第26話 再会

 悍ましげな音を立てながら大鎌の刃が宙を舞う。

 切り裂かれた空気は悲鳴を上げ必死に元の形に戻ろうとするが、それを許さず次の一撃がまたやってくる。


 繰り返される命のやり取りに冷静さを取り戻し、加速し始めたステナの鎌の切っ先は、徐々に私の首を捉え始めていた。


「ただの魔法使いの癖にしぶといわね」


 ステナの表情にもう怒りの色は無い。

 それでも放たれた冷たい殺気は私の足を絡め取ろうとしており、少しの油断も許してはくれない。


「なぜこんなことをするの!?あなた達が暴れれば暴れるほど、転移者への差別は加速するだけよ!」


 私は問いと共に炎を放ったが、鎌の威力にあっけなく打ち消され、光を吸い込んだステナの肌には届かない。


「今はそうかもしれないわね。それも私たちが大陸全てを支配するまでの話よ」


「そんなことできるわけ…!」


 私の口を衝いて出た否定の言葉は、今も尚悲鳴と建物の崩壊する音が止まらない周囲の状況によって遮られた。

 大きすぎる野望にも感じたが、今ここで一つの国が滅びようとしているのだ。

 不可能だと言い切るには、見せ付けられている力があまりにも強大過ぎる。


「あの人がそうしたいと言えば、そうなるのよ。私が彼の望みを叶え、彼にまた褒めてもらう。そのためになら、どんな障害であっても破壊する」


「人の命を重んじられない非道な王は、きっとすぐに民の怒りに足元を掬われるわ!」


「非道な王!?それはあの国王の事を言っているのかしら!?彼が才能のない者たちをどう扱っていたか、知らないわけではないでしょう!?」


 鎌の攻撃を躱しながら、私はまた黙らせられる。

 彼女の中にも社会的弱者としての正義があり、それがこの凶行を正当化してしまっている。


 この惨状を受け入れるわけにはいかなかったが、確固たる意志を持った敵の心を、私の薄っぺらい言葉が揺らがすことはきっとできないと悟った。


 ならば、自分の正義を信じるしかない。

 私の正義は借り物だったが、きっと何よりも温かく、優しい正義だ。

 そして、それと似た思想を持つ者たちが紡いできた力を、私は担っているのだ。


 私は鎌の軌跡の隙間に魔法で作り上げた細い氷柱を素早く放って捻じ込んだ。

 回避を許さないタイミングで撃ち出された氷柱は、派手に露出されたへそに突き刺さり、初めてステナの血液の姿を露見させる。


「それでも私はこの世界を任されたの。あなたが一人の野望を叶えようとしていても、私は歴史を積み上げてきた魔法使いの先人たち、全員の願いを受け継いでいる。…背負ってるものの重さが違うのよ!」


