第21話 継承
社会見学の参加者か、十名程の魔法使いが校門の前に集まっている。
私は既に必死に詠唱を唱える変人としてある程度の知名度があるらしく、他の参加者が集まってこちらを見ながらひそひそと笑っていた。
集合時間までの暇潰しには丁度いい。
私が顎を上げて集団に近付くと、不穏な空気を感じたのか中心に居た女だけを残して蜘蛛の子を散らした。
「…なんか文句でもある?縦ロール」
「あら、
ロールヘアの金髪が目立つこの女は取り巻きを従えているため学校でも常に目立っていた。
赤いローブにもひらひらとした装飾が散りばめられており、金持ちであるという説明を身形で済ませている。
「そうやって逃げちゃうんだ?金を持ってるだけで度胸は大したことないのね」
「…なんですって?」
私の煽りに怒りを露わにした女はこめかみに血管を浮かべながら、聞いてもいない自己紹介を始めた。
「私は気高きロメーヌ家の一人娘、アリッサ・デ・ロメーヌよ!私に喧嘩を売るなんて、貴方はどこの家の生まれだと言うのかしら?」
「私はリリィ。親は居ない…あ、一応師匠ってことになってたんだっけ。となると、リリィ・ベイリーよ!多分!」
アリッサの勢いのいい自己紹介に釣られて私の声も大きくなってしまった。
彼女は自慢気に名乗っていたが、ファミリーネームなど心の底からどうでもいい。
しかしそう思っていたのは私だけのようで、私の名前を聞いた途端、アリッサや遠巻きに眺めていた生徒たちの顔が一気に青ざめた。
「…ベイリー?ベイリーってもしかして、あのガルダ・ベイリーの娘なの!?いや、彼女はまだ三十歳位だったはず…」
「ただの養子よ。それでも大切なお義母さんで、私の師匠だけどね」
この国で師匠の名前を出すと誰もが恐れをなしてしまう。
師匠としては不本意かもしれないが、私は鼻が高かった。
ファミリーネームを誇る気持ちも、これと似た様なものなのかもしれない。
「フ、フン!時代遅れの魔法に囚われているなんて、それこそ
アリッサは迎えの馬車が来たのを見ると、捨て台詞を吐いて行ってしまった。
彼女が馬車に向かうのを見て、散った取り巻きが再び集まっていくのが面白い。
しかし師匠の名前に対して怯えるだけで終わらないあたり、彼女の気の強さは相当のものだ。
私が感心しながらアリッサ軍団を眺めていると、背後で杖を突く音が止まる。
振り返ると、ヤヌンがぜえぜえと息を吐きながら震える手で腰を抑えていた。
「ついてくるのね。意外だったわ」
学内で発行される身分証があれば誰もが授業に参加できるが、まさか外にまでついてくるとは考えてもみなかった。
あまり遠出ができるような身体だとは思えなかったからだ。
「…儂、図書館から出るのはこれが最後かもしれん」
「次に出る時は棺桶に入るときね」
老い先は長くはなさそうだ。
◇
「相変わらず重っ苦しい建物じゃのう。ポップな飾りつけはできんのか!」
馬車に十分ほど乗りたどり着いたのは、この国で一番罪の重い囚人たちを収容している監獄だ。
ヤヌンの無茶な要求に賛同するつもりはないが、窓の無い黒塗りの建物はそれこそ棺桶の様に見えてしまう。
警備員に連れられた私たちは分厚い鉄の扉の中に入り、施設の構造や安全性の説明を受けた後、ここで働く看守の有難い言葉をじっくりと聞かされた。
「ルーライトに仇をなす者は我々が後悔させなければならない!ここに収容されるような極悪人の全てを否定することで、
アリッサを含めた他の生徒たちは一言一句聞き逃すまいと躍起になって聞いている。
尊敬の眼差しを向けているあたり、彼女たちにとって国のために働くのは誉なことなのだろう。
下らない演説が終わり、いよいよ監獄の中を案内される事になった。
看守が鍵の掛かった重い扉を開けると、私たちは左右に牢が並んだ通路に出る。
牢の中では巨大な枷を嵌められた囚人たちが傷だらけになって蹲っていたが、扉が開き私たちの姿が見えると、餌を見つけた獣のように鉄格子を掴んで叫び始めた。
「ここから出してくれえ!」
「女、女がいるぞ!」
殆どの生徒は重い罪を犯した囚人の汚れた目に怯えて悲鳴を上げていたが、アリッサだけは毅然とした態度でつかつかと通路を歩いていく。
「あの娘はなかなか見どころがあるのう。きっとこの国を背負う魔法使いになる」
