第25話 逃げない理由
「ジャック…これを止めろってのは流石に無理な話じゃない?」
「仮に神が居ても無理だろうな」
困惑したエイラの言葉に同意した俺は、雲に向かって上がっていく煙を見ながら首の筋を伸ばす。
酒場でユータに襲い掛かった蘇る女のせいで酔いが冷めていた俺たち三人は、緊急でギルドから要請された、壁で発生した暴動の鎮圧の依頼を受け、火の手の上がる現場に駆け付けていた。
しかし、とんでもない数の民衆が壁に開けられた巨大な穴から雪崩れ込んでしまっており、その上壁の中に居るはずの無い魔獣の姿まで確認できる。
どう見ても手が付けられない状況な上に、壁の中の人間のために行動しようとする者は少なく、俺たち以外の冒険者はこの件から手を引いていた。
「…おかしいですね。この分厚さの壁を壁の外の人間が破壊できるとは思えません」
「何か…嫌な感じだ。思えば抗議活動を扇動してたのも、黒いフードの怪しい奴らだった」
エイラとダンは壁の穴や中で暴れる冒険者たちの姿を見て、不審がっている。
しかし、今はこれ以上考え込んでいる時間は無い。
「まあ、騒ぎを止めるのは無理でも、数人助けるくらいの事はできるか」
そう呟いた俺は大剣の柄に手を掛けてからゆっくり加速すると、壁に開いた巨大な穴を走り抜け、通りすがった魔獣の首を切り落としていく。
取り残しは後ろから追ってくるダンとエイラが担当するため、俺が獲物の生死を確認する必要は無い。
魔獣を狩りながら壁の中を進んでいくと、看板の折れた広い公園に入った。
地面には魔法使いの死体がそこら中に転がっており、遠くにはベンチの上で項垂れている魔法使いの姿も見える。
「死にたくない!死にたくないいい!」
大きな噴水の横で悲鳴を上げて蹲っている魔法使いが、角の生えた熊に襲われているのが視界に映り、すぐさま地面を蹴る。
「オラァァア!」
気合を声に出した俺が走った勢いのまま大振りで魔獣の首をぶった切ると、ゆっくりと巨体を地面に倒した熊が砂埃を立てた。
「何で…壁の外の奴らが俺たちを…」
喰われそうになっていた魔法使いが、カタカタと顎を震わせながら俺に問いかける。
獣伐区の人間にどう思われているか、自覚はあるらしい。
ただ、こいつのようなただの才ある国民に罪があるわけではない。
壁の外に捨てられたときは両親に二度と会えないという事実に絶望したが、おかげで俺は憧れの剣を見つけることができた。
似たような境遇の気の合う仲間と狩りをする時間も悪くはない。
彼に問われたことで、俺が抱いていた魔法使いへの負の感情が、少しずつ薄れ始めていることに気が付いた。
しかし、羨望や嫉妬の感情が完全に消滅したわけではなく、何とも思っていないと誤解されるのは癪に障るため、急いで鋭い目を突きつける。
「…当たり前だろ。仕事だ」
「ヒィ!」
俺が簡潔な答えを返すと、目を見て更に怯えた魔法使いは、壁の外へ向かって慌てて逃げていく。
その背中を黙って眺めていると、後ろから声を掛けられた。
「ねえ、ジャック。やっぱりおかしいよ、ここにいる魔獣」
違和感を口にするエイラは、心のざわつきを表情に浮かべている。
確かに壁の中に放たれた魔獣たちは何故か魔法使いばかりを狙って襲っており、暴徒化した冒険者や俺たちには見向きもしていない。
「こいつら、調教されてるのか…?いや、そんなことは不可能なはずだ」
「酒場でユータさんを襲った蘇る女性といい、壁の中の状況といい、人知を超えた力の気配がします。関わりたくないものですねえ」
そう言ったダンが咥えた煙草に火をつけた瞬間、王城の方向から爆発のような大きな音が鳴り響く。
音の方を見ると、家屋が倒れて巻き起こった白煙の奥から、杖を持った赤い短髪の少女が現れ、少し間をおいて少女の二倍程上背のある、鎧の様な筋肉をつけた大男が追いかけてきた。
大男が右手に持っている巨大な斧を一振りすると、公園に生えている立派な木が数本纏めて綺麗に切り倒されていく。
「人知を超えた力ってのはあれの事か?」
「…禁煙を考えた方が良さそうだ。こいつを咥えて人と話すとろくなことが無い!」
汗が噴き出した自分の頭を冷やそうと俺がおどけると、彼も同じ気持ちだったようで冗談を投げ返しながら渋々弓を引く。
