第27話 偽りの記憶

「じいちゃん、なんでこんなことしてんだよ」


 俺がこの世界に探しに来た行方不明の祖父、龍宮寺優造は紫色の厚いコートを身に纏い、凍り付くような冷たい眼差しで俺を見下ろしている。

 突如訪れた予想外の再会に硬直した喉をぎこちなく動かした俺がじいちゃんに向かって問うと、彼は下らない質問だとでも言うように鼻を鳴らした。


「目的も書いておいただろう。私はこの世界で万能の薬を手に入れる。お前の父親であり我が最愛の息子、士道の病を治療するためにな」


「親父の病…?」


 親父の名前を上げるその一瞬だけ目元を緩ませたじいちゃんは、俺が初めて聞く話に驚いているのを見て、やれやれとでも言いたげに鼻を鳴らしてから話を続ける。


「…士道の体は未知の病に侵されている。生まれ落ちたその時から、呼吸をする度に激しい痛みを感じているのだ。グループの医療技術で何とか命は繋いでいたが、肉体や精神にはいずれ限界が来る。私は士道が死ぬ前に、健康な体で息をする喜びを何としてでも与えてやりたいのだ」


 親父の話をする瞬間だけ、じいちゃんの声と目に感情の揺らぎがうっすらと見える。

 しかし、俺の方を見る頃にはまた冷ややかな表情に戻ってしまい、その度に俺の心には刺すような痛みが走った。


「残された手掛かりは、エルデ帝国の皇帝が謎の薬で不治の病から立ち直ったという噂だけだ。もう他に当ては無い。私が作り上げた愛されし者の力を更に育て、帝国を侵略し、その薬を手に入れる」


