第30話 凍り付いた時計

「ロビン!大丈夫か!」


 ロビンの姿が消え思考停止した俺の頭を、オーランドさんの焦りをはらんだ声が叩き起こす。

 彼が駆け寄った方向に視線を動かすと、目を回したホープと驚いて正気に戻ったロビンが団子になっていた。


「ホープ!?急にどうしたのさ!」


「モウ…」


 今一状況を理解できず俺がその場で呆然としていると、俺のすぐ後ろで草を踏む足音が止まった。


「全速力で突進してきたあの牛がロビンを突き飛ばしてくれたのよ」


 俺に近寄って簡潔に説明したリリィは、ロビンに顔を擦り付けるホープの姿を眺めながら、腰に手を当て優しい笑顔を浮かべていた。

 証明する術は無いが繰り返し鳴くホープは明らかにロビンの無事を喜んでおり、そこには温かい空気が流れている。


「ユータも無事で良かった。でも、もうあなたは戦いから完全に離れるべきよ」


 呆然とロビンたちの事を眺めていた俺はリリィに最低限の声量で訴えかけられ、すぐに自分の手足、指先を動かしそして背中を確認する。


 標的が急に吹き飛んでいった衝撃からか、根源の意思に乗っ取られていた俺の体のコントロールはいつの間にか戻っており、背中に生えかけていた黒い翼も綺麗さっぱり消滅していた。


 自分の手を血で汚し直さずに済んだことをやっと理解した俺は、この世界から自分を切り離すように両の手で瞳を覆ったが、その行為は何の意味もなさなかった。


「また人を殺すところだった…!」


 恐怖を言葉にして吐き捨てると、自覚が加速した俺の体は小刻みに震え出す。

 偽造した過去の記憶や自分が殺人者である事実を何度飲み込んでも、今俺が人の命を奪うことはどうしても受け入れられなかった。


 呼吸が困難になった俺がその場で数回えずくと、背中に優しい感触があった。


「ブルルル…」


 慣れない感触に振り返った俺の瞳に映ったのは、ぞろぞろと集まってきた数頭の馬の群れだった。

 馬たちは心配してくれているのか、太い首を下げて俺の側に寄り添ってくる。


「俺はお前たちの飼い主を殺そうとした。慰められる権利なんてないんだ」


 俺は迫ってくる馬の頭を何度か押し返したがそれでも彼らにしつこく近付かれ、数回で引き剥がすことを諦めた俺は馬体の影で少しの間涙を流し、心の波が落ち着いた頃に自然と群れは散っていく。


 離れていく馬の背中が濡れているのを見て、ようやく雪が降り始めていたことに気が付いた。



 ◇



 優しく揺れる暖炉の炎は冷えた体を温め、徐々に感覚の無くなっていた手先に血流が巡ってくる。

 横に座ったリリィも寒さを嫌がってローブの袖の奥に手をしまったまま、温めたミルクに口を付けた。

 窓の外を見ると緩やかだった雪はいつの間にか大きく膨らみ、牧場の緑は完全に顔を隠してしまっていた。


「今年は寒くなるのが早いな。もう放牧も限界か」


 疲れていたのか、ソファでぐっすりと眠ってしまったロビンにタオルケットを掛けながらオーランドさんが呟く。

 彼はロビンから少し離れた位置に腰を下ろすと、あえて俺たちの方を見ずに話し始めた。


「動物ってのは良いだろう。あいつらには俺たち人間の深い部分が見えている。人間同士では気付けない変化に気付いて、必要だと思えば一方的に愛を配る。俺たちも何かを返してやろうと優しくなれる」


 オーランドさんはそう言ってから砂糖の入っていない珈琲を啜る。

 俺は何か気の利いた返事を出来ればと思ったが何も浮かばず、気になっていることを素直に質問することにした。


「ロビンの足のこと、聞いてもいいですか」


 眠るロビンの下半身は殆どタオルケットに隠れてはいたものの、足首の鈍色が靴下とデニムの隙間から見えている。

 戦闘中に感じた違和感の答えは少し触れ辛いものだったが、オーランドさんがそういった配慮を求めているようには見えなかった。


「五年前、ここで魔獣の集団暴走が起こったのは知っているか?」


「…メドエストの酒場でこの国の出の戦士から聞いたことがあるわ」


 オーランドさんの問いに、ソファの上で頬杖を突いたリリィが少し憂鬱そうに返事をした。

 きっと俺と同じく過去の会話だけではなくあの男の最後を思い出したのだろう。


 ロビンの足の方を見たオーランドさんは彼女の声色の変化を気にせずに続ける。


「タイミングが悪かった。転移してきた直後狂暴化した魔獣に襲われたロビンは、その場で両足を噛み千切られたんだ。必死に助けを求める声に気付いた俺は、左目を代償にこいつを魔獣の口の中から引きずり出すことに成功した。くたばってもおかしくない傷だったが、なんとか生き残ってくれたよ」