「でもいじめっ子よ?」
「国と家、そして自分に強い自信と誇りがある。若ければそれがから回るときもあるじゃろう。あとお主も十分儂をいじめておるからな」
自分の行いを顧みると、ろくな反論ができない。
帰ったら老体の肩でも揉んでやるとしよう。
「小娘、お主も平気なようじゃな」
「…そうね」
ヤヌンに言われて気付いたが、囚人たちが暴れているのを直視しても身体が怯える事は無かった。
更に鋭い恐怖を経験していたという事もあったが、それだけではない。
「だって、この人たちの方が何かに怯えてるんだもの」
◇
叫びを浴びながら歩き続けると牢に挟まれた道が尽き、一際巨大な牢に突き当たった。
空気が冷えたように感じたが、周りの反応を見るに誰もが先程までとは違う恐ろしさを感じているようだ。
それは、ヤヌンも例外ではない。
「何度見ても悍ましい姿じゃな」
中では女二人分の身長がありそうな筋肉隆々の男が磔にされている。
伸びきった薄緑色の長髪が傷跡に塗れた胴に垂れ、拘束具に取り付けられた赤い魔石が呼吸と共に揺れ怪しく光る。
「この男を知らない者はいないだろう。転移者集団の幹部であり、二年程前に陛下直属の魔法使いを五人、そして大量の誇り高き兵を殺した史上最悪の犯罪者、ヘルキス・レオンハート…!」
看守はヘルキスへの憎悪を隠そうともしない。
周囲の生徒たちもその黒い感情に同意するかのように牢の中を睨み付けている。
「呪われた力を扱う薄汚い余所者だ。差別されて然るべき存在だ!…さて、君。彼の刑罰は知っているかね」
折に反響するほどの大声で共感を煽った看守は、生徒の中で一番目立つアリッサに向かって問いかけた。
彼女は当然だとでも言うように、重そうなロールヘアを揺らす。
「二年の拷問と、斬首ですわ」
「その通りだ。首が落ちるまでの期間、我々が極限の拷問によってこの大罪人の心を砕き、英雄たちの恨みを晴らさなければならない!」
看守の言葉を聞いた私は晒された男の体を見ると、そこにあったのは拷問の過酷さを物語るような、皮膚を抉った数々の巨大な傷跡だ。
そんな痛々しい姿であっても脈打つ太い腕に感じたことのないような途轍もない生命力が見え、人間の域を凌駕した危険な存在なのだと理解はできた。
「あの赤い魔石は拷問器具だ。魔力を流せば…」
「グオオオオ!」
看守が指を鳴らした瞬間、怪獣のような叫びが薄暗い空間に響き渡る。
伝播する痛みに背けた目を何とか開くと、ヘルキスの拘束具から目に映るほどの強い電流が流れていた。
数秒後電流が止まり男の声が止むと、何事もなかったかのように看守が続ける。
「今回はこの国の未来を担う君たちにこの大罪人への報復をしてもらう。愛国心を見せろ。君からだ」
「はい」
看守に指差された生徒は素直に従い、言われた通りに魔力を込めた。
「アアアア!」
電流に弾けた筋肉が拘束具に締め上げられる。
こんな仕打ちを毎日受けているなんて、想像するだけで気が狂ってしまいそうだ。
苦悩する私を置いて、生徒が次々と躊躇なく魔力を込めていくと、大男の身体は繰り返される電流に焦げ、薄い煙を上げた。
「次は君だ。アリッサ・デ・ロメーヌ」
看守の言う通り、アリッサの順番が回ってきた。
彼女も他の生徒と同じように意識を集中し始める。
彼は大罪人だ。
アリッサたちの恨みも理解できないものではない。
しかし彼も同じ人間であり、非人道的な扱いを受ける姿を憐れに感じてしまった。
「…可哀そう」
「…何?」
私の口から漏れた言葉を看守は聞き逃さない。
彼が咎めようとしているのは明らかだったが、私はそれを無視して、アリッサの目の前に両手を広げて立ちはだかった。
「アリッサ、あんたは気高き貴族様なんでしょ?あんなボロボロな奴を更に痛め付けるなんて恥ずかしくないの!?」
「か、壁の外にいた人間に何が分かるって言うの!?この屑は我々の同志を、国の誇りを傷付けた大罪人よ!」
突然の事にアリッサは動揺の色を見せたが、すぐに美しい緑色の瞳に力を取り戻し反論してくる。
それでも私は負けたくなかった。
この光景を見て優しいユータは黙っていないような、そんな気がした。
「それでも!どう見たって可哀そうじゃない!この男をどれだけ叫ばせたって殺された人たちは蘇らない。何の解決にもならないわ!」
