第22話 繋がれた道

 焚火の炎は、空気の流れに抗い必死に揺れる。

 その上では捌かれた狼の肉が、焼き色を付けてかぐわしい匂いを漂わせていた。


「そいつは一匹も殺してねえだろ。肉を分けてやる必要なんてあるのかよ?」


 仏頂面で悪態を吐いたジャックは先に焼けた狼肉を奪い取って頬張っている。

 彼が良く動くのは口だけではなく、実際に狼の群れの半分を一人で狩ってしまった。


 良く鍛えられた筋肉が大胆に躍動する姿はジェシカの剣を彷彿とさせたが、良く見るとジャックは彼女とは違い常に魔獣と一定の距離を保っていた。


 その甲斐もあってか返り血ですら足先にしか浴びておらず、勿論傷も無い。


「何馬鹿な事言ってんの。あんたが何もするななんて言ったからでしょ!」


「どうだかねえ…。腰が抜けてただけじゃねえのか?」


 エイラが腰に手を当てて怒鳴ったが、ジャックはそれを気に留める様子も無い。

 すると、煙草を吸いながら真剣な顔で黙って弓の手入れをしていたダンが、灰を落とすついでに口を開いた。


「ジャックさん。一人で先の様子を偵察してきてください。ついでに頭を冷やしてくるように」


「…チッ、戻るまでには食い終わっとけよ」


 そう言い残したジャックは先程までとは違い素直に言葉を受け入れ、肉を咥えたまま立ち上がった。

 彼の態度の変化にこのパーティーの力関係が窺える。


「ユータさんももう少し元気を出してください。美味しいですよ?ブルーウルフのもも肉」


 ダンはいつも通りのだらしない笑みを浮かべながら、焼けた肉を俺に向かって突き出した。

 いつから食事をしていなかったか、俺は唾液が溢れそうになるのを必死に隠す。


 しかし、あれだけ拒絶してもまだコミュニケーションを取ろうとしてくるあたり、何度壁を作っても彼相手には無駄なのだろう。

 年長者らしく、相当なお節介焼きだ。


「彼の剣は凄かったでしょう。境界町を拠点にしている優秀な戦士の中でも、一二を争う手練れです」


「…確かに強かった。いい戦士だな」


「そうでしょ!?ジャックは六年前位に剛剣に憧れてから、ずっとそれを真似て剣を振っていたの!その前から剣の事はお父さんに教わっていたみたいだし、生まれながらにして剣士だったって感じね!」


 俺が肉を食い千切りながら返事をすると、会話が成立したことと、ジャックを褒められたことに同時に喜んだエイラが声のトーンを上げた。

 ダンの方も煙草を咥えた口元が上がっていてむず痒い。


「剛剣が今どうしてるかは分からないけれど、もうジャックの方が体は大きいし、強いかもしれない。足りないのは有名な魔獣を倒した名誉くらいよ!」


 ジャックについて語るエイラはとても幸せそうだ。

 彼の事をどれだけ想っているのかが伝わり、温かい世界に引き込まれてしまう。


「…そうか。じゃあ大物狩りが楽しみだな」


 俺が話を合わせてそう言うと、ダンは煙を吐き出しながらやれやれと首を横に振った。


「私はそんなのまっぴら御免ですよ。身の丈に合った魔獣を狩って、煙草が吸えればそれでいい」



 ◇


 腹ごしらえを終えた一行は洞窟を十数分歩き坂を上がると、大きく開けた空間に出た。


「消息不明になった奴らは…見当たらないか。やっぱり蛆に食われて死んじゃったのかなあ」


 エイラが同じ依頼を受け帰ってこなかった冒険者たちを気にしているあたり、余裕がある相手だというジャックの話は嘘ではないらしい。


 見渡すとこの場所だけは天井が開いており、そこから差し込んだ夕照せきしょうが水溜まりを赤く染めている。


 違和感を生み出しているのはその光だけではなく、奥の壁に存在する人二人分程の直径をした丸い穴が侵入者を待ち構えてこちらを覗いていた。


「あれがグランワームの巣か…」

 

