第34話 紙一重の狂気

「さて、やっと終われるね。流石に馬を殺すのと同じようにはいかなかったな」


 根源の意思との会話から意識を現実に戻した俺は、ロビンの驕りをはらんだ声が頭上から降ってきたことで自分が倒れていたことを思い出す。

 すると、状況を把握したことに釣られて神経が冷静さを取り戻したのか、骨折による痛みが呼吸に合わせて発生し始めた。


 その鋭い感覚を奥歯を噛んで無理やり腹の奥にしまい込んだ俺は、ロビンの激しい攻撃によって傷だらけになった右腕で、ふらつく体を持ち上げる。


「分かってるじゃねえか。俺がお前をぶっ飛ばしてこの喧嘩は終わりだ」


 口内の傷口の周りで少しだけ溜まっていた血液を、唾と共に吐き捨てながら俺が啖呵を切ると、その言葉を強がりだとでも思ったのか、ロビンは口元を歪めたまま腹を抑えた。


「口だけはまだ良く動くみたいだけどさぁ…。声が小さいんだよ、腹から声出せや!」


 ロビンは更に興奮しながら叫び、小動物のように機敏且つ柔軟な動きで弧を描きながら、俺との距離を一気に詰めてきた。

 星の光を吸った彼の金髪だけではなく、沼のように黒く濁った瞳ですらも赤い輝きを引き摺っており、およそ人の姿だとは思えぬ美しさがある。


 ただ、そんな光景に見惚れている暇も無く、驚異的な速度が乗った飛び膝蹴りは凄まじい威力で俺の顎を襲ったが、骨が砕かれる寸前、鉄の義足は金属音を鳴らして跳ね返った。


「この力…ッ、同族か!」


 目を見開くロビンと俺の間に割って入ったのは、炎で形成された分厚い壁。

 しかし、俺の体の周りに漂う炎も堅固な壁も、以前の魔法とは異なり、虹色に彩られている。


 その七色は始まりの記憶の核となった飴玉のように俺の心を奮い立たせ、表情には自信を与えてくれた。


「同族?ふざけんな。こっちは正義の味方様だ」


「一度隠し玉見せたくらいで調子に乗るなよ…オーランドの心を奪っておいて何が正義だ!」


「メンヘラ野郎、炎でその曇った目冷ましてやらァ!」


 俺の浮かべていた笑顔が相当気に入らなかったのか、ロビンは怒りを露わにして俺を威圧する。

 それでも腹を括ってしまえば俺の口は自由に回り、体に走る痛みも思考を害する程には至らなかった。 


 互いに声の勢いのまま魔力を消費し、ロビンは義足に纏った赤い光を鋭利な刃に、俺は両腕を包んだ炎を翼のように変形させる。


 回転しながら飛び掛かってきたロビンの赤い刃を翼で受けると、その衝撃で爆風が巻き起こり、二人の距離を突き放した。

 ダメージが残らなかったため互角のようにも見えたが、俺の居る位置は変わらず、一方的にロビンの体が後退している。

 その事実は本人が一番重く受け止めているようだった。


「さっきまで逃げていただけの奴が、何故こんな力を…!」


 足裏でブレーキを掛けながらロビンが苦々しい表情で呟いたのを耳にして、俺はすぐに煽るための笑顔を作り出す。


「年長者をもっと敬えよロビン。年上ってのは強いもんなんだよ」


「…大して変わらねえっつっただろうが!」


 ロビンは歯を軋ませながら、もう一度突進を試みる。

 そこから振るわれた単純な横蹴りを全力で身を屈めて回避した俺は、両腕の炎の力で自らの体をロケットのように発射した。

 高速で跳ね上がった俺の額は、ロビンの顎に一直線に突き刺さる。


「がッ」


 予想外の攻撃を受けたロビンは、脳の揺れに目を白黒させながら吹っ飛んだ。

 初めて彼が地面に背中を付けたことで戦況の変化が明確になり、すぐに身を起こしたロビンももう真っすぐには向かってこない。


「…なかなかの石頭だね、ユータ」


「脳味噌がぎゅうぎゅうに詰まってるからな」


 初めて反撃を受けたロビンは一度息を吐いてから俺に笑いかけ、平静を取り戻すよう努めている。

 対して俺は自分の頭を指差すことで、冷や汗が額を伝うのを隠した。


 口先では冗談を飛ばしていたものの、実のところ余裕があるわけではない。

 何故なら、炎の出力が今までと比べて余りにも高く、少しでも制御を誤ればロビンの体が塵と化してしまう恐れがあったからだ。


 勿論根源の黒い感情に精神を乗っ取られるよりは増しだが、魔力の消費も激しいため、押し寄せてくる脱力感にも抗うことになる。


 しかし、どんな理由があろうとロビンの死だけは絶対に避けなければならないため、俺はだるい体に鞭を打ちなんとか集中力を保っていた。


「もう一本」


 ロビンはそう呟くと、今度は組手の時のように淡々と地上戦を始めた。

 命を刈り取ろうと空気を切る鉄の足を紙一重で数回躱した俺は、敢えて前蹴りをガードの上から受けて少しの距離を取る。


 俺は後退する体から翼を引っ込め、追撃しようとステップを踏みながら近付いてくるロビンに右の手のひらを向けた。

 脳内で大砲をイメージし、伸ばした右腕を曲げた左腕で支え衝撃に備える。


「…絶対に避けろよ。自慢の足も二秒で溶けるぞ」


 俺の忠告と共に右肩の後ろに発現された何重もの光の歯車が、標的に向かって太陽を模る。

 そこから一瞬だけ放たれた眩い光に死の匂いを嗅ぎ取ったロビンは、撃ち出された七色の熱線を横に転がって回避すると、その背後で何とか形を保っていた畜舎が一瞬で無残に焼き消された。