「おい、いい加減に…!」
看守が声を荒げたが、その声は牢が強い衝撃に揺れる鈍い音で掻き消された。
「ひ、ヒィ!」
磔にされていたはずの大男が、内に収めていた驚異的な膂力で拘束具と壁を繋いでいた鎖を引き千切ってしまったのだ。
彼が口呼吸する音に震えあがった看守は、腰を抜かしたまま別人のように小さくなってしまっている。
「…女、俺が可哀そうだと言ったのか。戦うために生まれたこの俺を」
鉄柵を掴んだ大男の迫力に気圧され、私以外の全員が動けなくなってしまっている。
しかし、狼の様な鋭い瞳からは殺気の様なものは感じない。
彼はただ、私に対して質問しているだけだ。
「ええ、そうよ。痛かったでしょ。でも私の魔法じゃあなたの傷を癒してあげられないの。ごめんね」
「………」
虐げられながら死を待ち続けるヘルキスの心に少しでも寄り添うために、私が何倍も太い腕に付いた傷の側を優しく触ると、彼は黙り込んだまま、
「おい!さっきの音は何だ!」
「奴の鎖が切れているじゃないか!急いで取り押さえろ!」
「グアアアア!」
音を聞いて駆け付けた数名の看守が魔石に魔力を込め、電流に藻掻くヘルキスを床に抑えつけた。
「グ………」
床に伏せても尚、ヘルキスは私から視線を外さない。
言葉は発さなかったが、何か思うことがあるのは明らかだった。
「生徒たちは速やかに外に出たまえ!」
私を含め部外者は看守に促されその場を離れることになった。
少し離れただけで、暗い牢は闇に飲まれる。
それでもまだあの印象的な眼光がまだこちらに向けられているように感じ、私は何度も暗闇に向かって振り返った。
◇
「で、私は何であんな事に付き合わされたわけ?」
図書館の地下に戻った私は、椅子の上で足を組んだままヤヌンを問い質した。
死刑囚の拷問などという、見たくもない物を見せられ気分が悪い。
「…小娘よ、ガルダは元気か?」
私の質問には、意外な質問で返された。
急に師匠の名前を出され当然私は困惑したが、ヤヌンの問いに付き合うべきだと飲み込んだ。
「師匠と知り合いなの?」
「ガルダは強い子じゃった。感情に波がありそれが悲しい事故も起こしたが、それでも前に進もうとする彼女に転移者の先輩である儂が力の扱いを手解きしたんじゃよ」
「へえ、師匠の師匠だったんだ…」
「儂も立場があったから公にというわけにはいかなかったがな。我楽多などと呼ばれ蔑まれていたが、実際は誰よりも意志が強く賢い娘じゃった。国からも強さを認められ、転移者ながら最高の地位を勝ち取っていた程じゃ」
ヤヌンの眉の下の瞳がにわかに遠くを見た。
子や孫を想う様な優しい目…おばあちゃんも私を撫でる時同じ目をしていた。
しかし、彼の温かい表情は長くは続かない。
「…ヘルキス・レオンハート。奴はガルダを連れ去るために王城に攻め入った。しかし、その時にはもうガルダはダラクに旅立っておったのじゃ。奴は居もしないガルダを探して暴れ続け、沢山の兵士を殺してしまった」
「となるとやっぱり彼も愛されし者の一員なのね」
ようやくヘルキスの人間離れした力に納得がいく。
看守はヘルキスを集団の幹部と言っていたが、彼やステナのような化け物が他にもいるかと思うと恐ろしい限りだ。
「愛されし者、というのは?」
「転移者の集団よ。何らかの野望のために力のある転移者を集めているの。師匠はダラクでその一員に襲われた。そいつは転移者の心臓を食った化け物だったわ」
当然の疑問を浮かべたヤヌンは、私の一連の説明に驚き目を見開いた。
「心臓を食ったじゃと…!?して、そ奴はガルダが殺したのか」
「いえ、逃げられたわ。実力もガルダさんと同じか、それ以上だったって話よ」
「あのガルダを越える力を…。そうか、人類の次の脅威は禁忌を踏み越えた転移者だったか。嘆かわしいことよ」
ヤヌンは自らと同じ転移者の愚行に、目を閉じて首を横に振った。
私は心が揺らいでいる様子の老人に向かって、畳みかけるように声を荒げる。
「私はあの化け物たちと戦う力が必要なの!私の大切な人は奴らの巣に一人で近付こうとしてる。絶対に彼を死なせたくない!」
師匠を育てた人だと分かればもう隠す事は無いと思い、私はヤヌンが隠している知識を素直に強請る。