 巨大な蛆の討伐依頼だと聞いてはいたものの、予想以上のサイズの巣穴に現物を想像して呟いた俺の肌が立ち上がってしまっている。


「もう少し近付けば這って出てくるでしょう。…さて、警戒しながら接近してみますか」


 ダンが注意を促すと戦士たちが無言で武器を構える。

 彼らが短い付き合いではないことが、息の合った動きから見て取れた。


 一方、何もするなと言われてしまった俺はフロアの出口に突っ立っていることにした。

 暇ではあるが、金さえ貰えれば文句など無い。


「行くぞ」


 ジャックの言葉を合図に三人はジリジリと巣穴までの距離を詰めていく。

 丁寧に同じ歩幅で進むため隊形は全く崩れず、足音も綺麗に重なって一つになっている。


 そのままフロアの三分の一程を進んだ所で、ダンが足を止めて顎に手を添えた。


「…おかしいですね。ここまで進めば獲物の匂いに気付いて顔を出すはずなんですが」


「寝てる…なんて間抜けな話は無いか」


 ダンの疑問に付き合ったジャックが緊張の糸を少し緩めて首を掻く。

 好奇心を頼りに空間の中心まで小走りで進んだエイラは、片足を上げながらちょっとした悲鳴を上げた。


「きゃあ!…ねえ、ダン!この辺りだけ地面がネチョネチョしてるんだけど!」


「…グランワームの粘液ですね。粘度が高いのを見るに興奮していたようだ。白いのは溶け残った人骨…?中心にだけってのも不自然です」


 ダンは指に掬った粘液を帽子の下の闇からじっと見つめている。

 

 この男は普段は飄々としているが、知識が豊富で言葉には説得力がある。

 ジャックとエイラが散り散りになって退屈そうに彼の判断を待っているあたり、大まかなパーティーの指揮はダンが執っているのだろう。


 俺も少し気を緩めて水溜まりを眺めていると、天井の穴から差し込んでいた光がほんの一瞬だけ遮られた。

 不思議に思い空を眺めると、巨大な影が旋回して頭上に戻ってくる。


「上だ!」


 俺の声に反応して、全員が頭上を見上げる。

 

