第五章

第20話 置き去りにされた魔法

 ただ、明かりの点いていない部屋でベッドの上から床を見続けるだけの日々だ。

 落ちている埃は日に日に増え、光の差し込む時間になると目立つくらいになってきた。


 もうあれから三日、いや四日は経っただろうか。

 幸い寮は個室だったため、引き籠っているだけで時間が私を置き去りにしてくれる。


 私の何がダメだったのか、今でもはっきりとはわからない。

 ただ、ステナとの戦いで自分の力不足は感じていた。


 そこにおよそ私よりも能力のあるジェシカが現れ、ユータは彼女に首飾りを与えた。

 彼女が選ばれて、私が選ばれなかった。

 そう考えるだけで胸が張り裂けそうになる。


「ついてこいって言ったじゃない…」


 私が誰にも届かないよう小さく嘆くと、それに応えるかのように部屋の扉が叩かれる。

 ここに引き籠ってから毎日部屋をノックされているが、私は人と話す気にはならず、耳を塞ぎ続けていた。


 今回も同じように無視していると、いよいよ扉の向こうから呼び掛けられてしまった。


「「リリィさーん…」」


 重なる声で私を呼んだのは、ミロとキロだった。


 少しだけ迷ったが、彼女たちにかけた迷惑を思い出し、仕方なく重い足を引きずって玄関へ向かう。

 幼い二人の貴重な時間を、こんなことのために無駄にさせるわけにはいかない。

 そう考えた私は毎日の来訪を止めさせようと、鍵を回して扉を薄く開いた。


「………」


 言葉は用意していたが、脱力した身体から声が上手く出てくれない。

 辛うじてパクパクと口の筋肉だけが動き、掠れた音が虚しく消えるだけだった。

 この程度の事ですら満足にできない無力感に苛立ち、壊れた身体から簡単に流れ出た涙に視界が滲んでしまう。


 しかし、そんな鬱屈とした部屋の空気を吹き飛ばしてしまいそうな勢いで、強引に扉が開かれた。

 舞い込む光に目を眩ませていると、飛びついてきた二人に身体が押し倒される。


「「リリィさーん!」」


 先程まで扉の前で弱弱しい声を上げていた二人が、私の胸の上で雨雲のように涙を吐き出している。

 突然の事態に勿論驚いたが、それでも自分のために本気で泣いてくれているのだと分かり、愛おしかった。


 二人の体温によって取り戻したのは血流か心かは分からなかったが、遂に喉が言うことを聞いてくれた。


「…ごめんね、心配かけちゃったね」


 そういった私がミロとキロの頬を伝う涙に両手で触れると、二人は更に激しく泣きじゃくった。


「ごめんなさい。キロが一緒に学校に行きたいってお願いしたせいで…」


「ミロもこんなことになるなんて思ってなくて…ごめんなさい」


 確かに魔法学校の試験はユータにとって都合が良かったのだろう。

 しかし、この機会がなければきっと別のやり方で置いて行かれただけで、結果は変わらない。


「二人のせいじゃ無いわ。私が弱かったの」


「弱かった…?リリィさんはとっても強いですよ?」


 少し落ち着いてきた二人が目尻に涙を浮かべたまま首を傾げている。


「いいえ。ユータは私なんかよりとっても強いの。聞いてくれる?」


「「聞きたいです!」」


 私はミロの質問をきっかけに、ユータについて二人に話し始めた。

 出会いや教会での出来事、彼の強さと優しさ、これまでの旅路やその目的など、私の中のユータの記憶を余すところなく言葉に変換する。


 途中で何度か涙が崩れてしまったが、話し終わる頃にはあれほど重かった胸が少しだけ軽くなっていた。



 ◇



 翌日、私は久しぶりに部屋の外に出ることを決めた。

 これ以上ミロとキロに心配をかけるわけにはいかない。

 狭い浴室で水を浴びると久々の冷たさに脳が驚いたのか、普段よりもはっきりと目が覚めた。


 青いローブを着て廊下に出ると、ミロとキロが眠たそうにあくびをしている。

 私が部屋から出てくるのを待っていたのだろう。


「おはよう。眠そうね?」


「「おはようございまふ」」


 見慣れたとんがり帽子がメトロノームの様に揺れている。

 とことん朝が弱そうなミロとキロは、私が前を歩き出すと、転びそうな歩き方でふらふらと後ろをついてきた。