「それで義足を…」


 俺が相槌を打つと、オーランドさんは誇らしげに少しだけ笑った。

 ロビンと出会い、助けられた結果の今の生活を本当に愛おしく思っているのだろう、彼の表情からは目を失ったことへの後悔を全く感じない。


「俺とドクランは元々軍の義肢装具士だったんだ。ルーライトとの戦争で嫌気が差していた俺はロビンの足を最後に装具士を辞めたが、あいつは今でも闇医者として義肢を作っている」


「戦争…きっとガルダさんの言っていた戦争のことよね」


「ッ!?」


 俺に向かって発したリリィの言葉を聞いた途端、オーランドさんが大きく表情を歪め、手に持っていたマグカップを床に落とした。

 絨毯が黒く汚されると、今までの温厚な振る舞いが嘘だったかのように彼の内側から冷たい感情が見え隠れする。


 その様子に少し身構えた俺たちに向かってオーランドさんが感情を必死に押し殺しながら口を開いた。


「妻と息子の命を奪った化物の名が何故お前等の口から出てくる…!」


「「………!」」


 予想外の言葉に俺とリリィが冷や汗をかきながら目を見開き、そして悔悟する。

 俺たちはこの国でガルダさんの名前を出すべきではないことに気付くのが遅過ぎたのだ。


「お前等、我楽多と繋がりがあるのか?」


 同じ調子で俺たちに問いかけてくるオーランドさんの短い黒髪は怒りや悲しみの入り混じった複雑な感情に震えている。

 俺は瞬時に最適解を探そうとしたが、心の目が発達した彼に誤魔化しが効くとは思えず、観念して正直に答えることにした。


「俺たちはベイリーの名を継いでいます。メドエストのスラムに身を置いて孤児を育てていた彼女に命を救われました」


「嘘を吐くな!あの冷酷な魔女が善意など持ち合わせているはずがない!」


 喚くオーランドさんの激しく揺らいだ感情に応えるよう真っすぐに目を合わせる。

 他人である俺を気にかけてくれた彼も、命懸けで共闘した強い母親も、どちらにも誠実で居るべきだと心が判断を下していた。


「彼女は過去に罪を犯した自分の事を責め続けていました。俺は今のあの人の事を冷酷だなんて到底思えない」


 俺が意見をはっきりと口にすると、甲斐あってか彼の感情の濁流は徐々に鳴りを潜め、彼が大きく息を吐いた後ソファに座り直した頃にはもう普段の雰囲気を取り戻してくれていた。


「不思議な運命だ。気まぐれで家族のかたきの息子を助けていたとはな。…いつまでも引きずるなとあいつに叱られている気分だ」


 そう言って煙草に火をつけようとしたオーランドさんは目を覚ましかけたロビンを見て少し躊躇ってから、結局煙草とライターを服にしまった。


「…ロビンを寝室に連れていく。すまないがマグカップを片付けておいてくれ」


 彼は返事を聞かずにロビンの体を両手で抱くと、揺らさないように気を配りながら寝室へと消えていった。



 ◇



「待て、今日の世話は全てロビンに任せてある。お前たちは俺と一緒に来い」


 翌朝、身支度を済ませて畜舎に向かおうとするとオーランドさんが俺とリリィを引き留めた。

 昨日の事もあり気まずさを少し引きずってはいたものの、俺たちに彼の誘いを断る選択肢はなく、彼の大きな背中について銀世界に踏み出した。


 木々や岩であろうものも真っ白に化粧され同じような姿になり、日の光を受けて輝いている。

 高く積もった雪を踏むと体が沈み、経験したことのない感覚が俺の心を少しだけ躍らせたが、リープ村に近い方角に暫く歩いていくと徐々に民家が疎らに見え、除雪されている箇所もあった。