 影はゆっくりと舞い降りてきたが、強さを象徴するような姿に圧倒されてしまい、その場に居る誰もが見入ったまま動けずにいた。

 蛆の巣穴よりも大きい翼から吐き出される風圧に、一番遠くにいた俺でさえ身体が押し負けそうになる。


「翼竜…!蛆を食い殺して自分の巣にしていたか…!」


 状況の回答に辿り着いたダンが、帽子を押さえながら喫驚する。

 赤い鱗を纏った翼竜は鋭い爪を食い込ませながら四足で地面を踏むと、凶悪な長い牙を見せ付けるように大きく口を開いた。


「ギャアアア!」


 咆哮は鼓膜から脳を揺らし、俺たちの精神を威圧する。

 獲物、または敵として認識されているのは明確だった。


「私が気を引きます!フロアの外周を沿って走って下さい!」


 ダンが弓を引きながら簡潔に指示を出す。

 その声に冷静さを取り戻したエイラは、言われた通りに円形の壁に沿って走り出した。


 しかし、ジャックがその場から動かない。

 あろうことか、背負っている大剣のグリップに手を掛けてしまっている。


「何やってるのジャック!早く逃げるわよ!」


 気付いたエイラが激しく呼びかけたが返事は無い。

 俺が耳を澄ますと、翼竜の唸りや翼をはためかせる音の奥に、ジャックの独り言が聞こえた。


「…剛剣なら逃げない。剛剣なら…!」


 そう呟いて強く歯を噛み合わせたジャックは、意を決したように音を立てて大剣を握りしめると、翼竜に向かって一直線に突進した。


「うおおおお!」


 声の勢いを剣に乗せたジャックは狼との戦いとは一転、型に嵌った動きで鉄の塊を振り下ろす。

 大剣の刃が竜の腕と一体化した翼膜を切り裂くと、真っ赤で重たい血液が傷口から噴き出した。


「ギャオオオ!」


 大振りで一太刀浴びせられ、痛みに翼竜が甲高く叫ぶ。

 その様子に手応えを感じたジャックは笑みを浮かべたが、その表情を引き摺ったまま振り回された尾に轢かれ、壁まで吹き飛ばされてしまった。


「ジャック!」


「行くなキャミ!」


 ダンの引き留めも虚しく、悲痛な声を上げたエイラはジャックの吹き飛ばされた方へ駆け寄ってしまう。


 こうなったら終わりだ。

 理性を失ったパーティーは、最悪の状況に陥ってしまっていた。


「クソ…クソおおお!」


 ダンは狂ったように矢を放ち続けるが、鱗の鎧に弾かれてしまい、気を引くことすらままならない。

 そして、ジャックとエイラを睨んだ翼竜の閉じた口から、ゆったりと確実に赤い炎が漏れ出し始めた。


「終わった…」


 豪快に開いた翼竜の顎の間にある炎の光が、絶望を口にして膝から崩れ落ちるダンの背中越しに膨らんでいく。

 俺にこの生物の知識が無くとも、今から何が起こるかは簡単に理解できた。


 舞い散る火の粉に煽られる。

 押し寄せる熱波が俺の中にある実体のない何かを揺さ振ってくる。


 孤独を受け入れた。

 何故ならば、俺は人の命を奪う覚悟の無い半端者だからだ。

 敵の命を奪うことのできない俺が、仲間の命を守りながら戦い切ることはできないと判断し、断腸の思いで大切な友人たちとの繋がりを切り捨てた。


 万能の薬を手に入れじいちゃんに会うという目的を捨てることはできず、そのために友人の命を失うことなど更に受け入れられない。


 仕方がなかった。


 そして今、目の前で命が失われようとしている。

 金を稼ぐためだけに、依頼を受けるためだけに仕方なく組んだ、どうでもいい奴らの命だ。


 こんな奴らのために命を懸けてしまっては、何のために孤独を受け入れたのかわからなくなってしまう。


「それでも」


 重なってしまったのだ。

 自分の命を危険に晒してでもジャックに駆け寄ったエイラの姿に、俺の背中を支えたの幻影が。


「きっとあいつが友達と呼んでくれた俺は、ここで踏み出せる俺だ…!」


 太陽を掲げた翼竜の前に躍り出た俺は、失っていた熱を少しだけ取り戻していた。


 