「一発入れた程度で調子に…ッ!」


 不意を突かれて意識が鈍ったステナの足を、予め走らせておいた地を這う氷が地面に固く縛り付ける。

 彼女がそれに気付いたときには、私の頭上に形成されていく巨大な岩の拳が、振り下ろされる瞬間を今か今かと待ち詫びていた。


「至上の剛腕で咎人を救え、衆生済度しゅじょうさいど


 詠唱を半分省略したが、それでも人間に直撃すれば確実に粉砕できる神の拳だ。

 今一度握りしめられた拳は、ステナの細い体を目掛けて突進する。


「…あの時とは別人ね。ただの魔法使いって言葉は訂正するわ」


 冷ややかな声が鼓膜に届いた瞬間、腕に轢かれる直前だった彼女の姿がその場から消えた。

 悪魔に喝を入れようと意気込んでいた神の拳は空を切り、広場の奥の瓦礫を更に粉粉に砕いて煙を立てる。


 氷漬けになったはずの彼女の足に視線を移すと、ハイヒールと脚線美だけがその場に取り残され、そこから上が綺麗に切り落とされていた。


「こう見ると、私の脚も悪くないわね。ユータ君にプレゼントしたら喜ぶかしら?」


 体の形をすぐに取り戻したステナは、艶やかな笑みを浮かべながら脚の残骸を指で撫でる。

 鎌の刃にステナの血液が滴っているのを見た私は、彼女が自らの体を切り裂いて、岩の腕の軌道を回避したことにようやく気が付いた。

 心の壊れた彼女にしか行えない回避行動だったが、今思えば考慮すべき手段だ。


「クッ、抜かった…!」


 千載一遇のチャンスを取りこぼした自分の不甲斐なさに苛立ち、浮かんだ涙を拭って私が目を開き直すと、離れた場所にいたはずのステナが私の肩に触れていた。


「意識を逸らしちゃだめじゃない」


 甘い声が脳に届くと同時に、体が硬い何かによって吹き飛ばされる。

 それが鎌の柄だったことを理解した頃には、背後の壁に叩き付けられていた。


「がはッ…!」


 肺の酸素が一気に絞り出され、脳が警告を繰り返す。

 遂に体の芯を捉えられた私は、ひび割れた壁に寄り掛かったまま、起き上がることができなくなってしまった。


「あなたはただの魔法使いではなかったけれど、ただの人間である限り私には届かない」


 声と共に迫り来るハイヒールの音に弱者の感情が走り出す。

 今までには味わったことの無い絶望感に指先まで冷たくなり、震えが止まらず歯がぶつかり合う音が煩い。


 アリッサもミロもキロもみんな行ってしまった。

 行かせてしまった自分の判断を後悔し、それを振り払い、また後悔に襲われる。


 強い意志を持って臨んだはずの戦いだったが、それでも死の恐怖に打ち勝つには、私の心は若過ぎた。


「知ってるかしら?人って身近な存在が死ぬと、怒ったり、泣き喚いたりするのよ。…彼の泣き顔が見れるなんて、楽しみで仕方が無いわ」


 恍惚とした表情を浮かべたステナの大鎌が、頭上で振り上げられる。

 緊張で締まった私の喉から最後に出た言葉は、格好の悪い、情けない願いだった。


「助けて…ユータ」


 私の呟きが大気に飲まれ消えようとした瞬間、冷えた空気を熱波が駆け抜ける。

 その熱を追うように、激しい唸り声を上げる何かが、ステナの背中目掛けて突っ込んできた。


「………!」


 息を飲むと同時に見開かれた私の瞳に映ったのは青い竜だ。

 アイディーが従えていた翼竜よりも、巨大な顎と尖った牙を持ち、邪悪な表情をした竜だった。


「思ったより早かったわね…!」


 汗を垂らしたステナは背後の熱に反応し、両の手首で大鎌を回転させ盾を作ったが、竜の強靭な顎はそれを物ともせずに、ステナと私を一度に纏めて食い破った。


 風圧に目を瞑ったが、私の体には傷一つ残らない。

 身体を撫でる優しい炎の懐かしさに、全てを察した私の頬を涙が伝い、零れ落ちた。


「やっとできた初めての友達が、俺のせいで死ぬなんてきっと耐えられない。お前には壁の中で生きていて欲しかったんだ。お前が悲しむのも分かってたけど、俺は自分勝手に突き放した」