 ゆっくり歩いて食堂に辿り着くと、似たような恰好をした大勢の生徒で賑わっていた。


「…なんだか、蟻の巣みたいで気持ち悪いわね」


「「アリさんは気持ち悪くありません!」」


 間違い探しのような風景に少しげんなりしてしまった私の言葉に、ミロとキロが頬を膨らませているのを見て、彼女たちの意識がはっきりしたのを確認する。


 これだけ生徒がいても食事はどれだけ頼んでも全て無料で、どの料理もそれ程チープには見えない。

 私は天国のような待遇に頬を緩ませながら、大量の皿の乗ったお盆を抱えてテーブルに戻ると、ミロとキロの前には私の五分の一程の量しか料理が並んでいないことに気が付いた。


「…もしかしてダイエットでもしてるの?大きくなれないわよ」


「ハッ…!?もしかしてミロが小さいのはご飯が少ないせいだったんですか…!?」


「ハッ…!?それならキロも頑張っていっぱい食べなきゃいけません…!」


 何故か胸に手を当てて衝撃を受けていたミロとキロは小さい体で一生懸命に料理を食べ始めた。

 私も彼女たちに倣ってフォークを取る。


「いただきます」


 昨日二人が持ってきてくれた軽食を除くと数日水しか飲んでいなかったため、最初に取った皿の上のサラダは味わう間もなく消滅した。


「「リリィさんのサラダが消えました…!」」


「消えたわね」


 このままでは全ての料理が無に帰してしまう。


 仕方なくゆっくりと味わうよう意識して鶏肉を頬張ると、口の中に広がったのは芳醇なソースの香りと上品な味付けだった。

 久々のまともな食事は涙が出るほど美味しかったが、酒場の健康面を完全に度外視した脳がチカチカするような味付けも恋しく感じてしまう。


「「もう食べれません」」


 私が旅の料理を懐古しながら全ての皿を平らげた頃にようやく一度目のおかわりを完食した二人は、無理をし過ぎたのかテーブルから動けなくなってしまった。

 仲良く目を回している姿も可愛らしい。


 私は二人の姿で目の保養をしながら、授業の日程が書かれた紙に目を通し始めた。


 この学校では必要な単位などは特に無く、行われている授業に自由に参加できるというシステムになっている。

 そのため怠けようと思えばいくらでも寝て過ごせるが、どの生徒も志が高いため日中は九十五パーセント以上の生徒が授業を受けているらしい。


 日程表を眺めていると、ミロとキロが左右から覗き込んできた。


「ミロたちは今は風魔法を勉強してますよ!」


「リリィさんはどの授業を受けに行くんですか?」


「暫く授業は受けない予定よ。調べたい事があるの」


 私は昨日の夜、この学校でやることを決めていた。

 心を入れ替え、学生らしい目標を新たに見つけたわけではなく、諦めないことを決めたのだ。


 ユータは私についてこいと言った。

 祖母を失いその悲しみに付け込まれ罪を犯した私を救い出してくれた彼の力になることは、今でも私の生き甲斐だとはっきり言える。


 ただ、ユータの側を歩くには力が足りない。

 その点この学校には古今東西の魔術書が集まっているため、力をつけるには打って付けの場所だった。

 ここでしか手に入らないであろう知識に僅かな可能性を感じていた。


 財布の入った鞄は私が持っているため、ユータがこの辺りから離れるのにも暫く時間がかかるだろう。

 壁から出る事さえできれば、すぐに追い付くことだって叶うかもしれない。

 その時私が力を付けていれば、きっと彼だって考え直すはずだ。


「ごちそうさま!そろそろ行くわね」


「行ってらっしゃいませ!」


「また夜にでも一緒にご飯食べましょう!」


 私は明るい笑顔に手を振り返して別れる。

 殻に籠った私を引きずり出してくれた二人に心の中でもう一度感謝してから、私は目的地に向かって歩き出した。



 ◇



 私は師匠の家の隅で埃を被っていた古びた本を拝借していた。

 大陸の古代文字の解読方法が書かれた本だ。


「歴史が進むにつれ詠唱は簡易化、更には詠唱を破棄して魔法は高速化し対人戦に適応させられてきたわ。…詠唱付きの古代魔法は誰も使っていないのが現状ね。言ってしまえば時代遅れよ」