口元を歪めたダンの弓が吐き出した矢は、少女の頭上を通り、勢い良く大男の胸に突き刺さった。
しかし、大男に痛みを感じている様子は無く、矢を胸に突き刺したままベンチや街灯を薙ぎ倒し、ただ前に進み続けていた。
「なるほど、これが最後の一本になるかもしれません」
額に汗を浮かべたダンが縁起でもないことを言ったが、あれは確かに遭遇しただけでも腹を括るべき存在だ。
蹴り飛ばされた魔法使いたちが吹き飛んでいく姿を見て息を飲んだエイラも、恐怖心を隠さないまま俺の肩を揺らす。
「私たちも逃げようよ!流石にあれは無理だって!」
理屈ではエイラの判断が正しいことは分かっている。
しかし、俺の体はまたあの時と同じ感覚に支配されてしまっていた。
「逃げる…?そんなんじゃいつまで経っても剛剣に追いつけねえ…!」
「何言ってるのよ!ちょっと、ジャック!」
震えを誤魔化しながら大剣を構える。
翼竜との戦いでは辛酸を嘗めさせられたが、同じ人間であれば当たり所さえ良ければ俺の剣でも殺すことができるはずだ。
もう俺の頭には、ここで奇跡を起こす以外の選択肢は無くなっていた。
「なんで逃げないの!?ヘルキスには魔法ですら足止めにならないのよ!?」
逃げてきた赤毛の少女が俺の横を通り過ぎ、俺の行為を非難しながら足を止める。
その数秒後、遂に大男が石造りの噴水を踏み壊しながら、俺たちの目の前に辿り着いた。
少女が叫んだヘルキスという名前に覚えがあった俺は、大男の岩のような体に合点がいき、唇を舐める。
「そうか、お前が王城に突っ込んだっていう英雄か」
「英雄…?何の事だ。魔力の無い人間に興味は無い。死にたくなかったら消えろ」
ヘルキスの低い声と長い髪の間にある薄緑色の目が俺を捉える。
彼は俺たち三人が武器を構えているのを見ても、きっとそれを全く脅威に感じておらず、その態度が更に俺の胸に沸き立つ焦りを沸騰させた。
「こっちは手前に興味津々なんだよ…!ここでお前を殺して名を上げてやる!」
野望を力に変えた俺は、シンプルに構えた大剣を大男の体目掛けて振り下ろす。
しかし、隕石が頭の上を横切ったのかと錯覚した俺の耳に剣撃が届いたかと思えば、両の手のひらにあったはずの実感が、突如として消えてしまった。
「………?」
困惑した俺の後ろで、重い金属が地面を転がる音がする。
そう、俺が握っていたはずの大剣は、ヘルキスが軽く振った斧によって遥か後方まで吹き飛ばされていたのだ。
「フン」
ヘルキスが息を吐く音が聞こえた刹那、俺の体が宙に浮いていた。
筋肉のみでできた太い足で腹を蹴られた俺は、水切りの石の様に吹き飛びながら、何度も硬い土の上を跳ねた。
「ジャック!」
俺がその場で動けないでいると、エイラが武器を投げ捨てながら駆け寄ってきた。
彼女は俺の背を抱え、大粒の涙を流しながら必死に呼びかけてくる。
「ジャック、あの男の狙いは私たちじゃない。謝って見逃してもらおう。こんなの何をやっても無理だよ!」
やはり、あの時と同じだった。
いつだって強大な敵に、国のルールに、何もできずにただ敗北する、自分の弱さに腹が立つ。
俺は自分の何を犠牲にしてでも、ただ前に進みたかった。
「お前の型は綺麗だ。来世では良い剣士になるだろう」
「………!」
ヘルキスの発した言葉に、俺は翼竜との戦いを思い出していた。
俺は土壇場になると真似て手に入れた剛剣の動きを忘れ、親から教えてもらっていた剣術の構えを取ってしまう。
結局、自分の体が、本能が選んでいたのは親の剣だったのだ。
なのにも関わらず、憧れて上辺だけ身に着けた偽物の剣を未練がましく練習し続けた。
ある程度形になっても、窮地で力を発揮できないのならば意味がない。
少しずつ後退してくるダンと赤髪の少女の背中がぼんやりと見える。
呼吸が安定しないのは、ヘルキスに蹴られた拍子に内臓が潰れてしまったことが原因だろう。
それでも、俺は立ち上がる。
「剛剣なら、ガキを見捨てて逃げたりしねえ」
俺の体はやはり勝手に同じ体勢を取ったが、昔習った親の型は確かにこんな構えだった。
練習したのは遠い昔だが、親に褒められようと必死に打ち込んでいた俺の体に染みついてしまっているらしい。
「借り物の魂か。されどそれも魂だ」
ヘルキスの斧が反射して輝くのが見える。