 ◇



 湧き上がる炎が形作った青い大盾が、轟音を響かせながら遂に発射された竜の炎と衝突する。

 赤と青は爆風を巻き散らし、ざらざらとした音を立て、一つになって消滅した。


「翼竜の炎を打ち消しただと…!?」


 ジャックの口から驚嘆の声が漏れる。

 しかし、その声が俺に届く頃には地面を滑るように走った青い炎が翼竜に届き、炸裂した。


「ギャウウウ…」


 翼竜は衝撃に少しだけ仰け反ったが、赤い鱗が炎を遮ってしまい、消耗した様子は見受けられない。


「これは…分が悪いな…」


「ユータさん!傷口です!ジャックが切った傷口を狙ってください!」


 俺の弱気な発言に静寂が訪れかけたが、正気を取り戻していたダンがそれを許さない。


 指示に反応した俺は先程と同じようなルートで青い炎を迸らせると、竜の足元に到達した瞬間、目を閉じて強固にイメージする。


 九十度だ。


「ギャアアア!」


 俺が目を閉じたと同時に炎が直角に跳ね上がり、翼膜に開いた傷口に綺麗に突き刺さる。

 そのまま貫かれた傷は青く染まり、燃え広がった炎が翼膜を大きく焼いた。


「効いている…!」


 拳を握ったダンの言葉に確信を得た俺は、畳みかける様に同じ傷に向かって複数の炎を放つ。


 百度、百十二度、百二十四度。


 三つの炎を精細に操るために、俺は早めに目を閉じイメージを始める。

 しかし、無理に止めを刺しにいったのが仇になった。


「ユータ!避けて!」


 俺がエイラの悲鳴に目を開けた時にはもう遅かった。

 数秒前には遠くにあったはずの翼竜の顔が、目と鼻の先まで迫っていたのだ。

 最強の種の最強の筋肉が生み出した神速の突進が、俺の脳内にあった想定を全て吹き飛ばし、空いたスペースに走馬灯を走らせた。


 死ぬ。


らせるかあああ!」


 全てを覚悟した俺のマントを翼竜の鼻先が掠める。

 体を真横に吹き飛ばされた俺が瞼を開けると、膝を突いたジャックが翼竜を睨みつけていた。

 

「借りを返す前に死なれてたまるかよ」


 ジャックは気怠そうにそう言うと、口の中に溜まった血液を吐き捨てる。

 

 俺は暫く何が起こったか理解できなかったが、向こうで翼竜が壁に突き刺さった首を引き抜いているのを見て、彼に命を助けられたことにようやく気付いた。


「ジャックさん、立って下さい!エイラの背後で準備を!」


 傷だらけのジャックはダンの指示に反応してゆっくりと体を起こし、エイラが運んできた大剣を両腕で握る。

 

 それを確認したエイラが盾を構えると、最後の進軍が始まった。


「いいですか、心臓です!翼竜の心臓までの道を作ります!」


 ダンの指示が周囲の固い壁に反響する。

 翼竜が再び炎を吐き出そうとしたが、ダンの放った矢が強烈に眼球を捉え、形成されかけていた炎の玉が消滅する。


「まだ箱に何本か残ってるんだ。死ぬわけにはいかないでしょう」


 煙草を咥えたまま呟いたダンの弓の精度も確実に上がっている。

 パーティー全体に希望が満ちているのを肌で感じられる。


「ギャオオオ!」


 長期戦のストレスに自棄になった翼竜は後退しながら太い腕を振り回し始めた。

 尖った爪がエイラの盾を激しく叩いたが、彼女は怯まずに何とか受け流し、距離を詰め続ける。

 鉄の盾は使い物にならない程に歪んでいたが、ジャックの身体は更に限界に近く、エイラがパリィに失敗すれば作戦はそれで終わりだ。


「私だって…みんなの役に!」


 気を吐いたエイラは振り下ろされた爪の攻撃を、盾が変形したことによって生まれた曲線を活かして華麗に躱して見せた。

 五回目の攻撃を躱され苛立った翼竜が腕を大きく振りかぶった瞬間、ジャックが上体を落として走り出す。


「認めるしかねえ。今の俺じゃあまだ届かない領域だ」


 言葉を零したジャックが翼竜の懐に入り、自らの血に塗れた両腕で大剣を肩から振り下ろすと、鉄同士のぶつかるような硬い音とともに小さな火花が散って、強固な鱗の鎧に薄っすらと割れ目が出来上がる。


 限界を迎えたジャックはその場で倒れそうになったが、勢い良くスライディングしたエイラが彼の体を抱きかかえ、そのまま竜の股下を潜り抜けていった。


「次こそは…俺の手で…!」


 ジャックの悔しそうな声が翼竜に向かって走る俺の耳に届く。

 野心の塊のような男だ。

 腑抜けた俺の姿に異常に腹を立てていた彼の人間性が、ようやく腑に落ちた。


 もう、友達は要らない。

 ただ、こういう奴は嫌いじゃない。


「ぶっ飛ばす」


 青い羽を靡かせた俺の右腕が風穴に深く深く突き刺さる。

 薄く開いた鱗の隙間は一瞬で巨大な穴となり、心臓を失った翼竜の体はゆっくりと地に伏せた。

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