 師匠はそう言っていたが、私はどうにも家や教会で学んでいた神話の内容と、現代魔法の間にあるギャップが気になっていたのだ。


 神話では原初の魔法使いが神から授かった魔法で、いとも簡単に竜を倒したと言われている。

 どの宗教の聖書にも似たような記述があるため、完全なおとぎ話ではないはずだ。


 しかし、この国の最高位の魔法使いですら、どう足掻いても竜を一発で仕留める威力の魔法は出せない。


 私はユータとの差を埋めるため、この他愛もない違和感を深掘りすることにした。


「いざ実践するとなると緊張するわね…。ちゃんと解読できるといいけど」


 私は別棟になっている図書館の前で、少しの不安と感慨深さを感じていた。

 旅の道中は暇な時間も多くすることが無かったため古代文字の解読方法を学んでいたが、まさかこんなにも早く活きる事になるとは想像していなかった。


 ジェシカの楽しそうな声が宿の壁の向こうから聞こえる度にイライラしたものだが、それを我慢して積み重ねた知識を解放するときが来たのだ。


 私は一度深呼吸をしてから、重い扉を押し開ける。


「…凄い」


 中に入るとまず目に飛び込んだのは中央にある巨大な木製の机、そしてそのスペースを囲むように大量の書物が几帳面に並べられていた。

 紙やインクなどの混じったノスタルジーな匂いが充満しており、目を閉じていてもここが特別な場所なのだと理解できる。


 メドエストの書庫もかなり大きかったが、その比ではない巨大さだ。

 三階建てになっている上だだっ広く、管理するだけでもとてつもない金が掛かっているに違いない。


 生徒は授業を受けているため、司書以外の人影は殆どない。

 近くに座っていた司書も少し暇そうに足をぶらつかせていたため、気兼ねなく質問することができる。


「あの、ここで一番古い魔導書を探しているんですけど」


「珍しい事を聞くね。古代文字の書物は地下の奥の方に纏めて保存されてるよ。どれが一番古い魔導書なのかは誰も読めないから分からないけどね」


「ありがとうございます」


 私は司書に礼を言い視界の端に見えていた階段に向かう。

 最初は心を躍らせながら階段を下りていたが、途中から雰囲気の違いに気が付き始めた。


「なんか、薄暗いわね」


 階段を降り切った私が部屋を見渡すと、地上階とは違い閉塞感のある灰色の空間が蛍光色の弱い灯りに照らされていた。

 司書の姿も、管理されている気配も全く無いため、テーブルを指で触ればやはり埃が乗っている。

 

