第六章
第28話 戦士の国
山々に隣接する長閑な村には、煙突の付いた石や煉瓦造りの家屋が疎らに立っており、優しい色合いを生み出している。
耳を澄ませると、細雪のちらつく中はしゃいで辺りを駆け回る子供たちの声だけではなく鉄を打つ音が遠くに響いており、今まで巡ってきた場所にはない独特な雰囲気が見えた。
「ここまでくれば、もう安心ね」
景色を見渡したリリィはほっとしたように一息ついた。
彼女の独り言は自分に言い聞かせているわけではなく、俺を気遣った結果出た言葉なのだとなんとなく分かってしまう。
戦火に包まれた壁の中から離れ、二か月程経っただろうか。
俺たちは休憩を挟みながらできる限り安全なルートを使い、大陸の北の果てであるアシュガルドの僻地、リープ村に辿り着いていた。
戦士の国と呼ばれるこの国だが北の端まで来てしまうと戦士が多いというよりかは魔法使いが居ないという印象で、強面な大男がごろついているようなイメージをして腰が引けていた俺は平和な光景に気が抜けてしまいそうになる。
…いや、実際に気を抜くべきなのだろう。
賢者を見つけた今、俺たちはわざわざこの国に向かう必要は無かったが、大自然に囲まれることで俺の疲れを少しでも癒したいと考えたリリィに引きずられてここまで来たのだ。
「お腹が空いたわ。牧場もあることだしきっとおいしいご飯が食べられるわよ!」
俺がぼんやり景色を眺めていると、お腹を擦ったリリィが俺の方を見て笑顔を浮かべた。
この世界に来た目的を失った俺は賢者との戦い以降口数を減らしてしまっていたが、彼女はめげずに話しかけてくる。
彼女も壁の中で魔法を教わっていた先生をあの戦いで失ったらしいが、腑抜けてしまった俺とは違い気丈に振舞っていた。
実際俺一人では何の行動も起こせなくなってしまっていたため、彼女の空元気はありがたく、それに上手く応えられない事がもどかしい。
村を歩くだけでも足取りの重い俺にリリィが歩幅を合わせており、こういった細やかな優しさに気が付く度に俺は複雑な心境になった。
「あの店なんてどう?きっと豪華な肉料理が食べられるわ!」
リリィの指差した方に視線を向けると、肉の形をしたシンプルな看板をぶら下げた酒場が見える。
俺が頷くと、また二人で並んで歩き酒場の暖簾を潜った。
リリィの予想通り芳醇な香りのバターを乗せた肉料理は人気を博しているようで、店内のどのテーブルにも似た様なメニューが並んでいる。
どれだけ気が落ちていても美味しそうな料理を見て匂いを嗅げば、腹が鳴り涎は垂れるのだから間抜けで仕方がない。
テーブルに座ったリリィが店員に三人前を注文し、少しするとステーキと白米が運ばれてきた。
「美味しそう…いただきます!」
彼女は手を合わせてからフォークを握り厚切りの肉を思い切り頬張ると、眩しく感じる程に目を輝かせる。
「最っ高!満たされるわ~!」
リリィは味に感動しながら幸せそうに二人前の料理を食べ進めていく。
そんな彼女の様子に喉を鳴らした俺は急いでナイフで肉を切り分け、それを口に運んだ。
乳の香りを少し残した牛肉を噛むと溢れ出た肉汁が口の中に広がり、バターと混ざり合って更に濃厚な味わいに昇華する。
「…美味しい」
俺が思わず声を漏らすと、食べ進めていたリリィが動きを止めて微笑んだ。
「店を選んだ私に感謝してよね」
そう言った彼女は言葉では感謝を求めつつも既にこの世界の誰よりも嬉しそうで、俺はどうにかして前に進もうと上手く動いてくれない肺に力を入れ声を捻り出した。
「ああ、ありがとう」
俺が久しぶりに作った笑顔はきっとぎこちなかったが、やっとリリィの優しさに応えることができた。
俺の表情を見たリリィはほんの少しだけ驚いてから、照れ臭そうにはにかむ。
しかし、俺が温かい空気に心に安らぎを感じたその瞬間、俺たちのテーブルを傷だらけの大きな腕が叩きつけた。
「おい、なんで俺たちの村に魔法使いなんかが居るんだ?」
声の主は坊主頭に小さいグラサンを掛けた、丸々と太った男だった。
酔いが回っているのだろう顔を赤くした男は、主にリリィの事を見て苛立ちを露わにしている。
「何よ、文句でもあるわけ?」
絡まれたリリィは威圧しようと睨み付けてくる男に全く怯まず、強気な態度を見せ返す。
確かに男の体躯は迫力満点だが、今まで立ち向かってきた敵の恐ろしさと比べれば遥かに可愛気があった。
俺は警戒する必要性を微塵も感じなかったため男を無視し、目の前で食べられるのを待っている切り分けられたステーキをもう一枚口に入れる。
「手前…俺を無視するとはいい度胸だな!」
無反応な俺の様子に腹を立てた男は太い腕を豪快に振り上げた。
俺の細い腕では彼の腕に乗せられた体重の威力に敵わないことを悟った俺は、できるだけ小規模に青い炎をぶつけようと脳内で瞬時にイメージを始める。
しかし、弾ける様に頭に浮かんだのは、青黒い炎でこの男を骨になるまで焼き尽くし、満足そうな笑みを浮かべる俺の姿だった。
「………ッ!」
強制的に見せられた惨たらしい光景に怯え思考が止まった俺は何の抵抗もできず、乱暴に振るわれた男の右腕を躱すことができない。