 じいちゃんはまた感情を殺し、淡々と話す。


 あの時とかけ離れてしまっているじいちゃんの姿を、記憶と何度も重ねて繰り返し絶望した俺は、拳を音が立つほど強く握ってから、彼の茶色い目の奥にあるものを睨み付けた。


「じゃあなんだ、そんなあるかどうかも分からないもののために、この国の何百人何千人を殺したって言うのかよ…!」


「私にとって士道以外の命など無価値。勿論士道に愛されていなかったお前も同じだ」


 俺の怒りを受け流すように、じいちゃんはあっさりと答えた。


 こんなはずじゃない。


 世界を渡っての久方ぶりの再会にも拘らず、俺に全く興味を見せない彼の態度に限界まで不安が募った俺は、とうとう感情を抑えることができなくなってしまった。


「一人だった俺に、唯一優しくしてくれたじいちゃんはどこへ行っちまったんだよ!」


 俺の嘆きに近い叫びを聞いたじいちゃんは、表情をそのままにほんの少しだけ考えてから、呆れたように息を吐く。


「私は今も昔も変わってなどいない。当然、お前に優しさなど向けた覚えもない」


「嘘だ…!」


 俺が必死にあの時の温かい記憶に縋ろうと声を震わせながら地面に爪を立てると、何かが俺の肩に触れた。


「いいや、嘘なんかじゃないさ」


 声に誘われて横を見ると、久々に見る煽りっぽい笑みが俺の横に咲いていた。

 その笑顔はぐにゃりと捻じ曲がり、世界が捻じ曲がり、そのまま俺の意識をここではないどこかへと連れて行った。



 ◇



「久しぶり、元気にしてたかい?優太」


「…今はお前と話してる場合じゃない。早く帰してくれ、『優しさ』」


 突然連れ去られたことに腹を立てた俺は見覚えのある真っ黒な空間に唾を吐くと、唾は地面に吸い込まれる様に一瞬で消滅した。

 感情的になる俺の様子を面白がった根源の意思は、ニタニタと不快な笑みを零している。


「そう言うなって。やっと君がに向かい合う時が来たんだ」


「どういう意味だ…?」


 言っている意味が分からず俺が眉を顰めると、更に笑みを歪ませた根源の意思は両手を大きく広げて見せた。


「さあ、僕の名前を呼んでみろ、優太!」


 根源の意思の昂る様子に気圧された俺は、言われるがままに名付けた名をもう一度呼ぼうとしたが、俺の喉は何故か固く閉ざされてしまい、言葉を発することができない。


 自分の体が言うことを聞かない恐怖を何とか解決しようと、できる限り脳を回転させると、自然と俺の大切な記憶に突き当たった。


 扉のあった丸太小屋のテーブルの上に、透明な瓶に詰め込まれた七色の飴玉が輝いている。

 何度も振り返った思い出だが、普段と比べてやけに鮮明だ。


 あの時俺は泣いていた。

 何故だったか…、そうだ。

 スーツを着た大人たちに連れて来られた俺は、あの場所で無理やりに体の検査をされたんだ。


「痛い!やめて、やめてよ!」


 何度も血を抜かれその度に嫌がって叫んだが、大人たちは淡々と作業を進め、次の注射針を俺の腕に刺した。


「遺伝子にも臓器にも差などない。それなのに、なぜ士道だけが…!」


 頭を抱えて机を強く殴り付けたじいちゃんは、俺が怯えて泣いているのを見てゆっくりと屈むと、俺の下瞼を強引に拭い、反対の手に持った瓶の中から青い飴を一つ摘まんで取り出した。


「今日の事はお父さんには内緒だ。分かったな?」


 初めて見る菓子を見て目を潤ませながら涎を垂らす俺に飴玉を渡したじいちゃんの表情には、俺に対する哀れみがはっきりと浮かんでいた。

 

 度重なるストレスでおかしくなってしまった俺は、菓子の甘い匂いと美しい光に狂喜し、また濁った涙を流す。


「物欲しそうにしおって、飴玉など幾らでもくれてやる!」

 