戦う前には興味が無いときっぱり言われてしまったが、俺から先に終わらせてくれるのは、ただボロボロな俺が一番殺しやすいからではないと信じたいものだ。
斧が振り下ろされ、俺の体が再度宙に浮いた。
しかし、俺を動かしたのは大したことのない衝撃であり、ヘルキスの攻撃によるものではない。
なんとか意識を保つと、揺らぐ視界の中に、真っ赤な液体が映った。
「確かに俺はもうどんな化け物からも逃げねえ。だがな、ガキの頃に百回逃げた先の今だ」
声の方を見ると赤い長髪が風に靡いている。
その堂々とした姿に、憧れを抱いた瞬間を思い出した俺は、恐る恐る声を絞り出した。
「剛剣、なのか…!?」
「お姉ちゃん!」
少女の悲痛な叫びに俺の声が掻き消される。
二人を交互に見ると赤い髪、オレンジ色の瞳はよく似た輝きを放っていた。
「久しぶりだな、エリーゼ。お姉ちゃんが来たから、もう安心だ」
「でも…お姉ちゃん、腕が…左腕が!」
俺の目の前に零れる血液の行方を辿ると、剛剣の左腕に辿り着く。
いや、正確には、左腕が
「死を覚悟した戦士を庇うとは…理解できん」
「
目を閉じて嘆くように首を振るヘルキスの斧の刃にも、べったりと血液が張り付き、俺の無謀のせいで何が起こってしまったのかを物語っていた。
「あ…、あああああ!」
俺は憧れの戦士の片腕を奪ってしまった事実をやっと理解し、腹の奥から逆流してきた嘆き声を吐き出した。
自分の命以外の代償を覚悟していなかった俺は、両手で側頭部を掻き毟り、痛みで夢から覚めないことにまた絶望する。
「おい」
声と共に俺の胸ぐらが剛剣の力強い腕に掴まれる。
そのまま殴り殺してくれるのだろうか。
いや、彼女にはもう俺を殴るための腕が余っていない。
「これ、貰うぞ」
そう言った剛剣は俺の着ていた上着を強引に破き、それを使って左腕の根元を口と右手を使って器用に縛る。
そして、ギラついた顔で振り返ると、背負った大剣を躊躇なく引き抜いた。
「お前の図体見てると自分が女らしく見えて嬉しいぜ。まあ、すぐにたっぱは半分になっちまうがな」
「よくもまあ片腕を失ってそれ程豪胆で居られるものだ。真っ二つになるのは貴様だ、女」
瞬間、爆発したように剛剣の体が躍動し、それに連動して叩き付けられた大剣は、向かってきた巨大な斧と衝突して火花を上げる。
筋肉のバネと奇襲によるアドバンテージで、あれほど圧倒的に映っていたヘルキスの斧と互角の威力を生み出していた。
「姑息な…!」
「甘えたこと言ってんじゃねえぞ!」
激しい連撃がヘルキスを襲う。
最初は狂ったように大剣を振っているように見えたが、よく見るとヘルキスの筋肉の動きを見分けて受け辛い位置を的確に狙っている。
窮屈に感じたヘルキスが距離を取ろうと強引に斧を大振りしたが、剛剣は思い切り姿勢を下げてそれを躱してしまい、密着状態が解決できない。
致命傷は全て回避されてはいたものの、ヘルキスの大きな手足には大量の傷が開いており、いつその瞬間が来てもおかしくないような状況にまで迫っていた。
「オラオラオラ!片腕の女も殺せねえのか筋肉ゴリラ!」
「クッ、手段を選べないとは、思ったよりも
奥歯を噛んだヘルキスは、斧を短く持ち直すと一段階素早くそれを振り下ろし、鉄の刃は剛剣の左腕の付け根を掠めた。
回転しながら後退した彼女は、一度大きく息を吐き笑みを浮かべる。
「やっと殺し合う気になったかよ、卑怯者」
「ここまでの戦士に出会ったのは初めてだ…。お前を殺せばこの飢えも収まるだろうか」
一度距離を取った二人は、どちらも大胆に歯を光らせて笑い合っている。
自分の力がどこまでも通用するという自負が、積み重なった敗走と勝利によって構築され、それを根拠に勝利を疑わない。
だから、剛剣は逃げない。
彼女が今見せてくれている心の力は、俺の蛮勇とは根本的に違うものだ。
奇跡を祈って振る俺の剣では、きっと奇跡は起きない。
死闘に散りばめられた技術と経験を見せつけられる度に、彼女たちが如何に遠い存在なのかを理解させられる。
それでも、自分の進化を止めないために、俺はこの常軌を逸した戦いを目に焼き付けなければならなかった。
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