「これが同じ魔法だと!?馬鹿げてる…!」


 理不尽な威力を見たロビンが周囲を包む風圧に耐えながら不満を口にする。

 彼は攻撃自体を回避することには成功したものの、絶対的な力に威圧された心には、隠しきれない大きな隙が生まれていた。


「歯ァ食い縛れ、ロビン」


「…!?」


 自分の背後に炎を放ちその反動で即座に接近した俺は、奇襲に眉をピクリと動かしたロビンの横腹をぶん殴る。

 俺が指の骨に戦いの終わりを確信する程の完璧な手応えを感じた瞬間、ロビンの悪魔の目の片方が砕け、彼の幼さを残す瞳が現れた。


「ぐ…カハッ…オオぉッ」


 拳を胃のあたりに捻じ込まれたロビンはその場で膝を突き、腹の中で溶けきらなかったものを、胃液と共に大量に地面に戻した。

 吐き出された真っ赤な柔らかいものはまだ所々に白い筋を残しており、その見た目の不快感に俺は一歩後ずさる。


「何だよこれ…?」


 何か嫌な予感がしてぐるぐると思考を巡らせたが、俺が答えに辿り着くより先に、ロビンが汗と涙を垂れ流しながら狼狽え始めた。


「ああ、ホープが!ホープがぁあ!」


「………ッ!」


 狂った叫びが鼓膜を叩いたと同時に、目を背けたくなるような奇行が俺に息を飲ませる。

 なんと、彼は地面に吐き出したそれを両手で掴み、もう一度頬張り始めたのだ。


 ロビンの細い腹の中に限界まで詰め込まれていたほぼゲル状のそれを、体内に取り戻そうとする彼の瞳は、焦点を合わさずに細かく揺れている。


 ホープの死骸の一部をそのまま腹に入れてしまうというネジの外れた行為は、拠り所を失った彼の精神が、結果行き着いた選択だった。


 最悪の事実を理解してしまった俺は毛穴と口を開けたまま、ロビンが満足するのをただ待つことしかできなかった。


「はぁ…ぐっ、ハァ」


 全てを平らげたロビンは、きっと彼を襲っている吐き気に抗いながら肩で息をする。

 憔悴した顔ではあるが、まだ瞳の奥にはナイフのように尖った敵意を残していた。


「ロビン…もう帰ろう。みんなが待ってる」


「もう僕には帰る場所なんてない。全てを創り直すその時まで、僕に安寧は訪れない」


 最初と同じだ。

 幾ら俺が説得しても、訳の分からない返事が返ってくるだけ。

 それでも、ステナのように闇の底へ進もうとするロビンの背中を諦めるわけにはいかない。


「俺と違って、お前には愛してくれる父親が居るじゃないか!なんでそこまで…!」


「分からないさ…人にも才能にも恵まれた君には…!」


 ロビンはふらふらと立ち上がると、キレの無い動作のまま赤く光る足で俺の胴を薙ぐ。

 それを最低限の動作で躱そうと重心を後ろにずらした俺は、踵に力が上手く入らず、雪の上で足を滑らせた。


「なッ…!?」


 俺は限界に近いロビンの動きを完全に見切っていたが、自分の体の限界には気付けなかったらしい。

 ロビンが重い体を深く踏み込んでいたせいで、丁度蹴りが到達してしまう距離だ。


 残った魔力を振り絞ってロビンを殺すか、俺が死ぬか。

 噛み合った運命に突如選択を迫られた俺は、仕方なく黙って目を閉じる。


 信念を貫いたなどという立派なものではない。

 ただ、俺には最期まで人の命を奪う決心が付かなかったのだ。


 しかし、瞬間的に下された俺の判断に準ずる結果は、いつまで経っても訪れない。


「…オーランド、どいてよ。そいつを殺せない」