 そんな俺の姿を見たじいちゃんは、瓶に詰まった全ての飴玉を、声と共に埃まみれの床に向かって放り捨てた。


 ここでしか手に入らない甘さをどうにかして脳に焼き付けようとした俺は、埃がこびり付いた飴玉を必死に拾い、なりふり構わず舌に擦りつける。

 自分が獣にでもなったかのような惨めさと、味蕾から広がる幸福感が、俺の罅割れていた心をぐしゃぐしゃに混ぜ壊した。


 自分を守るために作り替えた記憶の全貌を思い出した俺は、根源の本当の名前を呟く。


「『哀れみ』」


「そうだ、僕の名前は哀れみ。全てを見下し、焼き払え優太!」


 根源の意思の笑い声が響き、俺の体から青黒い炎が噴き出すと、炎は圧倒的な火力で空間を焼き壊していった。



 ◇



 ハッとした俺は周囲を見渡すも、そこに根源の意思の姿は見えない。

 白昼夢に囚われていたのかとも思ったが、賢者には違和感を抱いた様子もなく、時間が止まっていたこの世界に放り返された様な感覚だ。


「嘘など吐いてどうする」


 冷たい姿勢を崩さない賢者は、当然の事実を口にした。

 異空間に連れていかれる前に胸を覆っていた絶望感はどこかに消えてしまっていたが、今度は俺を見下す老人の態度が気に喰わない。


 胸の中を黒い衝動が駆け巡ると周囲に緑に発色した魔素が集まり、それが徐々に黒く染まっていく。


「ユータ…?」


 俺の様子に何かを感じたリリィが俺の名前を呼んだが、それを無視した俺は立ち上がりながら体の周囲に青い炎を湧き上がらせた。


 青い炎は今までよりも暗く、自分の肌に熱を感じる程に熱く燃えている。


「ッ…!」


 炎は周囲に火の粉を散らし、それに触れたリリィが痛みに顔を歪める。

 力の変化に何も感じないわけではなかったが、今は目の前の敵を打ちのめし、自分を突き動かす戦いへの強い欲求を解消することが最優先だった。


「どんな理由があろうと、お前みたいな人殺しは叩き潰す」


 青黒い炎は賢者に向かって一直線に走ると、賢者の発した黒い光と衝突し相殺される。

 姿勢すら崩さない様子に舌打ちをした俺を見て、賢者が口元を歪めていた。


「人殺し?それはお前も同じだろう。お前はこっちに来て早々、シンで荒稼ぎしていた教祖を焼き殺したそうじゃないか」


「あの似非教祖に手を下したのは俺じゃない!リリィが仕方なくナイフでとどめを…!」


 強い否定を感情に乗せて生み出した青い槍を数本放つ。

 命を狙った攻撃だったが、賢者の背後に湧き出た黒い光が自由に形を変え、作り上げられた巨大な腕が槍を弾き飛ばし、最後の一本は見せ付けるように握り潰した。


「何を言っている。他の傷痕など無い完全な焼死体だったはずだ。…どうやらその小娘の方は良く分かっているようだがな」


「………!」


 俺が振り向くと、リリィは否定するより先に強く動揺していた。

 その表情を見て、アシュガルドに向かうためのルートを決める時も、何故か彼女が頑なにシンを通ることを拒否していたことを思い出す。

 事実が俺の耳に届く可能性を出来るだけ避けようとしていたのだと考えると、あの不可解な判断にも納得ができた。


 少しずつ自分の中で賢者の言葉への信憑性が増していくと、罪を自覚し始めた俺の両手が震え始めた。


「リリィ…俺が…俺がやったのか…?」


「違う!私が刺した!セドリクは私が殺したの!」


 彼女が首を振りながら必死に発した言葉の中に、何かを隠そうとする焦りが見えてしまい、自らへの疑念は殆ど確信に近いものになる。

 他人の犯した禁忌を悪魔だなんだと否定し続けてきた過去の自分の姿があまりにも滑稽で、乾いた笑いが零れ出てしまった。


「…ハッ、俺の手はもうとっくに汚れてたわけか」


 俺の心を見透かした青黒い炎が血濡れた両の手を撫でてくる。

 狂気の誘いが俺の胸の中に揺らめき、理性や倫理観といった、人が人であるための障壁を侵食していくのが分かる。


「ならもう、何人殺しても一緒だ」


 葛藤することに疲れた俺が考えることを止め賢者を睨みつけると、荒ぶる炎は空に向かって大きく跳ね上がり、禍々しい悪魔の翼を俺の背中に形作った。


「墜ちたな」


 はためいた翼から放たれる炎の風から黒い光の腕で身を守りながら、俺の変化を楽しむようにまた少しだけ賢者が笑う。

 しかし、光の腕の陰で突進していた俺が、既に眼前まで迫っていたことを理解すると、浮かべていた笑みは若干の驚きへと変化した。


 翼によって生み出される鳥の様な速度を蹴りに乗せると、反応した賢者が頭部の代償に差し出した左腕は呆気なく吹き飛ばされる。


「墜ちた?違うな。飛ぶんだよ」


 俺が余裕を見せ返すとすぐに腕を再生させ表情に冷静さを取り戻した賢者は、老人とは思えないような身のこなしで距離を取り、杖をその場で一度だけ振るう。

 すると、杖の軌道の周囲に、どす黒い魔素が噴出した。


「今度はだんまりか?何とか言ってみろよクソジジイ!」


 圧倒的な力にも大した動揺を見せない賢者の様子を味気無く感じた俺は、すぐに炎を放ち追撃したが、力任せに放った特大の炎は、膨らんだ黒い光の中から生まれ出た巨大な鬼の顔面に飲み込まれた。


