは何も思い浮かばないのか、表情を固めたまま困っていた。

 できればヘルキスの事を少しでも知って覚えておきたかったが、息も絶え絶えな彼に残された時間は少ない。


 せめて最期に何か救いになるような言葉をかけようと私が口を開いたその時、ヘルキスの目が何かを追って動いたのが見えた。


 つられて後ろを見ると、戦地には場違いな小さな蝶が、アスファルトの割れ目に咲いた花に誘われふらふらと飛んでいた。


「そうか、思い出した。思い出したぞ…。幼い頃の俺は故郷の花畑で、大好きな蝶を追いかけていたんだ。それが、いつの間にか遠くまで来てしまったようだ」


 私が視線を戻すと、ヘルキスの緑がかった瞳の上を覆っていた霞は払い除けられ、子供のような純粋な輝きを放っていた。

 あの澄んだ緑の上にはきっと花々が咲き誇り、美しい蝶が舞っているに違いない。


 そう信じ祈っているうちに彼の瞼は閉じていき、二度と開く事は無かった。


 防衛線上に残された二人の大男は、無残に破壊された大通りの上で安らかに眠り続けていた。

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