 彼が私に話しかけながら一歩ずつ近付いてくる間も、青い炎がステナの体を焼き続け回復を許さない。

 喉まで焼かれたステナは叫ぶことすらできず、おろおろとふらつきながら藻掻いている。


「でも、こうして壁の中の魔法使いが沢山殺された。きっともうこの世界に安全な場所なんて無いんだ。…だから、俺にもう一度だけチャンスをくれないか」


 ステナの横を通り過ぎ、遂に彼が私の前に帰ってきてくれた。

 目の前で膝を突いた彼は見たことも無いような真剣な表情を浮かべたまま、私に向かって手を伸ばすと、優しく手を取った。


「今度は逃げたりしない。俺が守るから一緒に居てくれ、リリィ」


「…もう、絶対に逃がさない」


 私は痛む体を起こし、ユータを強く抱きしめた。


 少し早まった胸の鼓動は、重なり青い炎に溶けていく。

 私の心を支配していた恐怖は、いつの間にか燃え尽きてしまっていた。



 ◇



「不快な炎だわ…!魔法使い…きっとあなたのせいね!」


 苛立ちを露わにしたステナは、皮膚を再生させながら無理やり切りかかってくる。

 目だけで振り返った俺は感情のままに青い炎を巻き上げ、迫る彼女を追い返した。


 感情の昂りを反映してか、青い炎は普段よりも目に見えて速く、力強い。

 ステナはそれが気に喰わないようで、長い爪を音を立てて噛み壊していた。


「立てるか、リリィ」


「もちろん。援護は任せて」


 俺が声を掛けると、リリィは既に自信を眉に浮かべていた。


 側に残されていたステナの脚の残骸を見るに、彼女はきっと大きく成長している。

 昼間ステナに追われた時はあっさりと敗北してしまったが、リリィと二人でならなんだってできる様な気さえしてしまい、勢いづいた言葉が口を突いた。


「お前が望んだデートの続きだ!ぶっ飛ばしてやる!」


「…その女を殺してユータ君を解放してあげる!」


 ステナが言い返すと殺気が身体に伸し掛かったが、背後の相棒の存在がやはり力強く、動きが鈍る事は無い。


 俺は啖呵を切った勢いのまま右腕に炎を纏わせると、それをコンパクトに振るった。

 すると、躱し方の癖に合わせて振った拳の軌道に巻き込まれたステナの顔面が、炎に飲まれて消し飛ばされる。


「見えてんだよ!」


 手応えを言葉にした俺はこの機に畳み掛けようと右腕を振り被った。

 しかし、顔面を失ったステナの体が独りでに鎌を握り直すと、俺の肩口目掛けてそれを振り下ろしてくる。


 まさか首が無いままのステナの体が動くとは思わず意表を突かれた俺は歯を食いしばったが、背後から放たれた電撃が鎌にピンポイントで命中し、逆にステナが体勢を崩した。


「全部カバーするわ。こんな悪魔にユータの隣は譲らない」


 俺の動きの隙を完璧に把握した援護に懐かしさを噛み締めながら、俺は振り被っていた青い拳をそのままもう一度ぶん回し、ステナの胴体を大きく削り取る。

 

 ステナの腹の中が公になり、心臓が三つしか残っていないことが分かった俺たちは、終わりが近いことを理解して息を吐く。


「ただの人間の分際でちょこまかと!」


 激昂するステナはなんとか遊撃を仕掛けようとするが、俺たちの肌には大鎌の先端すら届かない。

 俺を囮にしたリリィの魔法が何度もステナの手足を傷付け、それに苛立ちリリィを意識すれば、俺の炎がステナを焼く。

 一方的になっていく戦況に、ステナの表情には一切の余裕が無くなっていた。


「何故…私の中の怪物はこんなものじゃ…!」


「お前にリリィは殺させない。ここでお前の狂気を終わらせてやる」


「終わりなんて無い。私を犯そうとした奴隷商も、私を救おうとした神父も、どんな人間だって本能のままに殺してきた。私は狂気そのものよ!」


 俺の宣言を聞いたステナは焦燥感に追われていることを隠すように、強い眼光を滾らせて威嚇する。

 しかし、もう俺もリリィも恐怖など一切感じてはいなかった。

 むしろ、怯えた捨て犬のように必死に自分を大きく恐ろしく見せようとする様子に、哀れみの目を向けていた。

 