しかし、包み隠さず動機を語った私に返ってきたのは、骨を刺すような眼差しだった。
「小娘、お前は劇薬を飲みたがっていたな。だが、その代償にこの世界を背負う覚悟があるのか?」
「世界を背負う…?」
言っている意味が分からない。
ヤヌンは冗談の様なスケールの言葉についていけない私に、あの読めない本を差し出した。
「開いてみなさい」
促されるままに蛍光灯の無機質な光を吸った分厚い本を開くと、今までとは全く違う姿が露わになる。
「読めるようになってる…!?」
「…魔法で読めないようにしていたのじゃ。その魔導書の管理を任された儂がな」
驚く私を見て答え合わせをしたヤヌンは、音を殺した溜め息を吐いてから話を続ける。
「その魔導書にはな、
「本来の?」
「詠唱というのはこの大陸の意思と契約を結ぶための、言わば契約書じゃ。それを億劫に感じた人々はいつからか詠唱を少しづつ簡易化し、そして完全に省略してしまった。契約が曖昧になったことによってかつての威力は無くなったが、そんなものは必要なくなった」
ヤヌンは嘆くような口振りだ。
彼の折れてしまいそうな腕にも力が籠っており、握られた杖は悲鳴を上げている。
「悲しいことじゃよ。人類が繫栄した結果敵は巨大な化け物ではなく、人になったということじゃ。そして、今度は利益を求めて国同士でぶつかり合うようになった。戦争が起こる度に大量の命が失われておる」
「そうなった今、古代魔法の力って…」
この本が読めないようにされていた理由を理解し始めた私の手が震え始める。
甘えた教え子の覚悟を促すために、ヤヌンは一度だけ杖を床に強く突き直した。
「そうじゃ。戦争を一方的に終わらせるための兵器になり兼ねん。こうなることが予見されていたからこそ、この魔導書は代々管理者の手によって隠されてきた。阿呆の手に渡れば大陸の力関係が崩壊し、戦場は強力な魔法によって混沌と化す」
ヤヌンの形相に歴史の重みを感じ、窓から見える豊かな植物や鳴いている小鳥の姿が神々しく見え始める。
様々な命の声が頭に重く響き、眩暈がしてしまった私は片手で揺れる頭を抑えた。
私はただユータの側に居たいだけだ。
そこまでの覚悟など持ち合わせているはずがない。
「強大な力を持つ者は、慈愛の心を持ち正しい判断のできる人間でなければならんのじゃ。大地からの借り物で必要以上の血を流してはならん。先人たちが紡いできた人類を守るための神聖な力を
力強く発された声には重みがある。
老人の今まで見せなかった表情に怯え、呼吸を忘れてしまいそうになる。
私が重圧に負け強く誓ったはずの覚悟を見失いかけた瞬間、縮こまった私の肩をヤヌンが優しく叩いた。
「…だから、時代遅れの力を欲したのが突き抜けて優しいお主で良かった。きっと脅威から人々を救ってくれると信じておる。背負ってくれるか?リリィ・ベイリー」
歪んでいた世界が形を取り戻す。
弱弱しい老人の手に確かな力を感じ目を覚ました私は、何よりも大事なものがあることを思い出した。
私の優しさは貰い物だったが、この世界で一番温かいものだ。
これさえあれば道を間違う心配などない。
力を担う責任など、ユータを失う恐怖に比べれば大した事は無い。
「誓うわ。この力に相応しい魔法使いであり続ける。そうでないと、きっと彼の側には居られない」
手の届く全てを守り、想い、怒り泣くことができる。
そんな彼を禁忌を犯した化け物たちから守り、共に歩き続けたい。
私が望むことはそれだけだったが、その目的のために、人類の命運を担う魔法使いになることを受け入れた。
◇
洞窟の中を走る冷たい空気が俺の頬を撫でる。
自然に育まれた地面の踏んだことのない感触に、今までであれば心が躍っていたのだろうか。
「おい、死にたがり!本当に死にたくなかったら索敵に集中しろ!魔獣に殺されるぞ!」
視線を落としていたことに気付かれ、前を歩く少し大柄な青年に怒鳴られてしまった。
仕方なく周囲が見える程度に顔を上げると、青年が抱いた嫌悪感をツーブロックに刈り上げた短髪の下で露わにしている。
「この世の終わりみてえな顔しやがって、お前を見てると空気が不味くなる」
「止めなよジャック。即席で組んだ相手に絡むもんじゃないよ」