 どうやら古代の情報の需要は、限りなく薄いようだ。


 ふらふらと地下を歩いて回ると、階の一番奥にある巨大な棚に古代文字で書かれた本が雑に放置されていた。

 傷だらけのものや、埃やカビで汚れているものばかりだ。


「これは気合が要りそうだわ」


 予想を大きく飛び越えた惨状に気後れしている暇はない。

 私は腕を捲くると、口をへの字に結んで埃を被った古本に手を伸ばした。



 ◇



 それからの私の時間はほぼ全て古代文字の解読に費やした。

 料理本などの関係ない物だと分かれば後回しにし、魔導書や神話に関する本だけをピックアップして読み解いていく。


 魔導書が解読できる度に詠唱付きの魔法を校庭で試したが、威力の違う魔法は見つからない。

 授業に出ずに詠唱付きの魔法を試し続ける私を馬鹿にする生徒も少なくなかったが、周りの声を気にしている余裕はなかった。


 とはいえ、解読自体は上手くいっていた。

 最初は一冊読むのにも時間がかかっていたが徐々に解読する速度は上がり、三週間経った頃にはほぼ全ての書物に目を通せていた。


 しかし、順調だった解読にとうとう壁が立ちはだかる。


「やっぱり、この本だけ解読できない…?」


 私は一冊の題の無い本に向かって頬杖を突いていた。

 他の本と文字の形は一緒だ。

 文法に大きな違いも無い。


 しかし、何故か文章の意味がのだ。

 文章を理解しようとすると、頭の中に靄がかかったようにぼやけてしまう。


 不自然なのは文字だけではない。

 何故かこの一冊だけ異様に状態が良く、表紙から中身まで丁寧に手入れされていた。

 そのため比較的新しい物だと思い後回しにしていたのだが、開いてみればだったわけだ。


「おや、こんなところに生徒がいるとは珍しいのう」


「ほわっ!?」


 三週間貸し切りだった地下室で急に声を掛けられ間抜けな声を出してしまった。


 背後を見ると真っ白な髭をたんまり蓄えた仙人の様な老人が、捻じれた立派な杖に頼っている。

 私は解読に熱中しすぎて杖の音にすら気が付かなかったらしい。


「驚きすぎじゃ、小娘。そんなに必死になって何を読んでおったんじゃ?」


「え、ええと、この本だけ読めなくて…」


「どれ、儂に見せてみろ」


 動揺した私が本の中身を見せると老人は目を細めて顔を近付けた。

 老人の如何にもな風貌には、この世の全てを理解していそうな雰囲気がある。


「ふむふむ…なるほど…」


「なんて書いてあるんですか!?」


 私がのめり込んで質問すると、老人は真剣な面持ちで答えた。


「老眼で全く文字が見えん」



 ◇



「儂はこの図書館で一番偉いヤヌン様だぞ!老人をいじめちゃいけないんだぞ!」


 髭を引っ張って制裁を加える私に、短い手を振って必死に抵抗するヤヌンと名乗ったこの老人は、図書館の最高責任者であると主張しているが、私は全く信用していない。


「こっちは必死なの。おちょくってんじゃないわよ!」


「…むう。小粋な老いぼれジョークが理解できんとは、これだから最近の若者は」


 叱りつけた私が髭から手を離すと、ヤヌンは杖を持っていない方の手で髭の根元を擦っている。

 立派な髭のせいで強者感が出ていたが、話してみると壁を感じさせない老人だ。


 ヤヌンは痛みが落ち着いたのか、落ち着いた眼差しで私を見据えた。


「…小娘、何故古代魔法などを学ぼうとしておる。この階の状況を見れば分かるじゃろう。今や詠唱付きの魔法など時代遅れ。お主の貴重な時間と脳の容量を貪るだけじゃ」


 歴史の移り変わりを受け入れたヤヌンの眼には灰色の寂しさが見え隠れしていたが、私はそれを拒否するように視線を外す。


「誰もが見放した力だけれど、誰も深く理解していない。私はこの可能性を捨てる気にはなれないわ」


「…お主であれば王道を行っても高みを目指せるのではないかのう?」


 何故かヤヌンは私を無理やりに持ち上げてまで古代の情報から引き剝がそうとしている。

 しかし、私の中に生まれた決意は簡単に揺らぐものではない。


「私には時間が無いの。王道じゃ間に合わない。あの化け物たちと渡り合うには、どうにかして劇薬を見つけてそれを飲むしかないのよ」


 私が固い意志を瞳に乗せると、遂にヤヌンは溜息をついてから背中を向けた。

 彼は少し黙ってから、杖を持つ手を握り直す。


「小娘。その古臭い力がどうしても必要ならば、明日の自由参加の社会見学について行くのじゃ」


「……は?なんで急にそんな話になるのよ!?ちゃんと説明しろ髭ジジイ!」


 私は語気を荒げてヤヌンを引き留めたが、彼は無視して部屋を出て行ってしまった。

 

 社会見学などに参加したところで得られるものがあるとは思えない。

 しかし、手掛かりの無い私にそれを拒否する選択肢は残されていなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る