「その力…お前も大陸の意思に選ばれているとはな。腐っても私の血を継ぐ者という事か」


 賢者が黒く染め上げられた杖で大地を突くと、鬼の目には赤い光が宿り、徐々に胴体、手足と鎧を着た鬼の体が組み上がっていく。


「…やらせるかよ!」


 その邪悪な姿に強大な力を察した俺は、両腕に炎を着せながら翼を動かし、無防備な賢者に向かって再度突進する。 


 しかし、高さ四メートル程の巨大な鬼武者は予想以上の素早さを見せ、俺の体は豪快な居合切りに襲われる。

 なんとか炎を纏った両腕と悪魔の翼を前で交差させ、黒太刀の一閃を受け止めようとしたが、トラックに轢かれた様な凄まじい衝撃に叩き伏せられた。


「そう何度も私の領域に踏み入れると思うな」


「ガハッ…!」


 鬼はまだ刀を構えており、完全に体勢を崩してしまった俺は全てを覚悟して目を瞑った。


「………?」


 しかし、数秒経っても刀は振り下ろされない。

 疑問に感じていると、俺の鼓膜を杖を突く音が揺らした。


 目を開き顔を動かすと、鬼武者が塵となって消えていく奥に賢者の背中が見える。


「…どういうつもりだ、今更何だって言うんだよ!」


「優太、私はお前を侮っていたようだ。お前は私以外の誰よりも強くなる。士道の命を救うために、私と一緒に来い」


 俺が問いかけると、じいちゃんはあの時のような優しい声で答えた。

 しかし、それは偽りの記憶だ。

 彼は俺の心を壊した、最低の殺戮者だ。


「許さねえ。殺してやる、殺してやる…!」


 あばら骨が砕け鋭い痛みが呼吸を遮ったが、それでも痛みの奥に隠れた神経に語り掛け、無理やりに体を引きずり起こした俺は、強い言葉を吐き出した。


 心が獣に近付いていくのが分かるが、もう俺の足は止まらない。

 目の前にあるあの白線を越えれば、きっと心の中の障壁は全て消え去り、本能のままに暴れ狂うことができるだろう。

 

 意識が朦朧とし、ここが心象風景か、現実かの区別が付かない中、俺が果てしない怒りを原動力に更に一歩踏み出した瞬間、後ろから優しい感触に抱き留められた。


「もう止めて。優しいユータを連れていかないで」


 鬱陶しがった青黒い炎が、抱き着いたリリィを突き放そうと容赦なく熱を放つ。

 しかし、彼女はどれだけの痛みを浴びても俺の身体を離そうとはしない。


「優しさなんて枯れ果てた。俺はただの人殺しだ…!」


 俺がリリィの言葉を否定すると更に炎は勢いを増したが、彼女の決意はそれを上回り続け、最後には炎の方が押し負けた。


「ユータの罪は、私が半分背負うわ。だから大丈夫」


 リリィの声の心地よさに俺の身体を衝き動かしていたものが抜け落ちていき、炎は完全に消滅する。

 俺はギリギリのところで、人の領域に踏み留まった。


「…余計なことを」


 俺がその場で崩れ落ちたのを見た賢者はぼそりと呟くと、革靴の音を立てながらゆっくりと離れていく。

 そのまま階段を上り壇上に辿り着いた彼は、処刑前に国王が使っていた巨大な拡声器に向かうと、徐に口を開いた。


「聞け。我々愛されし者は次の戦いに備え一度撤退するが、このルーライトを皮切りに全ての国を制圧する。おとぎ話などではない。貴様等が迫害してきた社会的弱者の力は存分に理解したはずだ」


 賢者の無感情な声が空へと広がっていく。

 俺とリリィを含め、きっと壁の中やその周りにいる全ての人間が声の方向を黙って見ていた。


「転移者は我々に賛同し集え。弱者は我々の力に便乗するがいい。戦火は帝国すらも飲み込む巨大な渦になり、やがて大陸全てを更地にする。諸国の民よ、震えて眠れ」


 響き渡る賢者の声はどこまで届くか分からないが、逃げ出した民は大陸に広がり、この惨状と彼の声明を伝えるだろう。


 これは、大陸全土を巻き込んだ戦争の始まりだった。


 話を終えた賢者は拡声器を破壊すると、俺たちの方を見下ろした。


「優太よ、愛されし者でならお前の力を思う存分振るうことができる。私ならお前の望みを全て叶えてやれる。きっと私の道を選ぶと信じているぞ」


 賢者はそう言い残すと、拡声器の爆発に紛れて広場から消え去った。

 暫く俺たちは何も言うことができず、静寂が広がっていく。

 その場に蹲った俺は夢から覚めてくれと繰り返し神に願ったが、俺の祈りはまたも意味を成さなかった。


「ああ、あああああ!」


 体の奥から湧き上がる感情の渦を吐き出す俺の側で、リリィも静かに涙を流していた。

 俺たちは、たった一日で多くの物を失った。

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