「そうですよ。経験が無いのに怖がらず、依頼に付き合ってくれた彼に感謝しなきゃいけません」
片手剣を持った三つ編みの女と麻のシルクハットを被った弓使いの男が青年を宥めている。
二人は見ず知らずの俺を庇ってくれていたが、俺は別に何を言われても気にはならない。
実際、鏡を見ればそんな顔をしているのだろう。
彼女たちの言う通り即席の関係であり、明日以降は会う事のない他人だ。
そんな他人同然の存在に興味は無い。
何より、もう他人と深く関わりたくなかった。
「ごめんな、こいつ他人と組むことが無いから礼儀を知らないんだ。私はエイラ。でこっちのへらへらした帽子はダン。ずっと怒ってるのがジャックだ」
「わかった」
一言で返事を済ますと、エイラとダンが口を小さく開けたまま立ち止まってしまった。
それを無視した俺が目線を斜め下に戻した瞬間、抉るように胸ぐらを掴まれる。
「こっちが名乗ったんだ、お前も名乗れよ」
「…優太」
「なあ、ユータ。確かにこの依頼は他のパーティーがヘマして帰ってこなかったせいで、四人以上でないと受注できなかった。だがな、俺たちの実力なら三人でも間違いなく狩れる相手だ」
そこまで言うと、ジャックは持ち上げていた俺の体を湿った地面に投げ捨て、背中を向けた。
彼の背負った大剣が、視界の中の水溜まりに反射して映っている。
「死人の目をした奴を信用なんかできねえ。何もせず黙って見てろ」
「…ああ」
ジャックの命令に俺が合意すると、彼はその場に唾を吐き捨ててからその場を離れていく。
この世界に来る以前は理不尽な仕打ちを受けたとき、じいちゃんの事だけを思い出して自分を守っていた。
それなのに、今は自ら突き放した存在が未練がましく頭を過り、寂しさが再燃する。
胸の中をざわめく感情の煩わしさに嫌気が差す。
「ちょっと、ジャック!」
エイラはジャックの振る舞いに呆れながらも、彼の背中を追いかけていく。
その姿を見送ったまま俺が立ち上がらずにいると、ダンが俺の前にふらりと手を差し出した。
「うちの暴れん坊が申し訳ない。気が強くて困っちゃいますよ」
「………」
ぼんやり水溜まりを見ていた俺は、差し伸べられた手を無視して自力で立ち上がり、二人の向かった方へ仕方なく歩く。
靴の中に水が染み込み不快だったが、下を向いて歩く度に少しずつ慣れてどうでも良くなった。
◇
雑談を繰り広げる三人の後ろをついて暗い洞窟を数分歩くと、唸り声の波に突き当たった。
「グルルルル…!」
俺が視線を上げると、青い毛を生やした狼が道を塞ぐように徒党を組んでおり、黙って通れる雰囲気ではない。
「小物だ。さっさと狩るぞ!」
そう叫んだジャックが大剣を鞘から引き抜く音に敵意の匂いを感じた狼が、先手を打って飛びついてきた。
狼の口元から剝き出しになった鋭利な牙は、獣特有の独特なタイミングで振りかざされる。
しかし、ジャックはそれに見事に反応し最初の攻撃を大剣の刃で弾き返すと、続いて飛びついた狼を返す刀で叩き切った。
「次だ次!死にたい奴からかかってこい!」
「目立つ馬鹿がいると楽でいいわね」
「エイラさんも頭の中身は大して…やめておきましょう」
大声で存在を主張しながら暴れるジャックを囮にして、憎まれ口を叩いたエイラとダンが的確に狼を狩っていく。
美しさすら感じる見事なコンビネーションだ。
しかし、俺が彼らの戦いから目を離せなくなっていた理由は別にあった。
「ジェシカ…!?」
ジャックの剣が描く軌道が、ジェシカのものに酷似していたのだ。
荒々しく振り回す剣の基本を感じさせない動きは、正に魔獣を狩る彼女のそれだった。
ここに居るはずがない友の幻影に喉が絞まる。
俺が手を伸ばすとそれは無情に消え失せ、仕事を放棄した俺一人だけが後方に取り残されている、惨めな現実に引き戻された。
「…クソッ」
あの瞬間からずっとそうだ。
自分から二人を突き放しておいて、深い所では未だにその姿を追っている。
何も捨てきれていない我が儘な自分に苛立ち、俺が転がっていた小石を蹴ると、数回跳ねて水溜まりに沈んだ。
澄んでいた水溜まりは衝撃に茶色く濁り、暫く経っても元の美しさを取り戻す事は無かった。
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