そのまま吹き飛ばされた俺は受け身も取らずに、木の床の上を何度も転がった。
「ユータ!」
俺なら問題ないと踏んでいたリリィが予想外の事態に悲鳴を上げながら駆け寄ってくる。
殴られたダメージ自体は大した事が無かったが、頭に浮かんだ光景が何度もフラッシュバックしてしまい呼吸もままならない。
「殴られるのが嫌ならこの村から出て行け。魔法使いや余所者にこの村の空気を吸う権利はねえ」
そう言った男は首の骨を鳴らすと、重たい足音を立てて俺に向かって近付いてくる。
しかし、俺の側まで辿り着く前にもう一つ別の足音が間に割って入った。
「余所者に空気を吸う権利が無いだと?お前は俺の息子に対してもそう思っているのか、ドク」
「オーリー…!邪魔をするな!そいつらは俺たちから家族を奪った魔法使いだ!」
俺が少しだけ戻ってきた視界を動かすと、片目に大きな傷を負った焦げ茶色の肌の男が俺とリリィを庇うように立ちはだかっていた。
「お前の気持ちは分かる。だがな、もう六年前に終わった話だ。彼らはわざわざこんな辺鄙な場所まで来てくれている。俺たちだけが心を閉ざしているのは情けないと思わないか?」
「終わっただと…?俺は一瞬たりともあの時の恨みを忘れたことはねえ。…お前の顔に免じてそのガキ共は見逃してやる。二度と俺の前に顔を見せるな」
俺を殴った男は音が聞こえる程に奥歯を噛み締めると、テーブルに金を叩き付け酒場から消えていく。
未だに動悸が止まらなかった俺は冷え切った床に頬を擦り付けたまま、暫く動くことができなかった。
◇
木製の柵に囲まれた雪の薄っすらと積もった芝を踏み、残された足跡にまた雪が重なっていく。
弱い日に照らされた雪原を眺めると、良く目立つ大きな枯れ木の周りでは数頭の馬が身を寄せ合っていた。
「ここが俺の家だ。そしてあいつらの家でもある」
傷の男に言われ俺とリリィが同じ方向を見ると、立派な畜舎と丸太小屋が隣り合わせに立っており、小屋の中には明かりが点いている。
酒場で酔っ払いから助けられた俺たちは彼の誘いを受け、山の麓にある牧場に足を運んでいた。
男が黒髪に乗った雪を払いながら扉を開き、俺たちがその大きな背中について行くと玄関には金髪の青年が出迎える。
「おかえりなさい、オーランド!…あれ、珍しいね。お客さん?」
「ああ。…そういえば、自己紹介がまだだったな。俺はオーランド・サリバン。こいつは息子のロビンだ。仲良くしてやってくれ」
「私はリリィ。彼はユータよ」
リリィが名乗り返すとオーランドさんに紹介された金髪の青年、ロビンは少し照れてながらも頭を下げて微笑む。
ロビンの純白の肌と髪の色、骨格でさえオーランドの特徴とはかけ離れている。
俺は間柄が少し気にはなったが、オーランドさんの大きな手に撫でられて嬉しそうに笑う彼の姿に、大した疑問ではないと感じて飲み込んだ。
「じゃあ、僕は馬の様子を見てくるね!」
撫でられて満足したのか、ロビンは外に向かって駆けていく。
玄関の扉が閉まるまでその背中を優しい目で眺めたオーランドさんは、俺たちをリビングに案内するとソファに腰かけるよう促した。
「…とんだ災難だったな。ドクランも決して悪い奴ではないんだが、酒癖が悪くていけない」
「悪い奴じゃないですって?急に殴ってくる奴が悪い奴じゃないなら世の中九割九分九厘が聖人よ」
リリィが手厳しく言い返すと、煙草に火をつけたオーランドさんは困ったように首を傾げる。
彼女の言い分はもっともだったが、酒場で愛称で呼び合っていたあたり彼とドクランという男はある程度深い仲なのだろう。
「ところで、君たちはこんな村まで何をしに来たんだ?期待させないよう言っておくがこの村には本当に何もないぞ。村の飯を食おうにもまたドクに鉢合わせるかもしれないしな」
「逃げてきた先がここだっただけです。俺はもう何もしたくない。…ドクランさんには不快にさせたことを謝っていたと伝えておいて下さい。俺たちはすぐにこの村から出ていきます」
ルーライトの戦いでこの世界に来た動機を失い、安定しかけていた精神すらも青い炎を使おうとした瞬間見せられた光景に粉々にされてしまっていた俺は、オーランドの問いに答えるついでに弱音を零してしまった。
俺の面倒な言葉のせいで、その場に少しの沈黙が訪れる。
数秒続いた沈黙は、オーランドさんが手を叩く音で切り裂いた。
「…とはいえ、俺はドクの重たい拳からお前を救った恩人だ。この恩は返して貰わなければならない」
「………?」
今までのオーランドさんの態度に恩を着せるような様子が無かったため違和感を感じた俺が視線を上げると、彼は白い歯を見せて大きく笑っている。
「お前等、ここで一週間家畜の世話を手伝っていけ。この村の朝は凍り付くほど寒いからな、覚悟しておけよ?」
そう言って灰皿に吸殻を押し付ける彼と共に窓の外を見ると、寂しく舞っていた雪はいつの間にか止んでしまっていた。
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