 そんな景観や歩き心地を心の内で楽しみながら数十分歩いて辿り着いたのは、沢山の墓石が立ち並ぶ霊園だ。


 オーランドさんは雪を被って同じような見た目になった墓石の間を躊躇なく歩き、二つ並んだ墓石の間で足を止めると、それらに積もった雪をどかし始めた。


「俺の妻と息子の墓だ。二人とも戦士として国境に向かって死んだ。国土に残った俺を置いてな」


 鞄から花を取り出して墓石に添えたオーランドさんは、少し雪の残った墓石とその奥にある思い出を寂しそうに眺めながらそう言った。


「…ガルダさんがこの国でどんな存在なのか、もう少し考えるべきでした」


「いいさ。お前等に罪が無いことは分かってる」


 ばつが悪いのか、俺の謝罪に返事をしたオーランドさんは頭をぽりぽりと人差し指で掻くと、さらに遠くを見てもう一度口を開く。


「…ルーライトとの戦争は悲惨なものだった。魔法の使い手が居ない俺たちは無尽蔵のスタミナを武器に奴等の魔法に抗った」


「無尽蔵のスタミナ…人口の差のことを言っているの?」


 理解しきれずリリィが問うと、オーランドさんは目を閉じて首を横に振る。


「国土の広さも人口もアシュガルドの方が勝っていたが、それだけでは均衡を保てなかっただろう。…兵士の再利用と強化。それが可能であることが俺たちの唯一の優位性だった」


「本物の手足のように動く鉄の義肢…確かに他の国では見ませんでした」


 ロビンは畜舎での作業中も全く違和感を感じさせなかった。

 組手の時に違いに気が付いたものの、日常生活では鉄が擦れる程度の音ですら聞こえてこない。

 その上義肢による蹴りの威力は常人とかけ離れており、軍事利用されていたというオーランドさんの話はすぐに腑に落ちた。


「人の尊厳を奪うと言われ禁じられた技術だからな。もう戦いたくないと心を閉ざした兵士に義肢を取り付けて戦地に送り返したこともある。終いには戦争が長引き焦った軍部が、親からもらったままの四肢を切り落として義肢を取り付ける事を兵士たちに強要した。この国は、力に取り憑かれていたんだ」


「………」


 力に取り憑かれていた、というオーランドさんの言葉に賢者やステナたちの禍々しい姿が脳裏を過った俺は黙って俯く。

 そして、自分の事を棚に上げて他人同士を比べる自らの身勝手さに更にうんざりした。


 返事をしなかったことで俺たちの間に少しの沈黙が流れたが、そこに現れたもう一人の男の冷めた声によって打ち破られる。


「まだこの村にいたのか、ガキ共」


 俺たちの後ろで雪を踏み、開口一番悪態を吐いたのは村の酒場で俺を殴った男、ドクランだった。

 巨体を揺らしながら一つ隣の墓石の前に立ち、積雪を一度に払い切った彼はその墓に少しだけ花を添える。


「ロビン以外の人間をここに連れてくるとはな。いったいどういう風の吹き回しだ、オーリー」


 そう言ったドクランの声は怒りを抑えているせいか静かな圧があり、俺たちに口を挟める雰囲気は一切ない。

 名前を呼ばれたオーランドさんは少しだけ間を置くと、墓石から視線を外さずに口を開いた。


「なあ、ドク。ガルダ・ベイリーは部隊から降りて孤児を育てていたらしい。彼らが話してくれた」


「…それが何だと言うんだ!今更奴が善行をどれだけ積もうと奪われた命は戻らねえんだよ!」


 二人のやり取りは酒場の時と似た構図の意思のぶつかり合いだったが、今回はオーランドさんも感情を露わにし、怒りに歯を軋ませるドクランに向かって額を強くぶつけ合わせた。


「それでも!時を止めてその場に蹲っているのは俺たちだけだ!あの化物でさえ罪を背負い、変わろうとしている!」


「……ッ!」


 オーランドさんの態度にドクランが驚いて少し怯んだ。

 酒場でドクランの怒りを鎮めようと冷静に話していた先日の彼とは違い、友人の怒りに正面から立ち向かう姿には、死んだ左目すら蘇らせそうな程の迫力がある。


「恨むべきは魔法使いか?転移者か?あの化物か?そうではないことはお前もわかっているはずだ。…いや、俺もお前もいい加減受け入れるべきなんだ」


 オーランドさんの訴えはまた少し落ち着き、言い終えた彼は手袋をした左手を強く握る。

 黙って聞き終えたドクランは俯くと、積もった雪に力なく膝を突いた。


「争いを恨み、人を許す。それができる程俺の中身は簡単じゃねえ…!何百と組んできた鉄の義肢とは作りがちげえんだ…」


 ドクランが嘆くように呟くと、オーランドさんは黙って振り返り牧場の方向に歩き始めた。

 少し迷ってからドクランに背中を向け、オーランドさんの足跡を追いかけようとした俺とリリィを弱弱しい声が引き留める。


「…何もない村だがな、美味い物だけは肉以外にも幾つかある。忘れずに食っていけ」


 俺は返事をせずとも彼が歩み寄った事実だけで十分だと思い、雪上で止まっていた足は再び動き出した。

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