 「独りぼっちのあなたじゃ私たちには届かない。ただの人間は繋がり、支え合える」


 声と共にリリィが魔力を込め、数本の氷柱を放つ。

 それを凄まじい動きで叩き落としたステナは鎌を両手で握り締め、怒り狂ったように全身の筋肉に太い筋を浮かべた。


「犬が何匹群れようと、纏めて刈り取って見せる…!」


 リリィの主張に真っ向から立ち向かった彼女は周囲の魔素を黒く染めると、大鎌の刃を深紅に輝かせた。

 妖艶な体は鎌の重さを物ともせずに、俺たちに向かって突っ込んでくる。


「ステナ、俺たちだって独りだったんだ。お前だってきっと…」


 俺の呟きに共鳴した青い炎は七つの頭を持つ大蛇となり、一斉にステナと衝突する。

 一旦は彼女の姿が蛇の体に覆われたが、それから五秒も経たずに全ての蛇の頭が華麗に舞う赤い刃に切り落とされた。

 紛う方なき人間の限界を超えた動きは、彼女の孤独が生み出した悲しい力だったが、それでも赤い三日月が躍る様は美しく、儚い。


「大地よ、星よ、全ての命よ」


 一瞬見惚れてしまった俺の意識を、後ろで膝を突いたリリィの詠唱が引き戻した。


 リリィの周囲を濁りの一切無い純粋な魔素が取り囲み、それを見たステナは全速力で無防備な彼女に飛び掛かる。

 しかし、リリィの目の前に辿り着いたステナの脇腹を、青い炎弾が捉えていた。


「がああああ!」


「きっとお前は誰よりも強い。でもこれが、一人の戦いの限界だ」


 青い炎に包みこまれたステナの悲鳴が広場に木霊する。

 リリィは詠唱を中断し、俺の側で彼女が焼けていく姿に黙って視線を向けた。


 少しして青い炎の勢いが止み、彼女の細胞が亀のような速度で蘇る。


 きっとステナにとっては体の痛みなど慣れたものだったが、俺とリリィの姿を見据えた彼女は頭を抑えて苦しんでいる。


 時間をかけて何度か大きな呼吸を繰り返し、ゆっくりと殺気を解いたステナが鎌を手放し音を鳴らすと、落ち着いた声が彼女の喉から溢れ出した。


「あなたたちの間にある、それは絆…それとも愛?そしてこれはきっと、嫉妬…」


 噛み締めるように言葉を吐き、流れる涙を自らの手のひらで受け止めたステナは、辛そうにも、救われたようにも見える複雑な表情をしていた。


「ステナ…お前はこれから少しずつ償っていくんだ。奪われた人たちの悲しみを理解していけば、きっといつか罪を自覚できる。どれだけ俺を頼ったっていい」


 ステナが少しずつ心を理解できる可能性を感じた俺は、強く彼女に訴えかける。

 深い孤独に沈んだ彼女を、どうにか引き上げようと必死に手を伸ばした。


 すると、何かを察した彼女はふらりと立ち上がり、俺に向かって困ったように笑いかけた。


「そうか。私、寂しかったのね」


 そう言って振り返ったステナの頭が、突如飛来した槍の形をした黒い光に貫かれる。

 傷口からは様々な液体が垂れ落ち、彼女の周囲の地面を濡らした。


「…ステナ!」


 倒れそうになるステナの背中を俺が受け止めると、彼女の体は黒い光を受けた頭部から、じわじわと老いて崩れていく。

 どれだけの痛みがステナを襲っていたかは計り知れないが、それでも彼女は笑顔を絶やしてはいない。

 穏やかな表情のまま少しずつ散っていく彼女は、俺の頬に手を伸ばした。


「もし、私が地獄で人を知って、罪を知って、償うことができたなら…。生まれ変わってまた恋がしたいわ」


 ステナの心の変化を必死に繋ぎ止めようとしていた俺は、彼女の体が崩れていく様を受け入れることができず、最期の言葉に応えてやることができなかった。


 俺の腕の中で遂に崩れ落ちようとした彼女の胸を、皺だらけの老人の腕が上から貫き、中に残っていた二つの心臓を引き千切る。

 俺が唖然としたままその腕を目で追うと、凍り付くような冷たい瞳をした老人が、掴んだ心臓を大胆に丸呑みした。


「…わざわざ射線に入ってくるとは、気が違ってしまったか。従順で扱い易かったんだがな」


 眉一つ動かさずに心臓を飲み切ると、杖に両手を乗せた老人は無感情に言葉を吐き捨てる。

 髭を蓄え白髪を後ろに纏めたその姿も、威厳を感じる低い声も、何もかもが俺の追い求めていたものだ。

 しかし、残虐な行いとそれを気にもしない態度が記憶と噛み合わず、脳の回転が停止し、俺は瞬きすら忘れてしまっていた。


「来るなと書き置いたはずだ、優太」


 俺が何も言えないでいると、重い声で呼び掛けられ、思考の逃げ道を塞がれてしまった。


 膝を突いた俺は、ただ無情に見下ろされていた。

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