「馬鹿言うなロビン、俺がお前に人殺しなんてさせるわけがないだろう」


 よく知った低い声に俺が薄目を開けると、俺とロビンの間には黒いコートを着た大きな背中が立っている。

 それはオーランドさんの、父親らしい広い背中だった。


「どうしてそこまでしてそいつを庇うの!?僕を捨ててまで手に入れた、そいつの何が特別なんだよ、オーランド!」


 ロビンは驚きと悲しみを一対一で混ぜ合わせた表情で叫んだ。

 その悲痛さの原因を探ろうと視野を広げると、オーランドさんの立った雪の上には鮮血が零れている。


「そうか、勘違いさせちまったのか…。上手くいかねえな、子育てってのは」


「オーランドさん、血が…!」


 彼に傷を負わせてしまったことを察した俺は、すぐに立ち上がろうとしたものの、体に上手く力が入らず膝を突いたまま動けない。

 自分の中が空っぽになったようなこの感覚は、きっと魔力が枯渇していることの表れだ。


 自分との戦いに手を拱いている俺の目の前で何かを納得したオーランドさんは、一度頭を片手で抑えると、太い腕を下ろしてロビンの目を真っ直ぐに見た。


「ユータは俺がお前の苦しみから目を背けていたことを教えてくれた。俺の誤った考えのせいで膨らんだお前の寂しさを、こいつとなら消し去ってやれると、そう思ったんだ」


 オーランドさんはかなりの量の出血をしているのにも拘らず、痛みに苦しむ様子は一切無く、呼吸すら落ち着いている。

 戦争を経験した人間の強さか、はたまた親としての強さなのか、どちらにせよ俺やロビンのものとは種類の違う強さがそこにはあった。


「嘘だ、出来損ないの僕を捨てる気だったくせに!そうじゃなきゃ…」


 堂々と立つオーランドさんとは対照的に、ロビンは再び狼狽する。

 そうして頭を抱えたまま少しふらつくと、彼は唾を一度飲み込んでから言い放った。


「そうじゃなきゃ、僕はなんでオーランドの両目を奪ったんだよ!」


「……ッ!」


 俺はロビンの叫びに耳を疑った。

 オーランドさんの余裕すら感じる立ち姿を見ると、彼の言葉が事実であるとは到底思えない。

 ロビンを宥めるあの穏やかな声が、今ここで最後の目を失ってしまった人間のものな訳がない。


 俺はどうにか理由付けをして現実から逃げようとしていたが、その場しのぎな俺の考えを馬鹿にするような涼やかな声に、意識を引き戻された。


「落ち着きなさい、ロビン。その男は命惜しさに心地良い言葉を並べているだけに過ぎません」


 ロビンの奥から現れた声の主は、清らかな修道服を纏いながらも千切れそうな程巨大なピアスを耳朶に開けた、不思議な姿をしたシスターだった。

 彼女の存在に気付いたロビンはすぐに声の方に駆け寄ると、ロングスカートに隠れた足に縋り付く。


「アイディー、僕は間違ってないよね?これでいいんだよね?」


「ええ、勿論です。貴方が抱いた絶望は決して偽物ではありません。私たち愛されし者が貴方の最後の居場所です」


「そうか…良かっ、た…」


 シスターの返事を聞いてロビンが表情を少しだけ和らげると、義足を包む光が消滅し、それと共に彼は気を失った。


 真っ白なクッションの上で天使のように眠るロビンの姿は、立て続けに発生する予想外の出来事の連続に疲れた俺を、酷く置き去りにした。

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